5.獣の性(さが) —線香花火—-1
線香花火は、こう、なんだか少し切ない。
ちかちかと輝いて、じんわり弱って落ちていく。儚い生命の終わりみたいで。
なんだか、物悲しい。
「ウィスー、見ろ! しけってない花火セットだ! 凄いだろ!」
奈落のネザアスは花火が好きだ。
彼は可愛いものと綺麗なものが、無条件に好きだった。ファッションセンスはたまにおかしいが、とにかく、派手なものも好き。
花火は、彼の好きな要素が全て詰まっているらしい。
しかし、彼の言う通り、しけっていない花火セットは確かに貴重なのだった。特に文月のエリアは雨も多いため、保存状態の良くないものは湿気っていて使えない。
「あー、でも、ほとんど線香花火だな。あんまり、景気よくいかねえか」
「ネザアスさんは、線香花火嫌いなの?」
そう尋ねると、彼は見えている左目を瞬かせた。
「嫌いじゃねえんだけど、おれは派手なのが好きだからなあ」
そう言って、ネザアスが彼女の顔色をうかがうような素振りをした。
シャワーを浴びたあとのネザアスは、浴衣のような着物を着ている。涼しげだ。
「まあ、いいや。
「今から?」
「お、おう。花火、すると、元気になるだろ。なあ、スワロ」
ぴー、とスワロが鳴いて、そうするように勧めた。
けれど。
その時、フジコは、確かぎこちなく頷いたのだ。
あの時、何故彼は線香花火なんか勧めてきたのだろう。
その理由を、彼女は忘れている。
*
雨に追われて。
するりとウィステリアの住んでいる灯台守の宿舎に入り込むと、黒い泥の獣ユーネはちょっと困惑気味にきょろきょろした。
「中に入って」
「イイ?」
「ええ」
そろそろーと中に滑り込む。
ユーネは基本的には不定形。意識すれば手足らしきものが作れて、不完全に人に近い形になれるが、その姿はほぼ怪物と言ってよい異形だ。
ユーネはそんな醜い姿を恥じているから、めったとその姿にはならない。
それなもので、基本的にみかける彼の姿はウミウシやヒラムシのような不定形で、足もなくするすると動くものだ。見慣れるとこれはこれで可愛い気がする。
「ソファで休んでて。何か温かいもの持ってくるね」
と言ってから、はたと立ち止まる。
「ユーさん、お茶とか珈琲飲める?」
「こーひー?」
玄関で、ユーネが小首を傾げる。
「こーヒー? あんまリ、わからナイ」
「あとでちょっと試してみましょう。黒物質の強化兵士も珈琲は平気だって話だし、多分大丈夫」
「ア、ま、待っテ」
ウィステリアはそのままキッチンに向かってしまいそうで、慌ててユーネが止めた。
「あノ、おレ、濡れテる。足? は、ないケド、足……泥アルかラ」
「あら、そんなこと気にしないのに。でも気になるなら、このタオルで……」
と、ウィステリアはタオルを手にして玄関に戻ってきたが、ふと空気中のにおいをかいだ。
「あー、海の香りするわね」
「ん。おレ、海に棲んでるカラ」
「そういえばそうよね。すべすべしてるけど、ちょっと塩っぽかったりする?」
んー、とウィステリアは考えて、
「ユーさん、やっぱり先にお風呂入ろう?」
「ふろ?」
ユーネは大きな目をぱちくりさせる。
*
ユーネはお湯を溜めたバスタブにつけられつつ、頭から温かいシャワーを浴びせられていた。
ウィステリア愛用の香りの良いボディソープをわさわさ泡立てられ、黒いユーネの体は真っ白な泡に包まれていた。
ユーネがちょっと怯えてみじろぎする。
「なんカ、泡、スゴい。コレ、大丈夫?」
「大丈夫よ。多分優しい成分のボディソープだし、ユーさんにも害はないから。ピリピリしない?」
「しナイ」
「じゃあ大丈夫だと思うわ」
「ソレならヨイかなア……」
良いのかな、とぽそりとつぶやくのは、ウィステリアには聞かれない。
「香リ、ハ、ヨイけド」
とつぶやいてから、ふとユーネは目を細める。
「これはね、バニラの香りだから、ユーさんにはちょっと甘すぎるかなあ」
