16.黒騎士の差料 —錆—
奈落のネザアスは、変なところで几帳面な男だ。雑な一面もあるのだが、こだわりもそれなりに強い。
だから、このテーマパーク奈落のことでは、そこそこちゃんとしておきたいし、システムの乱れによる奇妙な現象は許せないのだった。
文月のエリアは、そういう意味では意外とおかしな部分は少ない。
季節に沿ってつくられており、季節柄、海辺や川、山などが主なテーマだったが、たとえば雨が多かったり、気温がやや高すぎることなどはあるものの、秋のエリアのような延々と落ち葉の降る場所ような乱れ方はしていない。たまに朝顔が乱れ咲きしていたりすることはあるし、蝉の作り物が大量発生していてキレそうになることもあったが、それはそれで例外。
そんなもので、彼的には、暑い以外はストレスが少ないといえるようだ。
そんな変なところで几帳面な彼は、商売道具である刀も大切にしていて、手入れを始めると余念がない。
右手の使えないネザアスには、それなりに手入れは大変なのだが、なにかと器用にやっている。
ネザアスの差料は、そもそも魔女の体に使われる
「ネザアスさんは、几帳面だね」
スワロと一緒に、その作業を興味深く眺めていたフジコは、ネザアスがお手入れを終えたのをみて話しかけてみた。
文月のエリアは、和風の家屋が多い。蝉の声の聞こえる和室の畳の上で、涼しげな風鈴を聴きながらのんびりするのは、何故か心地よくて風流だった。
風鈴はともかく、蝉はおそらく作り物なのだろうけれど、雰囲気は十分だ。
「ま、商売道具だしな。それに、これはスワロの元になった娘っ子で作られた、特殊なもんだろ。綺麗にしてあげないとかわいそうだ」
「そうだったね」
奈落のネザアスの持っている剣は、創造主と呼ばれる天才科学者アマツノ・マヒトが作ったものだ。そもそも、ネザアス自身を造ったのもアマツノだが、そんな彼に特別な剣として与えられた。
その際に、その材料に、霜月の魔女だった娘が使われたことを、ネザアスは知っている。
負傷したことにより、一部機械化していた彼女は、灰色物質と金属部分が融合してしまっていた。それを使って作られたのがその剣であり、そのあまりの残骸で作ったのが今の機械仕掛けの小鳥のスワロ。
本来の霜月の魔女の少女は、別の体を与えられて普通の少女になったけれど、その際にそれまでの記憶は失われたという。本来は、フジコのようにネザアスに淡い恋心を抱いていたはずだったのに、その思い出もなにもかも忘れてしまった。
そして、奈落のネザアスは、自分が剣欲しがったためにそうなったのだと、ひっそりと自責の念を抱いている。それゆえに、彼はスワロを大切に可愛がっていた。
いつか、スワロを少女に戻してあげるつもりの彼は、あくまでスワロを人間のように、娘のように大切に扱う。
(悪いのは、全部、アマツノさんなのに)
フジコは、彼の気持ちを考えると切なくなるのだ。そんな彼女の憤りに気づくことなく、ネザアスは無邪気に話を続ける。
「おれは、結構荒っぽいからな。手入れ怠って錆ついちまったらって、心配なんだよな」
「スワロちゃんの刀も錆びるのかな?」
「
とネザアスは腕組みしつつ。
「灰色合金自体が、
「そうなんだね。それじゃあ、ネザアスさんの刀は幸せだな。そんなに丁寧にしてもらえるんだもん」
「そうかな? それならいいんだが」
「そうだよね? スワロちゃん」
ぴぴっ、とスワロが、ほんのり照れた様子で鳴いている。
「それだと、おれも手入れの甲斐があるな」
ネザアスが、安心した様子でにこりと笑った。
*
ユーネは頭に段ボールをのせ、するすると森の中を移動していた。
段ボールから、蓋を閉めたノワルの入った瓶が覗いている。
「こーすれば、ノワルと散歩できルからいいな。イノア、いいこと教えてくれタ!」
