14.かそけき闇の兄弟 —幽暗—-2


 夕方の儀式を終える。

 いつもの通り、灯台に火を入れて、鎮めのための歌を歌う。

 今日は人の姿をしているユーネが、やはり歌を聴き終えると眠そうに目を擦る。

「んー、ウィスのうた、キクと、やっぱり眠イ。いい歌ナノになー」

「ふふ。それは良いことだと思うわ。イノアにも言われたの。歌を聞かせることで、あなたの治療になるかもって」

「そか! ソレは良いことダナ」

 陽はもう落ちていた。灯台の島は、暗くなるのが早い。

「ユーさんがどちらの姿になるにしても、ダメージを受けたままは良くないからね。それに、人の姿をもっと完璧にとれた方が、なにかしら便利だもの。あたしの歌がその助けになるなら嬉しいわ」

「へへ、ウィスの歌デ、治るナラずっと聴いてテいいナー」

 ユーネは、夜でもフードを被る。ぺろんと長い耳がついているが、その辺は彼はあまり気にしない。彼はこの姿でも、結局、かわいいものが好きなのだ。

 それにしても、今日は暗い。少し長い歌を歌っていたせいもあるが。

『その島の周囲に、確かに強い囚人の反応があるようです』

 ウィステリアは、グリシネからの通信を思い出した。

「囚人の反応ですか?」

『見つけ次第、強い力で押さえつける必要があります。貴女の歌声も武器になるでしょうが、その為には直接相手に聞かせる必要があります。危険を伴う為、発見した際は白騎士に通報します。私に連絡をください』

(そんな囚人、いなさそうなんだけどなあ。ユーさんとは違うみたいだし)

 少なからず、島は平穏に見える。

 グリシネは、フォーゼスと彼女の良からぬ噂を聞いているはずだとイノアは言うが、なぜか追及してこない。風紀には厳しいと思ったが、全く話題に触れてこないので、ウィステリアも触れてはいないが不気味だ。

 とはいえ、実際、ウィステリアとフォーゼスには、なんのおかしな関係もないのだ。ただ、親しいという噂を利用して、フォーゼスとそっくりなユーネの存在を隠しているだけのことなのだから。

 ユーネとウィステリアの関係だって、単に同居しているだけなのだし。ただの家族のようなもの。

 そういえば、ウィステリアにとって、ユーネは弟みたいなものだが、ユーネは自分どう思っているのだろう。

 急に気になってしまう。

「ユーさん、そういえばなんだけど」

「ナニ?」

 きょとんとしたユーネに、ウィステリアは尋ねてみる

「ユーさんは、あたしのこと、どんなふうに思っているの?」

「ドんナ?」

「えーと、友達だとか、家族とか」

 流石に恋人はないか。とウィステリアは候補から外す。

 ユーネが初恋の男である奈落のネザアスに似てしまってからは、むやみにドキドキすることは増えたが、まあそれはそれとしてだ。

「あー、ムー、そうダナー」

 とユーネは少し考えて、

「イモート」

 と答える。

「えっ、妹なの?」

 それなら、てっきり姉と言われると思っていたウィステリアは、ちょっと拍子抜けしてしまう。

「イモート。だっテ、おレ、多分ウィスよりオニーサん。アニは、イモートとかおトート、大切スル、守るもの。なんか、誰かそー言っタノ覚えテル」

 ユーネは顎を撫でて頷く。

「おレは、アニキだから、ウィス守ル。アニはそーゆーモノ」

「そ、それはありがとうね」

(あたしとしては、どう考えても手のかかる弟なんだけどなあ)

 まあしかし、ユーネの実年齢はわからないわけだ。

 あのルーテナント・フォーゼスも、ウィステリアが見習い魔女フジコだったより前に、テーマパーク奈落にきたことのある白騎士だったのだし、おそらく年上。彼とユーネが同じゼス計画の被験者だとしたら、確実にユーネの方がウィステリアよりは年上ではある。

(まあいいか。他人って言われるより。守ってくれるって言ってくれているのだし)

