230話 クリシュの誕生日

 シャルドネは3日ほど滞在して、領のあちらこちらを見学してから帰った。ただ、なぜか温泉だけには近づかなかった。誰も温泉を紹介しようともしない。なぜならそこには、水の女神アクアの意思が介在していたから。アクアにとって温泉はターナーの領民に向けて開放しているもの。他の住人は近づくことが出来ないようにしているのだ。


◇◇◇


「もうじき、クリシュの誕生日ですね、お父様」


 レイシアは、父クリフトに言った。


「今年は何をしでかす気だい? レイシア」

「しでかすって…………」


 クリフトは苦笑いをしながら言った。


「実はな、レイシア。今年の誕生日だが予算がないんだ」

「え?」


「クリシュにな、『お姉様のお帰りなさいパーティを開きたいから僕の誕生日会の予算を下さい』と頼まれてな。クリシュはこう言ったんだ『いつも僕だけ誕生日を祝ってもらっているけど、僕だって本当はお姉様の誕生日を祝いたいんだ』って」

「クリシュ……」


 レイシアの誕生日は、母アリシアの命日。そんな日にお祝いなんて出来ないと、レイシアが辞退し続けていた。ましてや、学園に通ってからは領にいないので開くことなどできない。


「私のことはいいのに」

「そう言うな。祝いたい気持ちはお互いにあるんだ。クリシュの気持ちも考えてやれ」


 不満げにレイシアは父クリフトの部屋から出た。



「お父様に聞きましたよ、お姉様。そういう事ですので、今年の誕生日会はしなくていいですからね」


 クリシュにまでくぎを刺された。


「どうして。私はクリシュの誕生日を祝いたいだけなのよ」

「お姉様。毎年お誕生日会を開く人はいないのですよ。貴族の誕生日を祝うのは、1歳、5歳、12歳、18歳、それと50歳だけなんですよ。毎年しなくてもいいんです」

「そうだけど、いいじゃない。クリシュは特別よ!」

「勝手に特別にしなくていいです。それよりお姉様、いろいろ教えて下さい。僕はお姉様と一緒に勉強したりお話したりするのが楽しいんです」

「クリシュ」


 レイシアは、クリシュに勉強を教えた。しかし、やはり誕生日を祝いたかった。



 結局、使用人たちも当主クリフトの意向とクリシュの思いを汲み、クリシュの誕生日を祝いたいという計画に乗る者はいなかった。お姉様お帰りなさいパーティを開くときからクリシュにお願いされていたから。メイド長はレイシアをたしなめ、料理長は「その日は少しくらい贅沢な夕食は出せるようにするか」、と言ってくれただけ。


「ねえサチ、どうしよう。誕生日を祝いたいだけなのに」

「レイシア様。お金持っているじゃないですか。ギルドに預けているお金はどうしたんですか?」

「少額ならすぐ引き出せるけど、高額な引き出しは田舎のギルドでは制限があるから。ギルド間のやり取りとかで申請から2週間はかかるのよ」

「間に合いませんね」

「そうでしょ」


 レイシアとサチは考え込んだ。


「レイシア様、この間おっしゃっていたじゃないですか。文字がないなら作ればいいって」

「小説のセリフね。じゃあ、金がないなら作ればいいのね」

「だめ! 贋金作りだめ!」

「だめよね。いやいや、贋金じゃなくて仕事をするとか」

「誕生日までクリシュ様と毎日付き合う約束していましたよね」

「でも、隙間時間で」

「何する気ですか?」

「狩りとか」

「だめです! 家か教会か孤児院くらいでおとなしくしていてください!」


 サチからも協力してもらえない。レイシアは考え込んでしまった。


「じゃあさ、こういうのはどう? 協力してサチ」


 レイシアはサチに耳打ちをして協力を頼んだ。



◇◇◇



 孤児院でのクリシュの授業。今日は法衣貴族の子供たちへの授業だ。年上の生徒にクリシュが檄を飛ばす。


「これくらい出来ないと学園に行ってから苦労するよ」


 クリシュは三桁の割り算のやり方を教えながら考えた。


(ここの孤児は勉強を嫌がらない。いや楽しいものと思っている。ところが貴族の子供は嫌なものと思っているみたいだ。何が違うんだろう)


 クリシュはなにか大切なことに気づき始めたのだが、生徒たちの理解のなさに再び説明をするので大変になり、そのことは一旦保留にした。



 授業が終わると、貴族の子供は家へ帰る。昼食は孤児院では取らない。寄付を取って昼食を出そうとしたこともあったが、親から反対された。孤児と一緒に粗末な昼食は取らせられないと。結局、面倒くさくなったので午前中だけ授業をすることにしたのだった。


 いくつもの馬車が孤児院の前に並ぶ。クリシュは生徒の親に愛想を振りまきながら生徒を見送る。これも将来領主になった時のための地ならし。恩は親も含めて体に刻み込ませるのが一番。このつまらない儀式は未来への投資だ。


 そんなことを考えながらも、お姉様・レイシアの素晴らしさを喧伝するのも忘れない。レイシアが学園から帰って来た時クリシュが学園に行く。その時までお姉様の素晴らしさを広めておいて受け入れやすくしよう。そう思い頑張っているクリシュだった。


 法衣貴族の一行が帰った。ため息をついてからクリシュは食堂へ向かった。食堂のドアを開けると、合唱が始まった。


  おめでとう (おめでとう)

  おめでとう (おめでとう)

  今日は特別素敵な日


  おめでとう (おめでとう)

  おめでとう (おめでとう)

  今日はあなたの誕生日


  おめでとう クリシュ


 二部合唱が響き渡る。孤児たちに交じってレイシア・クリフト・ターナー家の使用人達が拍手で迎える。


「おめでとう、クリシュ。ここじゃ狭いから外に会場を設置しているわ。みんなで手作りしたパーティーよ。お金はかかってないけど、気持ちは沢山乗せているからね。さあ、みんなでお祝いしましょう。クリシュのサプライズ誕生パーティよ」


 外には立食のパーティ会場が出来ていた。クリシュたちから見れば少し贅沢な、孤児から見れば信じられないほどの贅沢な料理が並んでいた。


「クリシュ、一曲踊ったらパーティの始まりよ」


 孤児たちがアカペラでワルツを奏でる。レイシアがクリシュの手を取り中央に移動する。


   ルンタッタ ルンタッタ


 お帰りなさいパーティで踊った時と同じ。あの時はクリシュが、今はレイシアが相手を祝う。


   ルンタッタ ルンタッタ


 三拍子のステップは、前回よりも上手くなっていた。あの日いなかった孤児たちが、物語のワンシーンを見るように感動しながら見入っていた。


 やがて曲が終わり、レイシアとクリシュはみんなにお辞儀をした。

 鳴りやまない拍手。

 もう一度お辞儀をすると、レイシアがみんなに向かって言った。


「クリシュのお誕生日会始めます。みんな、楽しんでね」


「「「お誕生日おめでとうございます。クリシュ様」」」


 孤児たちが大声で祝いの言葉を発した。


 クリシュは、先ほどまでの作り物の笑顔とは違う、本当の笑顔で「ありがとう」と応えた。

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