今日は大きな一つの目に、真っ黒な不定形の身体。泥の獣の本性をさらけだしつつ、ユーネは木々の間を移動していた。
近頃、彼は人の姿でいることが多い。とりわけ、ウィステリアやイノアと接する間は、その傾向が強かった。
かつて住んでいた入江の洞穴の棲家には、あまり近寄らなくなったが、まだ定期的に様子を見にいく。そういう時は、海の中での戦闘に有利なこの姿をすることもしばしばだった。
そして、この間、そこで彼は思わぬ発見をしたのだ。
「あいツ、まだちゃんといるカなあ」
今日向かっているのは、かつて住んでいた入江でなく、彼がウィステリアを案内した舟のある入江の方だ。
生い茂る木々の中を進むと、一気に視界がひらけてその場所はある。
白い砂浜と桟橋。そして二人乗りの小さな舟。ユーネがウィステリアを時々デートに誘う、お気に入りのスポットがここだ。ここもユーネとしては、縄張りの一つだった。
ここには漁師小屋みたいな小屋がある。外見は東屋っぽくみえたが、ユーネはこの家の中をよく知っていた。
錆びついた金属の扉が、印象的に目に入る。
「あいツ、生活力なさそーだからなー。なさそー? いや、生活力ゼロ。本当心配なル」
ユーネはそうぼやくと、とんとんと扉を左のひらひらで叩いてみる。反応はない。
「ちッ、困ったやツ」
ユーネは舌打ちして、ぼそりと吐き捨てると扉を開けて中に入る。
小屋の中は暗いが、意外と綺麗に整っていた。
「あ、いルじゃないか」
ユーネは気配に聡い。といっても、相手は気配を消すのが上手く、小屋に入るまではわからなかった。
「きたのか?」
「当たり前。お前、マトモな生活しないヤツ。様子見ないと不安」
いや、本当にこの様子を見ると、彼には生活力はなさそうなのだ。
ユーネは、暗がりに視線を向ける。
そこには、黒い衣服を着た黒髪の男が座っていた。肩にはうすく光る蝶がとまっている。
その男は、静寂のドレイクとかつて名乗っていた黒騎士だった。
「デンキ、生きてる。水モ出るみたい。シャワーもおーけー」
ぬるっと体を変化させ、人型になったユーネは、持ってきた服に着替えて小屋の中をチェックしていた。
相変わらず、ユーネはフード付きパーカーが好きだが、フードにはなにか耳的なものがついていて可愛らしい。
元は宿泊用の施設だったのか、小屋の中は一通りのものが揃っている。
あちらこちら、機械類は錆ついてはきているが、基本的な機能は生きているようだ。電力は外に太陽光パネルがあるので、それで発電しているのだろう。
洗濯機や、調理のための電気コンロも使用できそうだった。
「せんたくもデキるし、りょーりもできる。ニンゲンの生活するノに、かんきょーカンペキ!」
そうチェックしてから頷いて、ユーネはドレイクの元に戻ってきた。
「ちゃんと、いんふら、整ってた。ここならおれの前の棲家と違って、ちゃんと生活できル。でも、ドレイク、おれより生活力なさそーだよな。ちゃんとしないとダメだぞ」
ドレイクはそれには無言を貫いている。不満なのかもしれない。
ユーネは、ノワルを入れた瓶を首からかけている。それを近くの棚において、先ほど運んで来た段ボールを左手で抱えあげて、ドレイクの前に置いた。
「ほら、コレ、サプリメンと。お前も食べルんだろ? あと、ぱんとなんかゼリーとか。着替えとかたおるも」
そう言って、ユーネはそこの椅子に座り、ノワルをあやしつつ、サプリメントの袋を口で破って自分も中のゼリーを食べた。
「お前、おレと同じ。お前も"エネルギー"要るよな? 多分、お前、アイツら、狩りしてたろ? おレ、わかるぞ」
「何故、おれをここに案内した?」
相変わらず、彼とはちょっと会話が噛み合わない。ユーネはそれは承知の上だったようで、別に気にした様子もなく答えた。