「あまイ? アマいの、こういうノいう?」
「そうね。ふんわりお菓子の香りでしょ」
「そうカ、コレがあまイてやつ?」
ふーむ、とうなり、ユーネはそれはそれで気持ちよくなってきたのか、されるままに泡に包まれている。そのあとで丁寧にあたたかいシャワーをかけられ、ふわふわの白いバスタオルで包まれる。
ユーネが身じろぎして、ふるふると水滴を落とす。
(なんだか、子猫ひろってきたみたい)
ウィステリアはそんなことを考えて苦笑する。
まあ、彼は子猫というにはあまりにもでかすぎる。一つ目のメンダコみたいだが、見慣れると結構可愛い。頭から垂れ下がる突起みたいなのも猫の耳みたいだ。
「温まった?」
「あたタ? たぶン、アタタマッタ」
ユーネはちょっとぼんやりしながら、まだバスタオルを頭にのせたままリビングに戻ってきた。
言われるままにソファにひょこんと上がる。
「ここ、フわフワすル」
「いいでしょ。ソファは通販したのよ。前の、ガタガタで。誰を呼ぶわけじゃないけど」
と、ウィステリアの足元に黒い蛇のようなものがふわっと現れていた。
「ナニ?」
ユーネが思わず警戒する。
「あ、ごめんなさいね。この子はあたしが作ったペットなの。黒物質でできているけれど、汚染されていないから大丈夫。ジャックっていうのよ」
そいつは床をはいながら、くるりと頭をもたげた。といっても、ユーネよりもかなり簡単なつくりらしく、目や口のようなものはない。まるで蛇の影法師みたいなやつだ。
「ジャック、挨拶して」
ひょこんとジャックが頭を下げる。そして、それからするっと部屋を這い、奥に行く。
それをユーネはじーっとみおくる。
「はい。これ。珈琲ね」
「こーヒー?」
「あ、でも、大丈夫かしら。ユーさんは、人間の食べ物や飲み物、要らないっていってたけど、大丈夫?」
急に不安になって、ウィステリアが慌てて尋ねる。
「タブん。おレ、普段はアマり食べなイけど、タマにサカナ食ウ。珈琲は、キョーミある」
「じゃあ大丈夫かな。こら、砂糖、あまいやつね。欲しかったら入れて」
じーっと砂糖を見た後、とりあえず入れずにユーネは珈琲を啜ってみる。
「コレ、温カ! 香りも良イ」
「気に入ってくれた?」
ん、とユーネは頷く。
「でもあまりたくさん飲むと眠れないかもよ。カフェインが貴方達にどれだけ効くかわからないけど」
「かふぇインはなんカわかる。そうか。でも、おレ、寝る必要なイからナー」
ユーネは呑気にバスタオルを被ったまま、珈琲を飲んでいる。
再びジャックが部屋に戻ってきていた。
「あら、ジャック。なに、それ」
ジャックは何かの袋をくわえていた。
索敵用に作ったジャックは、探索も好きだ。灯台守用の倉庫や部屋から、前任者達の私物などを発掘してくることがある。
今日のは古びたビニールの袋の中に小さい長いものが入っていた。
「線香花火じゃない。どこにあったの? 倉庫かしら?」
「ハナビ?」
ユーネが目を輝かせる。
「花火、知ってル。ひュー、どかーンてやつ。キレいだよナ!」
「まあ、これは線香花火だから、手持ちだし、もっと地味だけれどね」
「線コウハナび? 見タことアルかも? ちかちかするヤツ?」
ユーネは、ぱちぱちと大きな目を瞬いた。
「そうね。湿気てなければ、今度一緒にやりましょう」
ジャックは、ウィステリアの反応を確認すると、再びすーっと行ってしまう。
それを見てユーネはうなった。
「じゃっク? モシかして、オれとおなじ?」
「素材はそうかもしれないわね。でも、あの子はあたしがつくったものだから、そんなに複雑じゃなくて。もっとちゃんとできたら、お話相手になってくれたんでしょうけれど」
「ソうか」
ユーネはバスタオルのかげで、ほんの少しうつむく。
「ウィスは、ココ、ひとり? サみしイか?」
「ううん。今はユーさんがいるから平気。ユーさんは?」
