アレンチベルタの花畑

松藤四十弐

アレンチベルタの花畑

 『アレンチベルタの花畑』という絵画の中に、彼女はいた。たくさんの水仙に囲まれ、青い湖と雪の残る山をバックに、こちらを振り返っている。

 こういう表現が間違っているのは、わかっている。でも、私にはこう見えている。

 彼女は満面の笑みで微笑んでいる。

 私は額縁に付けられているタイトルをもう一度見た。それからここが夢の中ではなく、現実の小さなギャラリーであることを確認するために、建物内をぐるりと見回した。

 旅行先で偶然見つけて、気まぐれに入ったギャラリー。店主はおらず、それでも不思議と出て行こうと思えず、薄暗い空間で西洋の皿やら、中国の壺やら、金色のカップやらを眺めていたら、店の奥に絵画が飾られているのが目に入った。

 私は彼女の顔に触れるかのように、近づいた。

 どう見ても彼女だった。幸せそうに笑っている彼女だった。

 大人の女性になり、落ち着きを纏っていたが、彼女だった。

 お互いを欲し、いつの間にかお互いを必要としなくなった彼女だった。

 思い出とは急に、立ち眩みのようにやってくるものだと私は初めて知った。思わず近くにあったスツールを引き寄せ、座った。

 私は対峙した絵の中の彼女と目が合い、彼女を初めて意識した高校二年生の時に吸い込まれていった。

 隣の席の彼女は授業中、よく寝ていた。それにも関わらず成績はいつも上位だった。家柄が良いのもあってか、変に上品振っていると、何人かのクラスメイトが陰口を叩くくらいには嫌われていた。たまに運転手付きの車で登下校しているのが原因かもしれなかった。

 ただ、私にとってそんなことは些細なもので、私の人生に彼女が強く存在している理由ではなかった。

 私が彼女を色鮮やかに思い出せるのは、私と彼女がおかしな関係だったからだ。

 私たちは恋人同士でもなかったし、友達でもなかった。でも、私たちは放課後、誰もいない空き教室や廊下、階段で抱き合った。そこに性的な意味はなく、この抱擁は真冬に毛布へ潜り込むときのような、温かさと安心を得るためのものだった。

 私たちは抱き合う以外に何もしていない。キスや愛撫やそれ以上のことなんか、しようとも思わなかった。性的衝動が存在する余地などなかった。それが変だとも思わなかった。

 こんな風に私たちが強く結びついたのは、七月だった。

 その日、私は帰宅中にゲリラ豪雨に見舞われた。不幸にも通学路は住宅街で、雨宿りする場所などなかった。学校に戻るにも、駅に行くにも濡れることは必至で、進む方が得策だと走ろうとしたところ、見覚えのある高級車が横に止まった。カーウインドーが下がり、彼女が顔を出した。

「よかったら乗って」

 隣の席になって数カ月。初めて声を掛けられた。

 私は彼女の提案をありがたく思い、車へと乗り込んだ。革張りの感触を手のひらに覚えながら彼女の横に座ると、私は礼を言った。

「ありがとう。助かった」

 そして、そこから記憶がない。私は一週間、意識を失った。そして、彼女も同じく、意識を失っていた。私たちは同時に昏睡し、病院へと運ばれた。

 運転手の説明によると、私たちの話し声が次第に聞こえなくなり、不思議に思い確認すると、二人とも眠ったように気を失っていたのだという。

 運転手はすぐさま近くの病院へ車を走らせ、私たちは意識が戻らない中、診断を受けた。

 なぜ意識が戻らないのか、原因は不明だった。脳に腫瘍があったり、出血があったり、そんなことはなく、私たちは至って健康な十七歳だった。そして、そのまま一週間眠り続け、何もなかったかのように起きた。

 目を開けると母親が大騒ぎして、泣き始めたのを覚えている。父の安堵の表情も。

 彼女とは、一日後、病院内で再会した。お互いの無事を祝いながら、理解していない災難を報告しあった。ただ、私たちの受難は、退院してから始まった。

 体温が下がり始めたのだ。

 異変を感じたのは退院して二日目のことだった。

 夏なのに変に寒く、震えが止まらなかった。冷房のせいかと思ったが消しても変わらない。夏風邪の前兆かと布団にくるまるがどうにもならない。もう熱が出ているのかもと体温計を探し出し、脇に刺すこと一分。

