29.獣は夢の終わりに —揃える—-2
ネザアスの動きに反応して、泥になった白騎士たちがアメーバのように彼を包み込もうとする。
スワロが上空から、その位置を伝えてきているらしく、ネザアスは正確に攻撃を避けつつ動き回る。
向こう、泡がおさまっているところは、黒い泥が膨れ上がっている。あれがヤミィ・トウェルフの位置だ。
「大人しく、センセーのトコで集合しろヨ!」
やや遠巻きにそちらに誘導する。最初はネザアスを攻撃していた彼らが、ヤミィに気づくとそちらに惹かれてしまうのだ。
そもそも、強いものと同化したがっていた彼らは、ヤミィ・トウェルフの強い存在感に吸引されるものがでてきてしまう。やがてそちらの方が強くなり、追いかけるのをやめてヤミィに食われにいくのだ。
ドレイクに攻撃したものも、的確にカウンターをくらい、そこで弾き返されると、逃げているうちにヤミィに引き寄せられていく。
スワロからの情報で、ネザアスはそれに気づいていた。
「あらかた、揃ったかな?」
しかし、まだネザアスを追いかけてきている泥がいる。なにか喚いている気配があるのは、多少理性と自我が残っているのかもしれない。
「じねえええ! 先生にさざげられろろろ!」
濁って歪みきった声。しかし、その声に僅かに聞き覚えがあった。
「テメえ、さっきの白騎士だナ。ノワル撃っタ」
ネザアスは、ギラっと背後を睨む。目が殺意に血走る。
かつて噴水に沈めた例の白騎士だ。彼はゼス計画の白騎士だったが、なるほど、他の連中より多少適性があるのだろう。ヤミィ・トウェルフに惹かれても、任務をおぼえているのか、それともユーネに対する復讐心が強いのか、執拗に追いかけてきている。
「仕返しハおれがやりたいくらいだ。おれのノワル、いや、スワロをよくも……!」
そう吐き捨ててから、ネザアスは冷徹にニヤリとした。
目の前には水鉄砲のタンクがある。
「いいだろう! お前に決めたゾ!」
後ろの元白騎士の大きな泥が膨れ上がってネザアスに襲い掛かる。だっと不安定な地面を蹴って、ネザアスは高く跳び上がる。
「ほーら、ご褒美だ!」
刀をくわえてブーストチャージのカートリッジの残りをありったけ掴んだ。
その白騎士の汚泥にカートリッジを叩き込み、足で蹴りつける。カートリッジはそのまま表面に埋まっていく。口からすばやく刀をとり、ネザアスは離れ様、横殴りに斬りつけた。
「さあ、お望み通り、強くしてやるゼ! ブーストもそんだケありゃ、気持ちよくナレんだろ!」
水鉄砲のタンクに白騎士の泥がぶつかる。その途端、泥が爆発的に膨らんだ。
「ふふン、おれと違う劣化コピーのお前ラにゃ、過剰摂取モいいトコ! しかも、ニンゲンならぶっ倒れるダケだが、その体ダトてきめんに影響出るカラな!」
制御できないまでに膨らんだ泥がタンクを押し倒す。タンクは衝撃でさらに爆発的に泡が溢れ、その先はヤミィ・トウェルフが部下達を食らっている渦だ。
ヤミィたちの固まりは奇妙な叫びに満たされる。
「ネザアス!」
ドレイクが珍しく通る声で告げる。
「ヤミィはそれだけでは、消失しない」
「わかっテる!」
ネザアスは右胸元のウィステリアのピンを外して改めてつけなおし、ショールを左手に巻き込みながら渦の中心に駆け寄った。
泡が晴れ、泥になった彼らが静かになったせいか、不意にウィステリアの歌声が届く。
まだ彼女は歌っているのだ。
「ふふっ」
奈落のネザアスは苦笑した。
「ほんとうに。良イ歌姫になったよナ。
ぐっと左手に力を込めつつ、ネザアスはつぶやいた。
目の前の渦が突然黒い泡を噴くように盛り上がる。人の姿を彷彿とさせるが、もはや人ではない姿をとりながら、強烈な殺意をこちらに向けてくるものがいた。感情は伴わないが、害意だけは伝わる。
「ネ・ザ・ア・ス!」
濁った声がそう告げる。
「ほほう、ようやく思い出しテくれたノカ。モハや、おれなんて思い出す価値ねエのかと。あははっ、光栄ダナ」
その後の咆哮は何の意味ももたない。
「ヤミィ、亡霊は亡霊らしク、沈んでロよ」
ネザアスは嘲笑う。
「地獄、結構イイとこだったゼ! 今のお前にはそっちの方がお似合いダ」
泥の触腕が激しく攻撃してくる。その度にまとわりついた泡がネザアスに降りかかる。それを左手に巻いたショールでかろうじて避けつつ、ネザアスは徐々に彼に近づいた。
と、しゅっと太い触腕が反対側から生え、鋭い刃を伴ったものだ。スワロが空から警告音を鳴らす。
次の瞬間、その触腕が弾き飛んだ。
「そうイヤ、お前、刀二本使ウやつだったナ。さっき、二本つかわなカッタの、お前ヤミィなりたてで不完全だったのか」
それは助かった、とネザアスがぽつりと呟く。
「等しく劣化コピーてカ? ヤバいとこだったナー」
触腕の背後には、いつのまにか静かにドレイクが来ていた。
「ドレイク、下がれ! 時間だ! 泡に巻き込まれルぞ!」
ネザアスはそう叫ぶ。
泡を噴き出していたタンクの側の、元白騎士の泥はまだ膨れ上がっていた。それがタンクを刺激し、毒の泡と反応していたのだ。
ネザアスの読み通り、それが弾け飛んでいた。
タンクから残りの液体が、凄まじい量の泡になって吹き出し、ヤミィ・トウェルフに直撃した。
ドレイクが下がったのを確認し、ネザアスはウィステリアのショールを空中に広げ、泡から自分の身を守る。
ウィステリアの髪の毛の
「ヤミィ!
