第33話 皇帝ザリオン2。コーネリアス・ハンコック
皇帝ザリオンは暗闇の中で玉座に座り、影の御子の捜索の進捗について皇帝付き筆頭女官ヘレナから報告を受けていた。
「陛下、五
「そうか。あれだけのことをしでかした以上すでに帝都から逃げ出したと思うしかあるまい。
それで、五公家の方はどうだった?」
「審問官からは、各
各公家に忍ばせている諜者からの報告によりますと、ハンコック家では陛下に対し明らかな敵意を向けているとのことでございます」
「明らかな敵意とは?」
「時が来れば、いずれ。と、当主マティアス・ハンコックと嫡男コーネリアス・ハンコックが話し合っていたようです」
「なるほど。
なにかはっきりとした動きがあればとり潰す口実になるが、口実もなく取り潰すと、残りの四家が結びつく可能性もあるからな。
さすがに公家全てを一度に潰すわけにはいかない以上今は放っておくしかあるまい」
「仕掛けてみますか?」
「なにかあるのか?」
「コーネリアス・ハンコックは幾分血の気が多いと報告に上がっています。その辺りに付け入るスキがあるかもしれません」
「なるほど。試してみるがよい」
「御意」
ヘレナから報告を聞いたザリオンは横に控えていた女官が差し出した盆の上のゴブレットを左手で受け取り中身をあおった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
コーネリアス・ハンコックにはハンコック家の係累より娶った妻と彼女との間にできた幼い男児がいる。
コーネリアス・ハンコックは父親の部屋を辞し、一度自分の居室に戻った。
コーネリアスはこの日も父親の執務室で少し興奮して皇帝に対する怒りを吐き出していた。居室に戻ったコーネリアスは、侍女の用意したお茶を飲み、気持ちを落ち着かせた。
「着替えたら出かけてくる」。そう言ってコーネリアスはクローゼットのある自分の寝室に入り服を着替えた。行き先は、愛人の棲むアパートである。
コーネリアスの妻は、派手な衣装に着替えて部屋を出ていく夫の後ろ姿に諦めの目を向けた。
彼女はコーネリアスが愛人を囲っていることを承知していたが、主家の嫡男であるコーネリアスに対して何も言えなかった。
コーネリアスはハンコック家の屋敷から事情を知るハンコック家の私兵二名を護衛として引き連れ愛人の棲むアパートに向かって通りを歩いていった。
灰を吸い込まないようにタオルを鼻と口に巻いたコーネリアスは二十分ほどで愛人の棲むアパートに到着した。
アパート前の通りでは灰の片付けが早くに終わったのか、人夫たちの姿は見えなかった。
コーネリアスは階段の上り口でタオルを取り、一度はたいてコートのポケットに突っ込んでから階段を上り、2階にある愛人の部屋のドアの前に立った。
ドアを三度、二度、そして三度。合図のノックをする。
いつもならその合図で愛人が扉の鍵を開けてコーネリアスを部屋の中に迎え入れるのだが、この日は愛人が扉を開ける気配がないばかりか、部屋の中から物音一つしなかった。
今日のこの時間自分が訪れることは愛人に伝えていたので、不審に思ったコーネリアスは合鍵で扉を開けようとしたが、扉には鍵がかかっていなかった。
扉を開けたところで、鼻を襲ってきた異臭に顔をしかめたコーネリアスは、さして広くはない部屋の中に入っていき、部屋の奥のベッドの手前の床にうつぶせに倒れた女を見つけた。
女の顔の辺りの床の上に赤黒い何かがべったりと流れ出ていた。駆け寄って抱き上げた物言わぬ女の顔は無残に溶け落ち、二つの眼窩にはぽっかり穴が空いていた。
「審問官に検針されたのか!?
おのれ、皇帝め!」
通常なら検針によって死んだ者は皇帝の居城である常闇の城に運ばれるのだが、自分の愛人だった者は部屋に残されていた。
つまりは、コーネリアスないしはハンコック家に対する皇帝の警告なのだろう。そのことは理解できる。
しかし、コーネリアスは怒りを抑えることはできなかった。
「必ず復讐してみせる」
心に誓ったコーネリアスは、玄関先で待機する護衛の二人を引き連れ屋敷に帰るためアパートの階段を下り通りに出た。
コーネリアス一行はコーネリアスを先頭に通りに出てしばらく歩いたところで、前方から白い面をかぶった審問官が珍しく一人だけで歩いてきた。
通りにはコーネリアスと彼の護衛二名、それに向こうから歩いてくる審問官が一人。
行きの時も道を清掃する人夫の姿は見えなかったが帰り道でもその姿は見えなかった。
もちろんコーネリアスの護衛はハンコック家の私兵の中でも手練れであり、当主のマティアスに忠誠を誓っていたがもちろん嫡男のコーネリアスにも忠誠を誓っている。
「審問官を血祭りにあげる良い機会だ。
いったん通り過ぎて、後ろから切り捨てろ。
誰も見ていない。死体はそこらに投げ捨てておけば野犬が始末する。やれ」
護衛の二人は無言で頷いた。
前方から無警戒で近づいて来る審問官を横目に数歩通り過ぎたところで、護衛の二人は物入れに入っていた小瓶から
不意を突かれた審問官は最初の剣戟をかわすことすらできず、右手を斬り飛ばされた。
そのため次の剣戟もなす
斬り飛ばされた審問官の頭部から白い面がとれて道に転がった。
三人は気付かなかったが、その顔には瞼もあれば鼻、唇があった。
路面に倒れ込む審問官の首の付け根から吹き上がる血を避けて、コーネリアスと護衛二人は足早に現場を去ろうとしたところで、前方から五名ほどの審問官が現れた。
逆方向に踵を返した三人だが、そちらにも五名の審問官が現れ、コーネリアスたちの退路を塞いだ。
二人の護衛はその場でいったん鞘に収めていた剣を引き抜いて道に投げ捨てた。
そして、腰に差した剣を抜こうとしたコーネリアスに、
「コーネリアスさま、われわれでは審問官十名にはかないませんし、一人でも取り逃がせばお家に類が及びます。武器をお捨てください」と、年長の護衛が一言言った。
「皇帝に謀られたのか?」
そう言ってコーネリアスも剣を捨てた。
抵抗を諦めた三人は無残に切り捨てられた審問官の死体と一緒に審問官によって常闇の城に連行されていった。
通りに転がった審問官の白い面は最後に残った審問官によって回収され、切り飛ばされた頭部と腕は通りに転がったまま残されていた。
彼らが去った後、遠く野犬の吠え声が聞こえた。
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