第32話 アフターサンオイル

 誰もいない砂浜、俺はアフターサンオイルを手に集めた。


「行きます」


 パラソルの下、俺は寿々花すずかさんの背中に指を這わせる。


「んっ」

「冷たいですか? それとも痛い?」

「大丈夫。気持ちいいよヒデくん」


 艶っぽい声で、寿々花さんが感想を述べた。


 寿々花さんの背中はとんでもなくモチモチしていて、柔らかい。


 横乳が、わずかにはみ出ている。


 なるべく見ないように、俺は背中へと意識を向けた。


 時々、寿々花さんは「あ~っ」と変な声を上げる。


「どうしたんですか?」

「うーん。やっぱり歳なんだねぇ。指がツボに入ると、オッサンみたいな声が出ちゃう」


 俺の指使いは、アンマに近いのか。


「もう三二だもんねえ」

「そうなんですか?」


 ホントに、俺よりふたつ上だったんだ。


「下の方も塗りますね」

「お願いしまあす」


 寿々花さんの太ももに、手を滑らせる。


 スベスベしてて、触っているこっちが気持ちいい。


 マジで三〇代かよ。一〇代後半って言われても、信じるぞ。


 寿々花さんは、オーラこそ大人のお姉さんって感じである。しかし、見た目は二〇代に思えた。化粧もナチュラルメイクで、肌の痛みも見えない。


 ヒップの張りなんて、グラビアアイドル並なのではないか?


「じゃあ、前もお願い」

「前!?」


 寿々花さんが、ブラを腕でガードしながら、仰向けに。


「待ってくださいっ。前なんて」

「お願い」


 宙を泳ぐ俺の手首を、寿々花さんがつかんだ。オイルでベタベタになっている手を、自分の腹にベチャッと押し当てる。


「いいんですね?」

「うん。お願い」


 観念した俺は、前の方にもオイルを塗っていった。


「大丈夫じゃないところに手が行ったら、ちゃんとストップって言ってください」

「ダメなところなんてないけど」

「いや、ダメですから! まったく」


 完全にマッサージおじさんとなって、思考を遮断する。


 前のオイル塗りは、後ろよりもはるかに想像性が増す。


「寿々花さんって、ホントに男性遍歴ないんですか?」


 スケベになりそうな気持ちをそらすため、話題をふる。


「仕事人間だった。事務だったんだけどね。黒縁メガネで延々と、PCに帳面叩いてた。独り身でずーっといたもん」


 寂しそうに、寿々花さんは苦笑する。


「信じられない。誰も、寿々花さんに声をかけないなんて」

「家が大きいんだよね。不動産のトップ企業だもん。それを背負うことになるから、どうしても尻込みするみたいで」


 寿々花さんが、「はあ」とため息をつく。


 コネで入った仕事だったので、周りからも妬まれていたらしい。本人は、しっかりとがんばろうと思っていたのに。


「一応、家もお見合い相手とか探してくれてるんだ。でも、お金目当ての人ばっかりでさ。イヤになっちゃった」


 なんか、寿々花さんが一人暮らしを始めた理由が、なんとなく読めてきた。


「魅力ないんだねえ、わたし」

「そんなことないですっ」


 俺は、寿々花さんの手をギュッと握る。その後瞬時に、自分の手がオイルまみれだと思い出して後悔した。


「すいません」


 手を離そうとすると、寿々花さんが握り返してくる。


「ありがとね、ヒデくん」


 ムクッと、寿々花さんが起き上がってくるではないか。今の寿々花さんはブラを……。


 白いブラが、ストンと落ちそうになって。


「うわっと!」


 思わず俺は落ちかけのブラを押さえてしまった。それはつまり、寿々花さんのオッパイにダイレクトタッチしてしまったわけで。


 寿々花さんの体温が、熱くなっていくのがわかる。


 自転車のブレーキ音が、後ろから聞こえた。バッと、振り返る。


 ヘルメットを被った学生カップルが、こちらを凝視していた。俺が寿々花さんを襲っているように、見えただろうか。


「す、すいませんっ!」


 そういいつつ、視線は胸に釘付けになって、手も離せない。離したらそれこそ直視できな状態になるわけで。


「い、いいよ。ごめんねっ」


 ブラを直しつつ、寿々花さんはうつむいてしまう。


「ゴメンね。アラフォーのオッパイなんて見ても、うれしくないよね」

「そ、そんな! かき氷買ってきます!」


 俺が立ち上がると、寿々花さんが俺の手を取った。


「ついていく!」


 二人で手をつなぎながら、海の家に。

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