柔らかに流れる空気

「よーし、掃除は終了だ。2人でやるといつもは出来ない所まで掃除できるな。よくやったレイシア」

「一人でもここまでできるわ。いつも手を抜いているんじゃない?」

「そんなことはない!」

「そう?」


 レイシアは、別に喧嘩を売っている訳でもなく、普通に(あなたならできるでしょう?)と思っているだけ。一方王子は、(一生懸命やってもこの程度なのね)と貴族らしい嫌味と受け取ったので言い合いが交わっていない。大体、王族にケチなど付けてはいけないのがマナー。レイシアは、普段貴族的な悪意にさらされるほど土地持ち貴族と付き合っていないため、その機微きびが分からなかった。


「それはそうと、そこの女生徒」

「あたし?」

「そう。ほったらかして悪かった。改めて名乗ろう。俺はアルフレッド・アール・エルサム。この国の王太子だ」


 今まで観察者として対象を眺めていたのに、いきなり当事者になったイリア。本来近づくこともあろうはずがない王子にいきなり名乗られた動揺は、いきなり首過ぎにナイフを突きつけられたような感じだった。


「ひ、や、はっはい! うわ~! 申し訳ありませぬ!」


「どうした?」

「イリアさん落ち着いて」

「落ち着けられるか! あっ! いやっ、うぐっ」


 イリアの混乱は頂点に達した。法衣貴族、しかも底辺にとって普通の土地持ちの貴族と話すのも本来ありえない状況。なのに王子と話すなどと予定外にも程があった。


「あにゃむにだらぬす・・・・・・・・・・・・・」

「イリアさん、落ち着いて!」

「なんなんだ、こいつは」


「もっ、もうしわけございませぬ。わたくしはイリア、イリア・ホニュガヌヌヌヌヌ……」

「落ち着いて、イリアさん! えーと王子。こちらはイリア・ノベライツ。学園の4年生でラノベ作家なのですよ」


「ラノベ作家?」

「はい。学生作家様なのです」


「ラノベだと?………………………………。素晴らしい!」

「「へっ?」」


 イリアもレイシアも、王子の予想外の反応に言葉を失ってしまった。


「ラノベか。昔読んだな。家庭教師に取り上げられてからは見ることがなかったが。あれはいい。読みやすく分かりやすく、なにより発想が自由だ。そうか君はラノベ作家なのか。どんな話を書いているんだ?」


 王子が冗舌になった。こんなにのりのりで話す王子をレイシアは初めて見た。

 イリアはイリアで(何を書いてるって、あなた達の事よ、なんて言えない)と困りまくっていた。


「え、ええと」

「イリアさんは大ヒット作家なんですよ」

「ほう」


「去年ヒットしたのが『制服少女と……』」

「うわ—————」


 イリアは、叫んだ!


「どうしたんですかイリアさん」


うわあああああああやめて!それやばいから。王子モデルでぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁラブロマンス書いたなんて知られたらどんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ目にあうか!だいたいヒロインあんたなのぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁよレイシア!あんたたち仲いいの?悪いの?———————————どっちなのよレイシア——————————


 イリアは心の声を漏らさぬように叫び声を上げ続けるしかなかった。


「おい! 黙れ! 馬がおびえる!」

「イリアさん! 落ち着いて!」


 イリアはゼイゼイと荒い呼吸をしながらも黙った。


「おいレイシア。お馬様をおびえさせないようにちゃんと注意してから連れてこい。まったく」


「イリアさん、大丈夫ですか?」

「あ、あ、あ、あたし図書館に行ってるね。レイシア、貴族コースの事を聞いといたらいいわ。じゃ、じゃああたしはここで。後は若い2人で……ね」


 ここにはもういたくないと、イリアはよく分からないことを言って立ち去っていった。


「なんなんだ? まあいい、レイシア。おびえているお馬様を落ち着かせるのを手伝え」

「はい」


 レイシアは、馬の首を1頭1頭なでて歩いた。


「ところで、今年は騎士コース取らないのか?」


 王子は何気ない振りを装って、レイシアに聞いた。


「はい。私は騎士にはなる気はないので。お馬様に触れ合えないのはさみしいのですが、こうして掃除をすることはできますよね」

「出来んぞ」

「え?」


「馬の世話は1年生の課題だ。2年生、特にお前みたいなやつが完璧に掃除をしたら1年生のためにならないだろう。掃除したかったら、授業が始まる1週間までだな。それ以上は授業妨害だ」

