11.木漏れ陽のデジャヴ —緑陰—
さやさや、頭上で葉擦れの音がした。
基本的に荒廃している奈落にも、それなりに穏やかな所は残っている。
林の続く道。
基本は夏の気候の文月エリアは、雨が多くて蒸し暑い。霜月のエリアから季節を逆行しているので、葉月のエリアより少し涼しい気もするが、暑いことは暑いのだ。
そんな中を旅してきたところの、静かな林。それは砂漠の中のオアシスのようなものだった。
フジコはそんな涼しい林の道を、スワロと一緒に散歩してきたが、木陰で一休みしていなネザアスはすでに軽くうとうとしていた。
「ネザアスさん。また寝ちゃったねー」
ぴぴーとスワロが鳴く。
だらしない、といいたげだ。スワロはネザアスに厳しいのである。
機械仕掛けの小鳥のスワロは、奈落のネザアスの
なので、スワロも、ちゃんとした魔女といえた。
黒騎士と魔女、魔女同士は、相性がよければ、その体内のナノマシンを通して精神的にもつながりやすい。スワロは機械だけれど、スワロの記憶などにも影響を受けることのあるフジコだった。その為か、スワロの薄めの感情変化も、フジコにはよく伝わる。
例えば、今、だらしないご主人に腹を立てていることなどが。
「まあまあ、スワロちゃん。ネザアスさんも、大変な体質なんだから」
許してあげて、とフジコはなだめてあげる。
夜型のネザアスは、いまだに昼間は眠くなる体質だ。
黒騎士としての性質で、敵対的な黒物質の
しかし、それとこれとは別で、元からの性質で昼は昼で眠たくなってぐうたら寝るので、スワロにはこれが怠惰に思えているらしかった。
ぴっ、と鳴いて、スワロがネザアスの頭に一発体当たりをかます。
「い、いてっ! な、なんだよー、気持ちよく寝てたのに!」
ネザアスは眉根を寄せて、もそもそ起き出す。スワロが叱るように鳴く。
「起きろって? あー、スワロは厳しいんだよな」
「スワロちゃんは、規則正しい生活が好きだものね」
ぴぴぴー、とスワロが鳴く。
「でも、いいじゃねえか。こんな、木漏れ日の下とか、いい昼寝場所だぞ。なあ、
「あははっ、そうだね」
フジコはどちらの立場もわかるので、曖昧に笑う。
「第一に、おれがここで寝落ちするてことは、基本的にこの周囲が平和だっつーことだ。泥の獣がいると、イラついて眠れないんだからな」
「それもそうだね。じゃあ、あたしも、しばらく歌う必要ないかな」
と、ネザアスが、不意に目を瞬かせた。
「歌う必要はないけど、良かったら、あの、乙女の歌歌ってくれよ」
「おとめのうた? なにそれ」
唐突に言われ、フジコはきょとんとする。
「よくお前が歌ってるやつ。なんだっけ? 恋せよーってやつ」
「あ、ゴンドラの唄、かな?」
「ゴンドラはどこにも出てこなかったけど、多分それ」
ネザアスは、今日は機嫌がいい。
「あれ、おれ、結構好きなんだよな。ここで、聴いたらいい感じだと思う。な、疲れてなかったら、一曲聴きたいぜ」
「良いけど、ここであたしの歌を聞くと、ネザアスさん、眠っちゃわない? 聴くと寝つき良くなるって」
「うーん、まあ、そうなんだけどよー」
ぴー、とスワロが叱るように唸る。
寝るのに都合のいい言い訳を作ろうとしている、と言いたいらしい。
「だ、だってしょうがねえじゃねえか。敵がいねえんだもん。気持ちいい環境で、気持ちよく昼寝したくなるだろ? たまには」
そんなことを言うネザアスに、フジコは苦笑する。
「スワロちゃん、仕方ないよ。こんなに気持ちがいい木陰なんだからね。緑の色もすごく綺麗で、涼しくて。皆でお昼寝しよう?」
フジコは、スワロよりネザアスに甘い。
「そうそう、スワロもたまには眠ればいいんだ。お前だって、多少、ウィスの歌、効いてると思うんだけどな」
ぴー、とスワロが仕方ないといわんばかりだ。
「それじゃ、歌うね」
さやさやと気持ち良い風が吹く。
葉を通した陽光が、淡く緑に世界を染める。
一曲終わる頃には、ネザアスはとっくに山の中だった。最終的に、大きな木の陰で並んでみんなで昼寝をした。
