7月30日

 7月30日、朝食を終えた和夫は2階から空を見上げていた。今日も快晴だ。朝から蒸し暑い。セミが朝からけたたましく鳴いている。


 和夫は東京の友達の事を思い浮かべた今頃東京の仲間は何をしているんだろう。元気にしているだろうか? 和夫の事を心配していないだろうか? 話が聞きたいな。でも、今は会えない。登校日まで会えない。


 シゲは朝から農作業をしている。和夫は見降ろしてその様子を見ている。だが、シゲの姿を見ると、落ち込んでしまう。あの薬の事だ。どんな病気なんだろう。あと何回この家に戻ってこれるんだろう。


 東京とはまた違う。川のせせらぎが聞こえる。空気がおいしい。セミの鳴き声がよく聞こえる。とてものどかな風景だ。東京の子供達にも伝えたいな。


「和夫ー!」


 突然、誰かの声がした。塚田だ。塚田は半袖に短パン、麦わら帽子をかぶっている。高校生だが、まるで少年のようだ。


「はーい」


 和夫は下に降りた。こんな格好で何をするんだろう。


「お邪魔します」

「塚田の兄ちゃん」


 和夫は驚いた。どうしてここに来たんだろう。


「昆虫採集しようかなって」


 昆虫採集はした事がある。夏になると近くの公園でやったぐらいだ。だが、こんな広い森で昆虫採集なんて、初めてだ。どれだけ昆虫が採れるんだろう。


「急にどうしたの?」

「もうできるかどうかわからないから」


 来年の春からは東京に行く。東京に行ったらこんな大自然の中で昆虫採集なんてできないだろう。だから、今年の夏に思いっきり楽しんで、思い出に残しておこう。


「そっか、東京行くもんね」


 和夫は塚田の気持ちがわかった。東京に行ったら、こんな大自然なんてあんまり体験できないから、記憶にとどめておこう。


 和夫は一旦2階に向かった。昆虫採集をするので必要なものを持ってこようと思った。


 しばらくして、和夫が2階から降りてきた。塚田同様、半袖に短パンで、麦わら帽子をかぶっている。


「準備できたよー」

「しゅっぱーつ!」


 2人は農道から近くの雑木林に向かう事にした。この農道の先は峠道につながっている。江戸時代は人々が行き交っていたが、今では通る人はいない。通る車がちらほらいるものの、ほとんどが軽トラックで、峠を越える車はそんなにいない。


「おじいちゃん、裏山に行ってくるね」

「あぁ、気を付けてな」


 2人は家を後にした。シゲはその様子をよく見ていた。昔はああやって昆虫採集をした。あの頃が懐かしいな。


 2人は農道を歩いていた。誰も人がいない。昔はどこに人家があったんだろう。どれぐらいの旅人が行き交ったんだろう。


 辺りにはセミの鳴き声しか聞こえない。家よりも大きく聞こえる。集落は雑木林に囲まれて、全く見えない。


「ここか」


 2人は辺りを見渡した。辺りは少し涼しい。日の当たりにくい場所のようだ。


「東京ではこんな自然ないね」

「うん。雑木林はあるんだけど、こんなのはないね」


 和夫は驚いた。東京にいる時にこんな自然を見たことがない。


 集落を後にして約10分後、2人は雑木林に入った。雑木林には誰もいない。昔はもっと遊ぶ子供が多かったに違いない。だが、子供が少なくなった今ではこの有様だ。


「さぁ、見つけに行こうか?」

「うん」


 2人は虫取りを始めた。こんな広い場所で虫取りをするなんて、都会ではできない。今日の事はよく心にとどめておこう。きっと2学期に話のネタになるはずだ。


「昆虫見つかるかな?」


 2人は更に奥に進んだ。どこまで行っても、誰もいない。誰も雑木林に来ていないようだ。所々を見ると、人家の跡が見える。そこにはどんな人々の生活があったんだろう。


「なかなか見つからないな」

「根気よく探せば、見つかるはずだよ」


 2人はあきらめずに探した。2人はどんどん奥に進んでいく。進むにつれて次第に農道が見えなくなる。一体どこまで奥に行くんだろう。こんなに雑木林の奥に行ったことがない。


「見つけた! オオクワガタだ!」


 突然、塚田の声が聞こえた。和夫は驚いた。こんなに早く獲れるとは。塚田は和夫の所にやってきて、オオクワガタを見せた。都会のより少し大きい。


「大きいな」


 一体このオオクワガタはどれぐらいの価値があるんだろう。大きければけっこう高い値段になると言われている。


「東京にいるかな?」

「都会ではまず見れないだろうな」


 塚田は寂しそうな表情だ。都会に行ったらこんなに大きいのいないだろうな。これからも夏休みに帰る事があれば、その事をよく記憶にとどめておかないと。


「昆虫採集の素晴らしさ、東京の子供たちは知ってるのかな?」

「教えたいね」


 来月9日は登校日だ。ここまでの思い出を友達に語ろう。そして、この村の素晴らしさを伝えたいな。




 昼下がり、昆虫採集から戻ってきた和夫は家で勉強をしていた。昆虫採集はいい気分転換になった。いつもより勉強がはかどる。


 シゲは畑仕事を終えて、家でくつろいでいる。2階にいると、テレビの音が聞こえる。どうやらワイドショーを見ているようだ。和夫は全く興味がない。背を向けるように勉強している。


「ごめんください」


 突然、誰かの声が聞こえた。その瞬間、和夫は驚いた。優太だ。声だけでわかった。どうしてここに来たんだろう。和夫が恋しくなったんだろうか?


