7月25日
7月25日、この日は珍しく朝から雨が降っていた。情報によると、台風が近づいているという。都会ではそんなことはないが、もし接近したら森琴村の公民館に避難することになるらしい。
和夫は朝から勉強をしていた。外が雨なので、まったく楽しくない。読書感想文は9割できた。だが、自由研究はまだ考えていない。日にちはまだあるので後々考えよう。
「お邪魔します」
誰かがやって来た。和夫は下に降りてきた。川を渡った所に住んでいる塚田さん家の長男だ。隣町の高校に通っていて、野球部のエースだ。
「あっ、塚田のお兄ちゃん。どうしたの? 部活あるんじゃないの?」
「引退したんだ。県大会で敗れてね」
塚田はがっかりしていなかった。実力は歴然だ。初戦の相手は県内の強豪で、みんな実力が桁違いだ。とても勝ち目がない。
「そうか」
「甲子園なんて夢のまた夢だよ」
塚田は甲子園に行こうなんて考えたことがなかった。甲子園なんて夢のまた夢だ。もっと実力のある高校が行くものだと思っている。
「でも、いつか行ってみたいね」
和夫は高校野球の試合をNHKで毎年見ている。特に夏はとても見入っている。まるで筋書きのない人間ドラマのようで、負けた球児が砂を持ち帰り、涙するところが印象に残っている。
「うん。観客としてでもいいから、行ってみたいね」
和夫は甲子園球場の事を考えた。テレビで見るより、生で見たい。生で見ると、臨場感が桁外れなんだろうな。
「高校の3年間、どうだったの?」
「楽しいこともあったけど、辛いこともあったよ」
塚田はこれまでの高校生活のことを思い出した。楽しいこともあったけど辛いこともあった。初恋もした。とてもいい高校生活だ。でも、来年の3月で終わる。
「高校を卒業したら、どこに行くの?」
「東京に就職するんだ。この村を離れるんだ」
塚田は高校卒業後、東京に就職する予定だ。近々運転免許を取るために自動車学校に通う予定だ。
「そうなんだ」
「東京には夢があるんだよ」
塚田は笑顔を見せた。東京は豊かで、いい所だ。ここよりずっと賑やかで、いろんな出会いもある。
「僕、東京に住んでるんだけど、確かにそう思うよ。でも・・・」
和夫はうつむいた。いじめの事を塚田に言いたくなかった。
「どうしたんだ?」
「な、何でもないよ」
和夫は笑顔を見せた。だが、焦ったような表情で、少し汗をかいていた。
「知ってるよ。いじめが発覚して部活を自粛されたって」
塚田は和夫がいじめを起こしたことを知っていた。先日、和夫と共にいじめに参加した中学生の両親が無理心中したこともニュースで知っている。
「し、知ってたんだ」
和夫は驚いた。塚田も知っていたとは。
「辛かっただろう」
「うん」
塚田は和夫の肩を叩いた。塚田は和夫の気持ちがよくわかった。とんでもないことをしてしまい、気分が落ち着かないんだろう。でも、全部忘れて、夏休みを楽しもう。
「まぁ、辛いことは忘れて、ここでのんびり過ごしてリフレッシュしようよ」
「うん!」
塚田は和夫を抱きしめた。早く立ち直ってほしい。元の和夫に戻ってほしい。
「高校でもこんなことはあるんだけど、こんな事したら退学だからね」
塚田は去年退学になった野球部員のことを思い出した。性格はよかったが、いじめを起こしてしまい、それがばれて、退学になってしまった。
「そ、そうなんだ」
和夫は震えあがった。中学校では口頭注意だけだが、高校では退学になるとは。ただでは済まされないことになるんだな。いじめは決してしてはならない。和夫は改めて決意した。
「だから、こんなことやっちゃいけないよ」
「わかった!」
「約束だぞ」
和夫と塚田は指切りげんまんをした。2人は笑顔を見せた。
その夜、いつものように和夫は優太に電話をかけた。やはり友達の声を聞かないと不安になる。シゲはテレビを見ている。
「もしもし、優太くん?」
「うん、どうしたの?」
優太は元気そうな声だ。すっかり立ち直ったみたいだ。
「生活どうかなって」
「優しく接してくれるから辛くないよ」
優太は笑顔を見せた。
「そうか。立ち直った?」
「まだまだ」
元気に答えているが、本当はまだ立ち直っていなかった。両親のことを考えてよく眠れない。
「早く立ち直ってほしいな」
「うん。待っててね」
和夫は電話を切った。
その頃、シゲはニュースを見ていた。台風情報だ。明日、この地方に最接近するそうだ。ニュースでは上陸した地域の様子が流れている。暴風で木が倒れたり、信号機が倒れている。歩いている人は傘をさして歩いているが、なかなか前に進めないようだ。
「明日、台風か」
「家でじっとしていないといけないね」
和夫の家ではいつもそうだ。台風が来るとできる限り家でじっとしているのが常識だ。昼間で暴風警報が解除されなければ、学校が休みになるので、その時は大喜びになる。
「いや、この辺は土砂崩れが起こったら大変だから、公民館に避難しなければならないんだよ」
シゲは真剣な表情だ。ここは都会と違う。何倍も危険なんだ。
「そ、そうなんだ」
「去年もこんなことがあったんだ」
シゲは去年にやって来た台風のことを思い出した。あの時も公民館に避難した。土砂崩れなどの被害はなかったが、集落へ通じる道が孤立した。
「都会とは違うんだね」
和夫は都会との違いを痛感した。家にいるのではなく、公民館に避難するとは。
「ああ。こんな山奥は、台風が来たらこんなに大変なんだよ」
「そうか。思い出した。台風が来たら土砂崩れで集落が孤立したり、公民館などに避難したり、人が生き埋めになるってニュース聞いたことがある!」
和夫は台風が去った後のニュースのことをもい出した。被害が大きかった山里は土砂崩れなどで集落が孤立することもある。そう考えたら、大変なことだと思った。
「そうなんだよ。こんなに大変なんだよ」
「気を付けないとな」
そう考えると、和夫は和子に電話しなければと思った。
和夫は受話器を取り、和子に電話をかけた。
「もしもし、お母さん?」
和子の声だ。聞いたのは何日ぶりだろう。
「和夫、どうしたの?」
「明日、台風だよね」
和夫は心配そうな表情だ。
「うん、そっちは大丈夫?」
「危なくなったら公民館に避難すると思うけど」
和夫は公民館にいれば大丈夫だと思っていた。
「それでも不安ね」
「大丈夫だよ」
和夫は電話を切った。それでも和夫は不安だ。公民館にいるなんて、どんな感じだろう。想像がつかない。
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