28.はじまりの泡の記憶 —しゅわしゅわ—-2
*
「ユーさん。フォーゼスさん、一人で大丈夫?」
戦闘のはじまった武器庫の前の様子を伺ったあと、ウィステリアはユーネについて武器庫の裏から基地の内部に潜入した。
「だいじょーぶ。アイツ、結構強い」
「でも、人質がいるのが心配だね」
『その点は大丈夫です』
イノアが割って入ってきた。
『協力者が介入しています。多勢に無勢っぽいですが、火器使用に制限がかかっていますし、応援も向かっています。それに、基地の上からウィステリアが歌を聴かせることで抑制できます』
それは頼もしい、と思った時、ユーネが付け加えた。
「アト、多分大丈夫……。アイツきてる」
「アイツ?」
「んー、そう。おれ、アイツのが怖いトおもうケドな。味方スルけど、事前説明ナイから、危険人物にしか見えなイ」
悪戯っぽく笑うユーネだ。
「アイツ? ってなに? ユーさん?」
「いや、その、おれ、島でウィスに隠れテ飼ってたノいた。ソイツ、つよい。ジャックより躾悪いケド」
(なんだろう。何かペットでも島で飼ってたのかな?)
ウィステリアが頭を悩ませている内に、イノアが尋ねた。
『しかし、ユーネ、よくワイムが武器庫にいないってわかりましたね』
「ふふん、アイツ、昔カラそう」
ユーネは苦笑する。
「果たし合いするノ好きけど、作戦アルからなー」
「イノアの情報によると、ここの屋上に彼はいるってことか。屋上で歌えば、フォーゼスさん達のいる武器庫にも影響できるからいいんだけど、何故屋上なの?」
『新型の武器をそこで展開しているのです。広範囲に影響を与えようとしているのかも。気をつけてください。新型兵器、対汚泥浄水砲は、ヤヨイ・マルチアの毒の涙の技術を応用した液体が使われています。タンクの水は我々にはただの水に近いものですし、ただの散水もできる巨大水鉄砲にすぎませんが、マルチアの毒の涙は黒物質に影響します。ユーネには影響します』
「マルチアの涙? それは大変だわ!」
毒の涙の威力を知るウィステリアは、さっと青ざめる。
『それに、その島は人工島。材料に黒物質を含みます。散水されると島ごと沈みかねません。奴らがもし浄水砲を始動させようとしているなら、それまでに止めなければ』
「わかった! 屋上、どうやって登ル?」
『そこのエレベーターが使えます。奴らはエレベーター周辺にはいません』
イノアの誘導で、ホールからエレベーターに乗る。
少し広めの室内。エレベーターは緩やかなスピードで上がっていくようだ。
ユーネは、ウィステリアと向き合うようにしているが、彼自身は落ち着いたものだった。室内に入ったせいか、懐に入れているノワルがぴょこんと顔を出してひよひよ鳴く。
「ノワル、怖くないゾー。おちつけ」
ユーネはあやすが、ノワルが怯えるのは仕方がない。
屋上につくと、戦いが始まってしまう。
パーティーで見たルーテナント・ワイムの非人間的な様子を思い出して、ウィステリアは悪寒を感じていた。
(あんなやつと戦わなきゃいけないんだ。ユーさんは)
「ウィス? どーした?」
ノワルをあやしていたユーネが、不意に彼女の前に立つ。背が高くて見上げないといけない彼が、そっと微笑む。
「ウィス、心配するナ。おれ、約束してタろ。それに、ウィス守るの、ネザアスの約束だっタ。おれ、ウィスのお守り食べちゃったカラ、やつの約束、おれの約束だ」
「ユーさん、それ……」
ウィステリアが目を大きく見開く。
それはユーネがネザアスと同化したと言うことだった。
「おれ、バックアップ食ったカラ、ネザアスのこと、少しだけわかるようなっタ。おれ、ウィスのこと守るいっタけど、ネザアスもウィス守るって約束してた。思い出した」
「ご、ごめんね、ユーさん。やっぱり、あたし、あなたを巻き込んだんでしょ?」
彼女は続けていった。
「あたしが、あなたをネザアスさんにしちゃったんだ! そうなんでしょう?」
ウィステリアがたまらなくなりそういうと、ユーネは寂しく笑って首を振る。
「ううん、それ違う。違うんだ。でも、な、もう少しだけ、本当のこと、どうか言わせないデ。おれが落ち着いたら、きっと話ス」
ユーネは俯く。
「大丈夫。おれ、約束したウィスのトコ、ちゃんと帰ってくル。いつかになっても、ちゃんと。その時、理由話す。そしたら、おれ、理由打ち明けられるよーになってル」
にこりと彼は笑った。
