王女のお茶会⑤

 レイシアの隣まで来た王女は、感動の声を上げた。


「皆さん。私は今素晴らしい体験をしてまいりました」


 まったく違う素晴らしい体験は、ここにいる招待客もしていたのだが、王女の感動の声は聴衆たちを引き付けた。


「レイシアさんが作られた最高の発明品。それらによって私はこれほど変わったのです。見た目も心もです」


 上気した透明な白い肌。解かれて本来の色を取り戻したピンクゴールドに光る髪の毛。今まで知っている王女とはまるで違う輝きに満ちたお姿は、美を追い求めてやまぬ女性たちの心を揺さぶった。


「私は皆さまから離れ、お風呂に入ってまいりました。レイシアさんの発明した道具で温まったお風呂に。温まったお風呂がどれだけ素晴らしいものか。ああ、言葉で伝えようにも、私のつたない言葉でどれほどの感動を皆様に伝えることができましょうか。暖かなお風呂は、私の体を優しく包み込み、全ての力を奪い去ってしまったのです。そう、子供の頃母に抱かれて安心しきって眠りに落ちてしまうような抱擁感。父の手で高く持ち上げられたかのようなぬくもりと浮遊感。忘れていた無防備という状態は、体も心も全てを任せてしまえる。そんな感覚でした」


 うっとりと、恋する乙女のような表情で温かいお風呂について語る王女。


「そんな中、この髪が洗浄液で洗われました。レイシアさんの発明した頭髪専用の液状の石鹸で。お湯に溶かされた洗浄液は、私の髪が浸かると、信じられない程黒く淀んで濁りました。レイシアさんによると、髪を固める油は、水で溶いた洗浄液よりもお湯で溶いた洗浄液の方が落ちやすいそうです。私の髪はこんなにも汚れていたのか。そう思いましたらとんでもありませんでした。まだ全然落ち切ってはいなかったのです! 一旦すすいだ後の二回目も同じくらい洗浄液は汚れ、五回目でやっと脂と汚れが落ち切ったのです」


 王子もシャルドネも言われただけなのでそこまで丁寧に洗ってはいなかった。適当に二度洗いしただけ。それでも誰が見てもすぐにわかる程度には変化していた髪色。

 しかし、使用方法と効果を完璧に知っているレイシアの指導のもと、五回も丹念にサチが洗った髪の輝きは別格だった。

 王家の血を受け継ぐ者にしか現れないゴールドの髪は、普段は汚れでやや目立つ程度だったのだが、汚れが落ち本来の色を取り戻せば、これほどまでに輝くものだと初めて見せつけたのだった。


「そして体も洗いました。レイシアさんの持ってきた石鹸は、今まで使ったどんな石鹸よりも素晴らしいものでした。匂いがほとんどしないのです」


 古い脂で作られるのが常識の石鹸。貴族用にはそれを誤魔化すために香油を混ぜたりするのだが、もともとの古い脂の匂いと混ざり合い微妙な感じになっていたのだ。

 しかもバラなどの植物の香りを使っていたため『植物由来の石鹸』と触れ込んで売られていたのだ。

 ターナーの石鹸は狩って来たばかりの新鮮なボアの脂身が材料。さらにラノベ『文字中毒者かつじジャンキーの下剋上』に出てきた『塩析』を試してみた所、実現可能な技術であることに気付き、研究に研究を重ね特許を取ったのだった。

 他国でなく異世界の知恵を研究し実現させた結果を、神は特許として認めてくれたのだ。


「その石鹸はメイドの感想によりますと、洗浄力がけた違いに良いそうです。それだけではありません。いつも洗った後に些かカサカサになる肌が、汚れが落ちたにもかかわらず、潤いを保ち張りをあたえ、このようにお肌がプルプルの弾力を保っているのです。奇跡です! まさに奇跡の石鹸なのです」


 米ぬかと塩析で残った塩が程よいスクラブ、つまり汚れを落とすお肌に優しい研磨剤になり、米ぬかの成分が保湿効果を発揮する、今までになかった品質の米入り石鹸。乾燥肌気味の王女にとってベストマッチした商品だった。もちろん頭髪洗浄剤にも米ぬかは使用されている。


「この感動を、私のつたない言葉でどれだけ伝えられたか分かりませんが、この姿こそがそこにいるレイシアさんの偉大なる発明の証拠なのです!」


 磨き抜かれた王女の姿と、感動に打ち震えながらの心からの賛辞。それに意を挟もうとする者など誰もいなかった。会場は感動と拍手と称賛の嵐。「今すぐ欲しい」「いくら出せば買えるの?」「温かいお風呂はどのようにいれればいいの?」と質問が飛び交い、もみくちゃにされそうになるレイシア。


