13.奈落専用記念切手 —切手—
ネザアスが懐からなにか紙のようなものを出すのを見とめて、フジコは小首を傾げた。
「ネザアスさん、なにそれ」
ネザアスは、一応、男の嗜み……と本人は言っているが、刀剣を使うこともあって、懐には懐紙を常に入れている。しかし、その時飛び出しているのは、シールみたいなものだった。
「なに? ああ、これは切手だぞ」
「切手? 郵便送るやつ?」
フジコは、あまり手紙を書かない。フジコの世代なら、友人との情報交換は電子メールやメッセージも多かったし、立場上、検閲を受けることが多いから、外部に手紙など出せないのだ。
「おうそうだ。
ははは、とネザアスは懐からぴらっと切手シートを取り出す。何やら派手な絵のついたシートだが、どうやらこのテーマパークのものらしい。花札の絵柄がずらっと並んでいた。
「切手? ネザアスさん、お手紙出すの?」
「んー、久々にファンレターが届いたからなあ」
「ファンレター?」
目を瞬かせると、ネザアスは、封筒をぴらりとみせる。味気ない白い封筒。骨太の文字だ。
幸い、女の子からの手紙ではなさそうだった。フジコはネザアスを独占するつもりはないが、彼はどう考えてもモテるので、女の子からの手紙なら多少は妬けようという話である。
「コイツは、お前の前にここに迷い込んできたヤツなんだけどさ。助けてから感激したらしく、以降、一年に一度くらい、こうして御機嫌伺いのファンレター送ってきやがるの。マメな奴だよな」
「それでお返事書いてあげるんだね」
「まーな。でも、おれは手紙書くの苦手なんだよー。だから、短文にするんだけど、やっぱ書くの難しい。で、ここはさ、昔、売ってたポストカードが、売店廃墟に残ってんだろ? それを封筒に入れて短い文章とサイン入れて送ってやるんだ」
「それは、送られたひと、喜ぶね」
「まあ、ほとんど届いてねえんだろうけどな。おれは、存在が伏せられてるトコあんだろ? オオヤギ経由で送ってもらうけど、どうかなー。返事もすぐにこなくなるから、届いてねえと思うよ」
でも、と、ネザアスは言った。
「本来、ファンレターが届かなくなることは、決して悪いことじゃねえよ。おれみたいな、こんな地の底這い回ってるロクデナシより、良いものを見つけられたってことだからな。おれみたいなやつに憧れるより、もっといいものは世界にたくさんある」
そんなことを言われるのは、フジコには少し辛い。フジコには、今のこの瞬間が、何より幸せな時間なのに。将来、これより良いことがあるなんて言われても、それを考えるのも嫌だ。
「まあしかしな。それだけじゃないことを知ってるからよ。おれのファンってやつは、いつのまにかただの子供じゃなくなったからな。ここにきてたのは、スワロやお前みたいな魔女見習いや、白騎士の餓鬼どもとかだ。そういうやつからふっつり手紙が途切れると、大抵死んでることが多い。なんかなー、わかっちまうんだ。意外と勘が鋭くてな」
ネザアスは目を伏せた。
「そういう餓鬼がおれより先にやられて死んじまったのがわかるって、辛いもんなんだぜ。今じゃあ、おれのことを忘れて幸せになってくれてるやつは、ほんのわずかだよ」
ふと、ネザアスは寂しげに笑う。
「だから。おれからの返事なんて検閲されて、どうせ届きはしねえけど。そういう消えちまうかもしれない餓鬼どもが喜んでくれるならいいか、ってポストカードを送り返すことにしたんだ。そのための切手。まだ料金改定されてねえから使えるぜ」
まあほとんど届かないんだろうがな。と、ネザアスが言う。
「だからなー、コイツがまだこうやって時候の挨拶してくるの、結構嬉しいんだよな。はは、そーゆー柄じゃねえけどよ」
「そうなんだね」
フジコは、切手シートをつつくスワロをあやしつつ、
「もし、任務が終わったら、あたしもネザアスさんにお手紙出してもいい?」
「もちろんだぜ。まあ、でも、俺からは、返事届かねえかもしれねえけどよ。忘れた頃に届くかも知れねえから、期待せずにちまちま送ってくれよ。
「あははっ、期待しちゃうよ!」
あれから、切手についても調べたけれど、あの切手シートは奈落専用で、その後は入手が極めて難しいものだった。あのシートはほとんど彼専用だったのだろう。
あれからフジコは彼に手紙を何通も出したけれど、当然、フジコに、ネザアスから返事が来ることはなかった。
*
