7月31日

 7月31日、この日は朝から雨が降っている。だが、昼前には上がるという。今日はセミの鳴き声ではなく、雨音がよく聞こえる。


 することがなくて、和夫は朝から勉強をしていた。こんな雨の天気では、外で遊ぶことができない。友達のいる東京にいなければ、ゲームをする気になれない。


 昨日はあまりできなかった。だから、その分勉強を頑張らねば。来月9日に提出する宿題が優先だ。


 昼が近くなって、和夫は2階から降りてきた。もうすぐお昼だ。もうご飯ができてるだろうか?


 和夫はシゲを見つけた。シゲは写真をじっと見ている。その写真は古そうな見た目で、少しすすけている。


「おじいちゃん、何見てんの?」


 誰かの声に気付き、シゲは後ろを振り向いた。和夫だ。お昼が近くなったので降りてきたと思われる。


「弟の写真だよ」


 シゲは寂しそうな表情だ。その弟はもう何年も前に死んだんだろうか?


「おじいちゃんの弟?」

「ああ。8歳年下のね。戦死したんだけどね」


 シゲは下を向いた。今考えても涙が出そうだ。もっと生きてほしかった。でも、この日本のために戦った。だが、戦争なんてあってよかったんだろうか? 人を犠牲にしてまでもする事だろうか?


「そうなんだ。空襲で亡くなったの?」

「いや、特攻隊員でね」


 シゲの弟は特攻隊員だった。神風特攻隊は太平洋戦争末期にいた部隊で、片道分の燃料と爆弾を積んで敵艦に体当たりする。初めから死ぬこと前提で、遺書を書いてから向かうという。だが、敵艦に当たる事は多くなく、ほとんどが体当たりする前に撃墜される。


「特攻隊員?」

「飛行機ごと敵艦に体当たりする部隊のことなんだよ」


 シゲは特攻隊で敵艦に突撃したと言われている弟を誇りに思っている。同時に、どうしてこんな事で死ななければならなかったんだとも思っている。


「そんなことしたら、助からないじゃん!」


 和夫は驚いた。死ぬために飛んでいくなんて、許せない! 命は大事な宝物なのに、どうしてこんな事をするんだろう。


「助からない事前提で突撃するんだよ」

「そんな・・・」


 和夫は信じられなかった。戦時中にこんな人がいたなんて。自分にはとてもできない。国のために死んで来いと言われても、自分は御免だ。


「信じられないけど、本当の事なんだよ」


 シゲにもそんな勇気がなかった。だが、弟は勇気を持って敵艦に体当たりした。そう思うと、自分はなんて勇気がないんだろうと考えてしまう。


「自分だったら、とても無理。死ぬなんて、まだ若いのに・・・」


 和夫の言葉に、シゲは同感だった。自分にも勇気がない。弟に比べたら、自分たちは勇気がない。


「覚悟の上で突撃したんだよ」


 シゲは誇らしげな表情だ。国を守るために命を捧げた弟は自分の誇りだ。少しドジだったけど、こうして命を捧げた。


「そうなんだ」


 シゲは古びた紙を取り出した。紙には雑ながらも分が書かれている。手紙のようだ。シゲは悲しそうな表情だ。


「遺書も残してたんだよ」


 シゲは和夫に遺書を見せた。和夫はそれを受け取った。


「これが遺書?」

「うん」


 和夫は遺書を読み始めた。




 父さん、母さん、シゲ兄ちゃん、いよいよ明日、出撃だ。短かかったけど、今までありがとうな。ドジな俺だったけど、最後はかっこよく国のために尽くすよ。そういえば、うちの犬がもうすぐ子供を産むんだよな。もし、撃沈したら、俺、うちの犬の子供になって戻ってきたいな。生まれた時は、「トシ、おかえり」と言ってくれ。明日でお別れだけど、生まれ変わってまた会えるよな。そして、天国でも会えるよな。その時は、天国で一緒に飲もうぜ。




 和夫は思わず見入ってしまった。先日無理心中した優太の両親とどこか重なる。死ぬ時はどんな気持ちだったんだろう。和夫は悲しくなった。


「泣けてくるだろ?」

「うん」


 和夫はいつの間にか涙を流していた。手紙で泣くなんてなかった。どうしてこんな時代になったんだろう。戦争なんてなければこんな事にならなかったのに。


 2階に戻った和夫は、空を見上げた。よく見ると、飛行機が飛んでいく。それを見て、特攻隊の事を思い浮かべた。特攻隊の飛ぶ姿を見て、人々はどう思ったんだろうか? もうすぐ死んでいく人々だ。どういう思いで見ていたんだろうか?




