1-4
眩しい白い光で僕は目を覚ました。目に映るのは教会の高い天井。背の高い窓からは、朝の陽光が燦々と入り込む。小鳥の鳴く静かで穏やかな朝だ。だけど、家族の音はどこからも聞こえてこない。
みんな死んでしまった。父様も、母様も、姉様も、昨日まで家族だった三人はもうこの世にいない。
もう全てがどうでもよかった。
僕はもう一度毛布をかぶる。何もかもが嫌になり、頭を抱えた。
しばらくすると、扉の開く音がする。コツコツとした足音。修道女が起こしにきたのだろう。僕は毛布から頭だけを出し、辺りを見渡した。
修道女が囁くように声をかけて回っていた。次々に他の子供が起きて別の部屋に移動していく。僕の前にも修道女がきて目があった。昨日、僕を迎え入れた人よりも若く見えるその女性は、僕を憐れむように笑顔を見せる。
「目が覚めていたのですか。食事の用意ができました。辛いでしょうが、起きて食べてください」
本当に何もかもがどうでもよかった。死んでも良いと思ってさえいるのに食べ物を口にしないといけないのか……。
僕は無気力に起き上がると、他の子供に続いて隣の部屋に移動する。そこには大テーブルと長椅子が並べられ、テーブルの上には、シチューにも似た何かが、もかもかと湯気をたてている。
僕は適当に空いている席についた。
他の子も次から次に座っていくが、誰一人として食べ始めない。きっとみんな食欲なんて湧いてこないのだ。
近くの修道女の表情を窺うと、その修道女と目が合った。じろりと視線を交差させてくるその目がはやく食べろと言っているみたいで、僕は気圧された。
僕は恐る恐る、スプーンをシチューに似た何かに入れる。何が入っているのか確かめるため掬い取ってみると、小麦の実のほかに角の立つ黒っぽい粒状のものが入っていた。
そばの実か……。蕎麦の実といえば非常食だ。奴隷ですら普段食べない穀物だが、これが料理に入っているということは小麦もヨサ王国から輸入した米も不足しているということなのだろう。
他に探るようにスプーンを動かすと、赤い豆とくたくたになった葉野菜が浮き出てくる。それ以上あさっても肉の類は出てこなくて、この料理は畑でとれるものしか食べるものがない、農民のと同じものなのだろう。
味は食べられなくないが、美味いとはほど遠い味だ。だけど今の悲観的な状況では美味い料理よりもこっちの方が良い。
僕は黙々と食べ進めた。うまくはないけど、とろみがあって暖かくてホッとする。
スープを一口。また一口と止まらなくなってしまい僕は、あっという間に完食してしまった。なぜなのだろう。悲しいはずなのに、空腹の胃が刺激されてしまい、つい勢いよく食べてしまった。
周りの子は明らかに自分よりも食べるのが遅く、時間がかかっている。食べ物を喉が通さない子もいるみたいだった。
そして明らかに食べるのを拒絶している子もいた。
正面の子だ。その子の胸には鷹の紋章があった。ダズブルゴの家紋。ダズブルゴ家は父が統治していた村の南方にある町を統治していたはず。功績も多くバーバスカム北部領であるボリオス地方では格式の高い一族だったはずだ。
「なぜ食べないのですか?」
修道女が訊く。
「こんなの不味くて、食べれるわけないだろ」
気に入らないものは口にしない。下の者が上の者のわがままに従うことが当たり前だというような強情さが見て取れる。
「おい、そこのお前」
ぎくっと思いながら僕は顔を上げる。正面の子の視線は僕の胸の家紋に向いていた。
「なに?」
「尻尾が蛇の獅子の家紋。お前、ロドリゲス家のやつだろ」
「これ食えよ。とても人間が食べるものとは思えないが、悪魔の一族にぴったりな味だ」
「私たちを侮蔑する気か」
修道女は声を荒げ、ダズブルゴの襟首を掴み上げる。左の掌からは火の玉が灯った。その火の玉をダズブルゴの顔スレスレまで持っていく。
「お前も同族か。離せ」
髪が焦げたのか肉が焼ける臭いがした。
ダズブルゴは震えていた。怯えているのだろう。
それを見て修道女は掴んでいた襟首を離す。
ダズブルゴは当然のように激情した。
「こんなことしてどうなるかわかっているのか。僕の父上の功績を知っての無礼。ただじゃ済まないぞ」
「そのお父上は天高く昇られました。あなたはそのお父上の家にいるから価値があったというのに。かわいそうですね。家族がなくなってしまってはただの置き物です。私たちは今あなたを灰にして畑の肥料にしたっていいのですよ」
「悪魔の末裔が」
ダズブルゴは席から離れ部屋を出ていった。
彼の席にポツンと残されたスープ。物足りなさがあったので手を伸ばすと修道女がわざとらしく咳払いをする。
まずいと思って僕はスッと手を引っ込めた。
修道女の顔を見上げると彼女は僕を睨んでいた。
彼女の口が動き怒鳴られると思って身構えた。
だが、その声はさっきとは比べ物にならないくらい穏やかだった。
「あなたはもう食べたでしょ。彼は一口も食べなかったからこれは鍋に戻して、兵士に振る舞うから、食べちゃダメよ」
そう優しく告げると、修道女はダズブルゴが残したスープを持って部屋を出ていった。
◇
昼が過ぎる頃になると、馬車が一台教会前に停まった。停まったのは、大きな荷台の荷物を運ぶ用の馬車だが、荷台には灰緑色の布がかぶせられている。布は風でめくれ上がらないように縄で固定されていた。
