夢見る獣は入江にまどろむ ーナラクノネザアスー

渡来亜輝彦

1.灯台守の魔女 —黄昏—

 空の破れから泥の滝が降る。

 麓の朽ちた観覧車を濡らしながら、それは海におちていく。

 

 複製体の九番目。そして、魔女として作られて、奈落と呼ばれる不毛の大地に派遣された少女フジコ09の前に、彼は静かに佇んでいた。

 黄昏で金色に光る空。

 彼は空を見上げてフジコに言う。

「ウィステリア、見ろ。綺麗だろう?」

 男は空っぽの右袖を揺らして、彼女の前で腰を折る。その方で機械仕掛けの小鳥が首を傾げる。赤い長髪と右目を隠した眼帯。

 見てている左目は、夕陽を受けてか、燃えるように赤く見える。

 設定でそうデザインされながら、本当に壊れて傷を負っている黒騎士の彼は、アンバランスでどこか狂った、この朽ちかけはてた黄昏の世界テーマパークにふさわしい守護者だった。

「あの観覧車な、夕暮れ時が一番綺麗なんだ。この終わりかけみたいな世界でも、綺麗なもんは探せばいくらでもあるんだぜ」

 左手で彼女の頭を撫でやりながら、彼は言う。

「だから約束してくれ。ウィス。お嬢レディ、お前は幸せになるんだぜ?」

 中央所属の恩寵の黒騎士、奈落のネザアス。彼は彼女を守ってやると約束していたけれど。

「おれのレディ・ウィステリア。おやすみ。良い夢を」

 あの時すでに。

 壊れた兵器である彼が、きっといつか戦場で散ってしまうのを、本当はどこかで感づいていた。

「うん。おやすみなさい。ネザアスさん」

 だから、彼女は、もらったお守りのペンダントをぎゅっと握っていた。

 

 夕暮れの赤い空。夜が来て朝が来れば、彼とは二度と会えない気がした。


 *


 そこは黒い静かな海だった。

 上空から黒い泥が降り注ぐ、温かく澱んだ海だった。

 彼はそこに住んでいる。

 人々が穢れていると恐れるその海は、しかし、彼にはとても住み良い場所である。

 陽が沈み始める前ごろは、彼が入江の寝床の昼寝から目を覚ます時間だ。

「はハハッ!」

 彼は笑い声を上げながら、彼は襲いかかってくる泥の獣をかわした。

「ザんねんダったナー!」

 すんでのところでかわしてから、体の中に埋め込まれていた刃を使って相手を斬り裂く。

 正確にコアを破壊すると、泥の獣は黒い海に沈んでいく。

「ふふふ、おレに挑戦するノ、百年ハヤい」

 彼は潰されて歪んだ声で勝ち誇った。

 今日は不意打ちを食らった。

 気持ちよく入江で昼寝していて目を覚まし、夜に向けて起き出したところで、敵の襲撃を受けたのだ。

 敵は彼と同じ泥の獣だった。真っ黒で不定形なもので、生き物かどうかもあやしい。彼とは同族のようだが、彼らの間に仲間意識などはなく、お互いに敵でしかない。

 大きな泥の獣は小さな獣を食って、大きくなっていくらしい。

 彼は、別に大きくなることに、興味なんかなかったが、売られた喧嘩は必ず買う主義ではあった。彼はそれなりに血の気が多かったし、退屈しのぎにちょうどよかったのだ。

 彼等と戦うのは、もうひとつ理由もある。体を大きくする気はないが、活動する為の栄養素は必要だ。

「えねるギー、あルかな?」

 彼は霧散する泥の中から、目当てのコアを探し出す。

「アっタ!」

 そのコアを回収する。

「ふフッ、今日サイサキ、良イ」

 彼は声がつぶれている。そんなつぶれた自分の声は嫌いだが、それでも、なんとなく独り言をいうのが彼の癖だった。

 ここに彼と同じレベルでコミニュケーションを取れるものはおらず、意思疎通は不可能だ。友人などもってのほか、自分を挑発するような敵すらもいない。

 彼にとって、独り言は、言葉を忘れないためのものだったのかもしれない。

 海面に上がって、寝床にしている入江の洞穴に戻る。彼の寝床の入江は、外洋に面した灯台の近くにある。日当たりも良く穏やかで綺麗な場所だ。緑に包まれ、小さいながら白い砂浜がある。その奥に洞穴があって、彼はそこを根城にしている。

 灯台が近いせいなのか、ここには他の敵は寄り付かない。彼はようやくそこで、持ってきたコアを割ってみる。とろりとした緑色の液体があって、それが彼にとっての食事だ。

「コレ、要らなイな」

 コアにはチップが入っていることがある。

 捨てるのもなんなので、住処にしている洞穴の一角に固めているが、そのチップは流石の彼でも気持ち悪くて食べられない。彼に必要なのはあくまでガワに溜め込まれた液体の方だ。これは、彼らを構成する黒い泥にとって必要不可欠な栄養素なのだ。

