5.獣の性(さが) —線香花火—-1


 線香花火は、こう、なんだか少し切ない。

 ちかちかと輝いて、じんわり弱って落ちていく。儚い生命の終わりみたいで。

 なんだか、物悲しい。


「ウィスー、見ろ! しけってない花火セットだ! 凄いだろ!」

 奈落のネザアスは花火が好きだ。

 彼は可愛いものと綺麗なものが、無条件に好きだった。ファッションセンスはたまにおかしいが、とにかく、派手なものも好き。

 花火は、彼の好きな要素が全て詰まっているらしい。

 しかし、彼の言う通り、しけっていない花火セットは確かに貴重なのだった。特に文月のエリアは雨も多いため、保存状態の良くないものは湿気っていて使えない。

「あー、でも、ほとんど線香花火だな。あんまり、景気よくいかねえか」

「ネザアスさんは、線香花火嫌いなの?」

 そう尋ねると、彼は見えている左目を瞬かせた。

「嫌いじゃねえんだけど、おれは派手なのが好きだからなあ」

 そう言って、ネザアスが彼女の顔色をうかがうような素振りをした。

 シャワーを浴びたあとのネザアスは、浴衣のような着物を着ている。涼しげだ。

「まあ、いいや。お嬢レディ花火しようぜ?」

「今から?」

「お、おう。花火、すると、元気になるだろ。なあ、スワロ」

 ぴー、とスワロが鳴いて、そうするように勧めた。

 けれど。

 その時、フジコは、確かぎこちなく頷いたのだ。

 あの時、何故彼は線香花火なんか勧めてきたのだろう。

 その理由を、彼女は忘れている。




 雨に追われて。

 するりとウィステリアの住んでいる灯台守の宿舎に入り込むと、黒い泥の獣ユーネはちょっと困惑気味にきょろきょろした。

「中に入って」

「イイ?」

「ええ」

 そろそろーと中に滑り込む。

 ユーネは基本的には不定形。意識すれば手足らしきものが作れて、不完全に人に近い形になれるが、その姿はほぼ怪物と言ってよい異形だ。

 ユーネはそんな醜い姿を恥じているから、めったとその姿にはならない。

 それなもので、基本的にみかける彼の姿はウミウシやヒラムシのような不定形で、足もなくするすると動くものだ。見慣れるとこれはこれで可愛い気がする。

「ソファで休んでて。何か温かいもの持ってくるね」

 と言ってから、はたと立ち止まる。

「ユーさん、お茶とか珈琲飲める?」

「こーひー?」

 玄関で、ユーネが小首を傾げる。

「こーヒー? あんまリ、わからナイ」

「あとでちょっと試してみましょう。黒物質の強化兵士も珈琲は平気だって話だし、多分大丈夫」

「ア、ま、待っテ」

 ウィステリアはそのままキッチンに向かってしまいそうで、慌ててユーネが止めた。

「あノ、おレ、濡れテる。足? は、ないケド、足……泥アルかラ」

「あら、そんなこと気にしないのに。でも気になるなら、このタオルで……」

 と、ウィステリアはタオルを手にして玄関に戻ってきたが、ふと空気中のにおいをかいだ。

「あー、海の香りするわね」

「ん。おレ、海に棲んでるカラ」

「そういえばそうよね。すべすべしてるけど、ちょっと塩っぽかったりする?」

 んー、とウィステリアは考えて、

「ユーさん、やっぱり先にお風呂入ろう?」

「ふろ?」

 ユーネは大きな目をぱちくりさせる。



 ユーネはお湯を溜めたバスタブにつけられつつ、頭から温かいシャワーを浴びせられていた。

 ウィステリア愛用の香りの良いボディソープをわさわさ泡立てられ、黒いユーネの体は真っ白な泡に包まれていた。

 ユーネがちょっと怯えてみじろぎする。

「なんカ、泡、スゴい。コレ、大丈夫?」

「大丈夫よ。多分優しい成分のボディソープだし、ユーさんにも害はないから。ピリピリしない?」

「しナイ」

「じゃあ大丈夫だと思うわ」

「ソレならヨイかなア……」

 良いのかな、とぽそりとつぶやくのは、ウィステリアには聞かれない。

「香リ、ハ、ヨイけド」

 とつぶやいてから、ふとユーネは目を細める。

「これはね、バニラの香りだから、ユーさんにはちょっと甘すぎるかなあ」

「あまイ? アマいの、こういうノいう?」

「そうね。ふんわりお菓子の香りでしょ」

「そうカ、コレがあまイてやつ?」

 ふーむ、とうなり、ユーネはそれはそれで気持ちよくなってきたのか、されるままに泡に包まれている。そのあとで丁寧にあたたかいシャワーをかけられ、ふわふわの白いバスタオルで包まれる。