ネザアスはそう高らかに叫んだ。最後に仕掛けてきた触腕を紙一重で交わすと、からっぽの右袖が千切れて飛ぶ。
ネザアスはショールごと真っ直ぐに刀を突き立てた。
一層、泡が立ち込める。
小島はより崩壊して、泡だらけになる。そのまま、ネザアスの姿ごと、見えなくなっていった。
*
黎明の海。
黄昏と似た赤い色が徐々に別の色彩を彩り始める。
夜明けだ。
基地の小島は、泡の影響でほぼ溶け落ちていた。周囲に小舟がいくつか浮かび、そのいずれかにウィステリアやフォーゼスが乗っているようだ。
人気のない岸辺に佇み、ドレイクは静かに様子を見ている。
ざば、と音が鳴り、足音がした。
「やれやれ、難儀なコトだぜ」
ネザアスは、海から上がりながらため息をついた。
右袖の取れた軍服風の衣装の前をあけ、シャツが覗かせる。その右ポケットにウィステリアの髪留めがさしてある。
ぴぴ、と鳴いて黒い鳥が肩に寄り添う。昔よりより機械的だが、最低限、それはスワロのように振る舞っていた。
「ふふ、スワロ。ごめンナ。とりあえず、おれの
ネザアスは小鳥を撫でた。
「ドレイクの言う通り、お前、おれと一緒に溶けた時、おれの心臓部に残ったんだな。だから、おれは全ての情報が初期化されずに、獣として残された。……ま、ウィスの
波打ち際にも泡が漂着している。それを見てネザアスは、肩をすくめる。
「コレ後始末大変だな。おれのせいじゃねえケド」
「エリックがいるらしい。声を聞いた。良いようにするだろう」
ドレイクがそう伝える。
「エリックが? ああー、そうイや、パーティーにもいたナ。なるほどナ。おれやお前が来るノ、あいつは予想済みだったカ」
それじゃと、ネザアスはため息をついた。
「うちの
ドレイクが目を瞬かせた。
「卯月の女の元に戻らないのか?」
「あの娘が約束したノは、ネザアスじゃなくてユーネだろ? おれはユーネじゃネーからな」
ネザアスは苦笑した。
「ネザアスは過去の亡霊みてーナもんだから。あの娘ガユーネを待つなら、ソレはおれじゃなイ」
まだ治り切らぬ喉でそういう彼は、ほんの少し寂しそうだった。
「ネザアスのコトは、忘れた方がイイ。ここで会ったラ、縛っちまうダロ? だって、ユーネがネザアスになったんじゃねえカって、心配シテタ。同じモンなのに」
「そう、同じものだ」
ドレイクが指摘する。
「お前とユーネは同じところから来たのだろう? それは同一というものだ。なぜ別人のように語る? 娘はお前を待っている」
「ふん、うるせえな」
ネザアスは不機嫌に吐き捨てる。
「口実だヨ。実際、気持ち整理できてナイ。それより、ナ」
とネザアスは半分黒くなっている右の顔に手をふれる。黒く溶けた何かが付着した。
「この通り、体治ってネーし。アイツの歌聴いても正直、いつまでニンゲン保つか、わかんねえかラ。ふふ、獣でいル時は醜くてもまだ平気だったノにな。一回、こうなっちまうト、あんな姿になるノが怖イんだ」
それに、とネザアスは寂しそうに言った。
「あんなお嬢様は、おれみたいな悪い男といちゃダメなんだヨ。うちの
ふらっとネザアスは足をすすめる。
「どこに行くつもりだ、ネザアス」
「また獣になる二しろ、今度こそ力尽きるにしロ、人のいるトコにいられねえカラ。適当にどっか行く。いくらなんでも、エリックの世話にはなりたくねーしなァ」
「待て。これを使え」
そう答えるネザアスに、ドレイクは不意に懐から何か取り出して投げた。ぱしっとネザアスが受け取る。
「ソレは、固定キット。多少の体の崩壊はそれで止まる」
「ああそうか。アンタは、泡のダメージ薄いなと思ったガ、対策と治療してタわけだ。さすが、長男様は便利なもん持ってるな」
「そこに川があるだろう?」
ネザアスの皮肉を流してそういう。ドレイクはいつも唐突だ。面食らいつつも、面倒そうにネザアスは歩きながら尋ねた。
「ああ、海に流れ込ム川は目の前にあるナ。それが?」
「この川を北上すると山がある。その辺りの河原は、中央より放置された荒地。そこに黒騎士研究所跡地がある」
ぴた、とネザアスが足を止める。
「我々の生まれ故郷だ。キットはそこで手に入れた。我々の為の物品が大量に残されている」
