好きな色は

黒っぽい猫

好きな色は


私が自分の嗜好が周囲と多少異なると気付いたのは小学3年生の春だったと思う。何のテストなのかわからないが、月曜日の「朝の会」(ホームルーム)の時間にハガキくらいの大きさの紙が配られ、自分が好きな色を2つ書くようにと先生が言ったのである。


紙には出席番号と名前を書くようになっていたから単なるアンケートではなく、各児童のある種の性格を調査する目的だったのだろう。好きな色?特に深く考えずに私は直感的に浮かんだ好きな色を2つ書いた。


一番前の席だった私は、後ろの席から順番に回収されてきた紙に自分が書いた紙を重ねて先生に提出した。クラスメイトがどんな色が好きなのか興味がなかったので特に他の児童が書いた好みの色を見ることはなかったが、後ろの席のなっちゃんが「ピンク」と「グリーン」と書いていたのだけは覚えている。なっちゃんの書いた紙が一番上になっていたから偶然目に入ったのである。


「ピンク」はいいとしても「グリーン」ってね。普通に「みどり」と書けばいいものを「グリーン」と書くところがオシャレでおませななっちゃんらしいと思ったのを今も覚えている。なっちゃんが好きな色は正確には緑ではなく黄緑だろうとも思った。ピンクと黄緑のコーディネイトの服をなっちゃんはよく学校に着てきていたからである。





その週の金曜日の「おわりの会」の後、ランドセルに教科書をしまっていた私は先生に呼び止められた。帰る前に職員室に来るように言われたのである。何の用だろうと思ったが特に聞き返すことはせず教科書をしまってランドセルを机に置いたままにして私は職員室に行った。


多田先生は母と同じくらいの年齢の女の先生である。本当の年齢は知らない。幼稚園に通っている女の子が1人いるという話をしてくれたことがあったから母より少し若いのかもしれない。長い髪を後ろで束ねていて黒い縁のメガネをかけていた。毎日白のブラウスに黒のタイトスカートだった。生徒は私服なのに多田先生だけが制服を着ているようだった。


引き戸をノックして開けて職員室に入る前に「失礼します。多田先生に呼ばれて来ました」と私は大きな声で口上を述べた。それが決まりだったからである。


多田先生の席は職員室の少し奥のほうだったが「こっちにいらっしゃい」と手招きされたので私はもう一度「失礼します」と大きな声で呼ばわり早歩きで先生の席に向かった。





多田先生の机の上は本や資料がきちんと整理されて置かれていた。緑色のデスクマットの上に分厚くて透明なビニールシートが重ねてあり、その間に様々なメモが挟まれていた。その点は他の先生方と同じだったが多田先生のメモは同じ大きさの色違いの正方形で、メモ同士が重なり合うことがないようにきちんとそろえて並べてあった。それはまるでタイルのようだった。


先生は机の右一番下の鍵のついた大きな引き出しからファイルを取り出して付箋が貼られたページを開き、少し首をかしげて私に言った。


「月曜日に書いてもらった好きな色ね。山崎さんは黒と金て書いてあるけれど、本当にこの色が好きなの?」


「はい。大好きです」


「なぜ好きなのかしら。よかったら理由をきかせてくれる?」


「理由ですか…。黒はどっしりとしていて落ち着くというか安心できるような気がするからです」


「金はどうして好きなの?」


「家族で京都に旅行に行ったとき、金閣寺を見てから好きになりました。すごく綺麗でした」


「そうだったの。ピンクや水色は好きじゃないの?」


「好きですけど、大好きってわけじゃないです」


「うん。わかった。もう帰っていいわよ」


「あのう、黒と金が好きっておかしいですか?」


「そんなことないわよ。ただ他の人と違ってたから。あ、でも気にしなくていいのよ。好きな色はみんな違うものね。先生も黒と金は好きよ。ぜんぜんおかしくないと思うよ」


私は先生に「失礼します」と言ってお辞儀をして職員室を出た。もちろん職員室を出るとき「失礼しました」と大きな声で呼ばわるのを忘れなかった。それが決まりだったからである。





他の子はなっちゃんみたいにピンクやみどりが好きなんだろうか。私の好みは変わってるんだろうか。そんなことを考えながらその日はひとりで帰った。住宅街を歩きながらまわりの風景を見ると確かにピンクの花やみどりの植物であふれていた。黒や金なんて日常の風景にはほとんどない。


「ただいま帰りました」ウチでは家に帰ったときはそう呼ばわることになっていた。出かけるときは「行ってきます」ではなく「行ってまいります」である。


家に帰るとランドセルを置いて、仏壇の前に座り目をつぶり手のひらを合わせる。「なむあみだぶつ。なむあみだぶつ。なむあみだぶつ」そう3回唱えるのが決まりである。そこで私は気づいた。ウチの仏壇は黒と金でできていることに。なんて綺麗なんだろう!私は自然の美しさより人工の美しさに魅せられていたのである。






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