29.獣は夢の終わりに —揃える—-1

 目の前の泡が少し晴れてきた。

 衝撃にふっとばされていたフォーゼスは、ようやく意識を取り戻しかけて、低くうめく。

 目を開いたフォーゼスの前は、泡に満ちていた。しゅうしゅうと溶けるような音がする。実際、床も溶けているようで、足場が不安定だ。

 そんなフォーゼスの前には、裾のちぎれた赤と黒のショールをはためかせたユーネが、彼を庇うように膝をついていた。

 そのまま、彼はすうっと立ち上がる。

 フォーゼスも立ちあがろうとしたが、泡の影響か、体の動きが鈍い。痛いというより、体が軋んでしまう。

「だ、大丈夫か。ユーネくん?」

「ユーネ?」

 そう声をかけると、振り返らずに彼は答えた。

「ユーネ、くんだァ? はァ?」

 なぜか目の前の男が肩をすくめる。

「おれをそんなフワっとした名前デ呼んでイーとか、許可した覚えねえんだがなァ」

 歪みのあるハスキーな声は同じだが、話し方がガラッと変わっている。ぎくりとして、フォーゼスは身を起こした。

「フォーゼス。おれは、ザクッとした名前ノがすきって言ったろう。ユーネは、キャラじゃねえッテな」

 どきっとした。それは泥の獣のユーネの物言いではなかった。

 ユーネは、そのまま手のひらを見つめた。刀を持った手に、ノワルの真っ黒な液体が付着してきた。

「ごめんな」

 そう言って彼は刀を滑らせて刃を握る。指から血が出たが、その血は赤よりも黒が多い。

 ユーネは床に刀を刺すようにして、左手を解放すると、ノワルの残骸と自分の血を混ぜた。

 残骸はやがて丸く形を取り始める。

「ごめンな。お前は、ずっと、おれのそばにいてくれたのニ。おれが気づかなかッた……」

 ユーネはそれに口付けるようにしてから、すっと手を開く。丸くなった黒物質の塊は、小鳥のような姿になって、ばさっと羽ばたいた。

「ありがとうな、スワロ」

 ぱさぱさと羽ばたき、スワロと呼ばれた元ノワルだったものは、彼の右肩に戻った。かつてのスワロのような意志を感じないが、それでも主人に甘えるように寄りかかる。それを彼は愛おしげに撫でてやる。

 ユーネは、そうしてからフォーゼスに振り返った。その右側の顔がいつぞやのように、黒く溶けかけている。

「あ、あの、右が……」

「そりゃ、アノ水鉄砲の直撃食らってるんだゼ。多少は溶けるさ」

 ユーネはひねくれた口調でそう言って、にやりとした。

「気合入ってチょうどイイ。お陰で、思い出したしナ。紐付けができチまった」

 やれやれと肩をすくめる。

「おれは黒騎士だからな。ちょっと黒騎士ブラック・ナイトあるだけノお前だっテ、体にガタきてんだろうがよ? そりゃア、おれにはてきめんに効くにきまってるだろ?」

「ネザアス、さん?」

 はっきり確信できた。

 フォーゼスが膝をついて彼を見上げて、おそるおそる名前を呼ぶ。

「あなたは、ネザアスさん、なんですか?」

 そう呼びかけると、ユーネは手のひらを拭ってからにっと笑った。既に血は止まっているようだ。

「よく頑張ったな、フォーゼス」

 唐突にぽんと頭に手を置かれる。

「ちゃんと大人になれタじゃねえか。好きな女も探せて、お前、偉いゼ?」

「ネ、ネザアスさん!」

 フォーゼスは言葉にならない。目を潤ませたと思ったところ、はらはらと涙を落とす。ユーネ、いや、奈落のネザアスは苦笑する。

「馬鹿野郎、軽々しく泣くなっていったろうガ! しょーがねーヤツだな!」

 まあしかし、とネザアスは、あたりを見やった。

「ま、あんまリ状況は余裕でもナイ。アイツら、めでたく希望通り溶けちまったガ、まー、溶けた方が厄介ナんだよ、俺たちの素質って」

 ネザアスの視線を追うと、泡の中で黒いものが踊るように蠢き始めていた。

 ネザアスは、ふと目を細めて尋ねた。

「お前、吸引式ブーストチャージ持ってたよナ?」

「えっ、ああ、持っています」

 ブーストチャージとは、彼らが煙草を吸うフリをして使っている吸入式のエネルギーチャージサプリメントの一種だ。戦闘時用で、急速な体力回復を行う際に使う。が、強力すぎて、乱用が禁止されていた。

「ありったけのブーストチャージ、おれによこセ! ふん、黒騎士には黒騎士の戦い方ってノがあるんだ。あの劣化コピー共に、その辺の差ってヤツ、思い知らせてやル!」

 黒物質を含む万能物質で作られた島や島の建物自体も崩れ始めている。

 強い風が起こり、ネザアスのマント代わりのショールと赤い後髪がはためく。

 ネザアスは詰襟の首元を緩めて着崩し、ショールを風になぶらせながら、カートリッジをセットした電子煙管をくわえ、フォーゼスから渡されたブーストチャージ用のカートリッジを懐に突っ込む。