「お前、おれの前の棲家にいたケド、あれ、ニンゲンの姿で住むのいい感じ違うから。ここなら、ちゃんとせーかつできル」
ユーネはノワルにサプリメントゼリーを分けてあげつつ、
「お前、目が良くないだロ? 岩場危なイ。それに生活力ゼロ、おれ心配なった。で、ここに連れてきた。ここならそのヒラヒラするのに案内してもらったラ、見えなくても大丈夫。おれがちゃんと説明してやルから、もっとちゃんとしたせーかつしろ」
ドレイクは、そこには直接答えない。
「声の歪みが改善したな。人の形態に慣れ始めているはずだ。しかし、ここにくる時は獣の姿だったな」
「お前、よくわかったな。見えてた?」
「日によって、調子が変わる。全く見えないわけではない。それに気配や動きでもわかる」
「そうか」
ユーネはふむとうなずき。
「獣の方が海、動きやすい。今日、入江に寄ったし、荷物あったから、運ぶのに獣になっタ。でも、ずっとアレでいるより、こっちのが体が楽だ。ニンゲンでもじっとしてたら、小鳥と遊べルし、それに、ウィスもイノアも、喜ぶ」
といいつつ、ユーネは俯いた。
「でも、おれ、まだうまくニンゲンできないけど。もともとヒト違うかったかもだから。それ、仕方なイ」
ドレイクはしばらく黙っていたが、
「お前には、この世界はさぞや煌びやかに見えているのだな。不便でも、楽しそうだ」
「キラびやか?」
ユーネが尋ね返すが、ドレイクはそれに返さず。
「人間の姿を楽だと感じるのは、おそらく、お前が固まり始めているからだな」
「カタマル?」
「うむ。もともと我々の体は、何も命令がなければ、ただの不定形な塊だ。それに高度な命令が与えられて人の姿になる。人の姿でいることは制限も多いが、安定していることは肉体的にも精神的にも良い影響がある」
「おレは、命令が消えてタ? もともとヒトの形だったノか?」
「あの人魚の涙の毒は、命令を消し去って初期化して分解してしまうものだ。お前の場合は、コア部分に情報が残っていると思う。それで、溶け切らなかった。ただ、人の姿を保つには、状態が悪すぎたので、獣の姿になっていただけだ」
ドレイクはかすかに目を開く。
「おれもお前も、純粋な人間ではないが……、少なからず、ヒトに近しい存在にはなれていたと思う。特にお前はおれより」
「おれも?」
ユーネが左目を煌めかせる。
「うむ」
ユーネは安心したような顔になる。
「そーか、それなら、良かっタ。ヒト違うかっテモ、元はヒトの形、してたらいいなと思ってタ」
そして、目を瞬かせる。
「デも、なんでおれ、全部溶けなかった?」
「詳しいことはわからぬが」
とドレイクは断りつつ、すっと胸を指差した。
「お前の心臓部に、
「マジョ? 人魚のコト?」
ユーネは胸に手を当てつつ、しばらく考えぽつりと呟いた。
「そーか、探してる小鳥、もしかして、ここにイタ?」
「小鳥?」
「昔飼ってた小鳥」
ユーネは言った。
「多分、あれも人魚だった。人魚はウィスとか。イノアも多分そう」
ユーネは、魔女たちのことを人魚だと呼ぶ。
「お前のひらひらのもソウだろ? えと、それは確か、ちょーちょ」
「ああ。これはビーティーの残滓だからな」
ドレイクは、彼の肩で休んでいる蝶を軽く撫でるようにした。
「おレ、この島に人魚いるのミテタ。最初の人魚、歌わないひらひらで綺麗な、はかないムスメだ。それ、ウィス達と同じ感じシタ。ウィス達もだから人魚と思ってル。小鳥も同じ感じだった記憶ある。近くにいる気がしたカラ、島探してた」
「それは灰色物質の存在を感知しているせいだろう。我々は、灰色物質との相性が良い。お互いに繋がりやすい。相性が良ければ特に。お前の中の灰色物質が探しているものかもな」
「小鳥、じゃアそうかな。おれと一緒にいたんだ! 嬉しい。それなら、小鳥とおれ、いつか、会える?」
「おそらくな」
ドレイクはそう答えて、少し考えた。
