270話 職人魂

「もう無理。帰っていいですか」


 レイシアはクラクラしながらイリアに言った。


「え、もう帰るの?」

「はい。もうダメです」

「そう? あたしはもう少し観察したいから残るよ」

「はい。1人で帰ります。そうだ、イリアさんこれ食べて下さい。食堂入れませんよね」

「ありがと」

「いえ、今日はありがとうございました」


 レイシアはイリアに握り飯を渡して去っていった。



 貴族街を抜け、平民街へ戻るとレイシアの頭も落ち着いてきた。


「そうだよね。学園に入る前は子供服だったからドレスも同じので良かったけど、社交の練習をするなら場所に合わせた服装が必要だよね。お祖母様が「冬から教えます」って言っていたのはこう言う事だったんだ」


 レイシアは、オヤマーで服飾店や靴屋に連れて行かれた事が頭をよぎった。冬に向けてあれもこれもと何着もお祖母様が注文していたのを思い出した。


「あの時は私も余裕がなかったし、お祖母様には悪いことをしたわ。……でも、また行きたいかと言えば……。近寄りたくはないな」


 落ち込んだ気分を解消しようと、レイシアはまっすぐ寮に帰らずに久しぶりに町を散策した。落ち着いた貴族街と違う平民街のあわただしい雑踏がレイシアには心地よかった。


「そうだ、包丁を研いでもらおう」


 レイシアは刃物屋に向かった。



「いらっしゃい。おう、嬢ちゃんか」

「こんにちわ」

「どうした」

「マグロ包丁、研いでください」

「見せて見な」


 レイシアは、カバンからマグロ包丁を取り出した。


「どれ。ああ? 嬢ちゃん、どんな使い方したらこんなになるんだ? かなり使っているが、間違った斬り方はしてない。使用感半端ないのに刃こぼれはほとんどない。なんだこの状態は」


「ダメですか?」


「駄目ってことはねえが」


 店主は包丁をいろんな角度から眺めて、ため息をついた。


「荒砥石からやるか。嬢ちゃんすぐは無理だ。引き渡しは明日。夕方でいいか」

「はい」

「じゃあ座れ。一体何をしたのか聞こうじゃないか」


 レイシアは、黄昏の旅団とホワイトベアを倒しに行ったことを話した。シルバーウルフは灰色狼だという事にしたりして、いろいろと話は変えたがおおよそな期間や使った回数は大体間違いがないように報告した。


「嘘だろ、と言いたいところだが、この包丁を見たら信じない訳にはいかねえな。それにしても狼の首を一刀両断って……。どんな腕しているってんだ」

「こんな腕ですが」


 レイシアは、肘まで袖をまくって見せた。


「そうじゃなくって! いや……、こんな細腕で切ったのか。筋肉はそれなりについている様には見えるが……。そうだな。力で切っては包丁はもっとダメージを受けているか……。すげえな。マグロ捌くために打った包丁だったが、これはこれで職人冥利に尽きるってものか。ははっ、いいねえ。本気で研がせてもらうよ。じゃあ店閉めるから出ていきな」


 職人魂に火がついた店主に追い出されるように、レイシアは店を追い出された。

 まもなくお昼。レイシアは、久しぶりに「黒猫甘味堂」へ向かった。

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