クリシュの涙

 クリシュはしばらく落ち込んでいた。しかしケルトと話をしていたら、レイシアも学園卒業後に魔法を使えなくなるかもしれないという事実を告げられ、自分が今魔法を使えない悩みなどどうでもよくなってしまった。


「一般的に魔法というものはだな、軍事で使用する以外は、火事を素早く消すくらいにしか使いどころがないんだ。もしも巨大な火魔法を使う者があちらこちらにいていたら、街一つ滅ぼすこともできるだろう? そんな危険性のある魔法を管理もせずに野放しにできるわけがないではないか。私は未だ軍に管理されているんだ。魔道具作りのために魔法を研究しているからな。属性も多いから危険性が少ないと思われているのも幸いしたな」


 ケルトはレイシアに向けて話した。


「レイシア、お前が今の魔法使い放題で便利な生活を送れるのは、おそらく学園卒業までの残り三年だ。その後は騎士団か軍に所属、まあ、軍の研究所だろうな。軍に入ればこうして私のように辞めた後も研究と称して今の魔法のある生活を続けられるかもしれないな。いつでも軍に見張られているような生活だがな。学園の権限は君たちが思っている以上に強いんだよ。学園が神との契約で運営されている所だからな。逆に言えば卒業してしまえばその権限からは外れてしまう。研究所に行きたかったら推薦してやるぞ」


「軍はいやです。私は商人になってクリシュと一緒にターナーを発展させるんです」


「そうか。じゃあそれまでに魔法を研究して魔道具を作れるようにするんだな。水を出す魔道具。お湯を沸かす魔道具。それともいまから魔法のない生活に慣れるかだね。急に不便な生活になったら困るんじゃないかい? 一度覚えた贅沢はね、抜けられるもんじゃないんだよ。お前の魔法はそういうものなんだよ」


 レイシアは(確かに)と思った。


「まあそれで軍の研究所に入るのは私としてはアリだと思うんだけどね。ただ、ほかに引き抜かれるかもしれないし。軍も内部では勢力争いしているからね」


「お姉様を軍なんかに渡したくありません」


 クリシュが叫んだ。


「ははは、それはレイシアが決めることだよ。まあ、放っておいても感づくヤツは感づくさ。ドンケル先生みたいにね」


 レイシアは、(ケルトさんどこまで知っているんだろう)と警戒した。


「別に何も知っちゃいないよ。ドンケルを知っていて少し考えりゃ分かることさ。それより長期休みごとに報告においで。魔道具作り手伝ってやるよ。こちらの研究もはかどるしな」


「ぼくが魔道具を作ったら、お姉様は魔法がなくても軍に行きませんか」


 クリシュがレイシアに聞いた。


「そうね。でもクリシュはお父様と領主としての勉強をして欲しいわ。大丈夫。魔道具は私が研究する。大体お姉様は魔法が無くたって、掃除も洗濯も得意なのよ」


 レイシアはクリシュにそう告げた。



「そろそろターナーに戻らないか、嬢ちゃんも坊ちゃんも」


 料理長が口火を切ると、メイド長も説得した。


「今回はサカの孤児院を見学するための旅行です。途中トラブルはありましたが目的は達成いたしました。予定よりひと月近く滞在が伸びております。ましてやサカの領主、ヒラタの領主、両方と謁見し褒美を受け取り、婚約の打診まで受けているのですよ。おそらくそちらの領主様から感謝と報告の手紙が送られているはずです。一度戻りご報告しなくてはいけませんよ」


 レイシアは時間いっぱいまでここで研究をしていたかった。


「そうね。でも私はここで研究をしていたいの。でもしょうがないよね。帰りましょうか」


 ふう、とため息をつきながら了承するレイシアを見てクリシュが言った。


「お姉様。僕がターナーに戻ります。お姉様はぎりぎりまでケルトさんの所で魔道具を学んでください。僕は領主候補としてやるべきことをやります。魔道具ができれば、領の発展にも一役買いますよね。僕が報告しますのでお姉様はこのまま学園が始まるまでここで研究をしてから、真っすぐ王都に向かったらいいですよ」


「クリシュ、いいの? だって私と一緒にいろんなことしたいんでしょ。買い物に行ったり、勉強したり」


「いいんですよ。だってお姉様の魔法が使えなくなるまでに何とかしないといけないことですから。これはお姉様にしかできないことです。そして領の整備は僕がこれから先やらなくてはいけない仕事なのですから」