「静まりなさい!」


 王女が叫び、一瞬静かになった。それでも騒めきは止まらない。


「皆さま、レイシアさんから説明を頂きましょう」


 皆がレイシアの言葉を待った。


「レイシアさん、皆さまに私が体験した商品を説明なさい」


 サチが湯沸かし器を手渡した。レイシアは商人として気持ちを作った。


「それでは説明をさせて頂きます。まずはこの石鹸。こちらはターナー領の基幹産業として次期領主候補のクリシュ・ターナーの名で領地の特許を取得している米由来の石鹸でございます。現在はカミヤ商会が販売の中心となっております。普通の石鹸が4~500リーフに対し、高くはなりますが1200リーフで販売しております」


 レイシアの出した普通の石鹸は下町で流通しているもの。貴族が体を洗う石鹸は3000~5000リーフはする。おかげで会場は大興奮。いくらでも買い占めてもいいと言う者まで出始めた。


「レイシアさん、お値段については後ほど相談しましょう。貴族相手なら少なくとも7000リーフより下げてはいけませんわね。10000リーフでも安いくらいですわ。安ければ良いというものではありませんのよ」


 王女がレイシアに言った。レイシアはあくまで普通より(下町基準)かなり高めに設定したと思っていたのだが、王女の言葉で貴族街の値段に慣れていないと思い知らされた。


「商人として勉強が足りていないご様子ね。皆様、この私の肌をここまで磨き上げたこの石鹸、おいくらまでならお支払い出来ます?」


 王女が聞くと「1万}「2万でもよろしくてよ」「2万5千までなら」「どれほど高くても必ず手に入れますわ」と天井知らずに上がっていった。


「これが貴族の女性と言うものです。どのくらい数を用意できるのかしら? 少ないのに安値ならば、転売されてひどいことになりますわよ」


「今はカミヤ商会の在庫が50ほど」

「少ないわね。私が50個全部買ってもいいくらいよ。1500リーフなら金貨一枚でお釣りがくるじゃないの。今すぐカミヤ商会に石鹸を全部持ってこさせなさい。皆様一万リーフでよろしいですわね。公爵家は4つ。侯爵家は3つ。伯爵家は2つまで購入を許します。残りは私が購入しますわ。いいですね」


 皆が賛成した。レイシアはカミヤが待機していることを告げると、王女はメイドに連れてくるように指示を出した。


「続きを言いなさい」


 王女はレイシアに話を続けるようにうながした。


「では石鹸の話はここまでですね。では私の話はこれでお終いです」


「「「えええ!!!」」」


「今商品としてお売り出来るのは石鹸しかないのです。この度使用いたしましたどこでもかまども湯沸かし器も私が試作で作りましたのでここにある一台しかないのです。量産体制を取るには難しすぎるものですので、職人の確保と生産体制が決まり、技術指導を終え、組み立ての工場ができるまでは売り物にできませんね。私が作るとすると、かなりの値になるでしょう」


「髪を綺麗にする洗浄剤は!」


「そちらもまだ試作品なのです」


「「「ええ~!!!」」」


 絶叫が響き渡る。


「いえ、まだ商品としては改良の余地が残っているのではないかと、弟が頑張ってデータを集めているところなのです。それに、石鹸として固形でしたら運搬も楽なのですが、液体は容量に対して重さがかさばるため、遠方の地であるターナーから運び込むのはかなり少ない量になるかと思われます。月に二度の運搬で、そうですね、一度で運べるのが他の荷物もありますから二週間分で20人分が限界……」

「「「足りませんわ!!!」」」


 一斉にブーイングが起こった。


「レイシアさん! あなた何を勘違いしておりますの! 何故専用の馬車を仕立てないのです! 毎日でも運行すればよいではないですか。それほど貴重な材料でも使っているのですか? 月にどれくらい作れるのですか? 何でしたら王家で独占契約を結ばせて頂いてもよろしくてよ!」


 王女が必死で詰め寄った。


「え? あの、材料自体はありふれたものですし、その気になれば今の体制だと月に50人分くらいは安定して生産出来るのですが、まずはお値段ですね。どれほどと思います?」


 めずらしく弱気な交渉を始めるレイシアに、王女が追い打ちをかける。


「50人分? それは材料がないからですか?」

「いえ、工場の限界です」


「広げることは?」

「予算と期日があれば可能かと思われますが」


「今回私に使った洗浄剤は何日分なのでしょうか?」

「ええと、初めてなので五回分は使いました。そうですね、王女殿下でしたら、三日に一度、整髪のための付けた油を落とすための洗浄と体から出た汚れを落とすための洗浄、二回洗いとすすぎをして頂ければ今の状態を保てると思います」