「おれナー、まだウィスの歌全部聞いてない。もっと聴きたい」
「うん、どんな曲でも歌ってあげる」
「それに、ウィスと一緒にイタの、帰る家デキたみたいで嬉しかった。だから、ちゃんとモドる」
「う、うん」
改めて言われて、薄く涙が滲みそうで、けれどなんとかたえる。
かつてのフジコ09は泣き虫だった。奈落のネザアスのそばにいられる強い女になろうと、泣かない女になったつもりなのに、ユーネと一緒にいるといつの間にか元に戻ってしまったようだ。
彼女は思い立って、肩にかけていた黒いショールに手をかけた。
「ユーさん、よかったら、これ、使って」
ウィステリアは、そのショールを裏返し、ユーネの首にかけてあげた。ウィステリアがつけていた時は黒だったが、裏返すと眩い赤が表れる。そして、髪をとめていたピンを外し、ユーネは右腕がない分ひらひらとなるところを右胸のポケットに固定する。
髪留めのピンには、藤の花があしらわれていた。赤い片マントをしているような感じになる。
「このピン、
ウィステリアはそっとそれをつかんだ。
「新型の兵器、人魚姫のあの子の毒だって言ってた。これなら、あの毒の影響を薄められる。だから、気をつけてね」
「ふ」
とユーネは笑う。
「ふふっ。かっこいいナ、これ。マント、ひーろーみたい」
ユーネは無邪気に喜び、突然、そっとウィステリアを抱き寄せた。ウィステリアが思わず赤面するが、ユーネは無邪気に頭を撫でる。
ユーネもネザアスと同じで、体臭が存在しない。消えていきそうで不安だが、その体は温かだった。
「心配するナ。おれ、負けなイから。ウィスが歌ってくれれば勝てルよ」
ひよよ、とノワルが合いの手を入れる。なんだか誰かに似ていた。
「うん」
エレベーターが屋上に着く。
「さあ、行こう、ウィス」
静かに扉が開いていく。
「ウィスの、歌、おれに聴かせて」
月も出ない夜。
しかし、屋上は、街灯の光で薄く明るい。
屋上には既に大型の機械が設置されていた。
そこには、兵器を始動させるための部下数名とルーテナント・ワイム、YM-012が静かに立つ。
背の高いユーネよりもさらに大きな体躯、痩せ型の彼と違ってがっしりして筋肉質な体。乱れた髪をまとめて真っ直ぐに侵入者を見つめる目は鋭いが、何の感情もない。
殺意というにも感情的でなく、しかし、なんらかの執念を感じさせる目だ。
「対の魔女が来たか」
彼はウィステリアしか見ていない。
その視線を向けられていることを知って、ウィステリアはざっと血の気が引いた。が、ソレを隠して睨みつけて耐える。
ワイムはたくましい腕を持ち上げて、手招きした。
「おいで。お前は我が武器になるためにここに来た。灰色合金は、優秀な魔女からしか取得できない。お前は、清らかで上質。その歌を歌う喉、お前の灰色物質はとても良いものだ」
ワイムが薄く唇だけ笑う。
「お前の喉は、良い剣になる」
「勝手にウィスに話しかけンな!」
間にばっとユーネが入ってきた。
「相変わらず、キモいんだよ、お前! ウィスがヒイてるだろ?」
ルーテナント・ワイムは、ユーネにゆっくりと目を移す。
「お前、見たことあるな」
「見たことアル? もちろん、おれも、そう。あー、……お互い、記憶がサダカ違うの不便だなー」
ユーネは苦笑したが、ワイムは無反応だ。
「邪魔だてするな。我々は、儀式を行い、目標に向かっている。その魔女はそのために必要な崇高な材料だ」
「ウィスは材料違ウ。本当、お前ムカつくな!」
ワイムが腰の剣に手をかける。ざっとユーネが体を開いた。
「テメーの儀式とかなんとか、あいっかわらずイカレてんな! 意味不明ナンだよ! 勝手に地獄デ、てめーのシンパと盛り上がってロ!」
ユーネはそう言うや否や、ざんと一歩踏み出す。次の瞬間には剣を抜いて、ワイムに斬りかかっていた。
その動きは、今までのユーネのものと違う。ウィステリアの記憶にある奈落のネザアスのものに近いが、彼ほど慣れた動きではない。
ワイムは抜き打ちでそれを弾く。ユーネは弾き返されながら、追撃を避けてざっと今度は体の大きなワイムの懐に入るように動く。
「紐付けができていないな。記録だけを持っていると見える?」
「お前倒すなら、コレで充分だ。劣化コピーやろー!」
激しく彼らが戦う様を見ながら、ウィステリアは口を開く。
(気を静めて、落ち着いて歌う。昔とは違う。今のあたしなら大抵のものは鎮められるんだから!)