 体温は三十五度だった。

 おかしいと何度も計ったが、それ以上にならず、体温は計るたびに下がっていった。恐ろしくなり、私はなぜか彼女に電話をした。両親は留守だったし、保険証の場所を知らずに不安だった私には、病院に行くことは選択肢から除外されていた。救急車を呼ぶのも怖かった。ただ私は、お嬢様の彼女なら何とかしてくれるのではないかと思った。

「もしもし。体温が下がっていくんだけど」

 私の第一声を聞いたか聞かずか、彼女も口を開いた。

「体温が低いの。今、病院にいる」

「僕も行っていい?」

「どうして?」

 話を聞いていなかったのかと口には出さずに、私は改めて言った。

「僕も体温が低いんだ」

 それから高級車が迎えに来てくれて、私は病院へと向かった。しかし、意識を失ったときと同じく、原因は不明だった。低体温症ということで、電気毛布やら暖房器具をあてがわれたが、あまり具合は良くなく、結局、また入院をした。もちろん彼女も。

 それから私たちは(というより、主に私が)被検体となり、あらゆる薬を飲まされ、民間療法的に生姜湯や玉子酒も飲まされ、熱い風呂に入れられたりもした。

 しかし、それでも体温を高めることはできず、保つのが精一杯で、私たちの体は冷めていく一方だった。

 彼女は私よりもしんどそうで、咳をするようになり、病院内で会うこともなくなった。たまにメールで話すことはあっても、中身はなく、返信を待つ楽しみやドキドキもなかった。面会謝絶で、友だちが来ることもなかった。

 私たちがひとまず助かったのは、一学期が終わり、夏休みが始まる日だった。

 これを試してみよう、と医者が言って、抗生物質を一錠、飲まされた。

 一時間後、なんとなく体がマシになった気がした。体温を測ると三十五度三分になっていた。

 体温が戻った。

 私はそう思い、安堵した。そして不意に眠くなり、目を閉じた。

 夢の中では温水プールの中を泳いでいた。何度かターンを繰り返していると、目の前に氷山が現れ、私はそれを避けようとしたが、今度は流氷が現れた。それからも逃れようとしたがいつの間にか囲まれ、私は北の海に沈んでいった。この頃、よく見た夢だ。

 つまり、体温の上昇は一時的なもので、再び下がっていった。私たちは数時間に一回、薬を飲まなければいけなかった。

 それでも正体不明の恐怖からは少しだけ遠ざかった。季節が夏だったのも幸いし、薬を飲むことと、一週間に一度、検査を受けること以外は普段の生活が戻ってきたように感じた。友だちと映画を観たり、デートをしたり、里帰りをしたり、夏休みを可能な限り満喫した。

 それでも体温が通常より低いのは苦痛だった。自分たちが人間ではなくなったような気がした。まあ、なんとか生きてはいけるだろうというのが、お互いの唯一の励ましだった。

 二学期が始まると、彼女への誹りと一緒に、私への同情とそれに似た悪口も耳に入ってきた。

 たぶん他の家から恨まれてるからよ。呪いかも。とばっちりよね、可哀想。でも変な病気って、そういうことじゃない? ええ、うそ。むりむり。

 楽しみに悪意は必要不可欠なのかと、クラスメイトに呆れ、居心地の悪さを感じ始めた。彼女も以前よりも口数が減り、数少ない友だちとも、できるだけ距離をとっているように見えた。

 とはいえ、やはり私たちには友情も恋心も芽生えず、無理矢理お近づきになることはかなかった。

 彼女が消しゴムを落とすまでは。

 その日の彼女は真面目にノートをとっていた。歴史か地理の授業だったと思う。マチュピチュやら、インカ帝国の文字があったはずだ。

 変に熱心だなと横目で見ていると、消しゴムが転がってきた。

 ああ、落としたな。そう思って、私は手を伸ばし消しゴムを取った。同時に彼女も手を伸ばしてきて、私たちの手は触れ合った。

 その瞬間を今でも鮮明に思い出せる。

 太陽が体を昇ってきた。

 私は本当にそう思った。体温が上がっているのが、温もりが存在しているのが、感動するくらいにわかった。

 彼女も同じだった。驚き、たじろぎ、うれしそうに、喜びが込み上げているのがわかるくらいに笑い、私を見つめてきた。

 ああ、そうだ。彼女は満面の笑みで微笑んでいた。

 それから私たちはお互いの手、指、脚、体の全ての部分を欲した。ただただ温かく、安らかで、気持ちがよかった。赤ちゃんや猫や犬を抱きしめているような愛しさがあった。私たちは放課後のわずかな時間だけ、真っ当な人間に戻れた。