「ユーさん、ユーさん、どこにいるの?」
今日は白騎士の隊長フォーゼスとの面会の日。だというのに、肝心のユーネがいない。
「ユーさーん!」
ジャックに依頼して探してもらおうか。
そんなことを考えていると、地下室からユーネの声がした。
「ウィスー!」
地下室は倉庫もあって、最近は、ユーネの衣服や靴などを探すための場となっていた。イノアに通販は頼んだけれど、それだけでも足りないし、たくさん欲しい。
ただ、今日はいつもの倉庫でなくて、別の部屋からユーネの声がした。
「ウィスー、こコ、色々あるー」
「ここ?」
地下におりながら、ウィステリアは怪訝そうに眉根を寄せた。
一番奥の部屋。
常時、鍵がかかった、もっとも古いその部屋は、この灯台ができる前からあったとおもわれる部屋であり、黒騎士奈落のネザアスが私室として使っていた部屋だった。
生体認証キーが必要で、ネザアスの血文字のお守りがなくなった今、それを開けられる手段は無くなったはずだったが、なんと扉が全開になっている。
「ウィスー」
ひょこっと顔を覗かせたのは、今日はフォーゼスに会うので、すでに人の姿をしているユーネだ。相変わらず耳付きのパーカーを着ていて、フードは深めに被っている。
「ええっ、ユーさん、この部屋、ど、どうやって開けたの?」
慌てて尋ねると、ユーネは小首を傾げた。
「ドウ? ぴっ、てシタラ」
「ぴっ? え、ええ? 生体認証キーを突破したの?」
(ユ、ユーさんが、ネザアスさんに影響されてるからかな)
確かに血文字のような微量な彼の痕跡でも、この扉は開いたのだ。あれを吸収してしまったユーネを、ネザアスとして認識しているのかもしれない。
「ココも開クぞ! ウィス、コノしーる、たくさんアル。きれーデ可愛イ!」
「えっ、机の引き出し! そ、そこは、前、試してみたけど開かなかったのに!」
「え? ぴっ、テしたら開ク」
「そうなの?」
(うーん、やっぱり、あんな血文字のメモと違って、肉体があると違うのかな)
ウィステリアは
ユーネはクローゼットをみてご満悦だ。そこは、ネザアスの、ちょっとたまにどうかというセンスの服がずらっと並んである。着物風なのから、ジャケットスーツ。制定軍服までさまざまなものだ。
「アト、色々、服アる。ほら色とりドリー!」
にこにことユーネはご機嫌だったが、呆然としているウィステリアの表情に気づいて、今更やや慌てた。
「あ、デモ、もしかシテ、ここ、ウィス、大切ナの部屋?」
「あっ、ううん。ここは、確かに特別な部屋だけど」
そう言われてウィステリアは我にかえり、答える。
「今は誰のものでもないの。だったら、鍵を開けられるひとが、自由に使う方がいいんじゃないかな」
そも、ウィステリアに、ネザアスの部屋をどうこうする権利はないのだ。ユーネがこの部屋を開けられるなら、それはそれでネザアスの求めるところなのかもしれない。
「それナラ、良イけど」
「あっ、そんなことより、ユーさん、そろそろ時間なの。フォーゼスさんがここに来るから、行きましょう?」
そう急かすと、ユーネがむーとして俯き、パーカーの耳が伏せられて垂れる。今日は長めの耳なせいか、妙に反応がわかりやすい。この辺、泥の獣の姿の頭の突起を思わせる。
「おレ、アイツ嫌イ」
「ユーさん、わがまま言っちゃダメよ。フォーゼスさんは協力してくれるって」
「ウィスのタメ、なら、ショーがないケド」
ぶつぶつとユーネは、不満を漏らす。
ユーネが何故フォーゼスが嫌いなのかは、よくわからないが、半分はやきもちではあるらしい。
「あとで、ゆっくり一緒に合う服を見てみましょうね。だから、今は一緒に行きましょう?」
そうなだめて、ウィステリアはユーネを連れ出した。
*
「これは驚いたな」
灯台守の宿舎の庭。大きめの木の下。
そこにテーブルと椅子が設置されていて、ちょっとしたお茶ができるようになっている。
白騎士の隊長、
今日は木陰は涼しく、過ごしやすい。
フォーゼスは開口一番、自分と同じような顔立ちの彼に驚いていた。
「イノアちゃんから聞いてはいましたが、ここまで似ているとは」
ユーネは謎に不機嫌で、つーんとそっぽを向いてしまっている。挨拶する当初は人の姿だったが、途中で泥の獣であることをみせるために、例の一つ目不定形になってから、そのままだ。服を頭の突起にひっかけている。
