2.出目金と流行歌 —金魚—

お嬢レディ、金魚掬いやらねえか?」

 フジコが派遣されたテーマパーク奈落は、花札に沿ってつくられた十二の月のエリアが存在した。

 ウィステリアが魔女見習いの少女、フジコ09だったころ、すでにそこは広大な遊園地廃墟になっていた。しかし、まだエリアのシステムは生きていた。

「金魚掬い?」

 あれは文月のエリアを渡っていた時の話。

 師走のエリアにある管理センターの暴走を止めるため、彼等は霜月エリアから師走エリアに向かうことにしていた。だが、師走エリアのゲートが激しく汚染されていた為、霜月から睦月まで逆走し、遠回りで師走に向かうことになったのだ。

 遠回りなので時間はかかったが、それだけに各エリアのいろいろなものが楽しめる。

 そして、ここは文月。夏のエリアは祭の様子が再現されているものが残っていることがあるので、ネザアスもなにかと楽しそうだった。

 派手な着物をきた奈落のネザアスは、左手でポイを弄んでニヤニヤしている。

 姿は渋めの大人なネザアスだが、フルタイプということもあってか、人間になりたてのようなところが少なからずあって、それがためにちょっと子供っぽい部分がある。

「そうだぜ。金魚掬いだ。葉月のエリアの縁日コーナーの金魚んとこは壊れてたからなっ! ここの施設は動いてるから、金魚、たくさんすくえるぜ!」

「ネザアスさん、気合十分だね」

 彼女が苦笑するのを受けて、ネザアスの肩の小鳥がぴぴーと鳴く。

「なんだよ、スワロ。夏祭りといえば、金魚掬いだろ。スーパーボールでもいいけどよっ! 金魚は生きもんだから、ナラクじゃ珍しいんだ」

「生き物? ねえ、金魚、昔からいるやつなの?」

 ここは汚染された奈落だ。生き物がいるとは思えない。逆に生き物なら、なんだか危ない気配がする。

「あー、リアルなやつなー。そういうのもいないわけじゃないぜ。あいつら人間よか丈夫だし。ただ、そういうのは大抵巨大化してるつーか、掬えねえから」

 ネザアスが不穏なことを呟く。

「でも、今回掬うのは、まあそういうリアルな生きもんじゃねーんだよ。でも、多分、水槽に入れると涼やかで和むと思う」

 とネザアスがニヤリとした。いわゆるドヤ顔だ。

「まー、ウィスに俺のすげえ金魚掬いテクを見せてやろうって話だぜ。伊達に黄金の左腕とか呼ばれてねえって話よ!」

(それ、そういう理由で、呼ばれてるんだ)

 ネザアスは凄腕の剣士なんだから、そこで誇っていればいいのに。



「んー、こレ、キンギョ? だっタか」

 入江の洞穴で昨夜仕留めた泥の獣から取ったコアを割って、彼は中のエネルギーを啜りつつ、潮溜まりを見る。

 泥の獣の残滓ではなさそうだが、例の汚泥の小さな塊が、魚の形になってくるくる回っている。

 どうも獲物の獣に食われていた側の小さな泥が、彼にくっついてきていたようだ。これほど小さいとあまりにも弱い。それに、"悪意"に染まっていないせいか襲っても来ない。

 その魚の形がなんだったか考えて、彼はようやく金魚というのを思い出す。

 黒くて丸い魚の形のそれがすいすい泳ぐのは、出目金の黒いやつに似ている。いつの誰の記憶がわからないが、うっすら覚えていた。

 彼は目を細めた。

「コレ、ちょと可愛イ」

 彼は可愛いものに目がない。自分が醜いと思う分、可愛いものに弱いのだ。

「オ前、可愛いカラ飼ってヤル。今日、水槽サガしに行コうナ」


 その黒い海に張り出した島の灯台の近くに、彼は住み着いていた。

 彼は、一つ目の黒い泥の体をした怪物だった。その体は不定形で、いつもはウミウシやヒラムシのようにふわふわしている。形を簡単に変えられるが、元の姿は自分でもわからない。

