①何故自己紹介しているのか分からない


 とりあえず何本か長編を作ろうとしたのだが、どれだけ頑張っても1万〜3万のあたりで完結してしまう。そこで私は、参考のために何十何百話とストーリーが続いている連載作を読みに行った。物語の冒頭数行を読み、そこで私はある文にものすごく嫌な気分になった。それは、登場人物の名前が出てくる一文だ。例えば主人公の名前が「田中太郎」の場合、『俺こと田中太郎は、登校中〜』みたいな一文がある。何故一人称視点で物語が進んでいるのに主人公は自分で自分の名前を心の中で読み上げているのだろうか。実際の生活の中でそんな瞬間は無いし、なのでコレはとんでもなく違和感がある一文だ(正直私は異物感がありすぎてこの一文を気持ち悪く感じる)。


 確かに、そんな部分を批判されたら一人称で書けない、と思われるかもしれないがそんな事は無い。そもそも主人公の名前が出てこない話はあるし、外部から主人公の名前を開示するパターンもある。『「田中太郎くん、今すぐ職員室に来なさい」と、校内アナウンスで俺の名前が呼ばれた』とか。それを、なんの工夫もなく先ほどのような自己紹介もどきを挟んでしまうのは、私にとっていただけない。他にも私の好きな小説『刑務所のリタ・ヘイワース』(映画「ショーシャンクの空に」の原作)では、レッドの視点から「昔、こんな囚人がいたんだけどさ〜」なんて思い出話を聞かせてくれるかのような形式にとれるので、多少の説明口調でも違和感を感じたりしない。


 他にも『隣に住む幼馴染、山田花子は〜』というのもギリギリアウトだ。毎日会っている知り合いのプロフィールを、改めて心の中でそんな一文を読み上げている意味が分からない。主人公以外の名前ならもっと上手く出すタイミングはあるはずだし、幼馴染というワードを使うぐらいなら『そういえば小学3年生の頃〜』とか過去のエピソードを出せば昔からの知り合いなんだなと伝わるはずだ。


 このようなリアリティのないモノローグには違和感を感じるし、それに何も感じずに没入できる読者がいるのも理解できない。

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