こだま

 あるとき、スタジオで撮影を終えパウダールームでメークを落としていたナルキが、たまたま通りかかったスタッフに目撃されてしまった。歌姫の正体が少年だという事実が瞬く間に広がり、ネットにアップされた写真から、ナルキの身元も特定された。


 女装して自分に恋をした変態。


 ネットでも、学校でも、そう揶揄され、ナルキは立ち直れないほどに深く傷ついた。両親でさえ、自分に恋するような我が子にどう接してよいかわからなかった。

 

 ナルキは学校には行かず引き籠るようになり、エイコの呼びかけにも応えなかった。


 エイコもまた身バレし、女装にも負けるブスが歌っていたと囃し立てられた。


 ナルキからエイコにようやく届いたメッセージは、「何もかもお前のせいだ、もう僕に近寄るな」が最後だった。


 この世の全てに居場所を失ったナルキは、ギリシャ神話のナルキッソスのように死のうと考えた。湖に映った自分にキスしようとして溺れ死んだナルキッソスのように。


 ナルキは最後の化粧をした。今まで以上に念入りに、かつてないほどに美しく。そして、学校のプールに向かった。


 ナルキがプールの淵からのりだして水面を覗き込むと、そこにはナルキが恋をした少女がいた。誰よりも美しく、この世のものとは思えない美少女だ。


 ナルキが手を伸ばすと、少女もまた、ナルキに向かって手を伸ばす。


 ナルキと少女の指先が触れると、プールの水面が揺れて小さな波を作った。初夏の水温は人間の体温ほどではないが、ナルキの手には優しかった。このまま、両腕を伸ばせば、少女の腕に抱かれて眠るように死ねるだろう。


 かつて、ナルキッソスがしたように少女に口づけをしようと、ナルキがプールに体を乗り出しかけたとき、「ナルキくん!」と大きな声が背中からかかった。ナルキが振り返ると、泣きそうな顔をしたエイコがいた。


「ナルキくん、止めて!」

 エイコが泣きながら叫んだ。


「全部、お前のせいだろう!」

「そう、全部、私のせい!」

 ナルキの叫びがこだまする。


「僕はもう、いなくなりたいんだ!」

「私ももう、いなくなりたい!」

 ナルキが声を張り上げると、それに負けない大きさの声が返ってきた。


 そして、ナルキが沈黙すると、エイコもまた沈黙した。


 自分に恋して死んだナルキッソス、そして、ただ言葉を返すことしかできないエコー。ナルキとエイコも、ギリシャ神話の彼らと同じだ。


 ナルキはエイコに背を向けた。そして、再び水面に映る少女を見た。死ぬ前に見る最後の人間の顔だ。


 ナルキは水面に体を乗り出し、少女に口づけした。一瞬、柔らかな湿った感触を唇に感じると、ナルキの体は水中に沈んだ。プールの水が口から肺に入り、猛烈な苦痛がナルキを襲う。しかし、すぐに痛みは無くなり、眠るようにナルキは意識を失った。


 だが、ナルキは再び肺に激痛を感じた。真っ暗闇の中、強い力で体が押しつぶされそうになっている。


 誰かが胸を押す。

 誰かが口を開けて息を送り込んでいる。


 なんどか胸を押され、ナルキは水を吐き出した。ゲェゲェとむせりながら、肺の中から汚れた水を吐き出す。痛みで目からは涙が次から次へと溢れてくる。


「よかった」

 誰かがナルキに抱き着いた。エイコだ。エイコが泣きながら両腕をナルキの背中に回し、ナルキを強く抱きしめる。


「ナルキくん、ごめんね」

 エイコが泣きながら謝った。


「ナルキくんに嫌な思いさせて、ごめんね」

 エイコがナルキを抱きしめていた腕を離し、ナルキの前に座った。


「ナルキくんが誰を好きでもいい。他の人でも、自分自身でも。だから、死なないでください」

 エイコが真剣な顔で、ナルキを見つめた。


「ナルキくん、私、ナルキくんといっしょにいて、とても楽しかった」

 エイコが涙を拭い、ほんの少しだけ笑みを浮かべた。


「私、ナルキくんが好きです」

 エイコのその一言が、ナルキの中で何かを変えた。エイコと会ったドラッグストア、エイコからの仮想の歌姫を作る提案、エイコといっしょに最初に自分の部屋で撮影したミュージックビデオ、人気が出てきてから借りた音楽スタジオ。


 一瞬で記憶が走馬灯のように蘇り、ナルキの心の奥に封じ込められていた思いが、自分でも気付かなかった思いが、ナルキの心をいっぱいにした。そして、無意識に言葉が出た。


「僕もエイコが好きだ」

 ナルキの言葉が、こだました。

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