閑話 伯爵令嬢の婚約者

「クリシュ様がヒラタのお家に来ているのですか⁈」


 学園に入学する前に王都に集められた学習会が終わって、本当なら今頃ヒラタの家にいる筈の私。でも、今年はサカのガーベラお従姉ねえ様から勉強を聞くために王都に残っていたの。


 ああ~! 帰っていればクリシュ様に会えたのに~?


 でも……。お忙しいお従姉様が一生懸命私に勉強を教えて下さっているのよ。クリシュ様に少しでも近づくためには遊んでいる暇なんてないのよ。


 会いたいけど、今の私ではその資格がないわ。もっと素敵な女性になってクリシュ様を驚かせて上げないと。


 ――――でも会いたかったな…………。


 もう一度お父様からの手紙を読んで未練を断ち切ってから、私はお従姉様に借りた教科書で勉強を始めた。



 王女様が帝国に留学なさるためお従姉様もついて行くことになった。それならば私はヒラタのお家に戻った方がいいよね。


 もっと早く帰れたらクリシュ様にも会えたかもしれませんのに。


 そう思って帰りましたら、クリシュ様が滞在しておりました! え? お手紙を頂いてからもうひと月も立つのですが! 何をなさっているのですか?


「お久しぶりですビオラ様」


 え、あ、本物! キャー! どどどどうしましょう!


「ク、クリシュ様。お久しぶりでございますです」


 うわー! 私の王国語変ですわ~!


「この度はヒラタ領主様から手厚い歓迎を受けておりまして本当にありがとうございます。いつもビオラ様の事を自慢されていましたよ」


 お、お父様! なななななにを話していたのですか⁉


「ビオラ様」

「はいっっっ!」


「先日は急な婚約の申し込みを致しました。領主様には受け入れて頂けましたが、ビオラ様は本当によろしかったのでしょうか? まだ学園の入学も先ですし、ビオラ様のような素敵な女性が、僕のような子爵家の者と縁を結び、やがて降爵してしまうのは不本意なのではないかと心配しています」


 え? クリシュ様、嫌なのですか?


「わ、わたくしはこうしゃくなどきにしておりませんわ」


 私の王国語!


「大丈夫ですかビオラ様。無理なさられているのでは」

「だだだ大丈夫でございますですよ。もともとこちらから提案させて頂いたこここ婚約でございますですから。ククククリシュ様こそ、わわわたくしのような者で良いのでしょうか。ご無理なさって後悔しておりませんこと?」


「いえ? 領主様には僕の方から申し込みましたので。ビオラ様のような可愛らしく聡明で、なにより努力家のお嬢様の婚約者になれて、とても嬉しく思っているのですよ」


 か、可愛い? それに努力家? クリシュ様に努力を認めて頂けていますの⁉


「そ、そうですか。よかったですわ」


 お父様! 笑いすぎです。


「ハハハハハ。クリシュ君、娘をからかうのはそれくらいにしてやってはくれないか。娘は君に会えて緊張しているだけなんだから」


「いえ、ビオラ様には直接伺いたかっただけでしたので。本当に子爵家の僕で良かったのかと。一時の気の迷いということもありますから」


「大丈夫だ。娘も私も君の事を認めているし気に入っているんだ。大体もうこうして共同事業まで展開しているではないか。いまさら君が断ろうとしても逃がさないよ」


「ビオラ様のお気持ちは?」


「わ、私が望んだ婚約ですもの。クリシュ様に逃げられないように頑張るだけですわ」


 いまさら断るとか……ないですわよね。


「それでは、改めて婚約の申し込みをいたします。ビオラ様」

「は、はい」


「僕は辺境の借金だらけの子爵令息です。伯爵令嬢のビオラ様とはどこを取っても不釣り合いな立場です。しかもまだ学園に入る年でもない若輩者。それでもビオラ様と生涯を誓い合う仲になりたいと願っています。まだ子供ゆえ正式な指輪を用意することはできませんが、僕の瞳と同じブルーサファイアのネックレスを受け取っては頂けないでしょうか」


 ひっ、瞳と同じ宝石? これって。


「改めて、クリシュ・ターナーはビオラ・ヒラタ伯爵令嬢に婚約を申し入れます」


 クリシュ様が! クリシュ様が私の前で跪いていますわ! そして真剣な瞳で私に愛を誓っていますの! 嬉しさが崩壊しております! 本当ですの? へ、返答を! 返事をしなくては。落ち着くのよ。さっきみたいに噛み噛みになってはダメ! 優雅に、そう、お従姉様に習ったではありませんか! 淑女としてのマナー、淑女としての返答。え~と、どうすればいいんだっけ。思い出しなさいビオラ! 一生に一度の婚約の申し込みなのよ~! ここでおかしな返事なんてしたら、一生物笑いの種としての黒歴史になるのよ~! もう、心臓がドキドキするし、顔は熱いし、頭が回らないですわ~! いきなり婚約なんか始めて、クリシュ様のいじわる~! はっ、そそそんなことありませんからね! クリシュ様が意地悪とか思っていませんから! そ、そうです。クリシュ様は素敵なのです。って、今は何の時間でしたっけ。あれ?  落ち着きましょう。


 ……目の前にいるのがクリシュ様。

 ……そして私はその前にいる。

 ……クリシュ様は困った顔をしていますね。

 ……手にはジュエリーケースに入ったブルーサファイアのネックレス


 って、そうだ婚約申し込まれている最中だったわ!


「ビオラ様。……本当は後悔しているのではありませんか?」


 そそそそそんなことないですのよ~!


