8月15日

 8月15日の早朝、いつもより早く和夫は目覚めた。だが、目覚めたのはその理由ではない。人通りがいないうちに橋から飛び降りよう。そうすれば誰にも気づかれずに死ぬ事ができるだろう。


 昨日の夜は夢でうなされた。シゲが死んだ事で罵声を浴び、みんなから追われる夢だ。優太に助けを求めようとしたが、優太は闇の中に消えていく。そして誰も助ける人がいなくなる。目覚めた時には深夜で、智也が隣で寝ている。


 和夫は1階にやって来た。シゲはまだ寝ている。いつものようにいびきをかいている。とても静かな朝だ。今のうちに家を出よう。


 和夫は家を出て、農道を歩き出した。農道には誰もいない。車が全く走っていない。早朝なので、みんな寝ているようだ。今の内だ。秋平の入口の橋に向かおう。


 和夫の視点から家が見えなくなったその時、智也が目覚めた。智也はなぜか風を感じた。誰かが朝早くに出て行ったんだろうか? 智也は辺りを見渡した。


「あれっ、和ちゃん?」


 敷布団で寝ていた和夫がいない。もう起きてどこかに行っているんだろうか? それとも1階にいるんだろうか?


 智也は1階に下りてきた。だが、和夫はいない。シゲがいびきをかいて寝ているだけだ。


「あれ? いない・・・」


 智也は首をかしげた。和夫はどこに行ったんだろう。朝から何をしているんだろう。


 その頃、和夫は橋を渡っていた。その下にあるのが、三途の川のようだ。自分はこの川に落ちて、地獄で裁きを受けるんだ。いじめでシゲを死に追いやった事で裁かれるんだ。


 橋の真ん中まで来た所で、和夫は橋げたをまたぎ、端に立った。ここから飛び降り、早くこの世からいなくなりたいな。


 その時、車に乗った男がやって来た。鈴木だ。早番でたまたま通りがかったようだ。飛び降りようとしている和夫を見て、驚いた。


「な、何しようとしてんだ!」


 鈴木は急いでやって来た。和夫が死のうとしている。何があったんだろう。まさか、いじめを起こしてしまって自殺しようとしているんだろうか? いや、立ち直ったはずなのに。


「何しようって、死のうとしてるんだよ!」


 鈴木は和夫の手をつかんだ。絶対に死ぬな! もっと生きろ! 鈴木は必死だ。


「なんでだよ!」


 和夫は抵抗した。だが、鈴木は離そうとしない。自殺してほしくないようだ。


「俺のせいでおじいちゃんは半年しか生きられなくなっちゃったんだぞ! だったら、俺が死んだほうがましだ!」


 鈴木は驚いた。まさか、シゲががんで余命半年だと知ってしまったんだろうか? 秘密だったのに。立ち話で知ったんだろうか?


 そこに、智也がやって来た。自殺しようとしている和夫を見て、驚いた。今、いじめによる自殺が起きている。でも自分は生きている。なのに、どうしていじめた側が自殺しなければならないんだ。自分は生きている。


「そんなのやめて!」


 智也は和夫の腕を握った。自殺してほしくない。いじめてしまったけど、共に生きよう。共に卒業しよう。そして、共に大人になろう。


「やめろ和夫!」


 鈴木は強い口調だ。今までの鈴木と明らかに違う表情だ。まるで鬼のように怖い。


「離せおじさん!」


 和夫も口調が荒い。今まで鈴木さんと言っていたのに、おじさんと言ってしまった。それを聞いて、鈴木はますます怖い表情になった。


「何言ってんだ! 鈴木さんと呼びなさい!」


 鈴木は更に力強く和夫を引っ張った。朝なのに大汗をかいている。


 数分後、何とか鈴木と智也は和夫を橋の真ん中に引き上げた。和夫は泣いている。死ぬことができなかった。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


「何をしようとしてたんだ!」


 息を切らしつつ、鈴木は怒鳴った。和夫は下を向いてそれを聞いている。和夫を息を切らしている。


「やめろ! 俺は死にたいんだ!」


 和夫は再び端に行こうとした。だが、鈴木が引き止める。智也は心配そうにその様子をじっと見ている。


「和夫、お前、どうしてそんなことしようとしたんだ?」


 鈴木は強い口調だ。自殺なんてしてはならない事じゃないか?


