朝読書のときに一目惚れをした俺と彼女のその後の関係。

ケンリュウ

一目惚れ。

 俺は「朝の会」のまえに毎朝行われる、朝読書の時間が大嫌いだった。

 だって、本なんて文字列がたくさん並べられてるだけで、ちっとも面白くないし……。


 たしかに最初のうちは、静かに本を読んでいる周りの友達たちを見て、『みんな、頭よさそうでかっけぇー。俺も難しそうな本を読んで絶対モテモテになってやるぜ!』なんて思ってたけど──


 いざ、教室の端に置いてある本棚に目を向けてみても、そもそも面白そうな本がない。

 だけど、本を読まないと先生に叱られるのは目に見えている。


 俺は毎回本の表紙すらろくに見ずに、テキトーな本を手に取って、「朝読書のはじまり」の合図となるチャイムが鳴る、少しまえに席に着くことにしていた。


 そして、チャイムと同時に本を開き、俺は本を読んでいるフリを開始する。


「……」


 とても静かだった。

 聞こえてくるのは、時々咳をする生徒たちのゲホゲホッ! という音と椅子をずらしたときに鳴る、カタカタッ! という音ぐらいだった。


 もしかしたら──この時間が一日の学校生活の中で一番静かかもしれない、と思った。


 そんな中俺は、肩口辺りまで掲げられたハードカバーの本を眼前まで持っていき、視線を一人のクラスメイトのほうへと向けていた。


「……」


 それは一言で表すと、「眼鏡文学少女の観察」とでも言えばいいだろう。


 これを始めたのは、いつぐらいからだっただろうか……。

 たしか、それは朝読書が始まって二週間も経っていなかった頃──





 その日もいつもと変わらず、俺は目の前にある本はそっちのけで、『昨日のご飯はなんだったけなー』だとか『今日の昼休みのサッカーは、絶対に俺が点を取ってやるぜ!』だとか心底くだらないことを考えていた気がする。