「どうしたビオラ。あれほど望んでいた婚約じゃないか」

「恋に恋していた、ということかもしれません。現実になってしまってとまどっているのでしょうか。時期尚早だったのかもしれませんね。婚約をおままごとと同じように考えていたのかもしれませんね」


 違います~! そんなことありませんのよ~!


「え、ええと……、いきなりの宝石の贈り物に私、恥じ入ってしまったのですわ。私から贈るべき瞳の色の指輪を用意していなかったことに!」


 そ、そういうことにしておきましょう。


「そんなこと。ビオラ様は僕がこの地にいることをご存じなかったのですよね。宝石を用意していなくても当たり前ではありませんか」


「し、しかし、私から望んだ婚約です。私こそがプロポーズをしなければいけないのに」


「ビオラ様。確かに僕は何度かビオラ様から好意を告げられました。ですが、婚約を望んだのは僕の方です。このように戸惑わせてしまうようなはずかしめを与えてしまったことを謝罪いたします。それでも僕はあなたと一緒になりたいのです」


 クリシュ様。素敵すぎます! ああ、私ったら。


「どうか受け取ってください」

「……っはい!」


 うわ~、クリシュ様の笑顔がぁぁぁぁぁ! 本当に? 本当に婚約していいの? 貰ったら引き返せませんわよ、クリシュ様。


「クリシュ君。どうせなら君がネックレスを娘にかけてあげなさい」


 なななっ! なんてことを言うのですかお父様!!!


「よろしいのですか?」

「もちろんいいよな、ビオラ」

「ははは、はいっ!」


 ななな、なんですかクリシュ様、その笑顔は。何か企んでいるように見えるのは私の気のせいですよね。


「では失礼いたします。ビオラ様」


 はうっ。クリシュ様が立ち上がった。

 え? 私の後ろに回るの?

 クリシュ様の気配が背後に!

 腕が! 腕が見えますわ! 両腕がぁぁぁ!

 髪ぃ! 髪を触っていますのね! 

 うなじに指が当たっていますわ! ぞわっとします。耐えなきゃ!

 うわ~~~~! なんですのこれは! 拷問でしょうか!

 耐えます! 恥ずかしすぎです! クリシュ様~~~~!


 ぜ~は~は~………………。終わった。


「よく似合っているぞビオラ」

「ひゃ、ひゃい」


「ビオラ様大丈夫ですか?」

「ら、らいじょうぶれす」


「感動しているんだろう。クリシュ君、もう婚約が成立したんだ。様は付けなくてもいいのではないか?」


「そうですが、子爵以下と伯爵以上には超えられない壁があります。それにこんなに素晴らしいお嬢様を大切にしたいので、正式に指輪を贈れるようになるまでは様を付けて呼びたいのです。ビオラ様こそ僕の事を呼び捨てにして頂いてもいいのですよ。伯爵令嬢ですし、先輩ですし」


 な、なな、なんてことを!


「いいえ、クリシュ様を呼び捨てになどできませぬ」


 できませぬってなに!


「でも様付けはどうかと」

「確かにな。クリシュ君の言い分は分かった。ビオラ、様はよそうか。呼び捨てがいやならせめてクリシュ君とでも呼んだらどうだ?」


 クリシュ君⁈ なんんてことをいいますの!


「クリシュ様! 私、クリシュ様に認められるまでクリシュ様と呼びます!」

「認めるも何も婚約者ですよ。僕の方こそビオラ様のお役に立てるようにならなければ」


「いいえ、ダメです! 知っていますのよ、クリシュ様がまだ私をお認めになっていないことが!」


 そんなことないですよね、クリシュ様。


「そんなことありませんよ。ずっと気のない振りをしていたのは身分差によってあなたを不幸にしたくなかったからです。伯爵家と子爵家は本当に立場が違うのですから。ましてや借金だらけで、姉を奨学生という立場にしないといけないようなターナー家です。ビオラ様のような素敵なお嬢様を巻き込むわけにはいかないと、身を引いていたのです」


 本当に?


「それでも、ビオラ様。あなたの真っすぐな僕への想いとその努力をお聞きし、目の当たりにし、あなたのお父様から僕が認められた、そこまで揃ったから僕は婚約を申し入れたのです。ビオラ様、僕はとっくにあなたを認めています。あなたほど素敵で努力家の人はいません。信じてもらえますか」


「は、はいっ!」


「よかった」


 その笑顔! 本当に? 信じていいのね。


「お、お父様! 私からもクリシュさ、クリシュ君に宝石を贈りたいわ。私の瞳と同じ色の」


「そうだな。早いうちに宝石商を呼ぼうか」


「いえ、クリシュ……君と一緒に買いに行きたいですわ」


「クリシュ君いいかな?」


「喜んで。では明日はビオラ様とデートですね」


 デデデデ、デートですって⁉


「僕はこの町の商店はよく分からないので、お任せしてもよろしいでしょうか」


 わ、私がデートプランを作るのですか⁈ 明日まで⁈


「よろしくおねがいしますね。ビオラ様」


 いきなり? いきなりこんなことが! クリシュ様とデートォォォォォ?

 無理無理無理無理~!

 どこへ行けばいいの? デートって何をするの? 分からないですわ! お洋服は何を着ればぁ! え~~~~~~!


「ビオラ。子供二人で行かせるわけはないだろう。執事とメイド長からよく聞いてプランを立てなさい。そうだな、ゆくゆくは領主夫人になるんだ。勉強だと思って計画を立てて見なさい」


「はい、お父様」


 こうしてはいられません。クリシュ様と一緒にいたいのですが、明日のために計画を立てましょう。みなさん、教えて下さいね!


 私は明日のデートの成功を願い、執事と部屋を後にした。

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