ネザアスは振り返り、歩み寄る。
「とっくに廃止されて取り壊されたと思ってタ。移設されてタのか」
「そうだ」
ドレイクは静かに言った。
「放置されたそこの周囲には泥の獣がたむろしているが、我々の手に負えぬものではない」
ドレイクは、白く濁りながらも、まだ薄く青いウルトラマリンの瞳を彼に向けた。
「ドクター・オオヤギは、あの事件以降行方不明。生死もわからぬ。エリックに頼めば我等の救助はすると思うが、あの男に保護されると
ドレイクは目を伏せた。
「我々を治療できる信頼のおけるものは、今、存在しない……が、黒騎士研究所には治療キットが残されている。それに」
とドレイクはいった。
「あの地を管理しているのは、
ネザアスはしばらく黙っている。
「万事、おれには関係のないこと。お前の好きにすれば良い、が」
とドレイクは続けた。
「卯月の娘と平穏に共に過ごしたい、ユーネの心が、お前のどこかに今も残されているなら、その体を治せ」
ネザアスは返事をせず、少し経ってからふっと笑った。
「意外とお節介だナ、アンタ。ふふふっ、そんな冷てー面してるクセに」
ふっとため息をついて、ネザアスはスワロを撫で、気怠く言った。
「まァいいさ。どうせ行くトコねえし、たまにはヒトの勧めにのってみル」
そして、ふらっと歩き出した。
「ありがとうナ。またな、兄貴」
ドレイクはそれに返事をせず、黙って彼を見送っていた。
どこからか、まだウィステリアの澄んだ歌声が聴こえてくる気がした。
***
「おネがイでス。助けテ」
彼の前に現れたのは、子供の大きさの何かだった。
旧黒騎士研究所のある河原には、汚泥や泥の獣が集まりやすかった。
大体は研究所の中にだけは入ってこられないが、喧嘩相手に事欠かない。
温暖な海ほどの心地よさはなかったが、手当てに必要なキットは十分にあり、知識習得用のゼラチン・チップや資料も多く、エネルギーチャージサプリメントも豊富。
最初に体が崩された時に、失われた知識は多い。バックアップも、そこまでは補いきれなかったから、ゼラチン・チップで補えるのは楽だった。
情報固定のための白い治療服に着替えていれば、大きな体の劣化はない。
暇つぶしに本を読んだり、雑多に置かれた膨大な資料庫からチップを探したり、昼はごろごろと昼寝。
彼は、それなりに穏やかな充実した日々を過ごしていた。
目当ての教授には会えないが、別に、このまま小鳥と一緒に過ごす日々も、悪くない。
そう思い始めたそんな時にそれは彼の前に現れた。
子供のようだが、真っ黒に溶けたなにかわからないそれに、彼は驚いていた。
「小僧? カな? お前どこからきた?」
それは答えない。普段の泥の獣なら容赦なく斬り捨ててしまうが、子供の姿をしたそれを彼は憐れんだ。
「何か探しテンのか? ここに迷い込むヤツは、ダイタイ探し物してルからナ」
治療用キットでも探しているのか、と思ったその時、そいつが言った。
「ボくの、お父様ヲ、さが、シテくださイ。手伝っテ」
しくしくとそいつは泣き出した。
「ずっと、サマヨってル。ぼく、お父様二会いたいヨう」
ふと彼が怯える。
見れば彼を追いかけて、泥の獣が入り込んでいた。それを斬り捨ててきてから、彼は少年を落ち着かせ、改めて話をきいてみた。
「そうか。小僧は親父を探シテいるんだナ」
頷くものは、見かけは少年にすら見えない黒い塊だったけれど。
それは、やはり子供のようだ。
彼はふと懐かしくなって微笑んだ。
彼は子供の面倒を見るのが、かつて役目だった。泣きじゃくるそれを見て、保護してやらなければいけない気がした。
少年と話していると、あの島で味わった家にいるような感覚がほんのり蘇ったらしい。
「大丈夫、泣くナ。一緒に探してヤル。おれはそういうノ得意なんだ。それとも、寂しイか? それまで家族してヤル。お前の家族の代わリになってヤルよ」
ようやく泣き止んだそれの頭を、優しく撫でてから、彼は笑いかけた。
「よーし、それじゃあ、まずお前の名前ヲつけよう。お前の名前はー、そうダなあー……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます