落風(らくふう)

~夢に散る花~


月のない夜

 散り吹雪ふぶく桜花の

  そのただ中にれば

いたい人に

 えるのだという


いたくて いたくて

  いたくて

    でも もうえはしない人に

もういちど

  えるのだそうだ。



 戦乱に追われるように江戸から箱館はこだてまで流れて来たというそのオンナは、おいらに煙管きせるを差し出してそんなことを言った。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 江戸末期、松前藩領(松前・江差周辺)を除き、蝦夷地の大部分は箱館奉行を通して幕府が直轄していた。

しかし戊辰戦争ののち西軍(新政府)はこれに代わりを設置。

蝦夷地を掌握しようとしていた。


 慶応4年(明治元年)10月21日(新暦1868年12月4日)

榎本武揚率いる東軍(旧幕府軍)の艦隊は約3,000名を鷲ノ木に上陸させ、大鳥圭介と土方歳三率いる陸軍は5日で箱館を占領した。

同10月27日

土方歳三を総督とした大隊が松前城に向けて出陣、8日目には松前城に到達した。

松前兵、江差方面へ敗走した。


 慶応4年(明治元年)12月15日(新暦1869年1月27日)

榎本を総裁とする仮政府の樹立と蝦夷地平定の祝賀祭が箱館で執り行われた。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 戦いですっかり荒れてしまった松前とは違い、ここ箱館は豊かだ。

外国に開かれた港で、様々の商船に混じって大きな外国の軍艦も多く見られる。

風変わりな二階建て、三階建ての建物(領事館というものらしい)もあり、ずいぶんと栄えている。

夜になっても建物から漏れる明かりでまるで不夜城のようだ。

横浜も外国人が多く賑やかだったが、こちらのほうがより華やかな印象を受ける。


 北に向かう船上から見た最後の江戸の夜景は、町に明かりもなくただ神田明神の常夜燈だけが見送るようにチラチラと瞬いていた。


 箱館では入札いれふだ(選挙)の結果、総裁とやらに榎本が決まった。

他の主要な隊長たちもそれぞれに持ち場が決まり、蝦夷の守りのかなめとして勤めることとなった。

今回はその祝いだそうだ。

そんな宴会は亀田(箱館)の奴らだけで祝えばいいと思うが、そうはいかないらしい。

呼び出しの度に雪のなか松前や江差からやってくる身にもなってほしいものだ。


 仰々しい式典のあと連れて来られたこの揚屋あげやは、外国人向けではないそうだが玄関からして異国情緒たっぷりで、どうにもこうにも落ち着かない。

軒先の装飾は幾何学模様というらしい規則正しい透かし彫り。

土足で上がる広間の正面には途中から左右に分かれたそれは立派な洋風階段。

手すりの細かな花の装飾には黒漆が塗られ、天井から下げられてろうそくが沢山立っているみょうちきりんな灯り(シャンデリアというらしい)に照らされて美しい艶をみせていた。