 ふと、目の前がより一層薄暗くなった。

 宵の口、仄暗い闇。夜に堕ちる一瞬前の、なんだか不安定な時間と空間。

 その闇に、桟橋を渡って、灯台守宿舎に帰ろうとしていた二人は、足を止めた。

 ひた、と何者かの足音がする。

 ユーネが鋭く反応した。

「だレ? 足音した!」

 ウィステリアを背後に庇って、ユーネが呼びかけた。

 波に軋む桟橋の音。どどん、と打ち付ける波の音。

「ユーさん、聞き間違いじゃ……」

「チガウ。いる!」

 ユーネは、闇を睨み付ける。

「お前、ダレ? 気配読まセなかった」

 やがて、ぼんやりと、薄暗がりに人の輪郭が浮かび上がる。黒い衣服を着ているらしいものは、人間以外の何かに見える。

 思わずゾッとして、ウィステリアはユーネの服をぎゅっと掴む。

 ひた、ひたと足音がする。

 すうっと暗闇から白い顔が浮き出てくる。背の高い男だ。

「まさか」

 闇から鬱蒼と声が聞こえた。聞き覚えが、ある。

「こんなところにいたとはな」

 闇からひらっと光る何かが飛んでくる。さらさらしゃらしゃらと音がして、その音に反応するように男は足をすすめた。

「溶け残ったのか、ネザアス」

 その一瞬、顔が見える。

「!」

 ウィステリアは思わず絶句する。

「タ、タイブル・ドレイク?」

「タイブル? ふ、懐かしい名をきいた」

 現れた男は、いくらかみすぼらしい服を着ていてやつれていたが、見間違えるほどには変わり果ててはいない。

「今のおれは、恩寵を失った。もはやTYBLEタイブルとは名乗れないな」

 男がふらりと顔を上げる。薄暗がりにだが、手持ちのライトで今なら彼の顔がわかった。その瞳は機械的に白く、焦点が合わない。ウィステリアの方を向いてはいるが、どうやら見えていないようだった。

「ドレイクさん、あなた……目が?」

 ドレイクは直接答えない。

「おれの名を知るお前は誰だ?」

「あたしは、ウヅキ・ウィステリアです。かつて奈落でネザアスさんと、あなたに会いました」

 ふむ、とドレイクは頷いた。

「あの時の魔女の娘か。そうか、それは奇妙な縁だな」

 ドレイクは、どうやら記憶自体は失っていないらしい。

「生きて、いたのね?」

「さて、いまのおれを生きていると言って良いかは、わからぬが」

 とドレイクは曖昧にこたえる。

 相変わらず、ドレイクの周りに、蝶がはためいていた。あのビーティアの蝶に見えたが、昔のように彼女の意図は感じられない。機械的に飛び回っているだけだ。

(ミナヅキ・ビーティアは、確かもう死んでる。そう記録されていた)

 ユーネは、というと警戒して、ドレイクを睨みつけている。

「お前、ナニ?」

 ユーネの反応がおかしい。今まで大抵の相手には余裕だったユーネが、ともすれば怯えているように見えるほど慎重になっていた。

「お、オマえ、なんデそんな強イ? おまえハ、一体ナニ?」

「ネザアス」

 ドレイクは何故か彼をネザアスと呼ぶ。

「おレ、ネザアスちがウ」

 ユーネの否定の言葉に、何を考えたのかドレイクはふむと唸る。

「そうか、違うならそれで構わぬ」

 ドレイクはぽつりと呟く。

「全て忘れ、眠れる獣でいられるなら、それほど幸せなことはない。違うなら、それは良いことだ」

「オ、オマエ、何言ってるカわからナイ」

 ユーネは冷や汗をだらだらかいていた。

 ドレイクは、奈落のネザアスと同じ、創造主の恩寵の騎士。超一級の黒騎士だ。

 その体は上位黒物質、ナノマシン黒騎士ブラック・ナイトで形作られている。弱い獣たちがネザアスを恐れたように、ドレイクも恐れられる側の存在だった。

 ネザアスの血文字を吸収しているとはいえ、普通の黒物質の泥の獣であるなら、ユーネよりも彼がかなりの格上なのだ。

「ユ、ユーさん、大丈夫。あのひとは、敵じゃないわ」

 今でもドレイクは、不気味で恐ろしい。けれど、かつての彼を信じるなら、きっと彼は敵ではない。

「敵じゃ、ない……って」

 しかし、今のドレイクは、昔と比べ物にならない狂気を放っている。

 かつての黒騎士は、全て発狂して叛乱を起こした。ネザアスとドレイクの兄弟だけが、無事だった。

 だが、ネザアスはともあれ、ドレイクが最期まで正気であったか、ウィステリアは知らない。

 自信がない。それほどまでにドレイクは、怖い。

「ウィス、先に戻っテ!」

 ユーネが叫んだ。

「ユーさん!」

「戻っテテ! コイつ、ヤバいやつ!」

 ぐいとウィステリアを後ろに押しやり、ユーネは言った。

「早く!」

「ユ、ユーさん、わかったわ。きをつけて、ね」

 このままでは足手まといだ。ウィステリアは、灯台守の宿舎へと向かう。

 ユーネはそれを見届けて、改めて対峙した。

 ドレイクはそれまで同様、棒立ちのままだ。その彼の腰には、刀がある。

 ユーネは、体内に埋め込まれている刃物を左腕に出現させていた。

「お前はまだ体が固まり切らぬのだな。そうか、かつて毒の涙で溶け切ったのだった。それだけ残っているのは、ある意味では奇跡的だ」

 ぼんやりと独り言のように、ドレイクが言う。

「だが、肝心なことを忘れているらしい。今のお前は、記憶だけでなく蓄積された戦闘データもないと見える。我々は基礎データだけでなく、経験による応用で強くなっていた。今のお前のそれでは、おれには勝てない。だが、眠れる獣でいたいなら、強くなるのは諦めろ」

