第36話 闇の御子


 ハンコック家の正門の前では灰を含んだ霧雨の中でかがり火が焚かれており、門前には六名の兵士が槍を持って門を守っていた。周囲の音といえば、ときおりかがり火はぜる音がするだけだった。


 正門の前の通りの上に、なぜか一カ所暗がりができ、その暗がりが門を守る六人の兵士たちに音もなく近づいてきた。



 兵士たちは暗がりと思っていたものは、近づいてくると漆黒の闇だった。あまりの異様さに、兵士たちは手にした槍を構えた。


 門に近づいてくる闇の中に白っぽい何かが浮かんだ。兵士たちが目を凝らすと、その白っぽい何かは幽鬼を思わせる青白い人の顔だった。


 兵士たちは、恐ろしくはあったがその顔から目を逸らすことができなかった。

 近づくその顔にわずかな笑いが浮かび闇が自分たちに向かって伸びてきた? と、思った時には、視界がくるりと回り、そのまま彼らの意識は暗転してしまった。

 同時に地面に鈍い音が響き、門前にはヘルメットを被った六つの頭部が転がった。


 ドーン!


 一度大きな音が響き、門の貫抜が弾け飛び、次に両開きの門が人一人通れるほど内側に向かってゆっくり開いた。

 その隙間を闇の塊が抜けていく。


 門の内側では各所にかがり火が焚かれ、警備に当たっていた兵は、貫抜が弾け隙間ができた門に向かって駆けよっていった。

 兵士たちが宿舎にしていた建屋などからも音に驚いて多数の兵が表に出てきた。


「なんだ!」

「闇の塊が動いて、こっちに向かってくる」

「怪しいぞ!」


 闇の塊が音も立てず滑るように移動していく。

 その闇の塊の中に青白い顔が一度浮かんで消えた。


 近づく闇の塊に武器を構えて駆け寄った兵士たちは、闇の塊から伸びた闇に一瞬だけ飲まれた。

 何が起こったのかもわからぬまま闇が引いたと同時に駆けてきた勢いのまま首から切り離された頭部が鈍い音をたてて路面に落ち転がっていった。


 闇の塊に近寄ると危険だと悟った兵士たちは立ち止まって様子を見ていたが、近づく闇の塊に近い順に頭部を切り落とされていった。


「バケモノだ!」

 一人が叫び、その叫びが周囲に広がっていく。

 そんな中を闇の塊は移動していき、片端から兵士たちの首を切り落としていった。


 ハンコック家の屋敷は敷地の正門からは本館の中を通らなければ、丸薬製造所などのある屋敷の裏側には出られない構造になっている。

 その本館の玄関の扉は固く閉ざされている。


 逃げ惑う兵士たちは、屋敷の裏側に逃げ場を求めることはできないため、兵舎として使っていた屋敷前の建屋に逃げ込んだ。


 ドーーン! バリバリバリ!


 兵士たちの逃げ込んだ建屋が大きな音を立てて、屋根が上から覆いかぶさるように倒壊した。

 倒壊したその建屋の残骸からは、誰一人出てくる者はいなかった。


 ドーーン! バリバリバリ!


 ドーーン! バリバリバリ!


 さらに建屋の倒壊は続き、兵士が逃げ隠れていた本館前の建屋は兵士たちを道連れに全て倒壊してしまった。



 屋敷の近くの空き家を借り上げた臨時の宿舎で寝泊まりしていた兵士たちは、ハンコック家から響く破壊音を聞き、状況が分からないまま駆け付けた。

 彼らは、頭をなくした死体と、誰の頭か分からない頭が敷地内に多数転がっていることに驚いてしまった。

 それでも状況を確かめようと本館に向かったものの、得体のしれない闇の塊に気づき来た道を引き返そうとしたが、順に頭を切り落とされていき、なすすべもなく全滅してしまった。


 路面の石畳は血と灰の混ざり合った泥の海になった。

 倒壊した建物の瓦礫からも石畳の上に血が流れ出ている。その血と泥の海の中を闇の塊がハンコック家の本館の正面玄関前に移動していった。


 ドーン!


 轟音と共に本館の正面玄関の扉が内側に吹き飛んだ。


 玄関ホール内には多数の兵士がいたが、吹き飛んだ扉によって、数人が胴体を真っ二つに切断され玄関ホールに血と臓物と汚物をまき散らした。


 あまりの凄惨さに動きの止まった兵士たちの間を闇の塊は通り抜けていく。闇の塊が通り過ぎた後には、気付かぬうちに頭部を切り取られた兵士の骸が床に転がり、数秒後にはホールにいた全ての兵士が頭を失って物言わぬ骸と化していた。


 闇の塊はそのまま屋敷の一階から二階に上がり、明かりが煌々と照らされた廊下の奥に向けて移動していった。




 当主マティアスは執務室の奥に置かれた大型の執務机を前にして椅子に座り、部屋の中を照らす無数の明かりの揺らめきを見るとはなしに眺めていた。


 気が付けば、表の方が騒がしい。ときおり大きな音が振動を伴って聞こえてくる。

 嫌な予感がするが、だれか知らせにくるだろうと椅子に座ったまま正面に見える鍵のかかった扉に目をやった。



 部屋の外で何か重い物が床に落ちる音が続き、その後、ドサドサドサと人が床に倒れ込むような音が聞こえてきた。


「誰だ!」

 マティアスは誰何すいかしたが部屋の外から答えは返ってこなかった。

 その代わり、両開きの扉が弾けるように内側に吹き飛んで、両側の壁に並んだ棚に突っ込んでいった。


 扉がなくなった出入り口には闇の塊が浮かんでいた。

 その闇の塊の中に青白い顔がひとつ現れた。


『マティアス、余だ。

 といっても分からぬだろうがな。

 数百年ぶりにわざわざ余が出向いてきたわけは理解できるであろう?』

「こ、皇帝ザリオンなのか?」

『ふっ。余を呼び捨てか。

 まあよい。ハンコックは今夜滅びる。

 外にいた雑兵どもはあらかた片付けた。

 何か言い残すことはあるか?』


「バ、バケモノ!」

『それが、最期の言葉か。まあよい。

 死ね』


 闇の塊から闇がマティアスに伸び、マティアスの頭部が机の上に落ちてゴトンと大きな音をたてた。

 マティアスの体は首の付け根から血を吹き上げて机に突っ伏した。



 その後、闇の塊は階段を下り、本館を出て裏庭に回った。


 本館内部からは、何かがきしむような音や倒れるような音が徐々に大きくなってやがて、重さに耐えかねたように1階から潰れていき。最後に屋根も崩落して瓦礫の山となった。そのあと瓦礫の山のどこからともなく煙が上がり始め、やがて煙に火がついた。霧雨の中その火は燃え広がっていった。燃え上がる瓦礫の中から逃れ出た者はいなかった。


 霧雨は夜半に止み、いったん火勢は強まったたあと鎮火に向かったが、夜が明けてその日の夕方、霧雨が降り始めるころまで火はくすぶっていた。



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