閑話 お祖父様の無茶振り

 儂の話を神妙な顔で聞いておったシロエが、サチと一緒にクリフトのもとに行った。若いというのはそれだけでいいものだ。

 儂は結婚に選択肢などなかったが、なるほど、アリシアとヤツもこんな感じだったのだろうか。他人事だとほほ笑ましいのだがな。


 儂は朝食を終え、カミヤとクリシュが来るのを待った。ここで作られている石鹸などを作っている現場を見学するのだ。


「では、私も参加させて頂きます」


 神父がそう言った。レイシアに勉強を教えたというバリュー神父か。


「そういえば、二人きりで話をしたことはなかったな。レイシアが師匠と尊敬しておるそうだが」


「そうですね。こうしてお話をするのは初めてですよね。一緒に食事を取れればチャンスもあったのでしょうが、なにぶん朝は懺悔が多くて。いつも遅れて冷めたご飯しか食べることができないのですよ」


「それは辛いでしょうな。儂はここの温かな食事を取るのが大好きでな」


「こちらこそ、いつも過分な寄付を頂き、そして孤児に対する丁寧な態度は本当に感謝しております」


「こちらこそだ。クリフトと食う朝食より、ここで食べる方が100倍良い。ヤツも儂がいない方がおかしなプレッシャーがなくてよいだろうしな」


「ははは。その通りですね」


 神父の笑いが止まらない。まあそうだな。儂も分かっているさ。それにしても笑い過ぎではないか、バリュー神父よ。


「せっかくだから孤児院の改革について相談させてくれ。ここの孤児に触れ合っていると、儂の、オヤマーの孤児も救いたいと思ってしまったのだよ」


「それは素晴らしいことです。私にできる事でしたらいくらでもお教えしましょう」


 神父は儂に熱く語った。クリフトと教会に喧嘩を売ったこと。孤児に対する差別をなくすために尽力したこと。教育がいかに孤児の立場を変えていったのかを。


 そうだな。なりたくて孤児になった子供など誰もいないのだよな。


 立場などその時の環境と親の立場で決まるものだ。儂が領主だったのもたまたまだ。一つ違えば孤児だったかもしれなかったのだ。儂の立場だったらな。人生は本当に不思議なものだ。先代様に拾われなかったら儂はどんな人生を過ごしたのか。


 考えたくもないな。


 手を差しだされた未来に今は儂がいる。

 手を差しだされなかった未来にいる儂のような孤児は?


 儂が手を出したら、未来は変わるのだろうか。


「変わりますよ。ここの子たちのように」


 なぜだ。涙が止まらない。ポロポロと頬をつたう涙の粒は二つや三つじゃない。儂のもう一つの悲惨な未来の子供が流す涙なのか? 心の中の子供が泣きじゃくっている。


 ああ。そうだな。儂はこのために生きてきたのかもしれない。孤児院を少しでも良い方向に向けなくては。


 なぜ、この歳になるまで気がつかなかったのか。せめて十年前に、いや五年前でも……。儂が領主のうちに気がつけば……。


 いや、遅いということはない。儂が始めれば誰かが受け継いでくれるだろう。種を蒔くだけでもいい。始めないよりはましだ。


 オヤマーの孤児院を必ず改革する。


 儂は心の中でそう誓った。


 ◇


 クリシュと孤児の代表、それにカミヤが来て儂たちは見学に回った。相変わらず礼儀正しく勤勉な孤児たちだ。


「ここでの作業は分業制にしています。獣を捌く担当は20人。見習いもいます。毎日休みを交代しながら解体を行います。脂のほとんどは石鹸工場こうばに回りますが、食品加工に回る分もあります。肉は干し肉や燻製、ソーセージなどの加工品にする分と、生のまま市場に出す分と分かれますね。冒険者ギルドと提携しているので一手にやらせてもらっているのです」


 クリシュが石鹸工場。食品加工所の担当分けや作業内容などを説明した。工場を広げるのなら、元孤児を集めて大人が行う工場も作ればいいと提案してきた。


「卒院しても仕事があるなら安心ですよね」


 確かにそうだな。教育を受けた者たちが間違いなく作業をする。効率的にも品質保持にもよい事だ。


 工場での見学を終え、次に田んぼに向かった。


 一面の穂波。沼地が整然とした田んぼになっている。美しい。ここまでとは思っていなかった。


「これは孤児たちと孤児の卒院生たちが計算と計画を練り、冒険者や農民や土木作業員が一緒になって行った仕事です。孤児への信用が高いため、問題なく協力したからできたのですよ」


 孤児が計画を立てて、平民が作業をする、だと?