「灰色物質のことがわかるなら、この話だけはしておく。あの魔女の娘は気をつけて守る方が良いだろう」
「ウィスのこと?」
ドレイクはうなずく。
「そうだ。あの娘は今まで、創造主とネザアスの約束が生きていたため、中央局はあの娘に危害を加える可能性のある命令が出せなかった。しかし、ネザアスが取引に使った、娘に預けたモノが近頃失われたと聞く」
そう言われて、ユーネは少し考える。
「もしかして、お守りノペンダント? 写真の奴にもらった大切なノ言ってた」
「なんであったかはおれは知らぬが」
ドレイクはうなずく。
「灰色物質は黒騎士との相性が良い。だから、その合金、
ユーネは黙って聞いている。
「ウヅキの魔女は、ネザアスと創造主との取引で守られていた。しかし、それが解除されてしまえば心無いものから材料として見られる。魔女も少なくなった。希少価値が高い」
「でも、武器使う黒騎士ハ、もうイナイだろ?」
「黒騎士は存在しないが、黒物質を使った新型強化兵士の獄卒。そして、
「わかった。おれ、ウィス守る」
ユーネは素直だ。そして、そっとドレイクの傍らの剣を見た。
「ドレイクの刀も、特別なノ?」
ドレイクは、刀を取り上げてふむと唸る。
「おれの刀は、一部にビーティーの灰色物質が使われている灰色合金製だ。元々、相性の良い魔女のものを使っていると手に馴染みやすい」
「見ても良イ?」
ユーネが尋ねる。
通常、ドレイクのようなものは、自分の差料に触られるのを嫌うが、この時は拒否しない。黙ってドレイクは、刀をユーネに差し出す。
ユーネはそれを受け取り、そっと鞘を口に咥えて刀を抜いてみる。じっくりと観察してから、ユーネは刀身を鞘に戻した。
「ドレイク、生活力ゼロけど、ちゃんと手入れしてルなー。ここは見直す!」
ユーネは刀を納めてから、楽しそうに言った。ひょいとドレイクに近づいて身を屈める。
「あのナ、おれ、本当は今日ヒトになったの、目的ある」
「なんだ?」
「おれ、ドレイクに刀の手入れの方法、教えテほしい」
「手入れ?」
「これ」
ユーネは、左腕から刃物を飛び出させる。
「おレ、前からここに刀アル。でも、手入れデキてない。この家、錆たくさんある。それ見てて、おれ、考えた。もしかしたら、これも放置したラ錆びちゃうカモ。だから手入れしたい」
ユーネに頼まれて、ドレイクは生真面目に受け取った。
「ふむ、お前は左腕しかないから、そのままでは手入れは難しいな。切り離せるのか?」
「むー、やったことない。ア、でも、おれの身体、固まってもこれ大丈夫? 抜けなくなる?」
急に焦ってユーネは尋ねる。
「それはお前の体質と合うように変化したものだ。弾丸のような異物ではないから、体にとどめおけなくなれば切り離すこともできるし、埋めたままでも多少なら平気だろう。切り離しは、今でもやればおそらくできる。獣に戻る要領で解き放てば、刀の重量で取り出せる」
「そーか。良かった! こう、かな?」
ユーネは力を抜くようにして、一瞬腕を黒い柔らかなものに変形させると、埋まっていた刃はするりと抜け落ちた。
「トレた!」
刀身の他、つかの部分もある。ただ、紐などはいたんでしまっていて、見栄えは良くない。ユーネは、しょぼんとする。
「やっぱり、これ、きれーしたいナ」
ユーネは小首を傾げた。
「ドレイク、おれに教えテくれる?」
ドレイクがふっと薄く笑った気配がした。
「お前の好きなやり方は違うと思うが。……いいだろう」
「良かった。よろしくナ」
ユーネは、屈託なく微笑む。
視力の不安定なドレイクにはその笑顔がちゃんとは見えていないのだろうが、彼の表情もほんの少し柔らかくなっていた。
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