 黒く不定形の体をした彼は、魚のような姿になることができ、快適に海の中を泳ぐことができた。

 自分がいつからどうしてここにいるかはわからないが、温く黒く澱んだ海には、彼のように不定形な黒い泥の怪物がたくさんいたので、特に疑問には思わなかったのだ。

 海の中は弱肉強食の世界。

 強くなければ、相手に食われる。彼は直接彼らを食うことはないが、彼らを駆逐すればその核からエネルギーを得られるのだ。

 噛み砕いて飲んでしまうと、なんだかアルコールのような味わい。……彼がいつアルコールを嗜んだのかも自分ではわからないが、感覚はそうなのだった。

 彼は動きも早く強い存在だった。難なく挑戦者を退け、勝ち続けていた。彼の左腕らしき場所には、刃が埋まっていて、それを使うことができた。ここは強くさえあれば、自由なのだった。そして強いものは弱いものを淘汰して、その力を得られる。

 彼にとっては、そうした弱肉強食のルールすら、わかりやすくて心地よかった。

 かつて灯台の島の周りには、不思議な毒が流れていた。彼らを溶かしてしまう恐ろしい毒だが、薄まっていれば彼にはさほど影響はない。

 彼はそれで入江を根城にした。

 温かな入江で昼寝をして、それから、少し周りを巡って、敵に出会い争って、勝ってコアを取って、エネルギーをちょっとだけ食べて、気持ちよく寝る。

 そんな生活。

 悠々自適で、穏やかで、なおかつちょっと刺激があって、なんていい生活なんだろう!

 ああ、幸せ!

 と彼はご満悦だった。

 他にも楽しいことはある。

 朝日がのぼってしばらくしたころには、小鳥がたくさん来る。陸に上がって、森に生えている木の実を集めておいて、じっとすると小鳥が集まってくる。

 水槽を探しにいく道すがら、彼は今日も小鳥の餌場に寄り道した。

「今日モ、おまエたち、元気だナ」

 彼は近づいてくる小鳥達に、餌付けをする。小鳥も彼を脅威と見做していないらしく、頭の上に乗ってくるのもいる。

 小鳥は好きだ。彼は可愛いものに目がない。

 そして、昔、小鳥を飼っていた……気がする。多分彼は小鳥を可愛がっていた。

 ただし。

 その記憶の元。

 一体、なぜ自分にそんな感覚があるのか、それが彼にはわからない。わからないことに気づいてしまうと、彼は、ついはたと考え込んでしまうのだが、記憶は戻ってこないのだ。もやもやしてしまう。

「やはリ、思い出セないな……」

 しゅんと彼は首を垂れる。なんだかそのことを考えると、もどかしい気持ちになるのだった。

「マ、いい。お前タチは、おレと違ってカワいイからナ。お前タチ、みルの楽しイ」

 彼は可愛いものが好きだ。綺麗なものも好きだ。

 それらを見ていると、気持ちが安らぐ気がする。

 鳥は彼の姿も、潰れて濁った声も怖がらない。時々、昼寝していると、岩と間違えて乗ってくることもある。ぴいぴい鳴くのもかわいい。

 それは、あの泥の金魚もそうだった。

「あいツ、黒イからノワルって名前ニしよ」

 彼は上機嫌で、水槽を探しに出かける。

 島の入江に程近い場所にはいくつか廃墟があった。ここには元々、数名の灯台守が派遣されていたらしく、建物の跡は多い。

 その建物の中を探ると、難なく水槽が見つかった。入江に近いので、魚の養殖実験でもしていたらしく、彼はここに水槽があるのを知っていた。

 彼は手頃な水槽を失敬して持ち帰ると、早速、泥の金魚をうつしてみた。

 金魚は、狭い水槽でかえって安心したように泳ぎ始める。弱く小さなそれは、多分海の中では気が休まることもなかったのだろう。喜んでいるようだ。

 エネルギーの残りをやると、それをつつき、彼に懐いて近寄ってくる。

「ふふ、可愛イなー」

 彼は不定形の体を揺らしつつ、一つだけの大きな目を細めた。

 と、その時、どこからか女の歌声が聞こえてきた。澄んだ綺麗な伸びやかな声だ。

「あ、朝の時間ダ。行かナきゃ。ノワル、待っテて」

 彼は慌てて桟橋の方にそっと近づいた。



「おはよう、ネザアスさん、スワロちゃん」

 灯台守のウヅキの魔女、ウヅキ・ウィステリアは、写真立ての古い写真に挨拶をする。

そこにはまだ幼い頃の彼女と、彼女がまだこの周辺が奈落と呼ばれていたころ、とある任務で旅をした長身痩躯の男の姿がある。

 黒騎士奈落のネザアスと名乗っていたその男の肩には、機械仕掛けの小鳥が乗っていた。

 そんな彼らはもうこの世にはいないけれど、ウィステリアにとって彼等は特別な存在だった。

 浄化の魔女は孤独だ。特にウィステリアのような上位の魔女は。

 十二人いた魔女も今や排斥の対象となり、その半数は空席である。ウィステリアは、いつも首にかけている奈落のネザアスからもらったペンダントと、その魔女の力でとりあえず身の安全を確保されていたが、それがゆえにこんな島に流されてきた。

