第2話

あれから僕は「グロッサム」に金曜日の会社帰りに寄っている。

お客さんは色んな世代の人がいる。

「茅廣ちゃん、3番テーブルのアイスコーヒー出した?」

陽一さんの言葉に慌てる茅廣さん。

「ご、ごめんなさい!!」

お客さんも笑ってる。

茅廣さんはよく抜けてるみたいだ。

「すみません!カツカレーのカツ、つけ忘れて…」

それを誰も怒らない。

お客さんも。

ここは…そう、誰かがミスしても誰も怒らないんだ。

茅廣さんだけじゃない…。

「あ、すみません!頼んでいた特製プリン、出してませんでしたよね」

陽一さんがミスしても、結さんがミスしても…。

「…」


「茅廣さん…何でここは誰かがミスしても決して怒らないんですか…?」

僕が意を決して訊いてみたら茅廣さんが

「それが『カフェ グロッサム』なんです」

と答えた。

それが『カフェ グロッサム』…?

僕はよく分からなかった。

「怒られて自分を責めて、次は怒られないようにしようって緊張してミスしてしまう」

ドキッとした。

まさに…僕だ。

「それの繰り返しって辛いですよね、でも、会社や学校はそれなんです」

怒ったら直るのか…?

茅廣さんは少しトーンを落とした声で続けた。

「あの人のミスのフォローばかりで仕事にならない。あの人が出来ないから仕事の負担が増える」

それは…全部…

「僕が会社で言われてきました」

茅廣さんは少し驚いた表情を見せ、笑った。

「私は得意なことを見つけようともせず、出来ないことを怒って矯正しようとしてるのに『負担だ』っていう人は嫌なんです。得意なこと伸ばせばお互い助け合えるのに」

それが『カフェ グロッサム』。

「優志さん、こう言われたことありませんか…?」




『苦手なことを我慢してやるのが仕事だろう』

『苦手だとか言うのはワガママだ』

『出来ないのは真剣に覚えようとしてないから』



「言われたこと…あります」

茅廣さんが微笑む。

「生きづらくなかったですか…?これまで」

苦しかった…

僕は普通の人と違う、って思ってた。

普通の人になりたくて仕事をノートに書いて何度も読んで、出来たところや出来なかったところを書きまくった。

それでも僕は仕事が出来ない。

牧田や先輩に陰口言われて…牧田や先輩に怒りを覚えないのは…



自分が一番嫌だったから。



「僕は自分が一番嫌だったんです。仕事で毎回抜けて怒られて、後輩に見下されて、陰口言われても一番嫌で怒りを覚えたのが自分だから、後輩や先輩は悪くないって」

思いたかった。

僕はカウンターの上で両手を強く握りしめた。

茅廣さんが頷く。

「優しい人」

茅廣さんの声に頭を上げる。

「優志さんは優しいです」

僕が優しい…?

後ろから陽一さんが

「昔の誰かさんみたいだ」

と言った。

僕は振り向く。

誰かさん…?

「陰口言われても、苛めを受けても、決して他人を責めない優しいね、君は」

陽一さんはニコニコ笑っている。

「だけどね、たまには人を責めていいんだよ。君がミスをするように他人だってミスをするんだ」

他人だってミスをする。

「その時、ミスをした人間は素直に謝る人間ばかりじゃない。下手したら誰かにミスを擦り付ける人間だっている」

陽一さんはお盆にアイスコーヒーを乗せながら、

「君はそれを今みたいに笑って許せるかい?」

笑って許せる…。

他人のミスを擦り付けられて…?


「よし、出来た!」

僕はその日珍しく自分の仕事が終わった。

牧田と手分けしてやった仕事。

僕の分は終わったから見直しをする。

またミスをしてたら大変だ。

「真田先輩、どうっすか?」

牧田がまたいつもの僕を見下すような言い方で聞いてくる。

「終わったよ。見直ししたから大丈夫だと思うよ。じゃあ、これ、僕の分だ」

牧田に渡す。

「はあ、珍しいっすね。真田先輩にしては」

牧田は仕事を受けとると席に戻る。

僕はこの後会議があるから牧田に提出を任せたのだ。


会議が終わり、席に戻ると部長がツカツカと寄ってきた。

「おい、真田!!」

僕は顔を上げる。

「お前はまたか…ここの計算間違ってるぞ!!」

僕は部長の差し出す書類を見る。

部長の指の先…

え、これは…

「また、真田先輩ですかー?」

牧田が歩いてきた。

「あ…」

口を押さえる牧田。

ここは牧田に任せられたところ…。

僕は牧田を見た。

「お前は全く何度言えば覚えるんだよ?!次の人事でお前をどうするか話しておくからな」

牧田はなにも言わず俯いている。

『君は今みたいに笑って許せるかい?』

僕は…

「すみません!本当に僕ってダメですね!!」

と笑った。

牧田が僕を見る。

「真田…先輩?」

「ごめんな、牧田も心配かけたな。僕はミスばかりでお前も嫌になるよな!!」

笑う僕を牧田は驚きの表情で見つめたまま…。


今日は金曜日だからまたグロッサムに向かう。

結さんの親子丼、美味しい。

でも、ナポリタンも捨てがたい。

そんなことを思いながら歩いていて、僕は気づかなかった。

後ろからついてくる影に…。

夕方のカフェ グロッサムはそこそこ賑わっている。

週に2回茅廣さんの考えで子どもは無料の日がある。

『子ども食堂じゃないですけど、子どもさんがお腹空くって私は嫌なんです。もっと出来たら良いんですが、スタッフが3人だけなんで…』

茅廣さんらしい。

今日はそんな子ども食堂の日みたいだ。

僕がカウンターに座ると、やっぱり中は子どもを連れた人達がたくさんいた。

「いらっしゃい!」

茅廣さんの声。

「うふふ、今日は庭がキレイだったでしょ?庭の掃除をしてもらったの。あとね、うちのスタッフの最後の一人を紹介するわね」

厨房から出てくる初老の女性。

ピンクのシンプルなエプロンにボブショートのグレイヘアー。

姿勢が良く気品がある女性。

「川崎茅津子(かわさき ちづこ)さん。私のお母さんよ」

えっ?!