 そしてそいつは突然、俺の目の前に飛び込んできた──というのは嘘で、俺が暇を持て余しすぎていて視線をキョロキョロと彷徨わせていたら……いたのだ、そこに。


 美しい所作でページを捲っている最中の彼女が──。


 そのときに俺は確信した。そうか、これが俗に言う「一目惚れ」というやつなのだと。


 その姿を一目見た俺は、しばらく彼女から目を離すことができなかった。





 と、まあこんな感じで──俺は眼鏡文学少女を毎朝の読書の時間に観察するのが日課になっていた。


 すると、朝のチャイムが鳴り、先生が本をパタリと閉じた。


「よし。じゃあ、朝の会を始めるぞー」


 先生がそう言うと、眼鏡文学少女が「起立!」と声を上げた。


 今となっては、その凛とした声も聞き慣れたものとなっているが、初めてその声を聞いたときにはかなり驚いたものだ。


「礼!」


 眼鏡文学少女が引き続きそう発すると、俺を含めた他の生徒たちが今度は声を上げた。


「おはようございます!」


 ほぼクラスメイト全員の大きな声が、俺の耳を刺激する。


「着席!」


 その眼鏡文学少女の声が教室内に響くと、徐々に生徒たちがみな自分の席に腰を下ろし始めた。


「今日の報告、といきたいところだが──今日の報告はない。あ、でも今日の日直の人は名簿がまだこの机に置かれてないから、ちゃんと授業前には持ってくるようにしてな」


 俺はそんな先生の言葉を聞き、すぐさま黒板の右下の『日直』と白い字で印刷されているところに目を移した。


 そして、その『日直』という文字のすぐ下に書かれている名前に俺は目を疑った。


『小日向 和真

 神楽 佳華』


 嘘、だろ……、と一人心の中で呟かずにはいられない。


「私の名前って、そんなに変……?」


「うわぁっ!」


 すると、彼女はすぐその顔に笑みを浮かべる。


「見た目とは裏腹に、存外可愛い反応をするのね」


 そういう彼女こそ、近くで見ると地味な割に意外とかわいい、なんて恥ずかしくて言えるわけがない。


「どうかしたの?」


 俺が彼女の顔を無意識のうちに見過ぎてしまっていたせいか、眼鏡文学少女こと神楽かぐら佳華けいかは俺の顔を不思議そうに見ている。


「いや、なんにもない」


「顔にご飯粒でもついてる?」


「えっ……?」


 俺の頭にはまったく浮かんでこなかった言葉を神楽かぐらさんが発したせいか、俺の頭の中は数々の疑問で埋め尽くされる。


「いえ、違うならいいの」


 俺の混乱を察してくれたのだろう。神楽さんはそう一言だけ発した。続けて、


「じゃあ、一緒にいきましょうか」


「……あ、うん」


 一瞬、神楽さんが何について言及しているのかがわからなかったが、今度はすぐにその言葉の心当たりに思い至った。


 そして、俺の中にあった「一人でも名簿表くらい取りに行けるくね?」という考えは俺が自発的に消滅させることにした。



  ◇



 教室の外に出ると、男子生徒たちが小走りで俺と神楽さんの目の前を通りすぎた。


「あなた、朝読書の時間中ずっと私のことを見てなかった?」


「いやー……」


 神楽さんにそう問われ、俺は自然と彼女から視線を反らす。


 さすがに、この問いに対してすぐに「いや見てねぇし」と言えるほど、俺は肝っ玉が据わっている男ではなかったようだ。


誤魔化ごまかすのが下手くそね」


 そう言いながら、神楽さんはいたずらっぽく微笑んだ。

 そしてその彼女の表情に少しクラッときてしまった俺は、それを慌てて取りつくろうように言葉を並べる。


「そんなに視線、感じた?」


 すると、神楽さんの表情は一瞬にして驚いたようなものになる。

 そしてここにもう一人、驚いている俺の姿があった。


 驚いたことは主に二つ。

 一つは、今の自分自身がなぜかとても冷静だということ。そしてもう一つは、そもそも俺が、彼女のことを朝読書中に眺めていたことを彼女に誤魔化ごまかす気がないということ。


 その心境を抱いていたのは俺だけではなかったのか、神楽さんは一瞬言葉に詰まったあとに一言。


「あなた、すごいわね……」


 と、神楽さんの動いていた足が急にピタリと止まった。


「ここよ」


「……うん。入ろっか」


 それにしても、『ここよ』と言ったのは、俺が国語科教員室の場所を知らなかったことを彼女が知っていたからだったのだろうか。



  ◇



「持ってきたわよ」


 翌日の朝。学校に登校するとすぐに、神楽さんが俺のもとに駆け寄ってきてそう話しかけてきてくれた。


「ありがと」


 そう言いながら俺は、神楽さんが差し出してきたその袋を素直に受け取った。


「私は読み終わっているから、返すのはいつでもいいわよ」


「うん、わかった」


 神楽さんは俺のその返事を聞き届け、自分の席に戻っていってしまった。



   ◇



 今日もいつもと変わらず「朝読書」の開始を知らせるチャイムが鳴る。


 ただ、いつもと変わっていることといえば、なぜか俺のもとには知らないアニメの原作? の小説があることぐらいだ。


「……」


 俺はいつも通り神楽さんのほうを見る。


 すると、やっぱり彼女もいつも通り、背筋をピシッと伸ばして本に目を落としていた。

 それにしても、昨日俺と会話を交えていた神楽さんは彼女に似たまるで別人だったのではないか、とふと思った。


 なんというか、昨日俺に話しかけてきた神楽さんと今朝読書に励んでいる神楽さんとではまるっきりオーラが違う。

 何が彼女をそうさせているかと問われても、その答えは生憎あいにくと持ち合わせてはいないが。


「……」


 俺は神楽さんから先ほどもらった、机のフックにかかっている紙袋に目を向ける。

 そして、せっかく神楽さんに貸してもらったんだから読んでみよう、と思い俺はその袋に手をかけた。



   ◇



『今日貸した本はどうだった?』


 学校が終わり家に着いたあと、俺は一人スマホの画面を見つめていた。


 神楽さんからの初メール。


 俺はこのメールにどう返したものか、と数分ほど悩んでいた。

 そのメッセージの前には、俺と神楽さんが連絡先を交換したときに俺が送った──ペコリと頭を下げているゆるキャラのスタンプが何度もお辞儀を繰り返していた。


 この時の俺も、おおよそこいつと同じ気持ちだった気がする。





 いや……これだと未来の俺が過去の俺について語っていることがわかっちゃうな、と思い、そこで俺は一度スマホのフリック入力をやめた。


 そして、隣にいる神楽に目を移す。


 それにしても、まさかこんなに近く、美しい所作でページを捲っている最中の彼女の姿が見られるなんて──少し前の俺なら夢にも思わなかったことだろう。


 すると、神楽が手元にある本から視線を上げて、こちらに振り向いた。


「どうかした?」


「ううん、何でもない」


「そう……」


 それだけを言って、俺の椅子に座っている神楽は、再度その本──俺が彼女に貸している本に目を落とした。


 やっぱり──「本を読んでいる最中の神楽が好きだ」なんて言えないよな、と思った。


 だからこれは、俺しか知らない、俺と彼女の実話の物語。

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朝読書のときに一目惚れをした俺と彼女のその後の関係。 ケンリュウ @hikigayahachiman

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