8月10日

 8月10日、和夫は寝台車のベッドで目が覚めた。時刻は6時頃。まだ車内は静かだ。寝台急行は終点に向かって走っている。


 和夫はベッドから降りた。その下で寝ている和子はまだ起きていない。いびきをかいて寝ている。

 和夫は通路の椅子に座り、景色を見ていた。もう都会は見えない。のどかな田園地帯だ。その向こうには山が見える。


 東京からは遠く離れてしまった。今度見られるのは30日。それまで友達と会えない。だけど、それは自分への罰だ。


「また戻ってきたね」


 和夫は振り向いた。和子がいる。いつの間にか起きたようだ。


「うん」

「30日までに気を取り戻さないとね」


 和子は和夫の肩を叩いた。和夫は改めて決意した。和子のためにも、友達のためにも立ち直らなければ。


 6時頃、寝台急行は比較的大きな駅に停まった。ここでは30分待ちだ。ここから先は非電化で、電気機関車からディーゼル機関車に付け替えるようだ。


 2人はそれを利用して、朝食のパンを買う事にした。この寝台急行には食堂車どころか、自動販売機、売店、車内販売もない。2人はドアを手で開けて、ホームの売店に向かった。寝台急行のため、朝早くからやっているようだ。


 30分後、寝台急行は駅を出発した。2人は通路の折り畳み椅子に座ってパンを食べた。駅を出てしばらく走ると、田園風景が広がる。都会とは全く違う、のどかな風景だ。


「おじいちゃんの家、来年も行きたいと思ってる?」

「うん」


 和夫は迷わず首を縦に振った。だが、和子の様子がおかしい。何かを知っているような表情だ。


 和夫はその表情が気になった。和子はシゲの秘密を知っているんじゃないか? シゲは何か重大な病気だろうか? ひょっとして、来年は行けないんじゃないかな?


 8時過ぎ、2人は終点に着いた。ホームは都会のように賑わっている。ちょうどラッシュ時間だからだろう。都会のように見えるが、ここは都会ではない。


 ここから2本のディーゼルカーを乗り継いで家に向かう。ディーゼルカーが来るまであと2時間ぐらいだ。2人はディーゼルカーがホームに来るまで待合室で待つ事にした。


 2人は待合室に入った。ここは東京ほどじゃないが暑い。待合室には冷房が効いている。


 待合室のベンチに座り、2人は大きく息を吸い込んだ。ここまで10時間以上乗ってきた。だが、シゲの家はまだ先だ。移動はまだまだ続く。


 朝のラッシュを終え、待合室は静まり返っている。昔はもっと多くの人がいたと思われる待合室には、和夫と和子しかいない。とても寂しい。都会の待合室は常に誰かがいるのに。


「おじいちゃん、いなくなったら寂しい?」

「うん」


 和夫は戸惑った。急に何だろう。どうしてそんな事を聞くんだろう。シゲの故郷がやっと好きになったのに、いなくなったらそこに行く機会がなくなってしまう。シゲと過ごせるからいいのに。いなくなったらその意味がなくなってしまう。


 1時間半後、乗り換えるディーゼルカーがやって来た。急行で、乗車券の他に、急行券が必要だ。急行は10両編成でやって来た。だが、2人が乗るのはここから分割される後ろの4両で、後ろの6両は別の路線に行く。


 2人は急行の自由席に乗った。自由席には数人の乗客がいる。車内はとても静かだ。ディーゼルカーのモーター音がよく響く。


 30分後、急行は駅を出発した。結局、自由席にはこれ以上乗らなかった。


 急行は駅を出発すると、別の路線と別れ、田園地帯を走った。田園地帯では、年老いた男女が農作業をしている。彼らの娘や息子は家を出たんだろうか? それとも家にいるんだろうか?


 和夫は車窓を見て、シゲの家を思い浮かべた。シゲは元気にしているだろうか? 死んでいないだろうか?


 約2時間後、2人は7日にやって来た乗り換え駅に着いた。乗り換え駅は今日も閑散としている。駅にはすでに乗り換えの気動車が停まっている。気動車は単行で、全く人が乗っていない。


 2人は乗り換え駅に降り立った。2人以外誰も降りない。そして誰も乗らない。とても静かだ。駅員の声やディーゼルカーの音がよく聞こえる。


 構内踏切を渡り、2人は森琴に向かうディーゼルカーに乗った。やはり車内には誰もいない。昔はどれぐらいの人が乗っていたんだろう。そして、何両編成の列車が走っていたんだろう。


 ディーゼルカーは出発すると、川に沿って走り出した。川は清らかに流れている。とても美しい。東京ではあまり見られない。果たしてあと何年シゲの家に行けるんだろうか?


 約1時間後、2人は森琴駅にやって来た。ホームにはやはり誰もいない。昔はどれぐらいの人が乗り降りしていたんだろう。


 2人は駅から出た。森琴駅の前にはシゲがいる。シゲは笑顔を見せた。和夫が帰って来るのを楽しみにしていたようだ。


「ただいま!」

「おかえり!」


 和夫は手を振った。すると、シゲも手を振り返した。


 和夫とシゲは軽トラックに乗った。とても久しぶりだ。


「また帰ってきたよ」

「30日までよろしくな」

「うん」


 シゲは軽トラックを走らせた。和夫は懐かしそうに風景を見ている。いつの間にか、和夫は東京よりここが好きになっているようだ。だが、和夫はそれに気づいていなかった。


「やっぱりここが一番だな」

「そうだろ?」


 シゲは笑顔を見せた。この村のこの風景を気に入ってくれたようだ。


「でも、30日までなんだよな」


 すると、シゲの表情が苦くなった。何かを考えているようだ。


 和夫は寂しがった。ここを離れるのが辛い。でも学校がある。友達がいる。いつかは東京に戻らなくてはならない。


「そうだね。でもまだまだ先の事じゃん!」

「そ、そうだよね」


 和夫は少し苦笑いした。まだまだ先の事だ。気にすることはない。29日までに思い出をたくさん作ればいいだけの事だ。


「まだ20日あるんだよ」

「うん」


 和夫は笑顔を見せた。もっともっとたくさんの思い出を作らねば。


「思いっきり夏休みを楽しみなよ」

「そうだね」


 軽トラックは橋を渡り、秋平に向かう。再び夏休みが始まる。あと20日、悔いのないように遊ぼう。

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