「やれやれ、ッたく、体ガタガタじゃネーか」

 薄く煙を吐きながら、彼は左目を細めた。

「だが、ヤミィ・トウェルフ。てめえのイカレたパーティーもこれまデだ!」


 うごめく有象無象たちは、歓喜に包まれていた。

「先生の言う通りだ。なんて動きやすい」

「泥に取り込まれたときとも違う、制限なく動ける」

「手始めにここにいる奴らを血祭りに上げてやろう」

 ヒトの姿も保てず、アメーバのようにうごめき、踊るように触腕を伸ばしている。そんな白騎士や獄卒だったもの達は、やがて溶け落ちた基地の泡の中にネザアスとフォーゼスがいるのを発見していた。

「手始めに!」

「あいつらを!」

「血祭りだ!」

 ざああ、と音を立てて泡の海をかき分けながら、彼等が襲いかかってくる。

「ふん、溶けんノも汚泥に冒されるのト大差はネえな。神経系統やられルのか、頭だけ幸せになれル。どこまでもおめでたい奴等」

 ネザアスは見下したようにそう言って、フォーゼスをチラッと見た。

「お前は休んでろ。通信回復すりゃ、あノ情報通お嬢ちゃんのイノアが気づいて、助けガくる。この人魚姫の涙は、おれの黒騎士ブラック・ナイトを持つお前にもかなり影響しているカラな。動けないのは当たり前だ。アイツらは、おれが始末する」

「しかし……」

「トオコちゃんもいるンだろ? トオコちゃんとウィスは、多分ちゃんと逃げてるが、お前が無理すると帰れなくナル。それに、あいつらおれの獲物なんダ。まー、なんだ、気持ちよく寝てたところ、起こさレて、おれもムカついてる」

 エネルギーサプリメントを吸うことで、ネザアスはかなり回復しているようだったが、顔の右側は黒くなり、溶け爛れているように見えた。再生がうまくいかないのかもしれない。

 しかし、ネザアスの左目は、少なからず戦闘の意欲ために煌めいている。夕陽のようなウルトラマリンの赤。

「あとはおれに任せトけ!」

 黒い物体と化した白騎士達は、ほんのすぐそこに迫っていた。

「スワロ。さあ行くぞ!」

 ネザアスはそう小鳥に囁く。

 ぴっ、と鳴き声が聞こえ、彼の肩から小鳥が飛び上がる。

 ネザアスは泡の海を蹴散らすように駆けると、彼を飲み込もうとした不定形の黒いものを真っ二つに切り裂いた。

「結局、特性は泥の獣と同じなんだヨな、お前ら。コアやられルと終わる」

 くくっとネザアスが嘲笑う。

 ネザアスがそのまま彼らを一撃で沈めていく。すると、恐れをなしたのか、仲間達がざあっと引く。逃げるように遠ざかるものもいた。

「はははっ、逃げロ逃げろ!」

 ネザアスは、煽るように冷笑した。

「ちょろちょろ逃げ回られた方が、狩リの楽しみガあるってモンだ! いいねエ! 気持ちが盛り上がルぜ!」

 からからっと笑いながら、彼は逃げるそれを追いかけて斬り捨てる。

 そして、ギリと噛み締めるようにして笑った。

「お前らが悪イんだぜ?」

 その声色は、少し沈む。

「おれは、ただ、ずっと夢を見ていたかっタだけなのに。どうせ死ぬなラ、夢を見タままデ」

 ネザアスはふと左目を歪めた。

「幸せな何も知らねえ獣のユーネで、いられれば! 綺麗な歌を聴いテ、綺麗なものだけ見テ、それで生きテいけたのに! お前らがおれを起こしちまったかラ!」

 ざあっと迫ってきた泥の敵を切り裂いて、ネザアスはそう言い捨てた。

「まあいいサ。せっかく目がサメタんだから、お前らのイカレたパーティーに、おれが華を添えてやる!」

 一人ずつではかなわない。

 あんなどろどろの姿になっても、彼らにはまだそれくらいの理性があるのか、残ったものが集まり始める。

 ぴっとスワロが警告した。大きな塊になって、ネザアスに黒い触腕を振るう。

 ネザアスが警戒して眉根を寄せた。が、何かの気配を感じて飛び退る。

 と、黒い触腕が真っ二つに切れて飛び散った。

 青白い泡と黒い泥の飛び交う中、黒衣の男の影が過ぎる。

「ドレイク!」

 ネザアスが呼びかけると、泡の中に現れたドレイクは静かに彼の方を向いた。

「やっぱり、フォーゼスのところニ介入してたノはお前だな?」

 それに彼は直接答えない。

「戻ったか? ネザアス」

「ふん、おかげさまでナ」

 そして、ふと悲しげに目を伏せた。

「結局、目はダメにしちまったのか……。おれのせいだよナ?」

「いや。栓なきことだ」

 ドレイクは短くそう答える。彼の周りを蝶がはらはらと飛び回っていた。それをネザアスは、静かに眺めてため息をつく。

「雑魚はよい。問題はヤミィ・トウェルフ。あれは今はまだ劣化コピーで済んでいるが、このまま成長させると、やがて本人のようになる。そうなれば、やつに影響されるものはもっと増えるだろう」