 ユーネが身じろぎして、ふるふると水滴を落とす。

(なんだか、子猫ひろってきたみたい)

 ウィステリアはそんなことを考えて苦笑する。

 まあ、彼は子猫というにはあまりにもでかすぎる。一つ目のメンダコみたいだが、見慣れると結構可愛い。頭から垂れ下がる突起みたいなのも猫の耳みたいだ。

「温まった?」

「あたタ? たぶン、アタタマッタ」

 ユーネはちょっとぼんやりしながら、まだバスタオルを頭にのせたままリビングに戻ってきた。

 言われるままにソファにひょこんと上がる。

「ここ、フわフワすル」

「いいでしょ。ソファは通販したのよ。前の、ガタガタで。誰を呼ぶわけじゃないけど」

 と、ウィステリアの足元に黒い蛇のようなものがふわっと現れていた。

「ナニ?」

 ユーネが思わず警戒する。

「あ、ごめんなさいね。この子はあたしが作ったペットなの。黒物質でできているけれど、汚染されていないから大丈夫。ジャックっていうのよ」

 そいつは床をはいながら、くるりと頭をもたげた。といっても、ユーネよりもかなり簡単なつくりらしく、目や口のようなものはない。まるで蛇の影法師みたいなやつだ。

「ジャック、挨拶して」

 ひょこんとジャックが頭を下げる。そして、それからするっと部屋を這い、奥に行く。

 それをユーネはじーっとみおくる。

「はい。これ。珈琲ね」

「こーヒー?」

「あ、でも、大丈夫かしら。ユーさんは、人間の食べ物や飲み物、要らないっていってたけど、大丈夫?」

 急に不安になって、ウィステリアが慌てて尋ねる。

「タブん。おレ、普段はアマり食べなイけど、タマにサカナ食ウ。珈琲は、キョーミある」

「じゃあ大丈夫かな。こら、砂糖、あまいやつね。欲しかったら入れて」

 じーっと砂糖を見た後、とりあえず入れずにユーネは珈琲を啜ってみる。

「コレ、温カ! 香りも良イ」

「気に入ってくれた?」

 ん、とユーネは頷く。

「でもあまりたくさん飲むと眠れないかもよ。カフェインが貴方達にどれだけ効くかわからないけど」

「かふぇインはなんカわかる。そうか。でも、おレ、寝る必要なイからナー」

 ユーネは呑気にバスタオルを被ったまま、珈琲を飲んでいる。

 再びジャックが部屋に戻ってきていた。

「あら、ジャック。なに、それ」

 ジャックは何かの袋をくわえていた。

 索敵用に作ったジャックは、探索も好きだ。灯台守用の倉庫や部屋から、前任者達の私物などを発掘してくることがある。

 今日のは古びたビニールの袋の中に小さい長いものが入っていた。

「線香花火じゃない。どこにあったの? 倉庫かしら?」

「ハナビ?」

 ユーネが目を輝かせる。

「花火、知ってル。ひュー、どかーンてやつ。キレいだよナ!」

「まあ、これは線香花火だから、手持ちだし、もっと地味だけれどね」

「線コウハナび? 見タことアルかも? ちかちかするヤツ?」

 ユーネは、ぱちぱちと大きな目を瞬いた。

「そうね。湿気てなければ、今度一緒にやりましょう」

 ジャックは、ウィステリアの反応を確認すると、再びすーっと行ってしまう。

 それを見てユーネはうなった。

「じゃっク? モシかして、オれとおなじ?」

「素材はそうかもしれないわね。でも、あの子はあたしがつくったものだから、そんなに複雑じゃなくて。もっとちゃんとできたら、お話相手になってくれたんでしょうけれど」

「ソうか」

 ユーネはバスタオルのかげで、ほんの少しうつむく。

「ウィスは、ココ、ひとり? サみしイか?」

「ううん。今はユーさんがいるから平気。ユーさんは?」

「海の中、おレと同じノたくさん。皆、テキだけど、暇はシナイ。だかラ、サミシいとか考えタことナかっタ」

 ふむとユーネはうなずく。

 それからちょっとだけ躊躇って、

