所詮、〝絵〟だろ

 アパートに帰ってきた男性――烏部牙太からすべきばたは疲労困憊の表情で押し黙っていた。

 瞳に生気はなく、目の下に濃いクマ。

 どうやら人は疲れすぎると溜め息すら出ないようだ。


「どうして……こうなってしまったんだ……」


 牙太はこれまでの人生を思い出していた。

〝平凡〟だが悪くない環境の家庭で育ち、小学校時代は成績優秀で学級委員を務めたこともあった。

 中学の頃からはオタク文化にハマって陰キャとなったが、それはそれで楽しかった。

 そのまま〝平凡〟な大人になって、二十二歳で〝平凡〟な会社に就職した。


 ……と思っていた。そう、実際に働くまでは。

 フタを開けてみれば毎日がアットホームな残業、自由すぎる上からの急な仕様変更、運が悪ければ愛の鞭と呼ばれるパワハラが飛んでくる。

 会社の外でも、牙太は酒が飲めないのに強制的にバーベキューや飲み会(割り勘)で参加させられて、運転手どれいとして重宝されている。


 仕事のわりに給料も安く、それを上司に相談したら『烏部くんさぁ……辞めるのはいいよ? そりゃ自由だよ。でも、この業界狭いからね? どこ行ってもわかるし、俺聞かれたら君のこと言うからね?』と耳にタコができるほど言われているので転職は考えることができない。


 それでもまだこの三年間、頑張れていたはずだった。

 牙太のメンタルを磨り減らしたあと、致命的なまでに心を粉砕したのは身内の不幸があったためだ。


 お婆ちゃん子だった牙太は、祖母が急病で倒れたと聞いて、急いで会社の許可をもらって実家近くの病院へ向かおうとした。

 上司から自信満々で返ってきた言葉がこれだ。


『ダイジョーブ。人間、そんなに簡単に死なねぇって』

『いや、でも……』

『上司の俺が保証するからよ! 絶対ダイジョーブだって! なっ!』


 今思い返せば馬鹿だった。

 そのまま仕事を続けてしまった。

 祖母は亡くなった。


『あっ、ババア死んじゃったんだ。俺が保証する? そんなこと言ったっけ?』


 上司の気持ち悪い半笑い。

 もしかしたら、本当に言ったことを覚えていないのかもしれない。




 牙太は頭がフラフラする感覚になり、平衡感覚を失いながらも深夜の残業を終えてアパートに帰ってきたところだ。

 ちなみに帰宅途中、電車のホームで灰色の線路が少しだけ魅力的に見えたがギリギリ飛び込まずセーフだった。


「PC……付けるか……」


 身体に力が入らず、何もする気が起きないのでいつものルーティーンだ。

 安物のギィギィ鳴る椅子に座って、スリープ状態だったPCを起動させ、大手まとめサイトがモニターに映し出された。


 学生時代はある程度の時間をかけ、オタクとしてアニメやゲーム、漫画、ラノベなどのエンタメを楽しんでいたが、時間がなくなってからはスピーディーに楽しめるコンテンツを見ている。


 たとえば、このまとめサイトは炎上しているところをまとめて、それを閲覧者が正義の立場でいくらでも叩くことができるのだ。

 牙太は直接書き込まないが、こんなものを何も考えずに見て楽しめるようになってしまった。

 僅かに残った嫌悪感はあるのだが、ブラック企業で狂わないためには必要なのかもしれない。


「今日、炎上してるのは……VTuberってやつか」


 VTuberとは、大手動画サイトであるYotubeヨーツベで活動している配信者で、2Dや3Dのキャラの〝ガワ〟をかぶっている者を指す言葉だ。

 最近、よくまとめサイトで見るようになった。


 ――【悲報】大手VTuberさん、ファンに対して『死ねばいいのに』と暴言を吐いてしまう!!


