14.かそけき闇の兄弟 —幽暗—-1

 その人と出会うときは、なぜかいつも薄暗がりの気配がした。闇の気配が一際強いひとだったのだ。あのネザアスよりも更に。

 奈落のネザアスも夜の生き物だったが、彼もまた暗がりの生き物だった。

 彼らは全く似ていないのに、確かに気配は同種だった。


「スワロちゃん! どうしたの?」

 スワロが警戒したように鳴く。ネザアスを呼んでいるのだ。

 廃墟の建物が並ぶ暗い街並み。

 泥の獣に襲われて、ネザアスに任せて逃げてきたところ、妙な気配と共に前方の暗闇から、別の泥の獣が現れた。

 歌を歌っておとなしくさせよう。

 しかし、思うだけで口を開く時間もなく、目の前にぶわっと黒い体が広がり、闇に包まれるかのようだった。声を上げるいとまもない。

 と、不意にその暗闇が背後から引き裂かれ、太陽の残りの赤い光が透けた。

 汚泥が散らかりながら解けていく。その背後に誰か立っていた。

 黄昏の暗がりに、鉄の輝きがうっすら赤く光る。

「娘は、無事か?」

 ぼそりとつぶやく黒衣の男。

 ネザアスほど高くはないが、すらりとした長身痩躯。ネザアスと同じく着物風の衣装だが、彼と違って派手さがない。

 そして、彼は率直に言って稀に見る美男子だが、かなり近寄りがたい。

 その刀の切っ先が、下手すると自分の方に向きそうな、そんな危うさが彼にはある。

 けれど、心配とは裏腹に、男はあっさりと刀をおさめた。

 それは黒騎士、静寂のドレイクこと、タイブル・ドレイクに違いなかった。

 奈落のネザアスと同じ型の黒騎士であり、彼等は言ってみれば兄弟機といってよい存在だ。彼とネザアスの他の黒騎士は、発狂して叛乱したとされているが、彼等二人は中央局にまだ従っており、命じられた通り、この荒れ果てた奈落を守っている。

 ドレイクは、奈落の調査を命じられて動いていたが、基本的にドレイクとネザアスの間には協力関係が構築されている。

「あ、あの、ドレイクさん。ありがとうございます」

 タイブル・ドレイクは、味方には違いないが、いつもどこか怖い。ネザアス以上に人間味が薄く、どこか機械的かつ不気味な感じがした。

「黄昏時は、魔が現れやすいものだ。一人歩きは良くない」

 ドレイクは、そうぽつりという。

「ネザアスは、少し気遣いが足りない。娘を一人にするのは悪いことだ」

 そういって、初めてドレイクはフジコの方に目をやる。時折白く輝くが、ドレイクはネザアスの、ともすれば赤く見える瞳と違って、真っ青な瞳をしていた。その瞳に感情は見えないが。

「おれからも注意する」

「え、あの」

「ウィスー! スワロー! そっちになんか、でかいやつが!」

 戸惑っていると、背後からネザアスの声が聞こえた。と、ネザアスは、流石にすぐにドレイクに気がつく。

「ド、ドレイク! なんだよ!」

 ざっと彼は緊張して、飛び退いた。が、ドレイクは静かに彼を一瞥するだけだ。

「なんだよ! お前、うちのお嬢レディになにかしやがってたらただじゃ……」

「来るのが遅い」

 ぼそ、とドレイクは告げる。

「お前は不足している」

「はァ!」

 言葉足らずなドレイクに、短気なネザアスが早速キレかかる。

「一人にするな」

「なんだテメェ! コラ、喧嘩売ってんのか!」

 慌ててフジコが止めに入る。

「ま、待って! ネザアスさん、ダメだよ。ドレイクさんが、あたしを助けてくれたの」

「う」

 ぴぴー、とさらにスワロが追い討ちをかける。詰まるネザアスに、ドレイクは目を閉じて無言。

「て、っ、てめえ、それならそうって言えよ。いつも、あんた、言葉足らずなんだよ」

 突っかかったものの気まずくなり、ネザアスは竜頭蛇尾状態だった。

「あ、あの、改めてありがとうございます」

 フジコが礼を言うと、ドレイクは薄く目を開く。

「礼には及ばぬ。娘も魔女、それならビーティーの妹。しかも、お前はネザアスの妹のようなものでもあるのだろう。ならば、俺は兄。兄とは弟妹を守るものだ。そう習った」

「何が兄貴だよ、ちょっと生まれたのが早かっただけだろ! くそっ!」

 ネザアスは悪態をつく。

「あれ、今日はビーティー姐さん、繋いでねえのかよ?」

「今日は彼女はあまり調子が良くない。遊離体とはいえ、汚泥との遭遇は悪影響を与える」

 ドレイクの相棒である水無月の魔女、ミナヅキ・ビーティアは、フジコたちと違い、汚染にかなり弱いらしい。魔女としては珍しい体質で、それゆえに、遊離体という灰色物質の塊を蝶の形に加工して、ドレイクに助手アシスタントとしてついていかせていた。

