銀世界の姫

明日花

序章 銀の宿命

第1話 光は粒となって波打ち


 太陽が都市庁舎の真上に登り、石畳の道は光の粒子を弾いている。

 

 絵に描いたような晴天の下、ユベルフィーネは、都市フォンベルクの市場を駆けていた。

 小柄な体躯を生かし、行き交う馬車と無数の群衆をすいすい抜いていく。その動きは素早く、癖毛で波打つネイビーブルーの髪がすれ違う人の視界に入ったときには、すでに彼女の姿は見えないほどだ。

 

 さほど苦もなく賑わう大通りを抜けると、開けた噴水広場の先に煉瓦色の屋根をした店が見える。

 太陽に照らされた海の銀色の光を集めたように、ユベルフィーネの瞳に光が入った。

 店は青果を取り扱う老舗で、いつも路面にはこの小柄な少女の背より高く樽が積み上がっている。店に駆け寄ったユベルフィーネはその勢いのままに樽の一つに片手をかけ、もう片方の手にバスケットを握って思い切り振りながら、奥にいる店主に声を張り上げた。

 

 「メイナさん、おはよう!採れたてのお野菜、このバスケットにください!」


 ルーデット青果店の2代目店主、メイナは、雑誌から目を離し、声の方を見遣った。こんもりと樽に盛られた野菜たちの隙間から、小麦色のバスケットが見えていた。メイナは、普段キツめの美人と評されるゆえんの切れ長の目尻を緩め、そのバスケットを受け取り、店棚に頬杖をついて下を覗き込んだ。

 「ユネ。今日も元気いっぱいね」

 「うん!それがユネの良いところでしょ?」

 首を最大限持ち上げ、こちらを見上げるユベルフィーネが健気で可愛かったので、メイナは思わず身を乗り出して、その頭を軽く撫でた。

 

 今日のユベルフィーネは、自慢のネイビーブルーの髪を前髪からすっきりと編み込んでいるので、整った顔立ちがより目立って見える。なにより目を惹く、銀世界のごとき神秘的な銀瞳も、輪をかけて煌めくようだった。

 この冬十二歳になったばかりの少女だが、無表情で黙っていれば、この世ならざる美しさを漂わす。


 が、それは、の話。


「そういえばアーノルドが帰ってきたんだっけ?」

「そうなの!アーノルドって、あんなに細いのにいっぱい食べるじゃない?だからお肉もお野菜も、どんなに買ってもすぐなくなっちゃうの。メイナさん、ちょっとまけてくれない?」

 薄いブルーの眉毛も駆使しながら、喜んだかと思えばツンと口を尖らせ、最後には愛嬌たっぷりの笑顔で値引きを強請るこの表情の七変化である。明朗で賢い少女の交渉術に、いつもメイナは負けてしまう。

  「まったくあんたって子は」

 メイナは仕方なさそうに笑って、渡された貨幣分の野菜が詰まったバスケットに加え、燻製肉と焼きたてのパンを紙袋に詰めた。

 小さな買い物客に手渡すと、体の半分が荷物で埋まってしまう。

 

 「あら、大丈夫?ちょっと重いかしら」

 「ぜんぜん!ユネ、こう見えて力持ちなの」

 

 荷物を抱えた手は震えているが、メイナはくすっと笑うだけで言及しないことにした。


 「そ。なら安心ね。そうだ、あと、アーノルドにまたウチで演奏して欲しいから、今回はいつまでいるのかって聞いといてちょうだい」

 「わかった。ありがとうメイナさん。またね!」

 快活に笑って駆け出す少女が通りの角を曲がるところまで見送ると、メイナは貨幣を閉まって再び高椅子に座り直す。

 

 アーノルドはユネの養父であり、一流のハープ演奏家だ。

 依頼を受ければどこへでも公演をしに行くため、いつも大陸中を飛び回っていて、娘の待つ家で過ごす時間は一年の半分にも満たない。


 メイナはこの店を休日の夜だけ酒場として経営しているが、ユネと共に来店したアーノルドが、酔い潰れた末に店に飾られている年代物のハープを勝手に弾いたことがあった。

 

 音楽に詳しくないメイナだが、彼のハープは本物だと思った。彼が手を動かすたび、古い楽器が、心の中に大切に仕舞われた懐かしい記憶を呼び覚ますような唯一無二の音階を奏でた。

 また店で弾いてくれと思わず頼んで以来、彼は帰郷のたびにメイナの店にハープを携えて訪ねてくれる。


 ニコニコと人の良い笑顔を浮かべ、限界まで酒樽を開けた後に何故か最高の演奏を残していくアーノルドは、メイナにとって確かに上客で、尊敬できる演奏家で、良い隣人なのだ。

 「ただねえ…」

 父親への文句を言ってはいたが、ユネの声は喜びに満ちていた。親と食卓を囲み、会話をし、親への不平を人に言ってみること。そんな些細に見えるすべてが、嬉しくて仕方がないのだろう。そんな快活な一人娘の健気な様を見れば、アーノルドに何か言ってやらないと気が済まなくなってくる。

 「まったく、なんでアーノルドはあんな可愛い子を置いて演奏旅なんかするのよ」

 気の向くまま、依頼に応じてどこへでも飛び立ってしまう演奏家を父に持つ、異質な色を抱えた女の子を思って、メイナは大きく、あーあ、と溜息を吐いた。

 

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