7月24日
7月24日、和夫はベランダにいた。和夫は鈴木さんが来るのを楽しみにしていた。今日は鈴木さんと山登りをする日。今日のこの時間にベランダで待ち合わせる予定だ。
しばらく待っていると、軽四駆がやってきた。鈴木の車だ。
「準備はできた?」
「うん」
和夫は横に置いてあったリュックを手にして、鈴木の車に乗った。
「気をつけてな」
シゲは手を振った。すると、車内の和夫は窓から顔を出し、手を振った。
「いってきまーす!」
「いってらっしゃい」
鈴木の車は実家を出発した。和夫も鈴木も楽しそうだ。
「和ちゃん、悪いことしたんやって?」
「うん。いじめを起こして、家族をめちゃくちゃにしてしまったんだ。大丈夫だったけど、優太くんの両親がもっとめちゃくちゃになって、無理心中しちゃったんだ」
鈴木も和夫の事はよく知っているようだ。もうみんな知っているんじゃないかな? 夏休みを楽しく過ごして立ち直ってほしいから何も言わないんだろうな。だったら、いじめの事は考えずに、夏休みを思いっきり楽しんだ方がいいな。その方が自分のためだし、家族のためだ。
「そうか。つらいやろ? わかるわかる」
「いじめた智也くんより辛い思いをしてるかもしれないよ」
「まぁ、気にすんな。それ以上に頑張ればいいじゃん」
1時間ほど走って、車は登山口に着いた。登山口には多くのハイカーが集まっている。
和夫が実家に向かうのに使った路線の終点は、吉岡山の登山口の最寄り駅だ。しかし、駅からかなり離れていて、バス連絡になっている。そのため、ここにやってくるほとんどの人はマイカーでやってくる。
「さぁ。着いたぞ」
和夫は鈴木の車から降りた。駐車場には多くの車が停まっていて、多くのハイカーがいる。みんなこれから登ると思われる。ハイカーは大きなリュックを抱えて、ある人は準備運動をして、登山に備えている。
「さぁ、今から登ろうか」
和夫は鈴木の後について登り始めた。山道には列ができている。すでに登り始めているハイカーだ。
「すごい人だね」
「うん、山開きとなるとこんなもんだよ」
2人はハイカーの後について歩いていた。ハイカーの行列はどこまでも続いているようだ。そして、山頂はまだ見えない。
「山頂はまだかな?」
「まだまだだぞ。そんなに簡単なもんじゃないぞ」
鈴木は山登りはそんなに簡単なものじゃないと知っていた。
「どこまで続くんだろう」
「まだまだだぞ! 気合い入れて頑張るぞ!」
和夫は元気そうだ。しかし、どこまでその元気は続くんだろう。和夫は心の中では不安だった。
「まだ続くの?」
「まだまだだぞ!頑張れ!」
「うん・・・」
和夫は少し元気がなくなってきた。和夫は疲れてきた。しかしまだまだだ。
「部活は何やってんの?」
「テニスです」
鈴木はテニスをしたことがなかった。運動系の部活では野球をやっていて、レギュラーだったが、甲子園に出たことはない。
「そうか。走り込みはやってないか?」
鈴木は野球部だった頃、毎日のように走り込みをしていた。そのためか、持久力には自信がある。山登りでもその持久力が生かされている。
「うん」
和夫はテニス部で走り込みはやったことがなかった。ほぼいつもサーブやレシーブの練習ばかりだ。
「あんなことして辛かっただろう」
「うん」
和夫は少し下を向いた。しかし、すぐに上を向いた。今は下を向く時ではない。山を登っている。下を向いたら前が見えずに、足を踏み外して、谷底に落ちるかもしれないと思っている。
「それ以上に頑張って信頼得ようよ。やったことはしょうがないんだから」
鈴木は和夫の肩を叩いた。和夫を何とかして励まそうとしていた。
「わかった」
2人が山登りをしていると、きれいな花を見つけた。その花はここでしか生えていない珍しいもので、この山のシンボルのようなものだ。
「きれいな花だね」
「そうだろ。ここしかないんだよ」
鈴木はその花についてよく知っていた。吉岡山に何度も登ってきて、ボランティアでガイドもしている。
「どこまで続くんだろう」
「これで疲れとったらいかんぞ」
鈴木はまだ気力があった。気力には自信があった。
2人は7合目に着いた。ここには山小屋があり、ここで食事ができる。そろそろ昼時なので、2人はここで食べることにした。
「もう昼時だから、何か食べようか?」
「うん」
和夫は元気に答えた。だが、息を切らしていた。登り疲れて、和夫はお腹がすいていた。
「いらっしゃいませ。誠に申し訳ございませんが、満席となっております。何名様ですか?」
山小屋は満席だった。登山シーズンは毎日満席になっていて、なかなか食事にありつけない事が多い。
「2名様です」
鈴木はVサインで2人である事を示した。
「お名前は?」
「鈴木です」
2人は山小屋の外で待つ事にした。その間にも多くの人が山小屋にやってきて、席が空くのを待ち始めた。
「鈴木さんは中学校では何部だったの?」
「野球部だった。和夫くんと一緒だね。でも、体育でテニスの授業があって、した事があるんだ」
「そうなんだ」
和夫は驚いた。まさか、鈴木さんがテニス経験があったとは。
「じゃあ、今度東京でテニスしようよ」
「いいよ」
20分ほどして、店員がやって来た。ようやく中に入れるようだ。
「お待たせしました、2名でお待ちの鈴木様」
「はい」
