17.名付け親ライブラリ —その名前—

 奈落のネザアスは、意外にも読書家だ。変なところで博識。好戦的でキレやすくて粗暴な印象を持たれやすい彼なのだが、インテリな側面もある。

 図書室のある、学校のような施設に泊まっている。ここは冷房が聞いていて、とても快適だ。

 椅子二つを並べて、長い足を伸ばし、なにかとごろごろしながら、ネザアスが本を読んでいる。その横で、フジコも本を読んでいた。

 夏休みの学校で、二人っきり(スワロも入れると三人だけれど)でいるような感じ。静かで穏やかで、隣に大好きな人もいて。会話を頻繁にかわすことはないが、静かに本を読みかわす。こんな時間もたまにはいい。

 ネザアスが、本をおいて軽くあくびをする。眠くなったのだろうか。肩のスワロが寝るなとばかりに、はばたくのを、うるさそうにしている。

 それをみて、ウィステリアが話しかけた。

「ネザアスさん、結構、難しい本読むよね」

「へ? そうかなー」

 ネザアスは、そう言われてもいまいちピンときていない。

「外国語の本とか、色々読んでるもの」

「勉強はしたぜ。なんつーか、まあ、仕事のためなんだけどな」

「お仕事?」

 意外な返事だ。本職は職業軍人なネザアスに、そんな雑学が必要なのだろうか。

「おう。おれは、ほら、奈落ここの入り口でガイドしてたからよ。別に本名でも構わねえんだが、奈落で遊ぶ時にはできるだけ、別の名前を決めるルールがあるからな。で、自分で決められないやつには、おれが名前をつけることになってる。ウィスだってそうだったろ?」

「あれって、そういうことなの?」

 ここにきた時、製造番号しかないフジコに、ネザアスは、ウィステリアという名前を与えてくれた。

「お前の場合は製造番号だったから、ってのもある。おれは製造番号で呼ぶのも呼ばれるのもキライだからな。でも、ほら、なんつーか、世界が変わると名前を変えるもんだろ? その方がいいと思って」

「世界を変える?」

「ああ。そう、住む世界が変わる時に、名前が変わるのさ。わかりやすい話をするとな、縁起でもねえけど、この世とあの世とか。それからー、昔の話だが大人と子供もそうかな。成人すると名前変わる。あとは、電子の世界と現実の世界。なんせ、住む世界を変える時に、名前を変える、って、昔からよくやること。だから、それをやることで、より没入感をもってこのテーマパークを楽しめる。そう言う趣旨で、名前を変えさせるのさ」

 ネザアスは本をたたんで、そう解説しつつ、

「でも、餓鬼どもの中には、自分で決められないやつもたくさんいるからな。そういうやつに、そいつが気にいるぴったりとした名前をつける。それが、奈落のガイドでチュートリアルの先生だったおれの仕事だったわけだ。ま、この奈落での名付け親、ゴッドファーザーってやつだなあ!」

 ドヤァっとネザアスが得意げになる。が、ふむ、と唸った。

「でもなあ、この、ぴったりの名前つけるってのが大変で。いろんなこと、由来とか言葉知ってないとダメだろ。本当はこういうの、長老ていうか、物知り爺さんみたいなやつがやる役なんだよな。おれはそういうキャラじゃねーんだけど」

 と、ネザアスは本をちらつかせつつ、

「だから、勉強したんだよ。せめて色々知ってなきゃ、名前つけらんないだろ」

「そっか! ネザアスさん、努力家なんだね」

 フジコが感心する。

「へへー、それほどでもないけどな」

 ネザアスは、褒められるのが好きだ。でも、ちょっと照れ屋なので、気恥ずかしさもあるらしい。

「それに、どんな名前が好きそうかな、とかさ、そいつの性格とか好みとかを、ちょっと見ただけでわかんなきゃダメだろ。これが大変なんだ。お嬢レディの名前だって、そのままといえばそのままだけど、色々考えたんだぜ? お前のはA共通語から取ったけど、ちょっと言語を変えてグリシーヌとかも、しとやかで可愛いかなって、迷ったんだ。でも、お前はウィステリアかなーって。お嬢様で優雅な感じがするから。それに、ウィスって呼べるだろ?」

 ネザアスは上機嫌に笑う。

「あんな短時間で考えていたの?」

「そりゃそうさ。おれは奈落の説明してる間に、相手の名前つけなきゃならんのだぜ。それくらい朝飯前だ。お前の時はドーナツ食わせてたから、時間あったほうだ。でも、名前つけんの久々だったから、色々考えたんだよなー。ウィステリア、個人的には気に入ってるんだけどな。優雅で華麗で、かわいいだろ。たしか、ラテン語から来てるんだぞ」