歌が空間を流れ始める。
階下で戦闘するフォーゼスたちのところにも響くように、声を高らかに歌う。
少しユーネの動きのキレが良くなり、早くなった。打ち込みが深く、ワイムが舌打ちする。
「ウィスのうた、やっぱりイイ。凄ク、動ける!」
ユーネが笑いながら、ワイムに切り込む。
ワイムの長い大剣は、ユーネが片手で受けるには重たい。それを避けるのに振り回されがちだが、ウィステリアの歌声の影響でワイムの動きは精彩を欠きはじめていた。
「トウェルフ先生っ!」
「落ち着け。予定通りにしろ!」
部下が焦った声をあげるが、ワイムは冷静だ。冷静というより、彼には感情が見受けられない。
「ちッ、浄化砲、撃たれるト面倒!」
ユーネが舌打ちした時、不意に声が響いた。
「ユーネくん! ウィステリアさん!」
ばんと扉を開けて現れたのは、グリシネを伴ったフォーゼスだった。
「フォーゼスさん! どうしてここに?」
「乱入してきた男に先にこちらに行くように言われたんだ! ユーネくんを援護してこいと」
歌を止めて尋ねるウィステリアに、フォーゼスが答える。
「フォーゼス!」
不意にワイムと戦闘するユーネの声が聞こえた。
「歌、おれに十分効いた! ウィスとグリシネ、先に逃せ!」
話したスキに打ち込んできたワイムの鋭い一撃を、ユーネはかろうじてかわす。
「浄化砲、魔女にキカないけど、コイツら捨て身! 二人は安全なところ逃せ!」
「ユーさん! あたし、まだ!」
「コイツ、ウィスの歌これ以上効かない。耳を塞いデるみたいなモン。安全なところいた方がイイ」
最後まで残るというウィステリアに、ユーネがそうすすめ、指示を飛ばした。
「浄化砲、始動したら、多分島ごと沈む! フォーゼスはソレ止めろ!」
「わかった!」
フォーゼスが、ウィステリアとグリシネに向き直る。
「ウィステリアさん、イノアちゃんが脱出ルートを確保しているようだ。トオコちゃんと一緒に、先に脱出してください!」
「で、でも!」
「大丈夫! ユーネくんがそう言っている」
フォーゼスは信頼の眼差しでユーネを見る。
「あのひとのいうことは絶対だから。歌いながら遠ざかって。それなら、彼を応援しながらも逃げられる」
ウィステリアはそこまで言われて、ふと口をつぐんだ。
「ウィステリア、行きましょう」
グリシネがそう告げる。氷の女と言われた彼女は、今ははっきり感情が見える。ただその瞳には強い意志があった。
「シローくんと彼を信頼して」
「……はい!」
ウィステリアは、意を決して顔を上げ、ユーネに声をかけた。
「ユーさん!」
ユーネが、戦闘しながらちらりとウィステリアに目を向ける。
「あたし、待ってるから! いつまでも待ってるからね! あたしは、ユーさんと約束したの! 他の誰でもなくユーさんとよ! 忘れないで! 帰ってくるの、待ってる! 一緒に美味しい珈琲飲んで、それから歌を歌って! ねえ、待ってるからっ!」
そう言ってウィステリアが歌いはじめながら後退する。その歌は、彼の好きなゴンドラの歌だ。
「ウィス。約束シタ。大丈夫」
戦いながら、ユーネはぼそりとつぶやいた。
「ちゃんと、帰るから」
フォーゼスが浄化砲準備するものたちと戦闘にはいっていた。ウィステリアの姿は基地の中に入り見えなくなる。
「ヤミィ・トウェルフ」
ユーネは上がった息を整えながら、ワイムを睨みつける。ワイムも相当振り回されていたが、彼はまだ息を上げていない。
「相変わらズだな、化け物メ」
ワイムはそれにまっすぐ反応しない。
「魔女を逃してとて無駄なこと。我々は、もう一段強くなる儀式を行うところだ。灰色合金は手に入れる」
「アノ、水鉄砲ノことなら、始動しないゾ。準備に相当時間かかるノ知ってる」
「ああ、手間がかかるのだ」
「ソレ理解できてんなラ、ここで覚悟決めろ。お前ら勝ち目ナイ」
