まぼろし

 ある日、ナルキはメイクをして家の外に出た。大好きな彼女をいつまでも家の中に閉じ込めておきたくなかったからだ。


 ナルキはドラッグストアに入ると、最新のコスメをチェックした。最近は、韓国製の手ごろな商品が売れ筋なようだ。


 ナルキがリップやアイライナーなどを物色していると、誰かにじっと見られているような視線を感じた。ナルキが振り返ると、一人の驚いた顔をした少女と目があった。同じクラスのエイコだ。


 慌てて店を逃げ出すエイコを、ナルキも慌てて追いかける。ナルキがエイコに追いつき腕を掴むと、エイコも諦めておとなしくなった。しばし、二人の間に沈黙が漂ったが、ナルキが事情を全て話すと、エイコが真剣な目をして絶対に秘密は守るからと約束した。


 そして、エイコがナルキに頼みごとをした。口パクでいいから自分の作った歌を、歌って欲しいと。


 ナルキが歌う様子を動画で撮り、実際の歌はエイコが歌う。二人で一人の仮想のアーティストを作るのだ。たぐいまれな美貌と、並ぶもののない歌声を持つ完璧な歌姫を。


 最初ナルキは断ったが、エイコが何度も何度も必死に頼み、ついにナルキも折れた。


 メイクをして外に出るのは知り合いに会うリスクがあると、まずはナルキの部屋で撮影をした。自分の部屋で、愁いをおびた美少女が将来の夢と不安を綴った歌詞を歌う動画は、同じような立場の十代の少女たちの間に口コミで広がっていった。


 次の曲もナルキの部屋で撮影したが、その次は、思い切って音楽スタジオを借りようとエイコがナルキを説得した。ドラッグストアでエイコに正体を見破られた経験から、メイクはスタジオに入ってからパウダールームですることにした


 本格的にスタジオ収録した三曲目は、アップするやいなやアクセスが殺到した。 その後も出す曲が次々とヒットし、ネット動画の世界に突如現れた歌姫「ナルキッソス」は、瞬く間にトレンドの上位に君臨した。


 謎の歌姫「ナルキッソス」、その正体は誰も知らない。いや、知られてはいけない。

 

 ライブハウスやフェス、テレビの歌番組などからの問い合わせもあったが、すべて断った。「ナルキッソス」はネットの中にだけ存在する幻なのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る