お母さん?

茅廣さんの?

「こんにちは。あまり、こちらにはいないんですけどね。たまにグロッサムを手伝ってます」

ニコニコ…。

「今日は庭にイスとテーブルを置いてもらったの。そちらで召し上がらない?」

茅津子さんがいう。

初夏の夕暮れの庭…いいかも!

僕が二つ返事でOKすると、庭に出た。

そこには…


「牧田…?」


牧田が立っていた。

後から出てきた茅廣さんが顔を首をかしげている。

さらに後ろから出てきた茅津子さんが

「真田さんのお友達?!どうぞ!」

庭先のベンチをすすめる。

牧田は戸惑ったように

「いや、俺は…その…」

と口ごもる。

茅廣さんも

「優志くんのお友達なら大歓迎です!」

とニコニコだ。


…変な感じだ。

牧田と顔を合わせて座っている。

こんなことなかったし。

牧田は所謂イケメンって部類に入る。

栗色のセットされた髪の毛に白い肌。

王子様系っていうのかな…。

「あの…なんで、言わなかったんです」

牧田が口を開いた。

「え…?」

僕はストローでアイスコーヒーをかき混ぜる手を止めた。

「あのミス、俺だったでしょう?どうして真田先輩、俺だって言わなかったんですか…?」

あ、昼間の…?

そのために牧田はここまでついてきたのか?

「…いつもありがとう、な。牧田」

僕の言葉に顔を上げる牧田。

「いつもミスばかりの僕のせいで牧田には迷惑かけてる。だから、あんなの何でもないよ」

牧田は俯きながら震えていた。

「あんた…何なんだよ?!俺はあんたを見下してきたんだぜ?!あの時、俺を差し出したら…良かったのに…」

泣いてる…?

「今回のことで人事に響いたらどうするんですか…」

僕は

「その時はその時だ。先輩も牧田も部長も僕がいなくなれば負担が減るからな」

と軽く笑った。

「…」

牧田はそれから一言も発せず黙々と茅廣さんのナポリタンを食べた。

帰りに

「また会社でな!」

と僕が声をかけたが駅にそのまま向かっていった。


次の日。

「真田ー!!」

朝、出社して僕はいきなり部長に呼ばれた。

僕、また何かしたのかな…とヒヤヒヤしながら部長の元にいく。

「昨日の件な…悪かったな」

えっ?

部長は決まり悪そうに僕を見る。

「牧田だったんだな、あれは。お前と牧田に分担させたのにお前のミスだと決めつけて悪かった」

頭を下げる部長。

「あの、なんで…?」

僕が首をかしげていると

「牧田がな、自分のミスだと名乗り出た」

牧田?!

僕は牧田の方を見た。

牧田はパソコンを見て、こちらを見ない。

牧田…


昼休み、僕は牧田を追いかけた。

「牧田!!」

牧田が振り向く。

「何です?」

「なんで、自分から…部長に…」

あー、もう!!

うまく言えない。

「あんたに先輩面されるのムカつくからです」

は?!

「あんたに貸しなんか作りたくないです」

なんだよ、コイツ…。

スタスタと去っていく。

よく分からないやつ。



「…って、何でお前がグロッサムにいるんだよ?!」

僕がカフェ グロッサムに寄ると既に牧田がカウンターに座ってコーヒーを飲んでいた。

「別に。俺もここのコーヒーが気に入ったんです」

しれっという牧田。

「あと、美女も多いし」

にっこり笑う。

はあ…もう…

茅廣さんがクスクス笑いながら

「ご注文は?」

と聞いてくる。

今日は何にしようかな…。

「君は笑って許せる人なんだね」

陽一さんがにっこり笑いながら耳打ちするように言う。

「陽一さん…?」

陽一さんは不思議な人だな…。

「牧田くん、君も優しいねぇ」

牧田は一瞬目を丸くしたが我に返ったように

「俺が優しい?」

と陽一さんに信じられない、という様子で問いかけた。

「優志くん、たまたま君は牧田くんだったから自分の間違いを認めたんだ、そう思っていたほうがいいよ」

牧田だから…?

「ちが…っ!!」

牧田が反論しようとした時に結さんが

「陽一さん、5番テーブルのプリンアラモード出来ましたよ」

と声をかけた。

陽一さんは結さんを見て

「あぁ、結ちゃん。悪いね。オジサンの悪い癖だね」

と言った。

陽一さんや茅廣さん、結さんに何があったか解らない。

けど…陽一さんの言いたいことも解るんだ。

今回は牧田がたまたま間違いを認めてくれただけ、僕はきちんとミスがないように仕事が出来るようにしていかないといけないんだ…。























































































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