 それに対して情報元ソースとなる動画リンクが張られていて、下に字幕を付けられた画像が並んでいた。

 たしかに『死ねばいいのに』と字幕が付けられている。

 それに対しての反応が――


『ファンに対して暴言とか信じられない、何様なの?』

『さすが、ただ喋ってればスパチャを投げられるチョロい商売』

『所詮〝絵〟なのにな。わきまえろ』


 ――と並んでいた。

 VTuberのことはよく知らないが、そういうモノかと理解した。

 自分より下の人間がいて、それに対して正義を振るっているコメントを見て溜飲が下がる……いつもはそうだった。

 しかし、今日は精神が安定しない。

 グラグラとした足場の上にいるような感覚が続いている。

 もっと何か、何かが欲しいと思ってしまう。

 丁度そこで、とあるコメントを見つけてしまう。


「なになに……『今、丁度このタイミングで配信をしてて、みんな乗り込んでる』って書いてあるな……」


 VTuberが直接叩かれているところを見たら気持ちが収まるかもしれない。

 牙太は早速、URLを踏んでYotubeを開いた。

 モニターに映ったのは、黒を基調としたフェンリルモチーフの女性キャラだった。

 名前は神凪ナルというらしい。

 少し高めの声で黒髪ロングヘアー、これは男受けしそうだ。

 丁度良いタイミングで、まとめサイトからやってきたらしきリスナーがコメントをしている。


●炎上VTuber配信はここか?

●いっつも世間に迷惑をかけている最底辺、謝罪しろ

●VTuberはオワコン

●ファンに対して死ねとか親の顔が見てみたいわ

●謝罪しろ謝罪しろ謝罪しろ謝罪しろ謝罪しろ謝罪しろ謝罪しろ謝罪しろ謝罪しろ謝罪しろ謝罪しろ謝罪しろ謝罪しろ謝罪しろ謝罪しろ謝罪しろ謝罪しろ謝罪しろ謝罪しろ謝罪しろ謝罪しろ謝罪しろ謝罪しろ謝罪しろ謝罪しろ


 きっと、神凪ナルというVTuberは謝罪するか、スルーしながら見苦しい配信を続けるに違いない。

 牙太も上司から叱られたらそうするので、何か『お前も、もちろんそうするんだよな?』という期待のようなモノを持ってしまう。

 しかし――


「は? なんで私が謝罪しなきゃなんないのよ? そもそも炎上するようなことをやってないんだけど?」


●自覚ないって最悪だろ……

●お心がおブスですね

●カス

●モデレーター、早く荒らしをブロックして

●これだからVTuberは……

●頼む! 神凪ナル死んでくれ~!

●なるとん、荒らしなんて気にしないで~!


 荒らしと元々のリスナーがゴッチャになって混沌としている。

 もう配信としてはダメだろう。

 溜飲が下がってきたのでブラウザを閉じようとしたのだが――


「なんでキミたちに、私のことを勝手に決められなくちゃならないの? 私の人生は私のモノ。面倒くさい荒らしたち、ちょっと待ってなさい。きちんと反応してあげるから」


 このVTuberは馬鹿だ。

 こういう炎上に謝罪やスルー以外をしたら燃料を注ぐことになる。

 ……だが、どこか面白いとも思ってしまった。


「炎上元をググって調べてきたけどさ~……、これまとめサイトのフェイクニュースまがいじゃない」


●どこがフェイクだ

●ソースまであるっていうのに

●ちゃんと学校卒業したか???? ちな俺T大

●みんなが、お前が悪いって言ってるぞ


「はぁ? みんな? 匿名の奴らが何億回書き込んでも、そんなの知らないよ。大体、キミたちソースを確認してないでしょ?」


●また暴言か

●VTuberってなろう作家並みにカスしかいない

●これだからVTuberは……


「オウムのようにそれしか言えないのか。ソースとして張られた配信、たしかに『死ねばいいのに』とは言ったけど、それは荒らしに対してだよ。ファンじゃない。動画を見ればすぐわかるじゃない」


●言い訳乙

●あれだけまとめサイトの閲覧数があって誰もそれに指摘しないはずないだろ


「叩きたくて訪れてるまとめサイトで、わざわざ不利なことを指摘する奴なんていないんじゃないか? とにかく、一度ソースの動画をみてみろっての!」


 牙太は今まで経験したことのない、VTuber対コメントの勢いあるリアルタイムの舌戦に呆然としていたのだが、ハッとしてまとめサイトのソースを確認してみた。


(たしかに、アダルトサイトへの誘導を連投しているアカウントに対して『死ねばいいのに』と発言している……。まとめに用意された画像はうまく加工してあって荒らしが見えない)


 自分は〝正義〟の立場で、炎上する悪を叩いていると思っていた。

 それなのに、いつの間にか自分も上司のように〝理不尽〟に相手を叩こうとしていたのだ。

 他人から見たら滑稽の一言で片付くかもしれないが、自分の立場と重ね合わせてしまった牙太は指の震えが止まらなかった。


●VTuberなんて頭おかしい奴ばかり


「レッテル貼りだっさ。私が頭おかしいからって、それで全体を見た気になってるの? 何か統計でも取ったの? どれだけVTuberをまとめ以外で実際に見てきたの?」


●お前は配信以外は何もできないゴミ


「それは大当たり。みんなに助けてもらってるよ」


●所詮〝絵〟のくせに


「絵、最高じゃん。素晴らしいイラストレーターの方がデザインして、それを動かすためのプロの方がいて〝絵〟になってるんだよ。〝魂〟である私がいたらないかもしれないけどね」


●うざいうざいうざいうざいうざいうざいうざい

●絵ごときがオレを否定しやがって!!! 住所特定して社会的にも物理的にも殺してやる!!!!

