ポートマフィアを仕切る男は謎に包まれている。名前、外見、居場所も全てが謎だ。三年前に前首領からその座を引き継ぎ、今やその影響力は横濱に留まらず、関東一帯へと拡大しつつある。武装探偵社に持ち込まれる事件のうち、マフィアが絡まない事件を探せと云われても、砂場で砂粒を探した方がマシかもしれない。

「国木田さん、今回の事件ッて、本当にマフィアの仕業なんですか?」

 軍警から情報提供のあった、先日の小競り合いに就いての資料に目を通していたら、谷崎が不意に声を掛けてきた。「あの組織は、マフィアの末端でしたよね?だッたら、マフィアと敵対している組織が内乱に見せかけたとか……」

「現場近くを映した監視映像に、マフィアと抗戦している様子が残っていた。恐ろしい事だが、あの女がいた」

 首領交代以前、何度も捜査資料で眼にした女。青い髪と青い瞳を持ち、花を操る異能力者。尾崎卯羅という名だった。しかし、組織の長が交代した際の混乱で姿を消し、以来、表へ立つ様子は無かった。あの事件までは。

「『ポートマフィアの毒婦』と呼ばれた女だ。敵対組織に潜入し、その容姿で相手の懐に潜り込み、マフィアの弾除けとして組織に下らせる。異能も厄介だ。ただ咲くだけではない。触れた相手を病へと導く」

「でも今更何故……」

「軍警すら骨抜きにした相手だ。俺が駆けつけた時には全員、彼奴の毒に呑まれていた」

「毒、ですか……」

 まだ織田が探偵社の一員となった初めの時期だ。俺は軍警からの依頼により、マフィアと接触した部隊の救出に、織田と向かった。交易港に面した何の変哲もない倉庫街。異様なのは空気だった。派手な銃声でも響いているかと思えば、糸屑の落ちる音さえも響き渡りそうな程の静寂。警察車両を見つけた俺達は、影に隠れつつ、倉庫の中を窺った。規則正しく積み上げられた木箱の一段目に座る人物。足を組み、前のめりになるよう膝に腕を載せていた。月光に髪が艶めいていたが、顔は見えなかった。

「女だな」織田が云った。

「人質か?」

「いいや。マフィアの構成員だ。黒の長外套を羽織っている」

「他に人は居るか?」

「手前の箱が邪魔で見えん」

 水、もしくは粘着質な液体が滴る音が不気味に倉庫へ響いていた。液体性の爆薬だった場合、突入は危険だ。「避けろ!」

 織田が俺に覆い被さるように飛び掛かってきた。瞬間、覗いていた倉庫の入り口が、周囲の壁と共に抜け落ち、巨大な向日葵が咲いていた。陽が無いというのに、背をしゃっきり伸ばした向日葵だ。異能を使った様子は無かった。では何故?

 織田が茎を銃で崩し、そのまま突入した。俺もそれに続き中へと足を踏み入れた。

「あら残念。佳い肥料だと思ったのに」木箱に腰掛けた女が声を発した。残念だとは全く思ってもおらず、ただ礼儀的に発したようだ。

「ポートマフィアの構成員というのはお前か」織田が構わず問いかけた。

「武装探偵社さんね。こんばんは。でももうお仕事は終わっているわ」

 女が人差し指で指し示した辺りを見れば、軍警の制服を着た男が何人も転がっていた。女の周りには黒百合が咲き乱れ、制服の男が一人、彼女の脚に縋るように手を伸ばした。

「触れないでと云っているでしょう?貴方にはさっきたっぷりと奉仕したでしょう?」女はそのまま男の顔を蹴り飛ばした。 

「何をした貴様!」

「最近、お寂しいみたいだから、誘ってあげたのよ。イランイランって御存じ?」

 女の掌に黄色い線状の葩を畝らせる花が咲いた。甘く強烈な匂いが立ち込める。「さあ、欲しいでしょう?私の愛を勝ち取りたかったら、その二人を始末なさい。そうね、きっと首領から素敵な御褒美が貰えるわ」

 十数人の訓練された軍警が俺たちに向いた。「さっき、誰の靴を舐めて忠誠を示したか、判っているわよね?」

 悪魔か。この女は。

「男なんて所詮そんなものだわ。食いごたえのある女は全て自分の好きに出来ると勘違いしている」

 素早く織田が動いた。女は生垣を成したが、織田は樹が完全に形成される前に撃ち崩した。未来予知の異能で予見していたからだ。

「ふぅん……そう」

 銃撃で飛び散った葉が一斉に向きを変え、自分の手下とした筈の男達に降り注いだ。

 全員息絶えた。

「未来予知は厄介ね。それに、其方の方は、軍警の動きなんて重々承知でしょう」

「投降しろ。貴様に勝ち目は無いぞ」

「そうかしら」女は咲いていた黒百合を一本手折り、喰んだ。様子が奇怪しい。露出している肌という肌に花が咲いた。一斉に散ったと思えば、手足に蔦が絡みつき、左側頭部に喰んだ黒百合が咲いていた。

「どうしようかしら。二人とも食べてしまおうかしら」初めて女は立ち上がった。俺たちを見下ろし、品定めをするように視線を投げる。「でもきっと首領が怒るわね。甘いお菓子をくれなくなってしまう」

 女の背後にあるコンテナにwineと書いてあるのが目に入った。

「織田、燐寸はあるか」

「ある。煙草用のが数本」

 俺はコンテナ目掛けて発砲した。アルコールを含む液体が吹き出るのを確認すると、織田がマッチを擦り、液溜まりへ投げ込んだ。仏蘭西料理の手法宜しく火柱が上がった。「やったか?!」

「いいや」煙が晴れると、女がまだ立っていた。「効いてすらいない」

「防火林って知っていて?でもお陰で掃除屋を呼ぶ手間が省けたわ、ありがとう」

「待て!」葩を撒いて姿を眩ます女に向かって発砲した。が、女の姿はなく、赤みの強い桃色の五枚の花弁を持つ花が点々と落ちていた。

「何だこれは」

「迂闊に触るな。彼奴の異能だとしたら危険だ。俺たちも脱出するぞ」

 背を向けた途端、ぱちぱちと音がし、花があった場所から火の手が上がった。全速力で出口を目指し、伏せるようにして飛び出ると、倉庫が爆発した。

 後で分かった事だが、女に顔を蹴られていた男はマフィアの鉄砲玉で、ヘマをして軍警に追われていたところ、あの女が現れた。そして女は、イランイランの持つ催淫効果に依って、軍警諸共惑わせ、俺たちに全てを始末させた。

 そういう筋書きだったようだ。

「あれは危険すぎる。昨今のマフィアの勢いもあの女が主導しているのだろう」

 あの女を飼い慣らしている男。

 想像も付かないが、どこか俺たちとは性質の全く異なる人物だろう。毒に侵されたのか、毒を注いだのか。知る由も、知ったところでどうにか成るわけではない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

愛したりナイ ちくわ書房 @dz_pastecake

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