どうやらウィステリアがフォーゼスと親しく話しているのが気に食わないらしい。
「あの、あなたにはご迷惑を。あたしのせいで、変な噂を立てられてしまって」
「いえ。気にしませんよ」
ウィステリアが頭を下げるが、フォーゼスは寛容だ。
「それよりも、私も彼のことは気がかりです。ウィステリアさんの言う通り、感染した白騎士の可能性も捨てられませんから。この島付近で、白騎士が相当数いなくなっています」
フォーゼスは、実際、ユーネに相当興味があるらしい。
「私と同じモデルの白騎士は、他にもいます。彼が何かしらでその姿になったというのも、色々な原因が考えられますからね」
とフォーゼスは言う。
「あ、あの、そういえば、フォーゼスさんは、やはりドクター・オオヤギという方と関係が? あの方の提供モデルがそういう姿をしていたと聞いています」
奈落のネザアスの外見モデルは、そもそも、あのドクター・オオヤギのものだ。彼は自分で複数名に外見データを提供していると言っていた。ということで、奈落のネザアスによく似た容姿の人間は、他にもいるはずなのだ。フォーゼスも、てっきりそうなのだと思っていた。
ドクター・オオヤギ自体は行方不明の可能性が高く、ウィステリアも現在の詳しい情報を得られていない。
「いえ、私はその方は知りません。おそらく違うプロジェクトでは?」
「そうでしたか。あたしはその姿がそうなのかと……」
フォーゼスは苦笑して、
「私はゼス計画の被験体ですよ」
「ゼス計画?」
「私の製造番号、
「あ、もしかして、それで、ネザアスさんの?」
ウィステリアの言葉に、フォーゼスは目を瞬かせた。
「彼をご存知なのですか?」
魔女の任務は基本的に非公開だ。
ウィステリアが、かつて、この奈落を浄化したことを知る白騎士はそう多くはない。イノアのような魔女ならともかく。フォーゼスが知らないのは、おかしくなかった。
「ええ」
「なるほど。その通りです。私の体に組み込まれたのは、YUN-BK-02、通称奈落のネザアスと言われた黒騎士のデータでした。彼のデータが使われた被験体にANがつくのです。私はその四番目。もっとも」
とフォーゼスは目を伏せる。
「私以外のものは、成功しなかったと聞いていますが」
「それで、その姿なんですか?」
「ええ」
とフォーゼスは言った。
「ある作戦で負傷して、感染しました。助かるために、この計画に関わる選択肢しか私にはなかった。それで私は同意しました。どうしても死ねない理由がありました。ただ、命は助かったものの、かつての外見は失われました。それで、今の私は白騎士ではありますが、僅かに上位黒物質である
「そうでしたの」
ウィステリアは痛ましげに眉根を寄せる。
「そんなに悲観的な話ではありません。私は、感謝しているのですよ。それに、どうせ選択肢がないのなら、彼のデータをいただけてよかったと思っている」
ふっとフォーゼスは笑う。
「それを考えると、ユーネ君ももしかしたら、私と同じ可能性もあります。私と同じANの被験体は十人近くいたはず。何をどう失敗したかは明かされていませんからね。しかし、ユーネ君の存在が中央局にわかれば、確実に調査されてしまう。それは非人道的なものだ」
フォーゼスは頷く。
「ユーネ君は仲間かもしれないので、私にも他人事ではありません。協力させてもらいますよ」
「ありがとうございます!」
ウィステリアはほっとして、頭を下げる。が、ユーネはつーんとしたままだ。ウィステリアは小声でせかす。
「ユーさん、挨拶」
「ふん!」
「ユーさん」
珍しく強情なユーネだ。と、ユーネの頭に引っ掛けている服のポケットから、先ほどの切手が落ちかかっていた。
「ユーさん、これ落ちそうよ。ね、機嫌直して」
とりあえず、拾い上げてみる。
改めて見ると、色彩がきらびやかな、なかなか良い切手だ。ついユーネに渡す前にじっくり見てしまう。
「おや、その切手は?」
なぜか、フォーゼスがそれに目をとめた。
「あ、これはこの島の地下の部屋で、ユーさんが見つけたんですが」
「懐かしいな。この切手、覚えている」
フォーゼスが目を細める。
「え?」
「知ってル? このシール?」
初めてユーネがフォーゼスに口を開き、ふわふわと近づいてきた。大きな一つ目を瞬かせる。
「このシール、キレい」
「ああ。そうだな。とても綺麗で粋で。売店で買って帰ったんだ」
ぽつりと彼は呟く。
「売店?」