「海の中、おレと同じノたくさん。皆、テキだけど、暇はシナイ。だかラ、サミシいとか考えタことナかっタ」
ふむとユーネはうなずく。
それからちょっとだけ躊躇って、
「ウィス、オれといると寂しくなイ?」
「うん。ユーさんが来てくれてから、寂しくないよ」
「そうか」
じーっとユーネは、ウィステリアを見上げてから、
「ウィスが良イなら、おレ、毎日来ル。迷惑デなかッたら……」
「迷惑なはずがないわ。ここは人はあたししか住んでない。一人しかいないと思っていたから、ユーさんが来てくれるの、本当に嬉しいの」
そう言われてちょっと照れたように黙り込み、ユーネが誤魔化すようにいう。
「ココ、一人いるノ本当ハ危なイ。おレ、ウィスを守っテヤロウと思っテ」
「ふふ、嬉しいわ」
「本当だゾ」
ウィステリアの軽い口調に、ユーネがむきになって言う。
「本当、オれ、ウィスノこと守ル」
何故だろう。
その声に聞き覚えがあるような気がして、ウィステリアはどきりとする。こんなガサガサで壊れて潰れた濁った声なのに。
「あ、ありがとう」
動揺したのを悟られないようにそう言うと、ユーネは安心したように目を細めて、珈琲を啜りはじめた。
外はまだ、雨が降っている。
しとしと。
よく降る雨。
ぽたぽた。
雨漏りの音がする。直さなきゃ。
ウィステリアは雨がさほど嫌いではない。
雨の日は、奈落のネザアスの気配を思い出す。悲しいけれど、ウィステリアにとっては特別に温かな記憶でもある。
ふと珈琲を飲んだユーネが、バスタオルの下でとろけそうになっていた。
「どうしたの?」
「なんカ、ねむい……。珈琲、かふぇイン入ってる。眠くならなイて聞いたノニ」
一つの目をしぱしぱしながら、ユーネは不定形の体をだるーんと崩す。
「なんカな、ウィスの声、きくとおレ、眠くナル。イツモ」
「あたしの声は、ちょっとした鎮静効果があるからね」
「んー」
ユーネは、左側のひらひらした部分で目をこする。
「でモ、帰ラなイト。夜ニなルカラ」
「外、まだ雨が降ってるわ。それに眠いのに出て行くの危ないもの。休んで行って」
ウィステリアは、バスタオルをはいで毛布をかけてやる。
「もう、今日泊まっていったら?」
「デモ、おレ、ばけものダシ、いるとめーわく」
「気にしないわ、そんなこと。ね」
毛布をかけてやると、ユーネはいよいよ目がもたなくなった。どうしても目を閉じてしまうらしく、薄目を開ける。
「ウィスは優しイな。デモ、優シいと、アイツらに狙ワレる。オれ、だかラ、ウィスノコト守ッて……」
話しかけてそのままユーネは、ふわっと寝てしまう。安らかな寝息が聞こえてきた。
「そっか」
ウィステリアはぽつんと呟く。
「今まで、ずっと敵だらけの海にいたんだものね。こんなふうに、安心して寝られなかったのかな」
彼は寂しく感じることがなかったと言っていたが、それは裏を返せばそんな時間もなかったということだ。常に闘争に身を置いていただけのことだ。
いつのまにか足元にやってきていたジャックをなでやりつつ、ウィステリアはユーネを見た。
「本当に、不思議ね。貴方」
ウィステリアはそっと毛布を深くかけてやると、ため息をついた。
「全然似てないのに、ネザアスさんのこと、思い出すわ」
雨の中、彼の声を思い出す。
『あいつらの気配があるとな、神経が昂って眠れねえんだよ。おれたちは、本能的にあいつらに殺意を抱くように造られている』
その声の主も、敵地同然の奈落では、夜も安眠できずにいた。
彼はそれが当然なので、別に不満も抱いていなかったけれど。その代わり、それ対する攻撃性が、彼にとってかなりの部分を占めていた。
『心を鎮めるお前の声を聞かなければ、おれは夜に眠れない』
ユーネも、似たようなものなのかもしれない。
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