「はーい」


 和夫は笑顔で2階から降りてきた。久しぶりの再会だ。とても嬉しい。優太はファミコンのソフトが入っていると思われるリュックを背負っていた。


 優太は東京から夜行列車等でここまで来た。1人だ。1人旅をするのは初めてと思われる。だが、ここまで来たのは、それだけ寂しかったのだろう。


「優太くん。どうしたの?」


 和夫は首をかしげた。何も知らせずに、突然どうしてきたんだろうか?


「ちょっと来てみようかなと思って」


 優太は舌を出した。突然の事で驚かしてごめんね。優太は照れくさそうな表情だ。シゲも驚いた。まさか、和夫の友達が来るとは。


「そうか」


 和夫は苦笑いをした。突然の事だけど、友達が来てくれると、当然嬉しい。


「いい所だろ」


 和夫は辺りを見渡した。東京とは正反対の、自然豊かで、のどかな風景だ。優太は遠足や社会見学でこんな風景を見たぐらいだ。こんな所に和夫のおじいちゃんの家があるんだ。


「こんな所にあるんだね」


 優太は周りの景色を見て深呼吸した。東京よりずっと空気がきれいだ。もっと吸い込みたい気分だ。


「いい所でしょ」


 和夫は少し過ごしただけで、この村が好きになっていた。夏休みが終わってほしくない。できればここに住みたい。だが、来月に東京に帰らなければならない。名残惜しい。ちょっと住んだだけでこんなに好きになるのは、なぜだろうか?


「東京ではまず体験できないよ」

「昔は東京もこんな家だったんかな?」


 2人は昔の東京の風景を博物館で見たことがある。確か、こんな民家だった。田舎にはこんな家がまだ残っているんだな。この家を後世に残せないだろうか? そして、その素晴らしさを未来の子供たちに伝えられないだろうか?


「きっとそうだろうね」

「いい所でじゃろ?」


 突然、誰かの声がした。2人は振り向いた。シゲだ。誰かが来たことに気が付いて、やって来た。


「この人、誰?」

「僕のおじいちゃん」


 和夫は照れくさそうに紹介した。シゲは笑顔を見せた。この子が和夫の友達なんだ。


「そうなんだ」


 優太はお辞儀をした。すると、シゲもお辞儀をした。


「夏休みはここでお世話になるんだ」

「楽しい?」


 優太は心配していた。友達と離れて、こんな寂しい山里で暮らして、大丈夫だろうか?


「うん。でも、いじめのことで気持ちが上がらないよ」


 いじめの事からまだ抜け出せていない。和夫は正直だ。まだちょっとしか暮らしていないのに、こんなに早くから立ち直れない。これからどんどん立ち直っていくだろう。


「そうだろうな」

「どうだ? 一緒にゲームやらない? ソフト持ってきているから」


 優太は持ってきたファミコンのソフトを出した。ファミコンを持ってきていると知っていて、ソフトしか持ってこなかったと思われる。


「いいよ」


 優太は靴を脱いで、家に入った。まるで数十年前にタイムスリップしたような家だ。こんな家に住んでみたいな。優太はしばらく見とれていた。


 2人は家のテレビを使って、ゲームを始めた。東京では毎日のように遊んだ。だが、ここで遊んだことはない。ゲームをするのを忘れるぐらいの魅力が、この村にあるからだろうか? それとも、ゲームをする友達と離れてやろうとする気が薄れたからだろうか?


「2人で遊ぶの、久しぶりだね」


 その頃、シゲはスエの家で話をしていた。今どきの子供の遊びについて行けないと思い、スエの所にやって来た。


「いじめがわかってからまったく遊ばなかったもん」

「そうだね」


 いじめが発覚してからの事、楽しくゲームをしている気分ではなくなった。毎日が地獄のようで、大変な日々だった。


「久々に遊ぶの、楽しいね」

「うん」


 2人はゲームの楽しさを再確認できた。日頃の辛さを忘れることができる。そして、なぜかやり過ぎてしまい、時間を忘れてしまう。


 結局2人は夕方までゲームをした。久々に遊ぶことができて、本当に嬉しい。だが、今日からまたしばしのお別れだ。来月9日にまた会おう。


 優太とゲームをしたせいで、今日は勉強はあんまり進まなかった。だが、久々にゲームをするのもいい気分転換になったに違いない。


「今日はありがとね」

「うん、気を付けて」

「じゃあね」


 優太は手を振り、家を後にした。和夫はその様子をじっと見ていた。久々に会えて、優太は嬉しかっただろうな。また来月9日に会おう。その時には、もっと成長した自分を見せないと。いじめた事は仕方がない。だからこそ、それを挽回できるほど頑張らなければならない。


 久々に会うことができて、優太は嬉しかった。夏休みを祖父の実家で過ごすと聞いて、がっかりした。夏休みに一緒にゲームをする予定だったのに。いじめでこんな事になって。東京を離れて以来、和夫の事が気になっていた。祖父の実家で元気にしているだろうか? 立ち直ることができただろうか? 楽しくしているだろうか?

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