第3話 激安スーパーに潜む鬼

 翌日、俺は残業を断る。

 正確には、残業の時間を減らした。相手にも割り振ることに。


 同僚からも、とくに嫌な顔をされなかった。むしろ「言ってくれて助かる」とも。


「そうだったのか?」

「できるお前にばっかり押しつけてた、後ろめたさがあってな。オレは、家に帰っても特にしたことがないし」


 北阪きたさかは、俺の隣で作業を始める。


「すぐ終わらせて帰ろうぜ」

「だな。ヒデ、終わったら付き合えよ」


 呑みに行こうと、北阪は誘ってきた。


「すまん。今日は帰らないと」

「そうなのか? つれないな。ひょっとしてカノジョできたか?」

「違うって。家の用事だよ」


 俺が言うと、北阪もそれ以上問いかけてこないでくれる。誘われたとしても飲めないと、向こうも知っているのだ。


「ヒデ先輩、わかってますよ。ペットでしょ?」


 後輩の女性社員村井むらいが、ニッと笑う。


「だよな。そういう愛らしさってあるよな」

「まあ、そんなところかな?」


 ロールケーキを食う小動物を、俺は思い出す。 


「あたしもネコ飼ってるんですけど、そのこのために早く帰らなきゃって思っちゃうんですよねえ。一人もんだとなおさら。だから、北坂さんのお誘いも乗りませんので」


 ネコのために、村井が仕事に集中し始めた。


 俺と村井の二人から断られて、北坂はため息をつく。


「まあいいや。戦友と苦労を語り合おうと思っていたんだが、他のヤツと酒を交わすよ」

「そうしてくれ」


 四人でやると、作業はあっという間に終わった。


「さてさて、あたしは帰りますね。うちの子が待ってますので」


 そそくさと、村井は去っていく。


「だな! オレも酒が待ってる」


 北阪が伸びをして、背もたれにかけていたジャケットを羽織る。


「ありがとうな」

「いいって。じゃヒデ、彼女とうまくな」

「違うっての」


 北阪は、別の同僚と夜の街へと消えた。


 俺が向かう先は、コンビニである。酒とつまみを買って、と。


「おっと、そうそう。デザートも」


 コンビニスイーツを、買って帰りますかね。


 お食事は、寿々花すずかさんが作ってくれるそうだから。


 今日はなににしようか。


 桜餅なんてどうだ? 春といえば、桜餅だろう。


 おっと売り切れか。そういえば、人気なんだよな。和風でヘルシーで。


 となると、おはぎだな。見ろよ、このドンした面構えを。ボリュームたっぷりのおはぎだ。これもこれで、ヘルシーだろう。見た目こそヘビーだが、案外ペロッと食えてしまう。


 これならきっと喜んでもらえるだろう。


「ただいまー」


 俺はただいまを言う。誰もいない部屋で。


 冷蔵庫に、おはぎを入れる。


 寿々花さんはいない。買い物に行っているのか。


「しまった。朝のパン買ってこなきゃ」


 冷凍室に常備していた食パンを切らしていた。買いに行かないと。


 ピオン……は、寿々花さんと鉢合わせになってしまうかも。

 なんだか、気が引ける。

 お隣さん目当てにデパートに入ったみたいに思われてしまう。となると、実に気まずい。変に気を遣わせてしまう。


 だとしたら、選択肢は一つだ。


 以前から注目していた、近所の激安スーパーへ行こう。


 あそこは激安店だけあって、すぐに品切れを起こして店を閉める。

 俺は、あの店を有効利用しようと思って、このアパートを選んだのに。

 あんなに締まるのが早いと思っていなかったのだ。まさか、一八時に閉めるとは。


 しかし、今なら日が明るい。まだ開いているはずだ。


 よし、向かうか。


 着替えもロクにせず、俺は急いで激安スーパーへ。


 ダンボールで作った間仕切りが、迷路のように入り組んでいた。


「えっと食パン食パ……ン」

「うおおおおおお!」


 鶏肉コーナーに、鬼がいた。正確には、女型の鬼が群がっている。押し合いへし合いで、鶏肉の争奪戦が繰り広げられていた。


 アナウンスでは、「タイムセール」を謳う声が。


 あの輪の中には、入れそうにないな。しかし、ここを抜けないとパンコーナーに入れない。迂回するか。


 これだけ大騒ぎな店だ。さすがに寿々花さんのようなおしとやかな人は、寄り付かないだろうな。彼女なりに、網目を縫って上手に買い物をしそうだが。


 ああ、回り道をしたせいで、余計な品がカゴにポイポイ入っていく。しかも安売りしていないツマミ系が、またうまそうなのだ。パンを買いに来ただけなのに。


 このスーパーは青果・肉・魚は激安だ。しかし、酒だけは普通の値段である。


 タイムセールでも店が潰れないのは、このマジックが働いているからじゃね? 酒コーナーにうまく誘導しているから、もとが取れるのだろう。

 妄想かも知れないが、人間の動線を利用しているなら、よく考えられている。


 だから、俺はコンビニを選ぶ。割高なお会計で、視界にすら入れずに住むからだ。


 さて、食パンをゲットしたんで、帰るとするか。


「ふおおおおお!」


 高々と鶏胸肉を掲げて、一人の女性が群れから抜け出す。雄叫びをあげながら。


「あれ、寿々花さん!?」


 思わず俺は、食パンを落としそうになる。


「ああひ、ヒデくん!?」


 寿々花さんの手から、鶏肉が落ちそうになった。

 しかし、その親指は鶏肉を突き抜けていたため、落下は免れる。

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