第3話

5月の半ば。

初夏の爽やかな風が庭を吹いていた。

「そういえば…」

僕はふと、

「茅廣さんと茅津子さんってなんで苗字違うんですか?」

と、訊いた。

あれから常連になった牧田が慌てたように

「ちょ、真田先輩!!そういうことは…」

と立ち上がった。

茅廣さんが

「大丈夫よ。複雑な事情じゃなくて私が結婚してるからだから」

と笑う。

えぇー?!

『茅廣さん、結婚してたの?!』

僕と牧田の声がたぶんもう無いだろう…重なった。

「はい。主人はカフェにはノータッチなんですが、主人のお父さんはたまに来ますよ」

結さんが厨房から出て来て

「庭をキレイにしてるのも茅廣ちゃんのお舅さんの宮城 透(みやぎ とおる)さん」

すると牧田が

「宮城 透さん…?」

と呟いた。

「知り合いか?」

僕が訊くと牧田は神妙な顔で頭を押さえた。

「いや、どこかで聞いたことあるんです。宮城透さんって…どこだろう、思い出せないな」

僕は笑いながら

「何だよ、若いのに」

と言った。

牧田はまだ思い出そうとしてるのか、頭を抱えている。

「牧田くん、アイスコーヒーだよ」

結さんが出す。

あれ…?

そういえば、今日陽一さんは…?

「陽一さんはお休みですか?」

結さんはため息。

「陽一さんは本業があるからね。今日はその件の用事だよ」

本業…?

陽一さんって不思議な部分があるよな。

きっと経験豊富なんだろうけど…。

「茅津子さんもダメだしね」

茅廣さんが

「結ちゃん、今日は早めにお店を閉めましょう。仕方ないです」

と言うと結さんもうなずく。

「陽一さんもそろそろ本業に専念しないとダメですよね…ボーイさん、募集かけて見つかりますかね」

珍しく茅廣さんが真剣な面持ちで言う。

ボーイか…。


牧田に起きた変化、それは僕の陰口に参加しなくなったこともある。

先輩に何を言われてもはぐらかし、かといって僕を庇うわけでもない。

僕はしっかりしなきゃ!と思って

『近い予定』をピンクの付箋

『連絡事項』を青い付箋

『1週間の予定』を緑の付箋

にして机に貼っておいた。

今まではパソコンの予定表を使っていたが卓上カレンダーを机に置いた。

仕事も自分なりのチェックリストを作りミスを減らす努力をした。

「うわっ…なんだよ、これ!」

ある日、前に牧田と僕の陰口を言っていた先輩が僕の机を見て言った。

「真田の机、スゲーな!!こんなんしてもどうせお前はダメだろ。時間のムダじゃん」

僕は俯いた。

「お荷物くんはお荷物くんのままだろ。な、牧田」

先輩は牧田を見た。

牧田はパソコンを見ていたが顔をあげた。

しかし、なにも答えない。

「牧田?」

先輩が参加しない牧田を不思議そうに見る。

牧田は再びパソコン画面を見つめた。

「…忘れなきゃ良いじゃないですか?」

ボソッと言った。

いつもの牧田なら

『そうっすよね、真田先輩。机散らかしてるだけで無駄ですよ』

とか言うのに…。

先輩はそれ以上言わずに気まずそうに仕事に戻った。


牧田が僕のことを言わなくなったのはグロッサムに来てからだ。

だけど、グロッサムでは変わらず茅廣さんや結さん、陽一さんと笑ったりしている。

この間は

『厚焼き卵のタマゴサンドって出来ますか?』

って結さんに聞いてたな。

陽一さんが

『関西の喫茶店のタマゴサンドだね』

と驚き笑っていた。

『卵焼きは甘めで、ケチャップを塗ってもらえますか…?』

それを聞いて

『注文多いな、牧田』

と僕も笑った。

それ以来、甘めの卵焼きのタマゴサンドとアイスコーヒーだ。



「それ、そんなに美味いのか?」

僕が訊くと牧田は、

「美味いって言うか、俺、小さい頃母子家庭でばあちゃんが喫茶店やってて母ちゃんの仕事終わるまでそこにいて、ばあちゃんが『腹減っただろ、食ってな!』って…」

と懐かしそうにタマゴサンドを見つめた。

「まあ、その時の飲み物はブラックのアイスコーヒーじゃなくて紙パックのコーヒー牛乳でしたけどね」

あの甘いやつか。

懐かしいな。

「美味いって言うより懐かしいんす」

牧田…

「あのさ…なんで、先輩と僕の陰口とか嫌味を言わなくなったの?」

たぶん、こんなこと訊いてもはぐらかすはずだけど訊いてみた。

「…言いたくなくなっただけです。どうせあんたは言ってもミス減らないでしょ。言うだけムダだから」

ほら、やっぱり。

「あと、あんたを笑って満足してる自分が情けなく思えたから」

は…?

「あんたは俺がミスっても誰かと笑うことや怒ることすらしなかった。すごいな…って思えた」

えっ?!

あの牧田が僕を『すごい』って言ってる?

「本当はさ、僕は皆が羨ましいんだ。皆がどうやって仕事覚えてるのか、なんで僕より短い時間で仕事覚えられるのか解らない。そして僕がなんでこんなにミスがあるかも解らないんだ」

でも、今はそれを無くす努力をしたい。

「優志さん」

茅廣さんが僕をまっすぐ見た。

「発達障がい、って知ってますか…?」

発達…障がい?

インターネットとかで名前は聞いたことあるけどでも、それって小学生くらいの子どもの話じゃ…。

授業中に大人しく出来ないとか、漢字や九九が覚えられないとか。

「え…、僕は学生のとき授業中問題なかったですし、学力も…そりゃ良い訳じゃないけど…」

茅廣さんは

「そうじゃ、ないの」

と困ったように笑った。

「仕事を覚えるのに時間がかかったり、ミスや連絡忘れ、確認不足、集中出来ない…とか。もっと細かいこともあるけど」

僕…だ。

えっ…僕が発達障がいかもしれない?

そんなの…

「僕は…普通です。僕は…発達障がいなんかじゃないです!!普通より抜けてて、でも、たぶん、それは僕の努力が皆より足りないだけだから!努力したら皆みたいに出来るから…!!」

僕は立ち上がった。

違う、僕は…普通だ。

皆と同じ。

ただ少し物覚えが悪いだけ…

忘れっぽいだけ…

うっかりしてるだけ…


口元を押さえて牧田を見た。

牧田は僕を見ていた。

でも

『真田先輩はそんなのじゃない』

って言ってくれないんだな。


僕はグロッサムを飛び出した。



「陽一さん、私…」

茅廣が陽一を見た。

陽一は

「茅廣ちゃんは悪くないよ。優志くんの苦しみを取りたかったんだよね?君も介護士時代苦しんで来たもんね…」

と言った。

「陽一さん…私は今の余裕がない、人を誉められない、出来て当たり前の世の中は『私達』には生きづらいです」

陽一さんは頷く。

「人は怒られるより、誉められて、認められて成長出来るって私は信じてます」

そんな場所にしたくてあの時カフェを立ち上げた。

出来なかったことを責められるのは辛い。

出来たことを誉められるほうが成長出来るはず、って…。



「優志さん…」













































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カフェ「グロッサム」にようこそ! @Adukimame

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