「もちろん孤児たちも開墾を手伝っていますよ。作業も慣れたものです」


 そういうことじゃなくてだな。一緒に作業出来るのか?


「賃金は普通より出していますし、農家の二男三男は自分の田んぼを持つことができるチャンスですから。不真面目な人は辞めてもらっただけです」


 なんと! 何と強気な。


「孤児の代わりに計算しろと言ってもできないことは分かっていますからね。適材適所ですよ」


 クリシュ、お前容赦ないな。儂の常識など通用せぬか。


 儂と執事とカミヤと三人、啞然としながらクリシュの才能と仕事を褒めた。


 ◇


 儂等が見学を終わったころ、クリフトとシロエの話も終わったようだ。どうやらうまくまとまったみたいだな。儂等は軽く昼食を終え、本格的に話し合いを始めた。


「では、王女がレイシアを庇護下に置いたというのは本当なのですね」

「ああ。儂たちの目の前で宣言された。クリフト。ターナーは派閥に属していないな」


「はい。教会とは反発していますから」

「それならよい。教会は反王家の中心だからな。お前は王室派とみなされる。問題ないな」


「親父の時は中立を名乗っていましたので、特には問題はありません。が、なぜそのようなことに」


「石鹸と洗髪剤、それに魔道具を気に入ってな」

「魔道具? 魔道具とは一体」


「レイシアが作った魔法を生み出す機械だ。どこでも調理ができるかまど。それに湯を沸かす道具だ。そういえばターナーでは熱い風呂に入るのか? 聞いたことがないが。なあカミヤ」

「そうです。レイシア様がお湯を沸かしたお風呂を提案なされ、王女様がおはいりになったのです。それから先の王女様の変わりようと言ったら。私もこちらへは何度も足を運ばせて頂きましたが、そのような話は聞いたことがありません。どういうことなのでしょう」


「その事なのですが、後で二人に相談したいことがありまして。この会議が終わった後ついてきてほしい所があります。今後のターナーの方針を決める相談をしたいのです。熱いお風呂で」


 そう言って、儂たちは森の奥に連れて行かれた。


 ◇


 厳重に柵が張り巡らされた中心には、建てたばかりの小屋と湖があった。ん? 湯気が立っているのか?


「ターナーでは昔から、領民にしか近づくことができない聖地『温泉』という場所があるのです。水の神アクア様の力ではないかと思っております。そこは温かなお湯が沸き出る泉と、そのお湯をためる池との組み合わせなのです。そこで人々は裸の付き合いをし、疲れた体と心を癒すのです。もちろん男女は分かれています」


「ほう。儂等は近づけぬというのか」


「ところが、この冬の終わりに新しい温泉がわき出しました。それがこちらになります。お義父さん、それに、カミヤとシロエ。この温泉入ってみてはくれないだろうか」


 儂等に入れだと?


「ターナーには『温泉無礼』という格言があります。勲章を外し、服を脱げば、貴族であろうが平民であろうが区別がつかなくなる。裸の付き合いに身分の上下など不要。『温泉の中では皆平等宣言』を初代領主が掲げました。熱い風呂を理解するには、温泉を体験するのが一番なのです。そして、初めて入った皆様がどのように思ったのか知りたいのです」


「お祖父様。この温泉を領民以外に開放するか、領民だけで楽しんだ方がいいのか、それを決めたいのです。カミヤさんも協力してください。シロエさんはサチ姉様と一緒になるのでしたら領民と同じ扱いになるからぜひ体験してください」


 まあ、クリシュに言われたのであれば仕方がない。儂等は小屋で服を脱ぐと温泉とやらに入ろうとした。


「あ、待って! お祖父様もみんなも、まずは体を洗ってから入って下さい。神様の恵みのお湯なのですから」


 ターナー製の石鹸と整髪剤でしっかりと体を洗ってから、お湯に足を入れた。


「熱い、いや、これは」


 最初は熱いと思ったのだが、それが心地よくなってくる。


「少しずつお湯をかけながら体を慣らしてください。さあ、入りましょう」


「「「ふあぁ~」」」


 儂等はおおきな息をついた。体から力が抜けていく。


 温泉、何と素晴らしい! まさに神の恵み!