●メッセージが削除されました

●メッセージが削除されました

●メッセージが削除されました

●メッセージが削除されました

●荒らしが消えてきた

●モデレーターさん乙!


「私としては別にいいんだけど、見てるリスナーくんたちが心配しちゃうからね。あ、でも、私もまとめサイトは見るよ。フォローみたいになっちゃうけど、悪意のないまとめサイトの記事は手早くチェックすることができて助かっています」


●なるとんもまとめサイト見るんだ?

●どんな記事見るの?


「えーっとね、覚えてるのだと、私が本当に暴言を吐いちゃったときのまとめかな! 今回のと違って本当だったから、申し訳ないな~って思う! ずっと生配信で話しちゃってるから、些細な言い間違いで暴言になっちゃってメッチャ焦った! フックを言い間違えてF○CKって!」


●草

●それはなるとんが悪い……

●伝説の大先輩へのFワード発言懐かしいw


「すみません、反省してます。今回のもそのイメージがあったからかもね。普段から気を付けなきゃだ」


 荒らしがブロックされて、一瞬で場の空気を戻し始めた配信。

 その見事な手腕に牙太は見入ってしまっていた。


(まとめサイトやそこの人間すべてが悪いとレッテル貼りをせずに、きちんとフォローもしている……。深刻になりすぎないレベルで自分の反省すべき点も上げている。数千人のリスナーや荒らしに見られるプレッシャーの中、リアルタイムでこれをやっているのか……すごい胆力だ……)


 そう思っていると、配信は次のコーナーへ移った。


「じゃあ、次はお悩み相談室のコーナー! コメントから拾ったお悩みを解決していくよ。どんなにくだらないモノから、地球規模の深刻なモノまでどしどしコメントしてね!」


●痔が辛い


「病院の肛門科へ行け」


●怪獣と戦いたい


「それは私も」


●先日、大好きなお爺ちゃんが死んじゃって中学校を休みがちになってしまいました。無理をしてでも学校に行った方がいいでしょうか?


「……それは辛いね。学校へ行くのがきついようなら、まずはお父さんとお母さんに相談しよう。それも無理そうなら、またコメントしてね。大丈夫、どんなに世界が黄昏色に見えても、神凪ナルはあなたの味方だよ」


 その自分と似た境遇の相談を見た牙太は、なぜか指が勝手にコメントを打ち込んでいた。

 さっきまでアンチの立場にいたはずなのに。


牙●ブラックな会社が辛くて線路に飛び込もうと思ってしまいました頭が狂いそうです助けてください


「これは……深刻だね。でも、私はあなたを助けられない」


牙●え……? なんで……?


「私はあなたに対して何も〝保証〟できない。助けてあげられるとは断言できない。だから、アドバイス止まりなんだ。ごめんね」


牙●そうですか


(やっぱりVTuberなんて……)


「というわけで、私の先輩もブラックなところで悩んで転職したから、そこからの体験談みたいな感じで。まずは、ご家族に相談できるならして、あとは病院での診察も――」


●めっちゃ話すじゃん

●V界隈、ブラック企業からの転職多すぎ問題

●ブラック企業のお悩み相談はVTuberの独壇場!


「で、総合的に判断をしてから、会社を辞めるかどうか決めた方がいいと思う。辞めたあとも転職は焦らないでよくて、国の制度もうまく使うと――」


●なるとん、ここ一番の饒舌

●オタク特有の早口

●相談者は幸せものだな、お礼にスパチャでも投げておけ


「こら、スパチャは強要するものじゃない。ありがたいけど、それを誰かに要求しちゃダーメ! 配信を見てくれるだけで、すごく嬉しいんだから!」


●ごめんなさい

●ごめんて

●興奮しました、もっと叱ってください

●ハァハァ

●真面目な話の最中なんだから止めーや


「えーっと、牙さん。くれぐれも早まったことはしないでくださいね。気晴らしにまたいつでも配信を見に来てください」


牙●はい、ありがとうございました


 牙太は名前を呼ばれただけで痺れるような感覚を覚え、気付いたらチャンネル登録を押していた。

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