 そして、この島に来てから手にしたこの写真に、ウィステリアは毎日挨拶をするようになった。

「今日はいい天気よ」

 この島は、彼がかつて住んでいた場所だ。今でも残された彼の息吹を感じられる。ここにいると、時折、彼の夢を見る。

「今日もね、昔の夢を見たの。ネザアスさんが、金魚掬ってくれたときの! あの金魚、作り物だったけど、ネザアスさんバケツに何杯も掬えてたね。でも、なんだか、異常に増えすぎてて困ってた。最終的に気持ち悪いって」

 家族も仲間もおらず、この孤島でひとり灯台の火を守るようになった彼女にとって、初恋のひとである黒騎士ネザアスは心の支えのようなものだ。魔女として生きる彼女に、おおよそ人並みの幸福は担保されない。

「また、あの時に戻れたらなぁ」

 そっと愛おしげに写真に触れる。

「行ってくるね。ネザアスさん」

そう言って、彼女は出ていく。扉を開けようとした時、不意に声が聞こえた気がした。

 ——今日も気をつけて行けよ。お嬢レディ

 幻聴だ。気のせいに過ぎない。そんなふうに思いつつ、ほんの少し寂しげに笑って、ウィステリアはそっと胸元のペンダントを握る。

 そのまま外に出たところで、不意に通信が入った。

 ウィステリアは通信端末を取り出す。映像は送られて来ず、声だけが聞こえた。

『ウヅキ・ウィステリア。おはようございます』

「ええ。おはようございます。グリシネ」

 グリシネは、中央局で魔女の管理をしている女性だ。綺麗なひとだが厳しく事務的で、魔女たちの評判はあまり良くない。その通信もとても事務的だ。

 ウィステリアもそんなに怒られもしていないが、別に可愛がられてもいない。

『島の周辺に囚人プリズナーの反応が多数あるようです』

 囚人というのは、あの泥の獣の新しい呼び名だ。中央局で正式名称になったらしい。

『先日も、近隣基地駐在の白騎士の隊長格を含む数名が、行方不明になりました』

「そうなの? おかしいわね。あたしの歌は効果があるはずだけれど。島から見える範囲では海だっておとなしいものよ」

『しかし、事実、囚人プリズナーの活性化が見られます。もっと重点的に彼等を抑えるよう努力してください』

 お前の歌なんて全く効いていないと言われている気がして、ウィステリアは少しムッとする。

「ええ、わかったわ」

 そう答えると、事務的なグリシネからの通信は一方的に切られる。一息ついて、彼女はため息をついた。

「あたしから見る海は、平穏なのにな」


 灯台で火を扱うときは、魔女の制定の衣装を着ることになっている。特に意味はないのだが、ある種のルーティンであって、気持ちも引き締まるので別に嫌いではない。

 それに衣装もまずまず洒落ている。

 それにしても、上層アストラルの管理局はやたらと合理的だが、妙なところで儀礼的なものに縛られるものだった。

 灯台守の魔女が火を扱うのは、朝と夕方の二回。

 朝には灯台の火を一度消して、燃料を足す。この灯台があるのは、単に泥の獣を避けるためだ。彼らは夜間に活動が活発化するきらいがあるので、夜は必ず火を入れる。昼は天候に従って、天気の悪い時は弱めに火を残し、晴れた日は消す。燃料も特殊なもので、あまり無駄にはできないのだ。

 ここには船着場はあるけれど、脱出用の船はない。物資が足りなければ、彼女から連絡して持ってきてもらうか、島を出る申請後に船守に頼んで乗せて連れていってもらわないといけないが、時間がかかるのだった。