「おじいちゃんがもうすぐ死んじゃうんだったら、自分がこうなった方がましだと思って」


 鈴木は息を飲んだ。やはり知ってしまったようだ。秘密にしていたのに。


「何言ってんだよ! お前の命の方が大切じゃないか?」


 和夫は考えた。命はとても大切なもので、二度と生き返らないし、人生は一度だけだ。そう思うと、自然と力が抜けた。どうして自分は自殺をしようとしたんだろう。


「ごめんなさい」


 和夫はより一層声をあげて泣いた。自殺しようとしている自分は、なんて心が弱いんだろう。


「今日は1日反省しなさい!」


 鈴木は和夫の頬を叩いた。和夫は下を向いて泣き崩れた。それを見て、鈴木は肩を叩いた。今までの鬼のような形相が嘘のようだ。反省しているようなので、もう怒るのをやめたようだ。


「は・・・、はい・・・」


 和夫は泣きながら智也と一緒にシゲの家に戻った。智也は和夫の手を握っている。いじめの事はもういいから、どんなに辛い事があっても、共に乗り越えよう。




 2人は家に帰ってきた。玄関の前にはシゲがいる。今さっきの騒ぎ声で目が覚めたようだ。


「和夫・・・」


 シゲは和夫をじっと見つめている。知ってしまったようだ。両親と鈴木にしか言っていなかったようだが。誰かの立ち話を聞いたんだろう。


「おじいちゃん・・・」


 和夫はまだ泣いている。この夏休みで立ち直ろうとしていたのに、期待に応えられない。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


「大丈夫か?」


 シゲは和夫の肩を叩いた。和夫は少しほっとした。怒られる事しか頭になかった。まさか怒られないとは。


「ごめんなさい・・・」


 和夫は頭を下げると、玄関に戻った。和夫はとぼとぼ歩いている。とても落ち込んでいるようだ。


「何も言わないから、今日はゆっくりしなさい」

「うん」


 和夫は振り向かずに、2階に向かった。しばらく話しかけない方がいいかもしれない。そっとしておこう。


 和夫は2階でじっとしていた。無理心中をした優太の両親はどんな気持ちだったんだろう。自分と同じ気持ちだったんだろうか?


「和ちゃん?」


 和夫は振り向いた。そこには智也がいる。盆にのせられた朝食を持っている。今朝、和夫はシゲや和夫と一緒に朝食を食べる事ができなかった。あまりにもショックで、一緒に食べる事ができなかったようだ。


 智也は朝から翔太らとゲームをしている。今朝起きった事の気晴らしの目的だ。下からはしばしばドラゴンクエストの効果音が聞こえてきた。だが、和夫は全く反応せず、じっとしていた。


「智也くん」


 智也は目の前に盆を置いた。和夫は静かに食べ始めた。お腹がすいているようだ。智也は笑顔を見せた。食べてくれただけでも嬉しい。


「大丈夫か? まぁ、おじいちゃんがあんなことになったけど、それはきっと和夫のせいじゃない。

ただ単に病気になっただけなんだ」


 智也は和夫を励ました。また元の元気な和夫に戻ってほしい。シゲの病気は決して和夫のせいじゃない。それ以前にがんができたんだ。


「そうなんかな?」


 和夫は信じられない表情だ。自分がいじめたせいでなったんじゃないのか?


「きっとそうだよ。余命半年と言われたのは、半年で悔いのない事をしなさいと命令されただけなんだよ」


 智也は和夫の肩を叩いた。


「そう・・・、かな?」

「・・・、ああ」


 その時、正午と共に甲子園球場のサイレンが鳴る。それと共に、下が静まり返った。


「今日が終戦記念日なのか」

「うん」


 どうやら、終戦記念日の黙とうのようだ。今日8月15日は、太平洋戦争の終わった日で、正午になると共に多くの人々が全国各地で黙とうをする。


「戦死したおじさん、どう思ってるんだろうね」


 和夫は、先日聞いたシゲの弟の話を思い出した。平和になった世界を、弟はどう思っているんだろうか? こんな世界に生きたかったと思っているんだろうか?


「この時にこの世にいれなくて、無念だと思ってるんじゃないかな?」


 和夫は空を見上げた。シゲの弟は僕らを見ているだろうか? もうすぐ再会できるシゲにどんなことを話すんだろうか?


「きっとそうだろうな」


 いつの間にか智也も空を見上げている。智也もシゲの兄の事を考えているようだ。


「尊い命がこんなことで・・・」


 2人は学校で習った特攻隊の話を思い出した。どうしてこんな事で尊い命が奪われなければならないんだろう。




 その夜、少しずつ立ち直ってきた和夫は1階に下りてきた。色々あったけど和子に話さないと。和子がどう話すかわからないけど、話さないと。


 和夫は受話器を取った。和夫は少し震えている。


「もしもし・・・」


 和夫は元気がなさそうな声だ。


「あら、和ちゃんじゃないの?」

「今日はごめんね」


 和子は息を飲んだ。今日の事はすでにシゲから聞いている。何も言わないようにと言われている。


「もういいのよ。ゆっくりおやすみ」


 和子は優しそうな声だ。自殺しようとしていた事を気にせずに、立ち直ってほしいと思っているようだ。和夫は安心した。怒られなかった。


「うん」

「おやすみ、元気出してね」

「うん、おやすみ」


 電話が切れた。和夫は静かに受話器を置いた。今日は大変だった。自分はどうして自殺しようとしていたんだろう。自分はいじめを起こしてしまった。だけど、こんな事に負けずに、1日1日頑張っていこう。もっと頑張って、いじめの事を挽回しなければ。おじいちゃんが生きられなかった分まで生きれば、きっと天国でもおじいちゃんは喜んでくれるはずだ。

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