第20話 バレてた?!

「……オペラハウス……」


何回も外から眺めたことはある。


石造りの重厚な趣のオペラハウスは、夜には灯りを点してキラキラ輝き、心浮き立つ場所に変わる。


着飾った大勢の人たちが、たいていは男女の二人連れで中に吸い込まれていく。手の届かない夢と魔法の世界へ。


手が届かない……文字通り、値段が高すぎて手が届かなかった。

だけど、裕福な貴族の家出身の立派な騎士様と結婚した今は違う。


社交界に出入りしてこなかった私だけれど、今宵は男性にエスコートされて、観劇に来てしまった。


旦那様が手を取って中へといざなう。


変われば変わるものだわ……。



一歩中に入ってしまえば、この劇場は立派な社交界。


桟敷席のそこここで、下手をすると芝居の最中でさえ、コソコソ話し込んでいる人がいる。

純粋に、お芝居を楽しみに来ている人ばかりではないのだ。


長い幕間はもちろん、席に着くまでも、また色々な人との出会いの場になる。



昨日のハリソン夫人も言っていたように、ラムゼイ伯爵の相続の噂はもう広がっているらしい。


観劇している最中でさえ、なんとなく視線を感じるのだもの。


その上、結婚後、私たちはあまり出歩かなかった。そのせいで余計好奇心をそそられるらしい。


本当は、順々に知り合いの家からご招待していただいて、結婚披露をしなくてはいけないのに、なにしろ、とんとん拍子に話が決まりすぎて、どこのおうちからのご招待も間に合わなかった。


婚約、結婚と、普通はもう少し時間を置く。その間に、家付きの息子なら親主催で大パーティを予定するとか、パーティを開催するほどではない家……例えば私なら、姉妹の出世頭で、ファーガソン伯爵家の嫡子に嫁いだアマンダなどが、派手にパーティーを開催して新婚夫婦を主賓に呼び、夫婦として社交界に披露されるはずだった。


それがなかったもので、多分私の認知度は低いと思っていた。それに大体勘違い婚だもの、常に離婚秒読みと思っていたので、認知度が低ければ低いほど、都合がいい。



会う人会う人に、旦那様は話しかけられていた。


ラムゼイ伯爵の話題は、最近の最もホットな話題らしい。


その当人が来たのである。旦那様が予想していたよりも、ずっと多くの人の関心を呼んだらしく、次から次へと人が来る。


その都度、結婚した話にもなり、ついでに妻を紹介する流れになっていく。


「おお、これは失礼しました。奥様にもぜひご挨拶せねば!」


どんどん顔が売れていく。皆さまから、旦那様の妻として覚えられてしまう。


どうしたらいいかわからない。


「シャーロットでございます」


しとやかに板に着いた礼を披露する。なにしろあの女学校の卒業だ。算数がしっちゃかめっちゃかでも、王様の即位する順番が入れ替わっていようと、領土が間違っていようと、どうでもよかったが、礼儀作法だけは厳重を極めた。肉体的にはバレエのレッスンって、こんなじゃないかと想像したくらいだ。同じ姿勢を保ったり、棒のように立っていたりと、意味があるのかと癇癪を起こしそうになったが、こう言うことか……。


「おお、マクダニエル伯爵の御令嬢ですか……たまに騎士の方は、街の飲み屋の給仕を娶ったりするから……」


本当に誰か、そんな人がいたんだ。有名なんだ、この話。


でも、結婚なんか気に入った人と暮らせればそれでいいのではないかな。


「いや、それだと苦労するんだよ。どうしても出世できなくなるから。夫婦同伴で外出できないからね。公式の会も欠席しなくてはいけなくなる」


現実は、割と結構、恐ろしい。


「しかもマクスジャージー侯爵夫人の親友だそうじゃないか」


社交界、恐るべし。


横目で私のことも値踏みしているのだろう。


こんなところでお世話になった旦那様に迷惑をかけるわけにもいかない。


「マーガレット様のことですのね? 学校時代の大親友ですわ。今回のマクスジャージー家のパーティにもお招きいただきまして。会えるのが、本当に楽しみです」


と。これで可もなく不可もなく、つつがなく会話終了。ついでにニッコリ笑っておく。


この手のやりとりを何回繰り返したことか。慣れないやり取りに疲れ果てて、せっかくのお芝居の間に寝そうになった。限界。


歌劇そのものは素晴らしく、行き違いの恋の行方は、タイトルから推察されるように、ハッピーエンド。


一見三角関係のようだが、最初から絡んでいた侯爵令息が、実は隠れキャラの恋人で、二組のカップルが思いを遂げるところで、大団円を迎える。


「私たちのようだね」


…………私はあわててハンカチを取り出すと目に当てた。言葉が見つからない時はこの手だ。劇場暗いし。


「うん。五年かかったもの。私にとっては、無くした宝石を見つけた気分だ」


旦那様はしみじみ言った。


語彙力不足じゃなかったのか? それから、くどいようですが、お探し物、間違ってます。



「さあ、食事に行こう」


間違ってはいるのだけど、旦那様的にはこれでいいのかしら。


優しく手を取られ、近くのレストランに向かう。


有名なレストランだった。マルリと言えば誰もが知っている。それくらい有名な店だ。

通りかかった時、中はどんなだろうとちょっと想像してしまったくらい、高級そうなレストランだ。もちろん、当時は、中で食事をすることなんて考えられもしなかったけれど。


こんなところに出入りするのかと、足元が震えた。




「お芝居が素晴らしかったら、食事に行って、感想を言い合うものなんだよ。あなたはどこが気に入った?」


この上なく慇懃いんぎんな給仕に連れられて、席に着くと旦那様はなんだかうれしそうに私に話しかけた。


「……恋する気持ちが満たされたところ」


スルッと本音が出てしまった。


人間の本能なんだろうか。愛し愛され、大事にしあう。


旦那様はクスッと笑った。


「じゃあ、よかったね。私がいるよ」


時々、旦那様の目が私を見ていることがある。


それは、ものを見ている時の目ではなくて、何かを探っている目だ。


その目つきで見られていると、まるで裸の私を見られている気がする。いや、服を脱いでと言う意味ではなくて、本音を探しているような。


最初は戸惑っただけだった。だけど、最近は、ちょっと怖い。何を見ているのだろう。


今も、そんな目をしている。


「マクスジャージー様の計らいで、マーガレット夫人にお会いしたのは、一年以上前、マクスジャージー様が結婚して間がない頃だった」


私は顔を上げた。マーガレット様にお目にかかったのか。


「あの時、手を上げて、詰め寄ってきた女子生徒は誰だったのか、知りたかったから」




どうしよう。今、この場で気絶したふりをしてもいいですか?


それ、私ですね……。


私の黒歴史ですね。

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