「ふん、マッタク意味不明なんだよな。次の次元だカなんだカしらねーが、強くなりゃどんな姿デモいーとか」

 ネザアスは、ざわざわとうごめく彼らの向こうを見通す。

 ルーテナント・ワイムの成れの果て。ヤミィ・トウェルフと思しきものは、一切姿を見せていない。泡の下に潜っているのか。

 ただ、向こうでごぼごぼと黒いものが泡立ち、泡の下に引き込まれていく。

「まさか、部下を食ってるノか? アイツ」

「そう、最終的にやつは部下をすべて喰らう」

 ドレイクが告げた。

「ああ、そーか。アイツら、強くなりタいんだもんな。無双のヤミィ先生と同化できりゃー、幸セだろうヨ」

 ネザアスが皮肉に言い捨てる。

「次の次元テそーゆーコトか? クソ、めでたい頭だゼ」

「そうなるとさらに強大になる。先に雑魚を倒しても、その黒物質を回収する」

「別に死体でも構わねえっテ意味か。悪食だナ。しかし、テことは、どっちにしても……。部下の連中倒してモ無駄だな」

 ネザアスが唸り、ドレイクに視線を向けた。

「どうすればいい?」

「揃えろ」

「揃えル?」

 思わぬ言葉にネザアスが小首を傾げる。ドレイクは相変わらず言葉足らずなのだ。

「やつらを揃える」

「アンタ、相変わらず、通訳いるヨなー」

 ネザアスは困惑気味だ。

「揃えルてなんダよ」

「あれらは溶けきったわけではない。あの水鉄砲に入れられた水は、濃度が薄い。ゆえに、ちょうどよく奴らが形を失うだけで済んだ。よって動きが機敏な上、微妙に理性が保たれた。汚泥に冒されるよりタチが悪い」

「そうだろうナー。もっと濃度強けりゃ、バラバラになったのに。ま、おれもタダじゃ済んでないケド」

 といいかけて、ネザアスは唸った。

「ああ、そういうことか? ツマリ、食わせてアイツらを程よく固めるカ、一列に並ばせて、あの泡をもっと直撃させロと」

 ネザアスの視線の先には、まだ泡を噴き出している浄化砲のタンクがある。

「ふふん、オモシレーな。なんかそういうゲームあったゾ。同じ色のやつ並べてくっつけて爆破するヤツ。ま、アイつら、そんな可愛くネーけどな」

 ネザアスのそんな感想を無視して、ドレイクは静かに続ける。

「表面が溶け、汚泥のようになり、かえって連中には自由になっている。しかし、この泡は本来はその泥のプログラムを壊すものだ」

 ドレイクは、立ち上る泡を見ながら言った。

「原液を叩き込めば弱る。そこで、コアを破壊すれば……。あのタンクを壊し、奴にぶつける」

 すっと足を進めかけるのをみて、ネザアスが先回りした。

「おっと、アンタがそれやンのはやめロよ。ガイドがあるとはいえ、十分、見えテないんだろ。カウンター攻撃食らわすのが得意なのは知ってルが、自分から攻めるのハ、今のアンタには不利。やることは、罠に嵌めてアイツらを一箇所にまとめて、揃えてかラ、水鉄砲を直撃サセるデいいはず。それはおれがやる」

「しかし、お前も多少溶けているようだが」

「直撃喰らえば影響でルさ。それに、おれの体は、ウィスの歌のおかげで治ってたダケ、前にやられたダメージはずっと残ってル。声ガ治ってねーだろ? が、このくらいでは平気だ」

 ネザアスは、ずっとブーストチャージのカートリッジをセットした電子煙管をくわえていた。それは、強化だけでなく、ダメージ回復のためでもある。戦いながら吸い続けているのは、ただの伊達ではない。

 何本目かの古いカートリッジを捨てて、新しいものをぶち込みながら、ネザアスはそれを深く吸う。

「援護してくレよ。まずは一箇所にあいつらを貯める。おりよく、それぞれまとまりたがッてるし。それから、水鉄砲をなんとかする」

「わかった。任せよう」

「頼むゼ、兄貴」

 ネザアスは、そう呼びかける。

 おりしも、目の前三箇所にわかれ、敵がかたまり蠢き始めていた。

 あの姿でも彼らはまだ多少の知恵が回る。コンビネーション攻撃をするくらいの理性はある。

 しゅると渦を巻き始める。攻撃にうつろうとしているのだ。

「行くぞ!」

 ネザアスが声をかけて、足で泡を蹴散らしつ走る。ドレイクは無言だが、刀の切っ先を地面に向けながら構えた気配があった。

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