第32話 ハンコック家。ローゼット家。


 五公家こうけは帝国内の産業を牛耳っているが、それには各公家が製造する丸薬が不可欠だった。そういった意味でも、各公家は皇帝の独占する大ナメクジの粘液スラグシルバーに依存していた。



 ここは五公家こうけの一つハンコック家。

 ハンコック家は緑の丸薬、体力のベルダを作っており、農業、林業、漁業を中心とした荘園を営んでいた。


 突然の審問官による検針で十数名の家人けにんが亡くなった。それも悲惨な死に方であり、死体さえも審問官たちによって運び出されていった。もちろん皇帝からの詫びなどは一切ない。

 ハンコック家の家内でも当然皇帝への反発は高まったが、表立って皇帝に対して反旗を翻すことはできなかった。


 ハンコック家の当主マティアス・ハンコックを前に、今回の皇帝の仕打ちに憤ったマティアスの嫡子、コーネリアスが、不服そうに口をとがらせて物騒なことを話し始めた。


「父上。皇帝の手勢は審問官のみ。その数はおそらく二百、多くとも三百は超えないでしょう。

 各地の荘園からわが方の手勢を集めれば二千を越えます。しかも二千のほとんどはベルダの適応者です」


「ベルダの適応があるということは、他の丸薬くすりの適応者が少ないということでもある。

 体力だけでは逃げることはできるかも知れないが戦いには勝てない。相手は審問官だ。

 正面から審問官一人を斃すには一般兵ならば五人必要と言われている。それは審問官一人を五人で囲んだ場合だ。

 しかも皇帝にはまだ闇の巫女がいる。闇の巫女の力も数も不明だが、審問官を操っている以上審問官などよりよほど強敵の可能性もある。

 そして、千年を生きる皇帝本人だ。闇の中を誰にも悟られず自由に動き回ることができるという。

 わが方の本陣ここに乗り込まれればそれまでだぞ。

 もう五百年も前のことで既に真偽のほどは分からぬが、皇帝たった一人によりある公家こうけが一夜にして皆殺しされたそうだ」


「皇帝が自分に都合の良いようにそう言ったうわさを流したに違いありません」

「コーネリアス。うわさは皇帝自身が流したのかもしれないが、それが嘘である証拠にはならぬぞ。

 お前は、ハンコック全ての者の命をそれに賭けられるのか?」

「うっ」


「とはいえ、儂はお前以上に憤っている。

 いずれ、とは思っているがそれは今ではない。軽挙は慎んでくれよ」

「はい。父上」




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 こちらは、同じく五公家の一つローゼット家の館。


 ローゼット家では、一般向けの薬の他、審問官のための丸薬、黒の丸薬ニグラを製造していた。

 赤、黃、青、緑の丸薬にはそれぞれ対応するキノコがその主な素材になっているが、黒の丸薬はキノコを素材とはしていない。ニグラの使用者は審問官だけだし、納入価格は皇帝によって抑えられているため、収益という意味では一般向けの薬の方が圧倒的に高い。



 ローゼット家の筆頭家令キエーザが執務室で筆をとっていた当主ビクトリア・ローゼットに手の者により集められた最新の情報を報告した。


「レデイ。審問官が市街のみならず、各公家こうけの館を囲み、当主以下公家内の者すべてに針を刺しているようです。

 その針で家人けにんのうち十人に一人が亡くなっているとか。亡くなった者は顔が溶け落ちていたそうです。

 当家にもじきに審問官が現れると思われます」


「針で刺して顔が溶け落ちて死ぬ薬と言えば、丸薬に対する適応を測る検針だな。

 適応がなければ五人に一人が死ぬという。家人けにんのうち十人に一人亡くなったということは、各公家にいた者のうち半数が適応者だったというわけか。さすがにどこの公家も適応者を揃えておるな。

 それはそうと、皇帝はわざわざ公家まで含め検針などをして何を考えている?」

「丸薬の適合者をシラミ潰しに探しているわけですから、適合者狩り、でしょうか?」


「検針によって丸薬の適応者を探し出すことが審問官の本来の仕事であるから、彼らが審問官と呼ばれるわけだし、審問官が検針をすること自体は不思議ではないが、帝都の庶民からならともかく、公家に属する適応者を連行していったわけではあるまい?」

「連れていかれたのは、針で亡くなった者だけだそうです」


「ナメクジの餌が急に不足したわけでもあるまい。

 公家の恨みを買ってまで今検針を大々的に行う必要があるのか?」

「何か特別な必要があるからか、もしくはわざと公家に恨みを募らさせ、暴発するのを待っている?」


「ここ二百年公家の交代はなかったから、その可能性は十分あるな。

 うちも三百年続いておるから、目を付けられておるかもな」


「いかがいたしましょう?」

「皇帝の意図がなんであれ、ここで表立って対立はできない以上、ある程度の犠牲はやむを得ぬ。黙って検針を受けるしかあるまい。

 ただ、うちの黒衣団からは犠牲を出したくないから隠したほうが良いな」

「はい。すでに帝都から逃れさせております」

「うむ。気が利くな。帝都からの素材の収集には支障が出るがやむを得んな」


「帝都の外でも素材は収集できますし、先月荷馬車が壊れ素材が1つ逃げ出しましたが周辺部いなかからは定期的に運んでいますので足りなくなることはありません。

 逃げた素材は野犬に食い殺されたのでしょうが、もったいないことをしました」

「素材一つ程度ダメになっても構わんが、素材不足で作業場が遊ぶことのないようにな」

「はっ!」


「さて、針で刺されて変なアザが手首にできては嫌だから、わたしはしばし隠れる。

 あとは頼んだぞ」

「かしこまりました。代役は用意していますのでご安心ください」



 この会話の翌日未明、審問官が大挙してローゼット家の館に押し寄せ、片端から・・・・手首に針を刺していった。もちろん当主のビクトリア・ローゼットと称する者も例外ではなかった。


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