それは心地よくて、とても幸せな記憶だった。
*
目を覚まして、リビングにいくと花瓶に雑に綺麗な花がいけてあった。
「これは、ユーさんかな?」
一つ目の泥の獣ユーネは、綺麗なものが好きだ。花の活け方などはちょっと雑だが、時々、島の周りで花を摘んでくることがある。
口にくわえて、するるっと、這ってくるのは結構可愛い。
「いつモの歌ノお礼。おレ、何もナイし」
と彼は言う。
夜型の彼は、朝早く起きるというより、夜遅くに起き出して鳥に餌をやって朝帰りしてくる、ということがあるので、今日も帰り道に摘んできたのだろう。
帰ってきたら、ユーネはいつもの寝床、リビングのソファで寝ている。
「おはよう、ユーさん。もう朝……」
と言いかけて、ウィステリアはかたまった。
ソファに寝ているのは、見慣れた不定形の黒い体でなくて、フード付きのTシャツとオーバーオールを着た背の高い男の姿だ。
すやすや寝ているその顔には見覚えがある。右側は黒い色が残っているが、汚泥に汚染されて感染した時の後遺症くらいには見えて、そこまで不自然ではない。
ふと、その男が、ぱちと左目を開けた。
「あ! ウィス? おはヨう!」
ウィステリアを見ると、彼は満面の笑みを浮かべる。
「お、おはよ、ユーさん」
そうだった。今のユーネは、時々ヒトの姿になっている。しかも、あの奈落のネザアスの姿を模している。
(これは、っ、心臓に悪い)
奈落のネザアスが初恋の男であったウィステリアにとって、この状況は、むやみにどきどきしがちなものだ。
あの後、夕暮れが訪れる頃には、ユーネは元の不定形に戻れるようになっていた。
彼が夜型なのは、
しかし、それはそれとして、人間の姿にもなることができるようになった彼は、どちらの姿でウィステリアの前に現れるかわからない。彼のその時の気分と、なんとはない体の調子によって、ヒラムシだったり、人だったりする。
「ノワルにごハン、アゲよー」
相変わらず声こそ濁って歪みがあるが、見かけはほぼ普通の人間。ただ、あどけなさはユーネのそのままだから、表情がころころ変わるし、ネザアスのような虚無的でひねくれた感じがない。
(かわいい。けど、なんだか、罪悪感をかんじる)
ユーネはノワルに、強化兵士用エネルギーサプリメントをあげているが、ノワルは相変わらず金魚に似ていた。この間、ノワルはくらげのような姿になったが、その後はウィステリアの歌をきかせると金魚に戻り、以降は安定している。姿が変わっても、ユーネを認識しているのか、よく懐いていた。
灯台に火を入れて、それから、いつも通り歌を歌った後、ユーネと朝ごはんを食べる。本当は外で食べたいが、白騎士たちに目撃されると厄介なので、最近は室内で食べることが増えた。
ユーネとウィステリア。ノワルとジャック。それぞれ向かい合わせで食事をするのは、小さな家族感があって良い。
ウィステリアは里親が一時はいたから、そういう家族団欒みたいな光景が好ましく懐かしかった。
ユーネは、あれからどちらの姿でも人の食べ物を受け付ける。今日はパンをもぐもぐと食べていた。
「このぱン、ぱりパりするー」
「パリパリするのが売りだからね。ダメかしら?」
「ううン、ぱりぱり、楽しイ」
パンを食べながら、ユーネは楽しそうだ。泥の獣の時もそうだったが、ユーネの瞳には、この世界のたいていのことは綺麗で素晴らしく見えるらしいし、楽しく思えるらしい。
(今まで、ずっと海で戦うだけだったんだもんね)
そう考えると、ユーネにはもう少し人間的な幸せも味わってほしい。彼が元からヒトであったかどうかはわからないけれど。
ただ。
(オーバーオールとか、猫耳ついたパーカーとか、どうして、フリーサイズのやつ、可愛い感じの服しか残されてなかったんだろう)
ウィステリアはひっそり頭を抱える。
(似合ってるし、可愛い。だけど、なんていうか、初恋のひとと同じ顔のひと、しかも、相手は記憶喪失で何も知らないっていうのに、可愛い服を着せていることに後ろめたさがすごい!)