 液体を啜るとほっとして眠くなる。

 普段なら、二度寝して、月が昇る頃まで待とうというところだが、空はいつのまにか赤くなり、海を染め始めていた。水平線に太陽が沈んでいく。

「ア、じかン!」

 彼は少し慌てた。

「今日もソロソロいかなイと」

 彼は嬉しそうだった。

 こんなに楽しいのは、この海で暮らし始めて初めてだ。

 喧嘩を売られるより楽しいことが、最近の彼にはあるのだった。

「人魚、今日ハなに、歌ってクレるかな」

 彼は不定形な体をくねらせて海に戻り、そろそろと泳ぎ始めた。



  *



 夜が訪れる前に、彼女は灯台の篝火に特殊な火をくべる。

 魔女の衣装を身に纏い、夜の儀式に向かうのだ。儀式は朝夕行われる。

「もう夕暮れね。いかなきゃ。そろそろ新月だから、夜がことさら暗くなるものね」

 彼女。

 卯月の魔女、ウヅキ・ウィステリアは妖艶で美しい女だったが、魔女の衣装をきた彼女は、どこかしら神官めいた雰囲気を帯びる。

 "聖なる種火"とされる種火は、種火のための特別な部屋のテーブルの上に大切に置いてある。そして、その手前に彼女は写真を飾っていた。

「月の出ない夜は、それはそれで楽しい、って昔言ってたっけね。ネザアスさん」

 そこに写っているのは、まだ幼さを漂わせた少女と長身痩躯の少し強面の男だ。

 派手な着物と赤い長い髪、右目に眼帯をしていたが、強面の割に、あどけなさを感じる笑みを浮かべている。その彼の肩には機械仕掛けの小鳥がとまっている。

 その少女がかつての彼女であり、男はその少女がほんのり淡い憧れを抱いていた人物だった。

 彼も、彼の小鳥も、もはやこの世にはいないけれど。

 見たまんまの不敵で乱暴な、少し危険なところのある、けれど彼女には優しい。そんな年上の軍人に対する、少女の淡い片想い。

 それが彼女の初恋だった。

「ネザアスさん」

 ウィステリアはペンダントをそっと握る。彼からもらったものだ。

 黒騎士、ユウレッド・ネザアス。その写真の裏側に彼自身の字で書かれた通り、彼はかつていた強化兵士黒騎士の一人。

 中央所属の人為的に作られた、そして、捨てられて死んだ騎士だ。


 黒騎士奈落のネザアスは、管理局が派遣した中央所属の黒騎士だった。

 黒騎士とは、白騎士と同じく、ナノマシンで身体改造を受けた強化兵士の一種だが、彼はおそらく、元から人間として生まれずに、戦闘のために一から作られた存在だったようだ。その体の構成に使われたナノマシンは、黒騎士ブラック・ナイトと呼ばれた特殊なもので、今ではロストテクノロジーとなっている。

 同じく強化兵士の一種であった魔女のウヅキ・ウィステリアは、その頃はまだ正式名がなかったが、見習い魔女フジコ09として、その当時、既に廃墟と化していたテーマパークの奈落に送り込まれた。魔女は、この降り注ぐ泥の汚れに対抗する力を与えられていた為だ。大地を浄化して、人が住めるようにすることで、彼女の任務は完了し、彼女を守る為に派遣されたネザアスも目的を遂げた。

 けれど、それは昔の話。

 ある程度の平穏を得た今、そんな彼らはもう要らない存在だった。

 奈落のネザアスは、権力闘争の道具として、意志とは無関係に暗殺者に仕立て上げられた末、処刑され、溶け落ちて海の中に沈んで行った。

 ウヅキの魔女になったウィステリア、当時のフジコ09は、有能さを認められながらもお払い箱となり、こうして灯台守の魔女として、人里離れた場所で一人置き去りにされている。

 けれど、別に構わない。

 強化兵士の魔女は、あの泥の穢れに強いが、それ故に偏見を持たれやすい。魔女としてそんなふうに扱われ、その後いくつか抱いた恋も友情もうまくいかずに消えていった。そんなウィステリアだ。

 最期に彼が過ごしたこの島で、初恋に殉じて余生を過ごすのも悪くない気がしていた。

 この島には彼の痕跡が残っている。

 彼の隠れ住んでいた部屋が残され、それゆえにか彼の夢を見ることもあるくらいだ。

 魔女の彼女は、あの泥の素材の黒物質と極めて似たもので作られた黒騎士の彼に、同調しやすい体質だ。彼の残したほんの僅かな彼のカケラに影響されて、安心した気持ちになる。

 魔女として、孤独な生活を宿命づけられた彼女にとって、二人とのつながりは特別なものだ。

「今夜も気をつけて、行くようにするね。おやすみなさい。ネザアスさん、スワロちゃん。また明日」

 つれなく振った中央の上級兵士から、スレた生意気な女だと罵られたこともあるように、今の彼女は強くて妖艶な大人の女。

 かつての少女の面影は、その藤色の瞳以外はほとんどないけれど、それでも、どうしても、彼の前では素直で弱い娘だった。

 ——気をつけて行けよ。おレディ

 聞こえるはずもない彼の声が、この島では聞こえるような気がする。

 ウィステリアは、はにかむように苦笑する。

 美しく強い女になったのに、まだウィステリアは、彼の前ではただのフジコに戻ってしまうのだと思う。

 