 しばらく入っておったら、クリシュが一度上がるように声をかけてきた。


「慣れないと湯あたりします。一度上がって体と髪をもう一度洗いましょう」


 さっき洗ったといったが、「いいから」とまた洗わされた。さっき洗ったはずなのに、垢がボロボロと出てきた。


「何だこれは」


「お湯に入ると、皮膚が柔らかくなってはがれやすくなるのです。ここのお湯は特にその傾向が強いのです。頭の皮膚についた脂も熱で柔らかくなっているので、今洗うとごそっと脂が取れますよ。三回くらい洗ってみて下さい」


 一回目泡立たなかった洗髪剤が、四回目でいきなり泡立った。


「汚れがあると泡が立たないんですよ。泡立ったらきれいになった証拠です」


 そうなのか? しっかり流してもう一度温泉に入り、すっかり毒気の抜けた儂らは用意されていた湯着に着替えソファーで寛いだ。


「こちらが南国で飲まれている珈琲コーヒーという飲み物を、ミルクと砂糖を混ぜて飲みやすくした珈琲ミルクです。温泉で流した汗の補給に最高の飲み物なのですよ」


 初めての甘さと苦さが混じったドリンクは、確かに温泉から上がった儂らの体に染み渡っていった。


「珈琲をこんな風につかっていたのですか!」


 カミヤが驚いたようにクリシュに言った。


「まだ試作ですよ。商品にするにはこの温泉をどうするかで変わりますから」


 どうやら、レイシアがサカで出会った交易商人から手に入れたものをカミヤが定期的に取り引きできるようにしたようだ。レイシアの喫茶店用に新メニューとして考えているようだ。


 温泉、最高の石鹸と洗髪剤、体に染み渡る珈琲ミルク。それにここの食材と料理の美味さ。ホテルさえあればこんな魅力的なところがどこにあろうか。王都からは少し遠いが、危険な道ではない。アマリーと組めば宿は何とかなるか。


 儂の商人としての血が沸いている。


「カミヤ、どう見る?」

「そりゃあ、こんな場所他の商人に取られるわけにはいけませんね」

「そうだな。シロエ殿」


「え、殿? 僕ですか? なんでしょうオズワルド様」


「金が使えなくて困っているようだな。ターナーにホテルを建ててみてはどうだ?」


「はいぃ?」


「メイド喫茶のノウハウがあるだろう? ここの卒園した孤児を仕込めば、メイドや執事のまねごとぐらい簡単にこなせるだろう。最高の料理と最高のサービスを提供する新しいホテル、それをお前の金とノウハウで作ってみなさい。経営も孤児で出来るだろう、クリシュ」


「大丈夫だと思います。僕が勉強も礼儀作法も仕込みましたから」


「人材豊富なこの地で、温泉を中心とした最高の宿屋。レストランと喫茶店を併設した新しい宿泊所だ。レイシアが卒業し、お前たちが結婚するまで頑張れば、オープンできるのではないか」


 シロエは目をグリグリとしている。まあゆっくりと説得しよう。クリシュが乗り気になっとるからな。クリフト、お前の手も金も煩わせん。孤児の仕事も増える。他の領の孤児を小さいうちから買い取って救うこともできるぞ。一人でも多くを救ってやれ。やりたかったのだろう、教会と孤児院の改革を。


 儂は二杯目の珈琲ミルクを、一気に飲み干した。クリシュが「一日一杯だけですよ! 飲みすぎ注意です!」と儂に怒った。そうか。一日一杯までか。美味いのにな。

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