 肌の触れ合いが体温を戻すならと、偶然にもその頃に付き合い始めた恋人と抱き合ってみたが、あの輝きある温もりがやってくることはなかった。性的欲求が邪悪なものに思えて、恋人とは早くに別れてしまった。

 秘密の関係は、医者には伝えなかった。結果的に不純異性交遊として、親に行為を禁止されるかもしれないからというのが彼女の意見だった。

 高校を卒業しても、彼女との関係は続いた。だが、その回数は減った。彼女が親の都合で海外に行ったからだった。日本に帰ってくるのは数カ月に一回で、その度に私たちは連絡を取り、抱きしめ合う数時間を過ごした。

 しかし、そんな関係は何の前触れもなく終わった。

 体温が低下する病が治ったのだ。それは本当に突然で、夢から覚めたかのようだった。

 彼女はアメリカで、私は日本で発熱し、それだけで体温は正常に戻った。

 呆気ない終わりが、私たちの関係も元通りにした。数回の国際電話とメールで連絡を取ると、不思議な関係はひっそりと、雪溶けのようになくなった。


 そして今、私は数十年ぶりに彼女に再会した。

 その意味や因果などは考えてもわからない。

「おや、お客さんかな」

 ギャラリーのさらに奥から、白い顎髭を蓄えたおじいさんが顔を見せた。

「すみません」

 私は商品かもしれないスツールから降りて、彼に謝った。

「何か目星のものでも?」

「いえ、あの、この絵は、どなたが描いたのでしょうか」

 そう聞くと、彼は数回頷き、こちらにやってきた。

「この絵は、私の甥が友人に描かせたものです。でも、申し訳ないけど、売り物じゃないんですよ」

「私、この女性を知っているんです。同じ高校に通っていて……。今、彼女はどこにいるのでしょう」

 彼はゆっくりと、そしてフラットに「死にました」と答えた。

 私は彼の目を見た。身動きできず、数秒間、その中にいた。

「死んだ」私は言葉に出し、次に「なぜ」と聞いた。

 彼は目を伏せ、大きく息を吸い、一度に吐いた。

「二十年前に、よく分からない病気にかかったんです。体温がゆっくりと下がり続けるという病気でした。薬は飲んでいましたが大した効果はなく、そして彼女は、肺炎で死にました。とても悲しい出来事でしたよ。甥は死ぬまで嘆いていました。温める方法を見つけることができなかったと。それでも彼女は優しい人でした。あなたに出会えて私は幸せで、人生に悔しいことも、悲しいこともない。そう言ったそうです」

 私は話をつなげることができず、彼女の方を振り返った。お互い無言で見つめ合うしかなかった。隠していた秘密の関係を彼にだけ打ち明けることも、もちろんできなかった。

 私は彼らのお墓の場所を聞き、礼を言ってギャラリーを出た。頭の中は、二十年前、私が一体どこで何をしていたのかということだった。

 たしか妻と出会い、付き合い、結婚したのが二十年前だ。住所は変えたが、私は電話番号も名前も、その他のものは何も変えていない。なぜ彼女は私に連絡してこなかったのだろう。あんなに不思議な関係だったのに。お互いを温めることができる唯一の存在だったはずなのに。

 私は家族のもとへ帰ろうと石畳の道をゆっくり歩いた。ワンブロック分戻ると、前から黒い高級車がやってきて、走り去った。その瞬間、風の音が私の耳を叩いた。

 何を思ったか、私は空を見た。太陽が雲に隠れるところだった。徐々に、石畳が影に侵されていく。

 私は後ろを振り返った。高級車はすでに消え、辺りは影に覆われていた。

 ギャラリーで見た『アレンチベルタの花畑』は、素晴らしい作品だった。たくさんの水仙に囲まれ、彼女が満面の笑みで微笑んでいるのだ。満面の笑みで、微笑んでいる。おかしな表現だが、確かにそうだった。

 それ以外に表現しようがないくらい、幸せそうだった。

 私は前を向き、僅かに上り坂になっている石畳の道を進んだ。

 ホテルの前に着くと、反対方向から妻と子どもたちが大きな買い物袋を提げて、やってくるのが見えた。

 だから私は大きく手を振り、


 私はここだよ


 と、わかるように合図した。

 それが、私の幸せだった。今、それ以外に何もなかった。

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