 ネザアスはそこまでいって、ちょっと不安そうになる。

「気に入ってくれてるといいんだけどな。実際のところ、どうだ?」

「それはもちろん気に入ってるよ。可愛いし、綺麗な名前だもの。魔女になったら、本名として申請するわ」

「本当かー! それは嬉しいな!」

「でも」

 と、ウィステリアが、ほんのり睨む。

「ネザアスさん、どうせ、他の女の子にも、そんなこと言ってるんでしょう?」

「え? いや、そんなことねえよ?」

 ネザアスが不意打ちを食らって慌てる。

「え、な、なんでだよ。おれ、お前以外とこういう話あんまりしたことねえよ」

 そうかもしれないが、奈落のネザアスは、まったく無意識なのだ。

「本当かなあ」

「ほ、本当だって」

 ウィステリアは、苦笑する。

「そうだといいんだけれどね」

 ウィステリアはそう言って、再び本に目を落とす。ネザアスは、そこでようやくホッとして、自分も本を読み始めた。


 そのうちネザアスは、本を読みかけのまま寝てしまった。フジコもゆるやかに眠気に襲われる。

 その穏やかで涼しい夏の昼の時間を、ウィステリアは幸せな気持ちで過ごしていた。



『ということは、グリシネは、ルーテナント・フォーゼスのことを何も聞いてこないのですか?』

 最近は、リモートで朝食に参加しているイノアが尋ねてきた。今日のイノアは、ヨーグルトを食べている。

「ええ、いつも定例の報告だけね。生活に必要なものなどの手配とか、何かしらの命令とか」

『おかしいですねえ』

 むー、とイノアは、眉根を寄せる。

『あのグリシネ、堅物だし口うるさいから、ウィステリアとフォーゼス隊長が懇意にしているという噂に、絶対に食いついてくると思っていたんですが』

 あんまりな言いようだが、イノアはこれはこれでウィステリアのことを心配しているのだ。

「そういう噂には興味がない人なのかしら」

『そんなことないと思いますよ。フォーゼス隊長が、この資料館近くにいた時には、散々口うるさく言われました。ちょっと考えれば、フォーゼス隊長みたいな堅物の良い人が、そんな簡単に恋仲になるはずないの、わかるはずなのに』

 寧ろ、私は少しくらい言い寄ってくれても良かったんですけど。と、イノアは半分本音らしいことを付け加える。

 かつて、拐われたところを黒騎士奈落のネザアスに助けられたというイノアは、その時にネザアスに心奪われたのだ。そんなこともあって彼女は、同じ姿を持つフォーゼスのことも、ユーネのこともお気に入りだ。

「フォーゼスさんの本質を理解したとか?」

『んー、そういうわけではなさそうなんですけどね。あと他にどんなことを言っていました?』

「あと、普通の指示よ? そうねえ」

 うーん、とウィステリアは、食べかけのトーストを置いて考える。

「島の周囲にやはり強い反応があるから、見つけ次第、制圧しろ、って話かな。でも、強い反応と言われても。索敵レーダーに反応してないのよね。漠然と"いる"っていうのはあっちでわかるみたいだけど、フォーゼスさんも捜索しているけど詳しいことはわからないみたい」

「島のマわり、強い獣は見かけテないぞ」

 と不意にひょこんと会話に入ってきたのは、ノワルの水槽の水を換えてきたユーネだ。

 声の歪みが少なくなった彼は、多少つぶれた声ながら前に比べて聞き取りやすい。ちょっと色気のあるハスキーボイスになっている。

 右半身の黒い色もゆるやかに薄くなっており、ネザアスにますます似てきていたが、その強面よりの渋い外見に比して、着ているものは相変わらずちょっと可愛いパーカーやオーバオールなどだ。

 ネザアスの私室に自由に入れるようになった彼は、彼の衣服も着れるのだったが、ネザアスのものは独特の派手な衣装が多く、それはそれで手を出しづらいらしい。

 仕方がない。ネザアスには甘いウィステリアだって、こんな意味不明な柄の服よく着てたなーと呆然としてしまうような、謎の柄物もある。猫の足跡柄の着物とか、サイケデリックな蛍光ピンクのシャツとか。そんなものがクローゼットにかかっていて、なかなか狂気の沙汰だ。

