第2話 昼休み

 昼休み。将棋部の部室。


「このままじゃダメだと思うんすよ」


 昼食用のメロンパンを食べ終えた春野が、僕に向かって唐突にそう告げた。


「それは困ったね」


「先輩。私、まだ何も言ってないっす」


 ジト目でこちらを見る春野。どうやら、話題を軽く流そうとした僕の目論見はバレバレだったらしい。


「……で、何がダメなの?」


 お弁当に入っている唐揚げをつつきながら僕は尋ねる。春野の言葉にこの返しをするのは何度目だろうか。中学の時からの付き合いだから…………百回くらい?


「先輩は何か気付かないんすか? 今日の私の変化」


「ハルちゃんの変化?」


 じっと春野を見つめる僕。


 こういう時のお約束としては、「髪型が変わった」だろう。でも、どれだけ見ても春野の髪型は変化がない。じゃあ、何か身に着けているものが…………違うか。それなら…………うーん。


「せ、先輩。あんまり無言で見つめられると……」


 不意に、僕から顔をそらしながら呟く春野。頬には朱が差し、明らかに恥ずかしいといった様子。


「あ、ご、ごめん」


 つられるように、僕も春野から顔をそらす。きっと今、僕の顔は、春野以上に真っ赤になっているはずだ。


「…………」


「…………」


 き、気まずい……。


 これまで、お互い気まずい雰囲気になったことなんて何度もある。だが、気まずさというのは、何度経験しても慣れないものだ。そして、こういう時はいつも……。


「し、仕方ないっすね! と、特別に教えてあげるっすよ!」


 春野が、わざとらしく明るい声で、話を切り出してくれるのだ。


「正解は……これっす」


 ビシッと、先ほどまでメロンパンが入っていた袋を指さす春野。


 その時、やっと理解できた。春野が言っていた「変化」を。


「ああ! ハルちゃん、今日はお弁当じゃないんだ」


 春野が僕と同じ高校に入学して早一か月。今や、昼休みに将棋部の部室で昼食をとることが、僕らの日課となっている。そして、これまで、春野がお弁当以外を食べている姿なんて見たことがない。


 僕の言葉に、春野は、「そうっす」と言いながらうんうん頷く。


「実は今日、うっかりお弁当を忘れてしまったんすよ。しかも、今日に限って、財布の中にあんまりお金が入ってなくて。購買で、メロンパン一個しか買えなかったんす。このままではダメっす。お腹がすいて、餓死してしまうっす」


「さすがに餓死まではしないんじゃないかな」


「いーや。餓死するっす。そして、翌朝の新聞にはこういう見出しが出るっす。『県内在住の女子高生が餓死。原因は、同じ部の先輩』と」


「僕のせいなの!?」


 まさか、いきなり殺人犯に仕立て上げられてしまうなんて。世の中の理不尽とはこのことか。


 まあ、でも、何となく春野が言いたいことは分かった。


「というわけで、先輩。私にも、そのお弁当分けてほしいっす」


 やっぱり……。


「別にいいけど……。お箸、僕が今使ってるやつしかないよ。あ、箸の反対を使えばいいのか」


「ん? 先輩。まさか、間接キスの心配っすか? 別に、私は気にしないっすよ」


「いや。ハルちゃんが気にしなくても、僕が…………あ」


 はっと気が付く。春野の顔に、にんまりとした笑みが浮かんでいることに。チャームポイントである真っ白八重歯が、ちらりと顔をのぞかせていることに。


「ほうほうほう。先輩は、高校生にもなって間接キスくらいで照れるんすね。いい情報を仕入れてしまったっす。ふふふのふ」


 堰を切ったように煽り性能を爆発させる春野。こうなった春野は最強なのだ。どんなにこちらが言い返そうとしても、上手く切り返してくる。その頭脳を勉強にも生かせればいいんだけど……。


 こんな時、一番の対処法は、春野の煽りを受け入れること。そうすれば、ダメージは最小限で済む。春野とこれまで過ごしてきて身に着けた、僕なりの処世術だ。


「はあ……確かに、間接キスくらいで恥ずかしがってちゃいけないよね」


 諦めたようにそう言いながら、僕は、自分のお弁当とお箸を春野の前にスライドさせる。


「どうもっす。いやー。でも、先輩。どうするんすか? 間接キスくらいで照れてるようじゃ、私以外の女の子に振り向いてもらえないっすよ」


「そうなの? ……まあ、あれだよ」


「ん?」


「ハルちゃんが振り向いててくれるならそれでいいかな」


「……………………ふえ?」


 突然、部室に小さく響いた間抜け声。見ると、目の前にいる春野が、ポカンと大きな口を開けている。次の瞬間、その顔が真っ赤に染まる。それはもう盛大に。まるで、ボンッという効果音が聞こえてくるかのように。


「ん? どうしたの?」


「せ、せせせ先輩はなんで急にそんなこと言うんすか!? ああ、もう! もう! もう!」


「は、ハルちゃん!? だ、大丈夫!?」


「大丈夫なわけないじゃないっすか! ううう。こ、こうなったら……」


 春野は、目の前のお弁当とお箸をガシッとつかみ、勢いよく口の中にかきこみ始めた。


「う! ゴホ! ゴホ!」


 どうやら、勢いがよすぎたようだ。春野は、苦しそうに胸をドンドンと叩く。なんというお約束展開。


「ちょ!? こ、これ飲んで!」


 僕は、春野が先ほどまで飲んでいたお茶のペットボトルを掴み、急いで手渡す。


 クピクピとそれを飲む春野。やがて、「ふー」と大きく息を吐き、ペットボトルを机にゆっくりと置いた。


「た、助かったっす。ありがとうございます、先輩」


「ど、どういたしまして」


 まさか、春野が素直にお礼を言う姿を見られるとは。どうやら、今日は特別な日のようだ。何かいいことがあるかも。


「……いや。私がこうなったのは先輩のせいだし。むしろ、謝るのは先輩の方なのでは? むしろ、私に購買で買ってきたお高いデザートをプレゼントすべきなのでは?」


 …………


 …………


 訂正。どうやら、今日は厄日のようだ。

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