 ともあれ、調整が終わると彼女は桟橋に向かい、一、二曲歌を歌う。

 別に歌はなんでも良い。彼女の声には、黒物質ブラック・マテリアルを鎮静させる周波数が含まれている。

 しかし、なるべく癒される曲の方がいいようだ。昔のテーマパーク奈落での冒険で、彼女は、彼らを鎮めるのには彼らを癒すことが効果的とわかっていた。

 ただ、これもどうしても合わない相手もいる。あらかじめその周波数に耐性のある泥の獣は、それでかえって刺激してしまうらしい。となると厄介で、逆上して襲いかかってくることもある。そういう相手は概して強いので、気をつけなければならなかった。

 今日は昔の流行歌をひとつ。

 伴奏もなくアカペラ。誰も聴いている気配もないが、泡立つ海がほんの少しだけ静かになった気がした。

(まあ、ここで歌うのは、ネザアスさんのためもあるんだもの)

 誰も聴いていない中歌うのは、寂しくないわけではないけれど、時々はおれのために歌ってくれ、と言っていた彼のことを思い出すと、この生活もまんざらではなかった。

 やはり、ここは、彼の気配が残っている。

「なんでかしらね。本当に」

 ウィステリアはぽつりと呟く。

「どうしてか、あの人が聴いている気がする」



 桟橋のすぐそばに、彼は身を潜めていた。

「イイ声だナあ。綺麗ナ声」

 彼は聞き惚れてそっと呟く。

 本当は拍手もしてあげたいくらいだが、自分の存在を知られてはいけないので、音が立てられない。

 彼は水に映る自分の姿が、醜いことを知っていた。前に戯れに人前に姿を現した時に、怯える灯台の職員たちの姿に彼は深く傷つき、以降はなるたけ人に見られない生活を心がけてきた。

(あの人魚ニだけハきらわレたくナい)

 自分の声は潰れて濁っていて嫌いだが、それだけにあの綺麗な声を彼は気に入った。

 あれの声を聴くと、壊れた体が痛まなくなり、闘争心に苛まれるのが鎮まる。ふんわりとした眠気を感じるほどだ。

「今日、おレ、いい夢みらレそう……。人魚ノおかゲ」

 ふふふ、と彼は笑う。

 人魚と彼が呼ぶのは、島の灯台の守りをしていて、時折桟橋に来る、長いローブの女全般のことだ。長いローブとひらひらした袖が、目のあまり良くない彼には人魚に見えた。

 今までも人魚は灯台にいた。遠巻きに美しいその姿を愛でていたが、人魚はついぞ声を発しなかった。

(人魚ハ、歌うはズなのニ)

 昔の、誰のものかわからぬ記憶では、人魚とはそういうものだった。歌わないなら声を奪われてしまったのかも。

 諦めていた頃、ふと人魚がいなくなった。食べられてしまったのかも、と彼は心配したが、周りの水質が良くなったこともあり、桟橋まで近づけるようになった。

 そんなある日、彼は歌を聞いたのだ。桟橋に出てきた女が歌っていた。

(人魚ガ戻ってキた!)

 彼は喜んだ。

 そして、その歌声は、彼の心身を落ち着かせるものだった。やってきた新しい人魚の歌に彼は夢中になっていた。

 しかし、この島がどれだけ危険なのかも、彼は知っていた。

 今まで何人もの灯台守があの桟橋で食われている。島を渡る船が襲われているのも見たことがある。

(おレは、あノ人魚を守っテやろう)

 そんなふうに彼は誓っていた。

 そう決めてしまうと、なぜかほんのり温かな気分になって、彼は落ち着いたものだ。忘れていたことが、一つ解決したような気分になる。

 それなものだから、このところ、彼は彼女に近づくかもしれない凶暴な泥の獣には、自分から喧嘩を売って、あらかじめ制圧していた。そのためのパトロールも欠かさない。ご贔屓の人魚の為には、それくらいの努力は欠かさない。趣味と実益を兼ねたモノだ。

 この海が静かなのは、彼の縄張りに入り込める強い獣が現状いないことを示していた。

「いイ歌。アノ歌、またキキタイ」

 彼はご満悦で、ふわっと桟橋を離れると、近くの岩場で昼寝をする。

「ふふー、ーノチー、ジーカシー、ーーセヨー、ーーめー」

 あやふやな鼻歌を歌いながら、陽だまりで寝込んでしまった。

 次に彼女が歌うのは夕方。

「今日、多分、シンゲツ。空、暗くナルから、人魚モ危険」

 うとうとしながら、彼はふと薄目を開ける。

「忘れナいヨウにしなキャ……」

 ふわりとした眠気に、彼は身を委ねた。

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