「たダ、なにかイルのは確かかもしれない。おレもさがしてるケど、わかんないなー。隠れてると思う」

『ユーネがそういうなら、気をつけた方がいいですね』

 イノアは頷きつつ、ふとユーネの腰の辺りに目をとめた。

『おや、ユーネ、それどうしたんですか?』

 ユーネは、腰に刀を提げていた。

「こレ? 左手にあったやつ、切り離せた。使う時また戻セルけど、こーしてるとカッコいい」

 ユーネは腰にベルトで結びつけている刀を、持ち上げて笑顔になる。

『素敵ですね。切り離せたということは、体が治ってきているということかもしれません』

「ええ、フォーゼスさんに来てもらってから、調子もいいみたい」

 ウィステリアが安心してそういうと、ユーネはノワルを置いて食卓に座り、イノアにはなしかける。

「フォーゼスな、これにあう綺麗なヒモくれる言ってた! 今日くるかな?」

『フォーゼス隊長とも仲良くなったんですか? それはいいですね』

「急に仲良しになったみたい。何があったのかしらね。でも良いことだわ」

 ユーネもイノアも上機嫌だ。

 こういうのも良い。皆でわいわいやるのなんて、どれくらいぶりだろう。

 元はこの孤島の生活は、寂しい生活だったはず。それなのに、こんなに楽しく生活できるなんて。

 ウィステリアは、珈琲を淹れながらしみじみとあたたかな空気に浸っていた。


* 

「フォーゼス、これきれい! カッコいい! ありがとーナ」

「気に入ってもらえて嬉しいな、ユーネ君」

「へへへ、フォーゼス、あとで遊ぼ!」

 フォーゼスに刀に通すための紐をもらって、ユーネはご満悦だ。本当にいつのまにか仲良くなっている。

(ツンケンしてたの、なんだったのかな)

 まあ、フォーゼスがウィステリアに下心を見せなかったこともあるのかもしれない。ユーネは、明らかに彼に嫉妬していた。

 フォーゼスは本当に真面目だ。部下たちに悪口で堅物と言われていたが、確かに彼は真面目でお堅い人ではあるのだ。

 ただ、堅物というより、紳士的と言った方が近く、フォーゼスは騎士道精神に則って行動しているタイプの軍人なのだ。

 しかし、よく考えると彼のような人物が、イノアの資料館やこの灯台の島などの僻地に左遷されているのは、不自然だった。

 人物は申し分ない。戦闘力はわからないが、ユーネが実力を認めるような発言をしていたことがあるので、弱くはないだろう。仕事についても、統率力は部下の白騎士に対する態度を見るとそれなりにありそう。この地にくる問題のある白騎士を抑え込めているだけでも、それなりの実力があるのはわかる。

(何かしてここに来てるのかな)

 しかし、不祥事を起こすような男でもないのだ。彼に何か原因があるとすれば、彼が黒騎士の、奈落のネザアスのナノマシン黒騎士ブラック・ナイトを投与された白騎士だということくらいだが。

 ユーネが瓶に入れたノワルを連れて、庭の方でウィステリアのペットのジャックと遊んでいる。その様子を見て、フォーゼスが安堵したように言った。

「ユーネ君も元気になったようで良かったですね」

「ええ。フォーゼスさんのおかげみたい」

「いえ。私は何も」

 フォーゼスは言った。

「ユーネ君がなんであれ、彼が上層アストラルの上の連中の犠牲者には違いありませんからね。彼には楽しくしてほしいですよ」

 そんな彼にウィステリアは、思い切って聞いてみる。

「あの、こう言ってはなんですが、フォーゼスさんは、上層アストラルの中央局に対して反抗的な態度のように見受けられますね」

 ウィステリアがそう尋ねると、フォーゼスはちらりと彼女を見た。

「失礼なことならごめんなさい。ただ、あなたがあたしやイノアのような魔女に、とても親身に、親切にしてくださるのが、珍しいなと。魔女を恋人にすることでステータスを得ようとする白騎士はいます。そんな意図があって、魔女に近づく方はいますけれど、あなたはそうではないようだし、中央局の方針にも怒ってらっしゃるみたいで」

「いえ。不審がるのも当然でしょう」

 フォーゼスは頷く。

「私は確かに中央局には反抗的な白騎士です。失礼な話ですが、イノアちゃんの近くもここも左遷の地。上層部からは相当睨まれているのは、間違いありません」

 フォーゼスは言った。

「そして、私は魔女の人々には思い入れがあるのですよ。私の、幼馴染が魔女候補でしたからね」

「幼馴染?」

「ええ。魔女と白騎士の候補生は、別の施設で育てられることも多いですが、我々は試験的に男女共学の教育機会が与えられました。私と彼女はずっと同じクラスでね。子供同士のつたなく淡いものでしたが、私と彼女は将来を約束していました」