ウィステリアがふと聞き返す。
「ウィステリアさんは知らないかな。私がまだ少年だったころ、この辺りに遊園地があった」
と、フォーゼスは言い、海の方を見る。そこから、あの朽ちかけた観覧車が見えていた。
「あの観覧車はその残骸だ。私がここに来た時も、もう既にほとんどは廃墟だったが。少しは店が残っていて、帰る時に記念品を持って帰りたいと思って、ここにいたひとにオススメを聞いた。手紙を送りたい相手がいたと、それを伝えると、これが良いと、教えてもらった。綺麗な切手だから、きっといい返事をもらえると」
フォーゼスは、ふと目を伏せた。
「まあ、その後、手紙を送る予定の相手は、囚人に襲われてしまっていて、居住地ごと行方不明になっていた。心当たりを調べられる限り調べて、このシートを使い切るまで手紙を送ったが、全て手紙はかえってきてしまったが」
「そうだったんですか」
ウィステリアにはその悲劇がわかる。きっと、フォーゼスが手紙を送ろうとした相手は、死んでしまっているのだろう。
「まあ、そんなことで。私はここが遊園地だった頃の白騎士や魔女を知っているから、他の中央局の白騎士とは考えが違うのでしょうね」
フォーゼスは、少し寂しげにそう言った。
ユーネはそれを見上げていたが、ふむ、と唸る。
「このシール、たくさンあった。仕方ないカラ、お前ニ、一枚ヤル」
「私に? しかし、良いのかな?」
「おレ、お前、そんな好キ違うケド、今日はトクベツ」
ユーネはそういうと、またちょっとツンとして、すさすさと移動してしまう。
「良いのかな? もらっても」
フォーゼスはちょっと躊躇う。
「大丈夫ですよ。ユーさんもああ言ってますし、是非」
「そういうことなら、ありがたく頂戴する」
フォーゼスはそういうと、切手シートを丁寧に折りたたみ、胸ポケットの手帳を取り出して挟んだ。基本的に几帳面そうなフォーゼスだが、その手帳かららしくなく、古い紙が飛び出していた。
パステルカラーの、ユニコーンに乗った少年少女のイラストのあるポストカードだ。随分古くてぼろぼろになりかかっている。
フォーゼスは切手シートをそのポストカードと一緒に挟んで、胸ポケットに戻した。
なんとなく気になるポストカードだ。イラストの少年は騎士の鎧をきていた。
フォーゼスが帰った後、ウィステリアは少し離れた場所にいたユーネに声をかける。
「ユーさん、フォーゼスさん帰ったよ。切手、ありがとうって」
ユーネが黙って振り返る。
「フォーゼスさんに、優しくしてくれてありがとう」
「別ニ、優しクしてナイ。デモ、ちょと、アイツ、カワイソだったカラ」
ユーネはちょっとひねくれたことをいう。
「あ、ソウダ。ウィスにも渡すノあった!」
ふと思い出したように、ユーネは、頭に乗せた服のポケットから何かを取り出した。
「コレ、引き出シの中あったノ。あの切手貼ってアル」
大きな一つ目を瞬かせつつ、ウィステリアを見上げる。差し出したのは封が閉じられていない封筒だ。
「なあに、これ」
「ソレ、中のニウィスの名前、書いてあっタ」
「あたしの……?」
と、ウィステリアは封筒を開いてみて、はっとした。見覚えのある手紙とポストカードが入っている。
入っている手紙はウィステリアの署名があり、それは彼女の字だった。
当然だ。かつて彼女が書いたものだ。送ったけれど、届いていないと思っていた。
「届いてたんだ。あたしの手紙……」
ぽつりと呟く。
ポストカードを裏返す。そこには七色に輝く空とありし日の観覧車のイラストが描かれていた。
これは、きっとネザアスがいつしか送ろうと用意してくれていたポストカードなのだろう。
とっておきのやつ。彼は確かそう言っていた。その通りの、とても綺麗なポストカードだ。
「ソレ、用意シタやつ、ダメなやつ」
ユーネがふと言った。
「切手貼ったラ、ぽすと入れなイと届かナイて聞いたのに、封シテないし、ぽすと入れ忘レテる。ダメなやツだなー。届カない」
「ふふっ」
ウィステリアは、泣きそうになるのを誤魔化しつつ、ユーネの言葉に笑う。
「そうよね。切手貼ったらポストに入れなきゃね」
けれど、ようやく届いたのだ。
(切手のおかげだといいね)
ウィステリアは、今更届いたそれをそれでも嬉しそうに抱えていた。
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