 天井の高い宴会場の縦長の食卓に乗せられた丸焼きの肉の塊から何やら獣臭い匂いが漂ってくる。

とろりとした葛湯のような塩味の飲み物は、ソップと言うらしい。

ニンジンが甘く煮られ、芋は粉っぽく、葡萄酒ワインは何度飲んでも口には合わない。

留学した奴らはすっかり西洋かぶれで、着るものも食べるものも、女の好みまで西洋風だ。


 呼ばれた娼妓しょうぎたちも皆洋装で、高く結った髪(見慣れた髷ではなく不思議な形だ)に花やら簪を差している。

うなじも胸元も大きく開け、袖は肩を覆う薄い和紙のような布きれ一枚。

胴回りの合わせは背中側で、帯ではなく小さなボタン(あれは留めるも外すも大変面倒だ)である。

胸も腰も布越しに体の線を露わにしながら、腰から下はひらひらと長い布で幾重にも覆いまるで釣り鐘のような形をしている。


 食事のあと娼妓しょうぎの一人にいざなわれて、先ほど目にした洋風階段を二階へと登る。

二階の床も黒光りのする板張りだったが、造りは複雑な空中回廊で小部屋が隠し部屋のように繋がっているようだ。


 「こっちだよ。」


 将棋の駒の形の札に「八」と書かれた客間のふすまを開けると、そこは床の間のある畳敷きの見慣れた空間だった。

床の間に掛け軸、そこに生けられているのは梅の古木。

天袋には鶯、釘隠しは華やかな七宝の躑躅つつじ

違い棚に飾られた真っ赤なギヤマンの切子細工の壺も見事で、その柄を見るにどうやら「花」がこの部屋の意匠のようだった。

正面には衣桁いこうに雪椿の柄の振袖が掛かり、目隠しをするように置いてある美しい花鳥の図柄の屏風のその奥に布団が敷いてあるのが見えた。


 「ねぇお侍さん、。」

とオンナが上目遣いに訴えるが、こんな冬に隠すべき二の腕をむき出しにしているのだ。

そりゃあ寒かろう。

筒袖の上から巻いていた巻布マフラーを外して肩にかけてやった。

オンナはため息をつくように軽く笑った。


 盆に用意されたぐい飲みに、オンナが酒を注いで勧めてくる。

ほどよくぬる燗で、ことのほか旨かった。

しだれかかるオンナの体の重みと匂いを心地よく受け止めながら、そのぬくもりを肴に杯を重ねているとオンナがぐい飲みをひょいと横取って盆に返した。


 そうして煙草盆を引き寄せて、煙管きせるに刻み煙草を詰め火をつけながら桜の花の話を始めたのだ。


 『新月の夜、桜吹雪の下に立てば別れた恋人いいひとに会える』のだという。

娼妓しょうぎのなかで伝わる話しなのだそうだ。


 「ねえ、お侍さん。

アンタさ、誰か忘れられない恋人いいひとがいるんじゃぁないのかい?」

「どうしてそう思うね?」

おいらは差し出された煙管きせるを眺めながら、聞き返した。

手入れの行き届いたほそい指によく似合う煙管だ。

銀に複雑な雲龍紋の彫刻、細工には青色や赤色が着色され見事な逸品。


 「なぁ、さっきの話し。

だいたい月もない真っ暗闇で、ソイツが逢いたかった当人だとどうしてわかるんだぃ?」

と尋ねたら、

「野暮なことお云いでないよ。」

と乱れてもいない髪を掻き揚げる仕草をして女がわらった。


 「もっとも、こっちじゃ桜の時期は短くてさぁ。

うまく新月と合えばいいけどねぇ。

お侍さんのいなさる松前なら、桜はたんとある。

お城の桜はずいぶんと見事だって噂だよぉ。」


 その桜も、何もかもを戦火で失った民たちが暖を取るためにずいぶん切り倒したがな、という言葉は苦い気持ちで飲み込んだ。


 女が差し出す煙管を受け取って軽くふかす。

きき慣れない煙にむせて咳き込んだ。

女が優しい手つきで背中をさすって


 「おんや、お侍さんのほうが冷えていなさる。」

と言って、火鉢を引き寄せた。

西洋のものだという刻み煙草は、今まできいたことのない尖ったような香りがした。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 さくら

さくら


 月のない夜

散り吹雪く桜花のただ中に立てば

逢いたい人に逢えるのだという


咲く花

散る花

舞うさくら


 薄闇に浮かぶ満開の桜。

降りしきる花吹雪。

天空に半分欠けたぼんやりとした月。

土手の向こうの空は薄紅のいろ。

夜は更けるのか、明けるのか。


 桜並木の先のあわい

懐かしい人影が、袖口をちょいと摘まんでおいらを招く

小首をかしげた愛おしい顔

微笑むと右の頬に浮かぶえくぼ

こめかみに差したビラビラかんざし


夢とわかる夢。


 ―やみでもワタシには貴方アンタだとわかるけどさ

やっぱり月明かりくらいないと、粋じゃないよねぇ


 夢の中、少しばかりやつれた婀娜あだな女が笑った

「まこと。」

と、柔らかい体を腕の中にすっぽり包んでおいらも笑った。


 最後の花見。

江戸を離れ東国へと出陣することが決まった夜。

二度と江戸には戻れぬ、生きては逢えぬと病んだ体に無理をさせた。

これが最後と女も応えた。

夜風はこたえるからと、固く締めたはずの月見障子から

風に乗ったのか

 花びらが

  一枚、紛れ込んでいた。


さくら

 桜

   さくら

散る花

 舞う花


思い出のさくら


夢の女の懐は、懐かしくやさしい香りがほんのりとしていた。




       落風 ~夢に散る花~


*********************


落風(らくふう)

花を散らす風


揚屋(あげや)

江戸時代、客が置屋から高級遊女を呼んで遊んだ店

「揚屋」と「茶屋」の違いは、宴席に出す料理を自前て作っていたかどうか。

「揚屋」には客に出すための台所があり料理人を抱えていた。


衣桁(いこう)

着物を広げて掛けておくための家具。


筒袖(つつそで)

幕末期の洋式軍隊において広く使われた和製洋の一種。

腰切筒袖の和服に筒形の袴で作務衣に似たスタイル

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