「何を言っているの。毎日洗うに決まっているでしょう! 毎日洗うならどれくらいなのです!」


「ええと……単純計算で三倍かかりますので、それに初回で今回のような使い方をすれば……。全然足りませんね」


 ここにいる全員が頷いた。その頷きはレイシアを直撃した。


「そもそも、私が明日使う洗浄剤はもちろん用意されているのでしょうね」


 レイシアはあせった。あまりに落ちない汚れに、手持ちの分はすべて使いきっていたのだ。


「販売は私の商会が出来てからの予定でございます」


「私は今すぐ欲しいの! この姿を維持しなければいけないのよ! 高みを目指すのは結構ですが、私は今欲しいのです。ここまでのクオリティで何が不満なのですか! 今すぐ商品化なさい! そして、一台しかないという湯沸かし器、私に売りなさい! おいくらですの? 一千万? 二千万? 何としてでも手に入れますわ! かまども一緒に! それほどの価値はあるのでしょう? 世界を変えるほどの」


 王女はレイシアの説明を正しく理解していた。魔法を顕現できる技術が王家を通さず軍や騎士、ましてや民間に流れるなどあってはならぬことと。そして、レイシアを野に放っていくことの危険性を。なんとしても取り込んでおこう。私の美のために。いや、王国のために。


 それでも王女の采配だけでは決めかねる金額だった。


「レイシア、あなた私の側近になりなさい! 領地が借金であなた奨学生として学園に通っているのでしょう? 平民に落ちるくらいでしたら私の側近として仕え、良縁を結ぶことも約束して差し上げますわ。もちろんあなたの領に対しても優遇をはからせてもらいます」


 王女の最大限の賛美。一介の子爵令嬢としては破格のお誘い。受けるほかなかった。


「すみません。ご辞退いたします」


 その状況を、空気を、全て無視するレイシアの回答。


「はあ? あなたご自分の立場を分かっていないのですか?」


 王女が責める。王女としては最大限に配慮した最高の提案を否定されたのだから。


「私にはもったいないお言葉です。ですが、私には返さなければない借金がございます」


「借金? 領地の借金ではなくあなたの?」


「はい。商会を立ち上げるための準備段階で、私個人で3億1500万リーフの借金ができました」


「「「はああああ~???」」」


 あまりの予想外の告白と金額に驚きの声があがる。


「三億って、あなた……」


「はい。これは喫茶店の経営権を51%取得するために必要な経費で、これから行う商会設立や執事喫茶の立ち上げには、さらに膨大な資金が必要になります。私はその計画を立て遂行するために動き回ら気ねばならないのです。それに」


「それに?」


「王女様はすぐにでも洗浄剤を欲しておられるのですよね。先ほど使用した洗浄剤は、ターナーから送られてきた試作品が無かったため私が作ったものなのです。側近として時間を取られないのであれば、ターナーから届くまでの間、毎日洗髪できるようにわずかながらですが作り続けることができるのですが。また、私が側近になっては計画が大幅に、そうですね数年単位で遅れることでしょう。商会の設立も、執事喫茶の開店も。執事喫茶はもしかしたら計画倒れになるかもしれません」


「「「いやー!!!」」」という叫びがあちらこちらで起こった。


「キャロライナ様! この者を側近にするのをおやめください」

「お願いいたします!」

「執事を! 執事喫茶を一刻も早く!」


 執事たちのもてなしとショーを体験したご婦人・ご令嬢たちと、体験できなかった王女との熱狂度は違う。もちろんお風呂を体験した王女とご婦人たちとの理解も違うのだが。


 あまりの女性たちの懇願と、洗浄剤が毎日使えるメリットを考え王女は折れた。


「分かりました。レイシアさんを側近にすることはあきらめましょう。その湯沸かし器は売らないのですか?」


「まだ値段も決まっておりませんから」


「かまどは!」


「こちらもまだ試作品で値段が決まっておりません」


「試作品でもいいわ! 私に、いえ、王家に売りなさい! 値段は後ほど相談しましょう。王室の財務担当者を交えて、適正価格をはじき出しましょう」


 王女が暴走した! 温かいお風呂の魅力に取りつかれた王女が。


 レイシアが困惑する中、カミヤ会長とオズワルドお祖父様、それと石鹸の入った箱を持ったポエムがメイドによって連れてこられた。

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