 そんな遊離体のはずの蝶は、今日は、ドレイクの肩の辺りでブローチのようにとまっているだけだ。明らかに接続されていない。

「おい、兄貴、何しに来たんだよ」

 ネザアスは絡み口調で問いかける。

「何も?」

「何もってなんだよ?」

「通りすがりにお前たちを見かけただけだ」

 ドレイクは、どうも口下手で話がわかりづらい。ネザアスが理解するのを諦める。

「は? 意味わかんね」

「とにかく、敵には重々に気をつけろ、ネザアス」

 相変わらず、ネザアスの抗議も無視して、二人はどこか会話が噛み合わない。

 結局、ドレイクは、ふらりとそのまま立ち去る。

 あたりは幽暗の世界。まさに、かそけき暗がり。そこに闇の生き物のようなドレイクが消えていく。なんだか寒気がする光景だ。

 しかし、ネザアスはそんな繊細な空気が読めない。いつも通り。

「なんだよ、アイツ。ムカつく!」

 フジコは、しかし、そう吐き捨てるネザアスの空っぽの右袖をちょっと引いて。

「でも、思ったんだけど、ドレイクさんは、すこし怖いけど、本当はいい人なんじゃない?」

「ん?」

「何考えてるのかわからないし、怖いけど、ちゃんと助けてくれたよ? 心配してくれてた。もしかして、いい人なんじゃないのかな?」

 寒気のするような気配の中、先ほどの言動には、ドレイクの気遣いと優しさがのぞいていた。

「う、うん、まあその」

 ネザアスはそう尋ねられて、うぐぐと詰まる。

「ドレイクさんて、ネザアスさんの、お兄さんなんだよね? ネザアスさんのことも心配してくれてるみたいだよね」

「う。あー、まあ、ドレイク、兄貴は、……にいちゃんっていうか。まぁ、アイツの方が先に造られたってだけだけどな。つーか、それだけで兄貴ヅラしやがってムカつく」

 ネザアスは、なんとなく不満そうだが、妙にそわそわしている。

「というかな。アイツ、自分の気持ち伝えるの下手くそなんだよ。ビーティー姐さんの通訳ねえと、何言いたいかわかんねえし。なんつーか、いきなり、喋りかけてくるから怖いだろ?」

 それはそうだった。フジコが苦笑すると、ネザアスは頷く。

「んー、でも、まあな、いいやつか悪いやつかって言われるとー。うーん」

 ネザアスはちょっと認めたくなさそうな態度ながら、ぽつりと呟く。

「アイツな。兄貴のやつ。本当は、結構いい奴なんだぜ」

「やっぱりそうなの?」

「ああ。元から悪党なおれと違ってさ。それに、俺と違って、アマツノからお気に入りしかもらえない青い瞳を与えられてるし、秘密の会合にも連れて行ってもらってて。アイツはマジで強いし、本当はすげえんだよ。で、おれは羨ましかったんだぜ。なのに、アイツは後ろ向きなやつでよー。そういうとこが、イラつくというか」

 とため息混じりだ。

「アイツな、上から悪いやつを演じるように言われてて、でもどうすりゃいいかわかんなくて、あんな感じらしいんだよ」

「演じる?」

「うん。おれもそうだけど、厳密にはモデルになったのがいる。で、それに即したキャラクターを与えられてて、そういうふうになるようにってされてた。ここは遊び場だったし、おれたちは本来はキャストだからな」

 その話は前にもきいている。本当は、創造主カミサマのための箱庭で、彼らはその遊び相手として作られた。

「ま、おれなんかは、途中で好き勝手しちまったからな。結構、割り切って、自由にやってんだ。でも、ドレイクは真面目だから。アイツのモデルのやつはな、そもそも、なんつーか、難しいんだ。悪いやつで、怖いやつには違いないけど、理解しづらいキャラクターていうか? それ自体も大変なんだけど」

 ネザアスはため息をつく。

「でもな、そもそも、兄貴は本当は意外と優しい性格しててなー。かなりモデルの人格と落差があるんだ。だから、やるとしたら演じなきゃダメなんだが、アイツ、マジでこういうの、向いてねえんだよ」

 普段は口さがないネザアスだが、ネザアスもドレイクのことは、それなりには心配しているようだった。

「でも、モデルに沿って造ったなら、なんでそういうふうな性格に、最初からしなかったのかな?」

「そう思うだろ。でも、うまくいかないんだって」

 ネザアスは眉根を寄せる。

「例えば、まだしも正義の味方みたいなやつをモデルにしてると問題ねえんだって。おれなんかもそうなんだけど、危ねえヤツを元に作るとき、そのまま作ると暴走された時に制御できないとやべえから、色々工夫するわけだ。だから、そのまんまにはならねえって、オオヤギが言ってた。その兼ね合いで、結局、全然違う性格になっちまうってのもあるんだって」

 ネザアスは、ぼやくように言った。

「とはいえ、正義のヒーローをモデルにした黒騎士は、軒並み狂ったからな。そのまま作りゃいいもんじゃねえんだなー」

 色々難しい話のようだ。

「そうなんだね」

「でも、とにかく、まじめなんだよな、兄貴は。そっくりにできねえのは仕方ねえよ。諦めて、もっと気楽にやればいいのに」

 ちょっと捻くれたところのあるネザアスだが、ネザアスもドレイクに対して、本音の部分では心配しているのだろう。そして、兄として頼りにもしている。

 そんなふうにうっすらフジコは思った。


 どちらにしろ、彼等二人は、どこかしら似ている。暗闇の中の兄弟には違いないのだった。


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