 クリシュは笑顔で答えた。本心を隠すように飛び切りの笑顔で。


「クリシュ」


 レイシアはクリシュの気持ちを汲み取った。


「では、儂がレイシアを王都に連れて行こう。レイシアの生活は儂にまかせておきなさい」


 お祖父様がクリシュに言った。


「お願いします。お祖父様」


「ではポエムも一緒にターナーへ向かうように。サカとヒラタの政治的なことは、お前たちでは伝えきれないだろう。レイシアとクリシュのこれからの事もある。儂が手紙を書いてはおくが、詳しいことはポエムに報告させるように。ポエムはそれが終わったら、ひと月の長期休暇に入りなさい。たまにはゆっくりするのもいいだろう」

「ありがとうございます。オズワルド様」


「レイシアにはサチがいれば困ることがないだろう。そうだな。四月八日には王都に戻れるようにすればいいだろう。学園が始まる前には商売の打ち合わせをしなければいけないしな。メイド喫茶の件とかいろいろと進めないといかん。よいな」


 みんなはお祖父様の提案に従うことにした。


「じゃあ、明日は研究を休んでヒラタの街でお土産を買いに行きましょう。クリシュ、やりたいことや行きたいところがあったらお姉様に教えて」


 レイシアにできる精一杯の提案だった。クリシュは「お姉様と一緒ならどこにだって行きます」と答え今度こそ本心からの笑顔を返した。



 一日クリシュとレイシアは二人っきりで街を歩いた。お土産を選び、おいしいものを食べ、本屋でゆっくりと選び、喫茶店に入った。


「やっぱり、お姉様の料理が一番です。お姉様のお店は凄かったですね」

「あれは私のお店じゃないわよ」


 ふふふ、と笑いながらレイシアは答えた。


「ターナー領にも作れますか?」

「そうね。今だと無理かな。お祭りの時の三割くらい、いつも外の人が来るようなら経営してもいいかもしれないけど。客単価が高いからね。常連さんを作れるほどの経済力はターナーにはないわね」


「そうですか」

「隣町のアマリーでも難しいわね。王都でもみんなが来ることができるわけじゃないもの。お客さんは平民の中でもお金を持っている商人のお嬢さんが多いのよ」


 クリシュは王都に行っても貴族街でしか行動できないため、王都の下町はよく分かっていない。


「王都でもね、貧乏な人は貧乏だし、お金持ちはびっくりするほどお金を持っているのよ」


 今現在、カバンの中に驚かれる程の大金を入れているレイシアがさらっと言った。


「やっぱり領地を豊かにしなければいけないのですね」


「そうね。でも今は災害前よりも活気が出てきたかもしれないわ。カミヤ商会ともよい関係を築けているし、石鹸とかサクランボのジャムとか新しい商品も出来てきたわ。クリシュの頑張りも反映されているのよ」


 レイシアがクリシュをほめると、クリシュも照れたのか少し顔をそむけた。


「僕、頑張っていますか?」

「うん。クリシュは頑張っているよ。当たり前じゃない。クリシュはすごいわ。立派にやっているよ」


 クリシュの目から涙がこぼれた。


「あれ? なんで? え? どうしたんだろう」


 クリシュが右手を目に当てながら静かに声をだしていた。


「僕、お姉様にはどうしたって追い付けないし、魔法も使えないし、全然お姉様から認めてもらえるなんて思っていなくって……」

「クリシュ」


 クリシュが普段から無意識で行っていた緊張の糸が切れた。


「ははっ、おかしいですよね。お姉様の足元にもおよばないのに、こうしてほめられるなんて。お姉様ほど……」


 ポロポロと音もなく流れ落ちる丸い涙の粒たち。レイシアを見つめたままうつむくこともできないクリシュ。頑張っても頑張っても追いつくことなどできない姉の前でどうすればいいのか分からなくなっていた。


「クリシュ。頑張ったのね。私がいない間本当に頑張ったのね。大丈夫。クリシュはよくやっているわ。孤児たちも立派に育ってる。私より教育が上手いよ。私が苦手な貴族の付き合いもちゃんとできている。ほら、ビオラさんにもあんなに慕われて。クリシュはすてきな私の弟。頑張っているの、知ってるよ。私と比べなくていいの。クリシュは十分頑張っています。ええ。クリシュのおかげでみんなが幸せになっているの。クリシュが出来ないことは私が引き受ける。私が出来ないことをクリシュが担って。ねえ、クリシュ。私達は家族で姉弟。チームなの。みんなでターナーのために頑張ろうよ。クリシュ。あなたは本当に頑張っています。私が保証します。大丈夫。大丈夫だから」


 クリシュは静かに静かに涙をこぼし続けた。悲しい涙から嬉しい涙に変わっていきながら。




 翌日クリシュは心からの笑顔でレイシアと別れ、料理長達と一緒にターナーへ向かって行った。

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