前の灯台守達の趣味に突っ込みたい。どうして、ろくな服が残されてないのかと。
せめて、地下に残されていた奈落のネザアスの私室に入ることができれば、彼の衣装を手に入れられるだろうけれど、あの部屋は彼の生体認証キーでしか開かない。となると、あの血文字のお守りをなくした今は、開けられないだろう。
まあ、ネザアスの衣装は、それはそれで、彼の特異なファッションセンスがよく効いているけれど。
「ウィス? ドした?」
「え? ぁあ、な、なんでもないのよ。ユーさん、今日も朝の散歩? お花ありがとうね」
「へへ。ウィス、花スキだろ? おレもすキー!」
ユーネはにこにこするが、ふと、うーんと唸る。
「散歩、コの姿だと、海ノなか、アマリうまく動けナイから、普段は戻ル。けど、今日、陸だっタからな。ヒトの姿のまま、散歩シタ」
「やっぱり、泳ぎにくいの?」
「そーだナ。でモ、明るイときあれデ動くト、アイツらにまた見つカルと、ウィスにめーわくダロ? でも、ニンゲンの、オれ、ホントは好きデない」
ユーネは、ちょっと自信なさげに眉根をひそめて、上目遣いになる。
「ウィス、最近、おレ、撫でなイし、ニンゲンの姿、アマリかこよくナイから、ホントは好きじゃナイけど」
「そ、そんな、こと、ないのよ! な、撫でないのは、えっと、その、人間の姿してると、ね。て、っ、照れが」
ウィステリアは、そんな指摘をされて慌てて答える。
「そ、それに、ユーさん、本当にカッコいいと思うの。だから、そんなふうに言わないで。いつもの姿もかわいくて素敵だし、今の姿も素敵よ。どっちも」
「そ、ソウ? ウィスが良イいうナラ、おレ嬉し」
機嫌を直したように、ユーネがニコリとする。
「今日ハ、なんかコッチのが落ち着く。んー、ヨクわかんないケド。デ、ソノな」
とユーネは笑いかける。
「ウィス、今日、出かケよ? オれ、良イとこ見つけタから、ウィスと行キたイ。ウィス、時間アル?」
「良いところ?」
きょとんとしたウィステリアにユーネが笑いかける。
*
「ユーさん、こんなトコ、迷わない?」
「大丈ブ、おレ、道ワカる!」
白いワンピースと白いつばのひろい帽子にサンダル。夏らしい服装で来たつもりが、ユーネに林の中に誘われた。
左手でウィステリアの手を引いて、ユーネは道を先導する。右側はネザアスとおなじで、右腕自体が再生されていないため、空っぽの袖が踊っている。
林の中、夏の強い陽光が緑に透けて。
木陰は涼しい空気が流れて、爽やかだ。
「ココ、涼しクて良イ。前、見つけテ、たまニ昼寝シテタ」
「確かに、お昼寝するのにいいわね。ここ。でも、この先って何があるの?」
「ソれハ、ヒミツ!」
ユーネが悪戯っぽく笑う。
「えっ、ユーさん」
「行コ! きょーは、ウィスをオれ、案内してアゲルぞ!」
「ま、待って! そんなに走れないの」
子供さながら走ろうとするユーネに、ウィステリアは足がもつれそうになる。
白いワンピースのスカートをひらめかせ、帽子を押さえながら、木影の道を駆けていく。
ふっと木々が途切れて、視界が開ける。そこは入江になっていた。といっても、ユーネが普段寝床にしていたところとは違う。
なだらかな坂道を降りると、白い砂浜。
近くに漁師小屋にしては大きめの小屋がある。少し岩場があるが、そこに古びた木の桟橋がある。まだ壊れていない。
そこに小舟がひっくり返されていた。木製に見えるが実際は強化樹脂製らしく、まだ朽ち果てていないようだ。
「ほら!」
驚くウィステリアに、ユーネが得意げに言った。
「ココ、舟あル」