 午後、和夫と塚田は橋の上から川を見ていた。今日も川では多くの人がキャンプや釣りを楽しんでいる。彼らは楽しそうな表情だ。


 和夫は彼らの様子を見て、戦争をどう思っているんだろうと思った。多くの人を犠牲にした戦争を経験していない人もいる。彼らはそんな戦争に生き延びられるんだろうか?


「そっか、特攻隊か」


 塚田は特攻隊の事を習ったことが何回かある。小学校や中学校の社会の授業と、高校の頃に日本史で習った。


「塚田の兄ちゃん知ってるの?」

「うん。日本史で習ったんだ。とてもびっくりしたね。飛行機に乗ったまま敵艦に体当たりするんだよ」


 塚田は震えていた。命を捨てるなんて、とてもできない。こんな年齢で死ねと言われてもできない。まだまだしたいこといっぱいあるのに、こんなに早く死ぬなんて。


「じゃあ、助からないじゃん!」

「死ぬこと覚悟でするんだよ」


 塚田は家族の事を考えた。家族にも特攻隊員はいると聞いている。遺品はあるんだろうか?


「おじいちゃんからその話を聞いたんだ。僕もびっくりした」


 和夫はシゲの話を思い出していた。小学校で習ったけど、もうすぐ中学校でも習うんだろうか?


「そうなんだ。で、後で知ったんだけど、僕のおじさんもそうだって」

「へぇ」


 塚田の親族にもいたなんて。この下にいる人の中にはいるんだろうか?


「遺書も残してたんだって」

「そうなんだ」


 塚田も遺書を読んだ事がある。読んでいて思わず泣いてしまった。戦時中にこんな事があったなんて。死ぬ人はどんな気持ちだったんだろう。本当はもっと生きたかったんだろうな。




 家に帰ってきた和夫は2階から外を見ていた。自分の周りにはどれだけ、身内に特攻隊員のいる人がいたんだろうか? その人々の話も聞いてみたいな。それ、ひょっとしたら自由研究のネタにできるかもしれない。


 和夫は1階に降りてきた。和子の身内にも特攻隊員がいたんだろうか? ぜひ聞いてみたい。そう思い、和夫は受話器を取った。


「もしもし」

「あら、和ちゃん、どうしたの?」

「特攻隊の話をしてもらったんだ」


 和夫の表情は真剣だ。果たして和子の親族にも特攻隊員がいたんだろうか?


「ふーん、お母さんの叔父の中にも特攻隊だった人がいたんだよ」


 和子の家族にも特攻隊員がいた。和夫は驚いた。どれだけの人が特攻で出撃して命を絶ったんだろうか?


「その人、どうなったの?」

「出撃して死んじゃった」


 やはり死んだんだ。助かる保証なんてないんだ。死んだとはいえ、本当に敵艦を撃沈させたんだろうか? それまでに死んだんだろうか?


「みんなそうなるのかな?」

「みんなじゃない。わずかに生き残るんだ。でも、死ぬ覚悟なんだよ」


 わずかに生き残った人もいたそうだ。だが、本当に生き残れるんだろうか? 疑問に思える。


「そうなんだ」

「人の命って、大切なのに、どうしてこんなことするのかな?」


 和夫は疑問に感じたことがある。どうして人の命をこんな事に使うんだろうか? 死んで何の得もないのに。ただ悲しみを生むだけなのに。


「国を守るためだよ。でも、こんなこと、許せないよね」

「うん」


 和夫は真剣に聞いていた。国を守るためとはいえ、こんな事をするなんて。今では絶対に許せない事だ。自分は智也の命を握りつぶそうとしていた。自分は何て自分勝手だったんだろう。まるで魂を握りつぶそうとしているようではないか? 命の重みってどれぐらいだろう。計り知れないものだろうか? 受話器を持ったまま、和夫は考え込んでしまった。

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