ユーネはフォーゼスの方を見る。フォーゼスは明らかに獄卒上がりの白騎士達を推していた。
「戦いながら、アレ準備するノ不可能だ」
「そうだな。しかし、手間がかかるなら、手間のかからない方法をとる。それがよい」
ワイムとは会話がどこか成り立たない。かれは、自分の話をしているだけのようだ。
「何言ってル?」
一息吸って息を整えてから、だっとユーネは駆け出した。
「お前がナニかする前に、決着ヲつけてやる!」
と、その時、ノワルがぴいっと鳴いて懐から飛び出した。ひよこではなくまるで鳥のような形になって、ノワルがはっきり羽ばたく。
と思った瞬間、ノワルは突然弾け飛んだ。黒い飛沫が飛び散る。一瞬遅れて銃声が響き、笑い声が聞こえた。
「ノワル?」
ユーネが思わず足を止め、刀を持った手を広げて受け止める。ノワルだったものは、黒い不定形の液体になっていた。
「くそ、本体は外したか!」
残念そうな声がし、それから嘲笑う声が聞こえた。
「この間のお返しだ!」
みれば、その男は、この間パーティーでユーネに噴水に沈められた白騎士だった。しかも、体中に爆弾を巻き付けている。
呆然としていたユーネは顔を引き攣らせた。
「トウェルフ先生、準備はできています! さあ、おれたちの"次の次元"に参りましょう!」
白騎士の瞳に狂気が光った。
「逃げろ! フォーゼス!」
はっとしてユーネが大声で叫び、ワイムを放置してフォーゼスの方に駆け出した。
「ソイツ、毒の涙のタンクを自分ごと吹っ飛ばスつもりだ!」
「なに!」
声に反応して、フォーゼスがユーネを振り向く。と、その時、白騎士が起爆装置を押した。
ユーネはフォーゼスに追いつき、彼を押し倒した。
ばっとあたりに熱と光が放たれ、爆発が起きた。そして、対黒騎士浄水砲のタンクが壊され、中の液体が凄まじい勢いで泡を吹いて飛び散った。
はっと顔を上げたユーネの右顔面を、泡の塊が直撃し、彼はそのまま後ろ向きに倒れた。泡の勢いは止まらず、多量の泡が、ユーネやフォーゼス、ワイムまでを押し包む。
屋上の床が変質してたわみ、しゅうしゅうと縮んでいく。
しゅわしゅわと泡が立ち上る音の中、遠くから、ウィステリアの歌声がまだ聞こえていた。
*
しゅわしゅわ。しゅわわ。
青い液体の中の泡。
彼はまだ微睡んでいる。幸せな夢を温かい液体の中で見ていた。
誰かはまだ話していた。
ねえ、でも、僕は神様になった時に、いろいろなものを削り落としてきてしまった。
もともと、褒められた性格でもなかったけど、今よりマシだった。
だから、ね、僕はいつか君たちにひどいことをするかもしれない。君たちを見捨ててしまうかも。
けれど、覚えていてほしいんだ。
僕は君達に、こんなにも会いたかった。僕は、君たちを愛していた。
愛している君たちにこそ、僕の愛した世界を守って欲しかった。
それを免罪符にするつもりはないけれど、どうか、君たち、君だけは、覚えていて。
君たちが、君が、僕の大切な友達だったことを。
ああそうだ。思い出した。
彼は目を開く。左目だけの視界に青い世界が広がる。
おれは。あの稚拙で孤独な
大切なものを守るのに、自分を切り刻むことしかできない、哀れな子供だった。
だから約束したんだ。
その約束もいつか反故にされると、おれはわかっていたのにな。
液体と泡が晴れると、目の前に少年が立っていた。満面の笑みで少年は、彼に手を差しのべる。
その壊れた世界は、彼の瞳に美しくうつった。黄昏の黄金色の空や海が美しいように、終わりかけの世界も煌めいていた。
「おはよう、ユウレッド・ネザアス。ようこそ黄昏の箱庭へ。さあ、僕と冒険の旅に出よう!」
お前の愛した美しい黄昏の世界。
お前は忘れてしまっても、おれだけは守ってやるって!
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