気晴らしに外に出ていた僕らは何が来たのか見ようと馬車のそばまで近づこうとした。
だが、そばまで行く必要などなかった。
だって、その布は濁色の染みで滲んでいたのだから。
僕にはわかってしまった。何が運ばれてきたのかを。なぜ、布がかぶせられているのかを。なぜ濁色の染みがついているのかを。それは、運ばれてきたのが遺体だからだ。
あの遺体たちは、近くにある墓地に埋葬するために運ばれてきたのだ。
埋葬は順次行われた。遺体は骨になるまで焼かれ、そこから木箱に入れられた。その箱を土に埋め、その真上から十字に組んだ木材を墓跡の代わりとして地面に突き刺すところまでが手順だった。
ロドリゲス家の埋葬が済んだのは最後だった。一つ前に埋葬をしてもらった子が教会の建物に戻ってからどれくらいが経っただろう。夕暮れ時となり、辺りは薄暗くなってしまっていた。
墓標には木の札が掛けられた。札にはロドリゲス家と刻まれていた。僕にはこの墓標が納得できない。雑だ……。扱いが粗末すぎる。
いったいなぜ、僕の家族がこんな風にあしらわれなければならないのか。父は立派に村を統治していたというのに。
僕から見て、村民の声に耳を貸し、村民に寄り添う父の姿は誇らしく憧れだった。疫病が流行れば、王都から医師団を招集した。なんらかの理由で仕事を失った人が出れば見捨てることなく、その人に出来そうな仕事を与えていた。父が村民を見捨てたことはなかった。それなのになぜ……。
考えたって理由なんてわからない。
勝手に力が全身にはいった。歯を食いしばって拳を握り、腹の底から絶え間なく湧いてくる行き場のない怒りを一人、堪えた。
そうしているうちに辺りはどんどん暗くなっていく。遠くの方から狼の遠吠えが聞こえてくる時間になってしまった。
でも、動きたくなかった。自分の置かれた運命に納得ができないから。納得のいく理由が見つからないから。
不意に足音が近づいてくる。気づかないでいるふりをしていると足音はどんどん近づいてくる。その足音の主は、僕の隣でぴたりと止まると、聞いたことのある声を浴びせてきた。
「まだ、こんなところにいたのか。もうとっくに他の連中は戻ったっていうのに」
昨日の傭兵の声。チラッと顔を向けるとそこにはモーゼスが立っていた。
「狼が鳴いている。扉を閉められねえからさっさと帰ってこいだとよ」
「僕にはなんで家族がこんなめにあわないといけないのか、わからないんです。父は村民を裏切るような統治はしていなかったはず。いったいなぜですか?」
「知らねえよ。んなことよりさっさと戻るぞ」
僕はモーゼスの言葉を無視して続ける。
「あと、ロドリゲスのご先祖様は何かしたのですか? さっきダズブルゴ家の子に言われたけど悪魔の末裔って……」
モーゼスは顔をこっちに向ける。そりゃ……、と何かを言いかけると口を閉じた。彼は真剣な眼差しを僕に向け、僕の頭に手をぽんと置く。
「お前の歳じゃ、まだ知らなくていいことだ。だけどこの国の歴史に深く関係している。だから、いずれ教わることがあるだろうよ。その時までに真実を受け入れる覚悟を決めておくんだな」
モーゼスは僕の頭から手を離すと背中を向けた。
「あと敬語は無しにしてくれ。子供にに敬語使われるとむず痒くてしかたない」
さあ戻るぞ、と言い残しモーゼスは先に戻っていく。僕も少し間をあけて戻った。僕の中にやるせない気持ちが渦巻いていた。
◇
迎えの馬車は正午ごろ、軽めの昼食を終えたあたりで到着した。狭い荷馬車だった。僕らは、荷台に詰め込まれるように乗って、王都へ向けて出発した。
バーバスカムの北部領を出ると、途中の村で泊まりながら中部領を南下。景色もどんどん移ろいでいく。
最初は木々が生い茂る山々が周りにあっただけなのに、いつの間にか広大な小麦畑が広がるようになっていた。こっちの方の小麦は、枯れていない。ちゃんと実っているし、収穫された小麦の山も畑にあった。
——こっちは飢餓が起こってないのか。
そうなると、ますます不思議だ。なんでボリオスだけで飢餓が起こったのだろう。
その答えはその日泊まった村の食事場で、農夫がしていた会話を耳にして解った。
「今日は見ねえ服の子供が多いな」
「ああ、あの服は貴族の家服だよ」
「へえ。貴族? 貴族の子供がなんでこんなゴミダメにいるのさ」
「お前知らねえのか、ボリオス地方で大飢饉がおこったんだとよ。大きな反乱が起こったらしくてな。それで生き残った子供だけ、王都へ送るためにこっちへ寄ったって話だ」
「へえ、ボリオスで飢餓か……。確か、星の子の言い伝えもあの地域のものだよな。近いうちに彗星が降ってきたりしてな」
「そんなまさか。あれは単なる言い伝えだ。実際に起こるわけねえよ」
僕はあの日、姉様から聞いた話を思い出した。あのとき、飢餓によって争いが起こったと。それで青年が平和を願ってバーバスカム王国が誕生したと。
でも、あれはただの言い伝え。僕も信用していない。だけど……。
僕は隣のテーブルで飯を食うモーゼスに訊いてみた。
「ねえ、モーゼス。星の子の言い伝えって、あれ、ただの言い伝えなんだよね?」
モーゼスは口に入ったものを飲み込むと、さあな、とだけ吐露した。この男も信じていないのだろう。
それ以降、僕はこの話を持ち出そうとは思わなかった。
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