 フォーゼスは、不意にそんな話を始める。

「複製体の我々は、製造番号由来の名前しかありませんから、お互いに製造番号から名前をつけあって呼んでいました。私は彼女をトオコちゃんと」

 フォーゼスはぽつりと言う。

「しかし、私はゼス計画に関わった白騎士。やがて黒物質に曝露して感染した時、この姿になりました。しかし、彼女は、元の姿を失った私が分からなかった。他人を見る眼差しで私を見るのでした。私はショックを受け、名乗り出ることができなかった。ふふ、この姿自体は気に入っているのに、彼女にはどうしても名乗り出ることができなかったのですよ。そして、なんとなく彼女と会えずにいるうちに、彼女は遠方の基地に魔女候補として派遣されましたが、しばらくして、彼女のいた基地が囚人プリズナーの襲撃を受けたと聞きました。基地は壊滅しており、生存者はほとんどいないと」

 フォーゼスはうつむく。

「私は必死にトオコちゃんを探しましたが、見つかりませんでした。生死すら不明。混乱の最中、行方もわからない。奈落で買った切手を使って、思い当たる場所に手紙を送ったものの、届かずに返ってくるだけでした」

 フォーゼスは寂しそうに言った。

「私はあの時、彼女に何故名乗り出なかったのか、後悔しているのです。そのまま、彼女を連れ出していれば、彼女は死なずに済んだかもしれない」

「そう、でしたか」

 彼がなんらかの暗い過去を抱いているのは、最初から予想できていたことだ。やはり、白騎士と魔女の話には、悲しい過去がつきまとう。

「ですから、幼馴染の情報を探しているイノアちゃんを見て、他人に思えませんでした。彼女は強がっているけれど、いつも寂しそうだ。幼馴染を探している、私はその気持ちがなんとなくわかる」

 と、フォーゼスは顔を上げた。

「それで、イノアから頼まれて、あたしにも親身になってくださるんですね」

「はは。ウィステリアさんに協力するのは、それだけの理由ではありませんけどね。私の罪滅ぼしのようなものです」

「え?」

 思わぬ言葉にきょとんとすると、フォーゼスは続けた。

「私の幼馴染のトオコちゃんは……、製造番号がFJI04エフジーアイゼロヨン、つまりフジコ04ゼロヨンと呼ばれていました」

「フジコ……。あの、それは」

 ウィステリアが口を押さえる。

「そうです。つまり、トオコちゃんは、貴女と同じ複製体です。貴女がフジコ09ゼロキューだということを、イノアちゃんから聞いて知っていましたが、実際お会いすると本当によく似ている。性格はもちろん少し違うのですが」

 フォーゼスは、目を細めた。

「貴女を見ると、トオコちゃんを思い出す。トオコちゃんも大人になれば、貴女みたいに綺麗になっていたのか、と。……ですから、貴女を見ると、私は貴女に不幸になってほしくない。ユーネ君との楽しい生活を守ってあげたいと、そう思うのです」

 フォーゼスは、ふと照れたように苦笑した。

「いえ、これは私の自己満足のようなものです。罪滅ぼしのつもりの何かですよ。しかし、自分の気がおさまります」

「フォーゼス」

 不意にユーネの声が割り込んだ。

「フォーゼス、紐、結び方わかラない。教えてクレ」

 ユーネは刀の鞘に紐を通していたが、ぐちゃっと結ばれている。うまく結べなかったらしい。

「ああ。少し待っていてくれ」

 フォーゼスはそう答え、ウィステリアに向き直る。

「暗い話を失礼しました。ともあれ、そういうことです。貴女達に協力しているのは、私の自己満足ですから、貴女は気に病むことはありませんよ」

 そういうと、フォーゼスはユーネの方に歩み寄る。

「フジコ04。トオコちゃんか」

 ぽつりとウィステリアは呟いた。

 複製体は普通な別の環境で育てられる。環境により、人格形成に差が出て、多少才能にも影響が出るからだ。比較的恵まれた環境でお嬢様のように育てられたウィステリアは、十人ほどいるという、他のフジコと出会ったことがなかった。

 それでも他人には思えない。

「無事でいてくれていたらいいのにね」

 誰ともなくそう呟く。

「ウィスー」

 ふとユーネに声をかけられる。

「ウィス。見テ。フォーゼスに紐してもらっタ! 紐かっこいい!」

 刀を腰にさげつつ、ユーネは嬉しそうだ。そんな無邪気な彼の様子を見ると、ウィステリアは少し元気になる。はーいと返事をしながらそちらに向かう。

 ウィステリア。

 製造番号の代わりにネザアスがつけてくれた名前は、とても祝福されている気がした。

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