 灯台の島の周辺は、夕暮れでも驚くほど暗くなる。

 ここにのぼる太陽は作り物だ。

 この世界は、上層アストラルが上に乗っている構造なのだから、それは当然なのだが、それを知る人も少なくなったという。"新しく作られた人々"は、教えられたこと以外は知らないし、知らされないのだから。

 島の周辺が暗いのは、きっと作り物の太陽との位置関係のせいだろう。

 灯台へは桟橋を通っていくのだが、海は泥の魔物の領域だ。暗くなる前に作業を終えないと、多少の危険はある。

 種火を守りながら桟橋を歩くと、真っ赤な海が綺麗だ。そして、その赤い海に降り注ぐ泥の滝が見えてくる。

 穢れていると忌み嫌われるそれ自体は、古いプログラムである"悪意"に染まっていなければ、さほど恐れるものではないことを、魔女の彼女は知っている。黒いだけで、本来それはただの物質だった。

 穢したのは結局ヒトだ。

 それは海に向かって絶えることなく、それは空から降り注いでいた。

 手前に朽ちかけ果てた観覧車の残骸が、夕暮れの赤い光を浴び、回ることもなく黒い海に半分を沈めている。

 ——あの観覧車、黄昏時が一番綺麗だぞ。

 そう言ったのは、奈落のネザアスだった。

「本当ね」

 ウィステリアは誰となくそう呟く。

 朽ち果てかけた観覧車は、泥の滝の輝く雫を背景にして煌めいて見えていた。

 灯台に火を入れた後、彼女はもう少し桟橋にいる。

 沈んでいく夕日の見える海に臨み、彼女はステージに出ていくようにしずしずと進む。

 魔女の衣装を引きずりながら桟橋に辿り着くと、ウィステリアは歌を歌う。

 彼女の声には、悪意ある汚泥を鎮める力があり、その敵意をめることができた。それが彼女が魔女として与えられた能力だった。

 艶やかな声を響かせていても、生き物すらすまぬ海で、その素晴らしい歌を聞くのは、穢れた汚泥だけだったが、彼女は全身全霊をこめて歌う。

 そうすると、荒ぶる海が静まりかえる。

(この歌を聴いてくれる人なんて、もういないけれど)

 ウィステリアは歌いながら、偽りの太陽の沈みゆく空を眺める。

(この島で歌うと、どこかであの人がきいてくれている気がして……)

 


 桟橋の程近く、灯台のそばで彼はじっと身を潜めていた。

 弱い泥の魔物なら、あの灯台の火でここには近寄れないが、彼は平気だ。というより、何故他の獣が近寄らないのかわからない。あれは炎の形をしているが、獣が共通して苦手にしている光を放っている特別なものらしい。

 そんな彼なので、泥の獣を排除するための施作がなされている桟橋の近くに潜むのは朝飯前だった。ここなら一番良く彼女の声が聞こえる。

 異国の響きを持つ鎮めの歌がひとしきり歌われ、やがてふと彼女が息をつく。

「今日も、一日終わっていくわ」

 ぽつりと独り言。そして、彼女がするすると遠ざかる衣擦れの音がする。

 彼は静かに待っている。

 彼は彼女がいってしまうまで、ずっと待っていなければならなかった。この姿を彼女にみられたくなかったのだ。

 彼女からすれば、彼は泥の魔物。ただの化け物だ。

 面白半分で人前に姿を現したこともあるが、その際、人間から散々怖がられ、彼は自分の醜さを自覚して、引きこもるようになった。

 だから、見られてはいけない。

 気配がなくなって、彼はようやく息をつく。

「今日モ、良イ声だっタ」

 ふと彼は一つだけの目を細めた。

「今ノ人魚、本当にヨク歌ウなー。嬉しイ」

 彼は、歌が好きだった。記憶はないが、彼女の歌う歌はどこかで聴いた気がした。それが余計に彼に好ましい。

 それになりより、彼女の声が彼の聴覚に心地よかった。歌を聴いていると、軋むように痛む場所すら治っていく。

 彼はふとあくびをした。

「本当ハ、夜はオれの時間なんダけど……。人魚ノ歌、きくとなんだか眠クなル」

 するる、と彼は暗くなる海に身を沈める。もう空には星が出始めている。

 寝床の入江に戻ることにして、彼は泳ぎ出す。と、灯台守の宿舎に、彼が人魚と呼ぶ彼女が入っていくのが見えた。

 彼は大きな目をしていたが、目があまり良くない。彼女のドレスが人魚のひれにみえるらしい。

 ともあれ、ご贔屓の人魚の帰還を確認し、彼は満足げに目を細めた。

「おヤスみ。良い夢ヲ」

 今までそんな言葉を使う相手もいなかったのに、その言葉はどこからか自然と湧き上がる。

 昔、定型として使っていた言葉みたいに。

 空は暗く淀み始めている。彼はそのまま海の中に姿を消した。

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