「ウィス、オれといると寂しくなイ?」

「うん。ユーさんが来てくれてから、寂しくないよ」

「そうか」

 じーっとユーネは、ウィステリアを見上げてから、

「ウィスが良イなら、おレ、毎日来ル。迷惑デなかッたら……」

「迷惑なはずがないわ。ここは人はあたししか住んでない。一人しかいないと思っていたから、ユーさんが来てくれるの、本当に嬉しいの」

 そう言われてちょっと照れたように黙り込み、ユーネが誤魔化すようにいう。

「ココ、一人いるノ本当ハ危なイ。おレ、ウィスを守っテヤロウと思っテ」

「ふふ、嬉しいわ」

「本当だゾ」

 ウィステリアの軽い口調に、ユーネがむきになって言う。

「本当、オれ、ウィスノこと守ル」

 何故だろう。

 その声に聞き覚えがあるような気がして、ウィステリアはどきりとする。こんなガサガサで壊れて潰れた濁った声なのに。

「あ、ありがとう」

 動揺したのを悟られないようにそう言うと、ユーネは安心したように目を細めて、珈琲を啜りはじめた。

 外はまだ、雨が降っている。

 しとしと。

 よく降る雨。

 ぽたぽた。

 雨漏りの音がする。直さなきゃ。

 ウィステリアは雨がさほど嫌いではない。

 雨の日は、奈落のネザアスの気配を思い出す。悲しいけれど、ウィステリアにとっては特別に温かな記憶でもある。

 ふと珈琲を飲んだユーネが、バスタオルの下でとろけそうになっていた。

「どうしたの?」

「なんカ、ねむい……。珈琲、かふぇイン入ってる。眠くならなイて聞いたノニ」

 一つの目をしぱしぱしながら、ユーネは不定形の体をだるーんと崩す。

「なんカな、ウィスの声、きくとおレ、眠くナル。イツモ」

「あたしの声は、ちょっとした鎮静効果があるからね」

「んー」

 ユーネは、左側のひらひらした部分で目をこする。

「でモ、帰ラなイト。夜ニなルカラ」

「外、まだ雨が降ってるわ。それに眠いのに出て行くの危ないもの。休んで行って」

 ウィステリアは、バスタオルをはいで毛布をかけてやる。

「もう、今日泊まっていったら?」

「デモ、おレ、ばけものダシ、いるとめーわく」

「気にしないわ、そんなこと。ね」

 毛布をかけてやると、ユーネはいよいよ目がもたなくなった。どうしても目を閉じてしまうらしく、薄目を開ける。

「ウィスは優しイな。デモ、優シいと、アイツらに狙ワレる。オれ、だかラ、ウィスノコト守ッて……」

 話しかけてそのままユーネは、ふわっと寝てしまう。安らかな寝息が聞こえてきた。

「そっか」

 ウィステリアはぽつんと呟く。

「今まで、ずっと敵だらけの海にいたんだものね。こんなふうに、安心して寝られなかったのかな」

 彼は寂しく感じることがなかったと言っていたが、それは裏を返せばそんな時間もなかったということだ。常に闘争に身を置いていただけのことだ。

 いつのまにか足元にやってきていたジャックをなでやりつつ、ウィステリアはユーネを見た。

「本当に、不思議ね。貴方」

 ウィステリアはそっと毛布を深くかけてやると、ため息をついた。

「全然似てないのに、ネザアスさんのこと、思い出すわ」

 雨の中、彼の声を思い出す。

『あいつらの気配があるとな、神経が昂って眠れねえんだよ。おれたちは、本能的にあいつらに殺意を抱くように造られている』

 その声の主も、敵地同然の奈落では、夜も安眠できずにいた。

 彼はそれが当然なので、別に不満も抱いていなかったけれど。その代わり、それ対する攻撃性が、彼にとってかなりの部分を占めていた。

『心を鎮めるお前の声を聞かなければ、おれは夜に眠れない』

 ユーネも、似たようなものなのかもしれない。


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