「ええ~!」


「だから俺もこうして名残惜しく掃除しているんだ。ま、俺の場合その気にならばいつでも乗馬はできるんだがな」


 そうは言っても、いつでも出来るわけではないのが王子と言うもの。それでも王子はレイシアと競い合いたいという願望が心の奥底にあったので、そんな強気な発言になった。


「いつでも乗馬……。うらやましいですね」

「なら、騎士コースを取るんだな。別に騎士にならなくても基礎クラス2年目なら問題ないのではないか?」


「残念ですがそうもいかなくなりました。私、平民を目指しているんですが学園長から貴族コースを履修りしゅうするように言われたのです」

「お前が貴族コース?」

「はい。何をしたらいいのやら分からないんですよね」


「そうだろうな。しかし貴族コースなら俺にも助けてやれることもあるかもしれないな。まあ、顔を合わせることもあるかもしれないし、その時は気楽に声をかけてもいいぞ」


 そう言われても……。騎士爵の子だらけの騎士コースなら、レイシアは数少ない土地持ち子爵の娘として認識される。他の生徒から見ると、王子とレイシアは上級貴族として釣り合っていた。もちろん剣の実力としても。

 しかし、貴族コースとなると辺境の子爵など底辺扱いなのは目に見えている。そんな立場で気楽に話など出来るわけがない。

 王子のお気楽な発言に、レイシアは「ありがとうございます」と言うしかなかった。


「だが俺としては、こうして立場とか関係なく作業したり剣を合わせたり出来る環境が好きなのだけどな」


 王子がふと本心を漏らした時、王子を探しにきた宰相の息子チャーリーの声が聞こえた。


「王子~。またこんなところに! 何をしているんですか」

「掃除だ。お前もやれ」

「嫌ですよ。こんな臭いところ」


「お前には、お馬様に対する敬意はないのか」

「馬でしょ。何言っているんですか。お馬様?」

「お馬様だ」


「……王子、あなたがやる仕事ではないですよ。そんな恰好で。恥ずかしくないんですか?」

「お前こそ、お馬様に対して恥ずかしくないのか」

「馬に敬語使うのやめて下さい!」


 王子はため息をついてレイシアに、


「ほらな。普通の貴族はこんなもんだ。お前が輝けるのは騎士コースだと思うぞ」


 と言うと、チャーリーには「道具を片付ける間待て」と命令した。ところがチャーリは


「そんなもの、そこの法衣にやらせればいいんです。王子早く帰りましょう」


と、レイシアに掃除を押し付けようとした。


「おい! 彼女は子爵だ」


「えっ? そうですか? でも子爵ならそんなに気を遣う事もないでしょう。おい、俺は侯爵家のチャーリー・マックハマードだ。王子の代わりに片づけをしておけ」


 チャーリーがここに来て初めて貴族らしい態度を取った。レイシアは高位貴族に対する礼をして、道具を片付け始めた。


「さあ王子、早く戻りましょう。予定が詰まっているんです」


 チャーリーの名乗りで、それまでの柔らかに流れていた空気が、貴族社会の殺伐とした緊張を含んだ空気に変わった。

 ここで、先程みたいな軽いやり取りは出来ない。


 王子は顔をこわばらせながら、チャーリーと一緒に厩舎を出ていった。




 (多分明日はお休みです)



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