「ほんとだ! この島は舟なんて一艘もないってきいてたのに」
舟がないのは、魔女の逃亡防止のためらしい。許可をとって外に買い物に出る時は、向かいの岸から船頭を呼ぶ必要があるのだ。
まあ、舟があっても、ウィステリアは逃げるつもりはないのだが。それでも、ないのとあるのとではなんとなく気分が違う。
何故か晴れやかになる。
「ここナー、泥のアイツら、イナイ。すてるすノやつも、すごーク気ツカッたけど、イナいの確認しタ。今日ハ、舟乗って遊べル」
ユーネが手をとって桟橋を進む。
「あ、危なくない?」
「大丈夫! 舟、壊レてないぞ!」
よいしょ、とユーネが足で器用に舟を海に落として浮かべる。下にオールが隠されていて、ユーネはそれを手にして先に舟に乗った。
「ウィス、はやク!」
「え、ええ!」
せかされて慌ててユーネの手をとったつもりが、うっかり踏み切る場所を間違えてしまう。
「きゃ」
なんとか舟に乗ったが、バランスが崩れて舟が揺れる。
「ウィス!」
と、ユーネが抱き止めるようにした。舟が大きく揺れて、二人は舟の中に倒れ込んだ。
「ウィス、大じょブ?」
「えっ、あ、だ、大丈夫!」
ユーネが下側になって受け止めてくれていた。ユーネの顔が近い。
ウィステリアはそれだけで思わず赤くなるが、ユーネは明るく笑った。
「あはハっ、びっくリしたナ!」
「も、もう、ユ、ユーさん!」
慌てて起き上がりつつ、ウィステリアはため息をつく。
(うう、この子、心臓に悪い)
舟は、ゆるやかに少し岸に沿って漕ぎ出される。
なだらかな黒い海、崖の上の木々に太陽が差し掛かって、緑の影を落とす。
こんなふうに心地よいのは、いつぶりだろうか。
「あのナ?」
そんな中、ふとユーネが尋ねた。
「ウィスは、オれ、このままノガ良イ思う?」
急に真面目な顔で、ほんのり寂しげに笑いつつユーネは尋ねる。
「えっ、いや、そのね」
そんな瞳で見つめられると、ウィステリアは弱い。いつものあどけないユーネと違い、そんな顔をされると、まるでネザアスと似てきてしまう。
赤面しつつ、ウィステリアは首を振る。
「う、ううん、ユーさんがね」
「ん」
「その、好きな方でいてくれるのが嬉しいかな」
「ソウか」
ユーネは曖昧に答える。どちらが好きな姿かは、彼は答えない。
「で、でも、たまにはこういうの、楽しいね」
真っ赤になったのを悟られないように、帽子を深く被ってウィステリアは言った。
「こういうのね、大人になってから、なかったから、楽しい。これは、ユーさん、今の姿になったからできることだものね」
「そーカ、それ、良かっタ!」
ユーネは柔らかく微笑む。
「おレ、ウィス喜んデるの見るの、好キ」
「あ、あのね、だから、あたしもなにかお礼できないかな?」
ウィステリアは言った。
「ろくなお礼できないけど、なにか好きな歌歌ってあげるわ。ユーさん、寝ちゃうかもしれないけれど、こんなに穏やかなら少しはいいかな?」
「ふふ、オれ、寝ててもアイツら、わかル。最近カン、鋭クなっタ。大丈夫」
「それは頼もしいわね。なに歌ってほしい?」
「んー、ソーだナー」
と、ユーネはちょっと考えて、目を細めた。
「アれ、乙女の歌ガいいな?」
「乙女の歌?」
ウィステリアが聞き返す。
ユーネは、頷いた。
「あレ、オれ、とても好キ」
なんとなく懐かしい感覚だ。けれど、その正体も出所もわからないまま。
ウィステリアは、微笑みを返す。
「ゴンドラの唄かな? いいわ、歌ってあげる」
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