「う、ウルさい! お、お前、おレに、ナンデそんな話スル!」

 動揺するユーネに、ドレイクは無視するように続けた。

「お前がそれで幸せなら止めぬ。しかし、どちらにしても、おれは、一つだけ、お前のためにできることをしよう」 

 すっと、ドレイクが薄く構えるようなそぶりをみせた。剣は抜いていない。

 それにもかかわらず、ユーネはだらだら汗を流していた。

 蝶が彼の周りをゆらゆら飛ぶ。

 ユーネは、空気に耐えきれなくなったように、悪寒を振り切るように、飛びかかった。

と、ドレイクがざっと動いた。ユーネの一撃をかわしつつ、彼はその懐に入り込み喉元を掴む。

「ぐっ!」

 ユーネがのけぞる。ドレイクは強い力でその喉を掴む。ユーネの体が溶けるように歪む。

 と、ドレイクはその一瞬で、何かを弾き飛ばした。きん、と金属的な軽い音が桟橋に響く。

 そのままドレイクは、ユーネを突き放した。

 ユーネは何度か咳き込み、ドレイクを見やった。

「げほっ、ナ、ナニす……」

 ドレイクはユーネに目もくれず、音のした場所からなにかを拾い上げている。それは金属片のようだった。

「見ろ」

 と、金属片を掴んだドレイクの指が黒く変色した。ユーネがはっと目を見開く。

「これは、いつぞや、お前の体に撃ち込まれた弾丸だ。その大半はお前が溶け落ちる際に失われたが、これだけはしつこく体内に残っていた。それが声帯を破壊し続けていた。未だにこの毒は、おれの指を溶かしにかかる。我等の再生能力すら阻害する、あの人魚姫の毒が、まだ残っている」

 ドレイクは、それを取り出した懐紙の上に置いた。じんわりと黒いものが紙の上に広がる。ドレイクは目を閉じた。

「あの娘も思えば哀れ。何を恨んだわけでもなかろうに、何故こんなにも強い呪いを持つのか」

「毒?」

 ユーネは喉をおさえつつ、尋ねた。

「セータイ? おレの声? それデ壊れてタ?」

 ユーネは目を瞬かせる。

「そうだ。声帯を破壊され続けていたせいで、お前の声は歪んでいた」

「そ、そレ、なくなルと、声治る?」

「完全には元に戻らんかもしれん。長く壊され続けていたからな。しかし、再生は確実にされる。もう少し聞きやすい声で話せるようになる。もっとも、後遺症として、体の状態がよくない時に声が潰れやすくなるかもしれない」

 ユーネは喉を撫でやる。

「あの魔女の娘の歌は、我々を癒す。彼女といれば、お前の体は徐々にかたまる。そうなっては、二度と弾丸が抜けない。手荒なことをしたが、声を戻すにはそれしかなかった」

 ふらっとドレイクは歩き出す。

 ユーネのそばを通り過ぎる彼は、光のない機械的な白い瞳を軽く閉じる。

「お前がネザアスであろうと、ユーネであろうと、おれは構わぬ。夢を見たければ、思い出さねば良い。眠れる獣として生きるのなら、おれは止めぬ。目を覚ませば、我々は必ず修羅の道に戻らねばならぬ。それは不幸なことだ」

 ユーネは黙ってそれを見送っていたが、ふと思い切って尋ねた。

「お、お前、ココ、ナンデ来た?」

 ドレイクが足を止める。

「おレのこと、お前知らなかっタ。デモ、ここ来たノ理由アルだロ? ナンデ?」

「追いかけてきた」

 と、彼は呟く。

「追いかけタ?」

「ここに、我々の宿敵の気配があった。おれは、それを追いかけてここにきた」

「ソ、ソれ、ダレ?」

 ドレイクは一瞬ためらい、振り返る。

「お前は知らずとも良い」

 そう答えると、ドレイクはそのまま歩き出す。彼の周りを蝶がひらひらと舞い踊る。

 暗闇の中、彼は夜に溶け込むように消えていく。やがてその気配すら、夜の中に消えていく。

「ユーさん!」

 ずっとその闇を見つめていたユーネは、ウィステリアの声で我にかえった。

「ユーさん、大丈夫だった?」

 いつのまにかウィステリアが戻ってきていた。

 ユーネは、慌てて頷く。

「お、おレは、だ、ダイジョーブ」

「良かった!」

 ウィステリアは安堵して、それから闇の方を見やる。

「ドレイクさんは?」

「あいツは……」

 ユーネは、見えなくなった彼の背中をじっと見やり、それからしばらく無言に落ちた。その夕日のような色の瞳が揺れていた。

 その表情は、今までのユーネの表情とちがって、何か思い詰めたような気配があった。

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