鈴木は答えた。2人は店員の後に続いて、空いた席に向かった。
「こちらの席でございます」
2人は椅子に座った。椅子も机も木製だ。山小屋には多くの登山客がいる。その中には60代の男女もいる。
「いらしゃいませ、ご注文はどうなさいますか?」
2人は席に着くと、店員がやってきた。
「カレーライス2つでお願いします」
「かしこまりました」
店員は厨房に向かった。
「疲れた」
和夫はぐったりとした表情を見せた。朝からずっと山を登り続けて、とても疲れていた。
「あともうちょっとだぞ。カレー食べて元気出せよ」
「わかった」
和夫と鈴木は椅子に座ってくつろいでいた。2人とも疲れているようだ。
「お待たせしました、カレーライスです」
2人はカレーライスを食べた。具はそんなに多くないものの、スパイシーな味だ。
「うまい!」
「疲れた分、うまいだろ?」
「うん」
「元気が出たら、再び登山だな」
登り始めて2時間、2人はようやく頂上に着いた。頂上には多くの人がいて、写真を取ったり頂上の空気を吸っている。
「頂上に着いたな」
和夫は汗だくになっていた。頂上の気温は10度ぐらいだが、疲れで寒さを全く感じない。
「ヤッホー!」
和夫は大声を出した。すると、やまびこが聞こえた。そして、その雄大な景色に見とれていた。
「いい眺めだろ?」
「うん!」
和夫は辺りを見渡した。すると、うっすらと富士山が見える。富士山は雄大で、頂上にいる人の多くはその姿に見とれている。
「富士山が見える!」
「本当だな」
和夫は来てよかったと思った。苦しい道のりだったけど、その先にはこんな素晴らしい景色がある。きっと苦しい先には明るい未来が待っている。だから、今は悪いことがあっても、いつかはいいことがある。だから、前を向いて歩こう。
「さぁ、下りるぞ」
「もう疲れたよ」
「帰るまでが登山だぞ。気を抜くなよ」
「うん」
鈴木は和夫の肩を叩いて、気合を入れようとした。
午後5時、2人は登山口に戻ってきた。夏の日の入りは遅い。まだ明るい。
「あー疲れた」
「帰ろうか」
帰り道の車内で、鈴木は和夫と話をしていた。
「友達の両親は無理心中したんだって?」
「うん」
和夫は優太のことが気がかりだった。優太はこれからどうやって生きていくんだろう。ひょっとしたら、転校になるんじゃないか? そうなったら、優太と離れ離れになってしまう。そんなの嫌だ。
「心配だね。誰が面倒を見るのかな?」
「わからない」
和夫はまだ想像できなかった。その度に和夫は優太のことを思い出してしまう。和夫は優太は大切な友達と思っている。優太のことをどうしても気にしてしまう。
「今日は楽しかったか?」
「うん、楽しかった! また登りたいな!」
和夫は元気に答えた。しかし、和夫の両親の無理心中のことを話したせいで、少し元気がなかった。
「いいよ! その気になったら連れてってやるから」
鈴木は笑顔を見せた。また登らせてほしいと言われて嬉しかった。
夕方、和夫は実家に戻ってきた。夕方だというのに、まだ空は青い。そして暑い。
実家の前にはシゲがいた。シゲは和夫を待っていた。帰ってきた和夫を見て、シゲは笑顔を見せた。
「ただいまー」
和夫は元気な表情だ。山に登って、すがすがしい気持ちになれた。また頑張ろうという気持ちになれた。
「おかえり。今日は楽しかったか?」
「うん」
和夫は笑顔で答えた。大変だったけど、また登りたいな。
「そうか」
鈴木さんは嬉しそうだ。こんなことをして心身ともに傷ついた和夫にとっていい気分転換になっただろう。
「優太くん、元気にしてるかな?」
「どうだろう」
和夫は空を見上げた。同じ空を見上げているかもしれない優太のことを思った。
「あの風景、優太くんにも見せたいな」
「ああ」
シゲは和夫の気持ちがわかった。優太は大丈夫だろうか。
「さてと、宿題をしなくっちゃ」
和夫は勉強をするために屋根裏部屋に向かった。シゲはその様子を笑顔で見ている。少しずつ元気を取り戻してきて嬉しかった。
その夜、和夫は宿題を終えて漫画本を読んでいた。和夫は少しずつ元気を取り戻してきて、漫画を読むペースが速くなった。
「和ちゃん、電話だぞ」
電話がかかってきた。優太からだ。
「和ちゃん、大丈夫?」
優太の声は昨日より元気そうだ。少しずつ気分を取り戻してきたようだ。
「うん。おじいちゃんの家で元気に過ごしてるよ。こっちは?」
「まずまずだよ。まだ将来が決まらないんだよ」
優太は両親を失って以降、どこに住むかまだ決まっていなかった。
「そうか」
和夫は下を向いた。ひょっとしたら、お別れ会がないまま転校になってしまうかもしれない。和夫は不安になった。
「和ちゃん、日に日に元気になってない?」
「うん、だいぶ調子を取り戻してきた」
優太は電話越しに笑顔を見せた。
「そうなんだ。よかった」
「こっちも元気にしてるよ」
和夫も笑顔を見せた。元気になった自分を見せたい。だが、本当に見せることができるんだろうか? 転校してもう会うことができないのでは? そうなったら、立ち直った自分を見せることができない。どうにか転校にならないでくれ。和夫は心の中で願っていた。
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