このままじゃダメだと思うんすよ
takemot
第1話 始業前
始業前。将棋部の部室。
「このままじゃダメだと思うんすよ」
対局中。僕の向かい側の椅子に座る少女が、突拍子もなくそう告げた。黒髪短髪。少々たれ目。チャームポイントは時折見せる真っ白八重歯(本人談)。彼女の名前は、
「ダメって、何が?」
次の手を考えるのをやめ、僕は盤上から顔を上げる。
春野がいきなり話を始めるなんていつものことだ。中学生の時だって、それで散々振り回された。高校生になれば改善されるかもと期待してはいたのだが。いやはや。現実というのは非情なものだ。
「先輩。まさか、私の言いたいことが分からないんすか?」
「うん。というか、今ので分かったらエスパーか何かだと思う」
「むむむ。付き合いの長い先輩なら分かると思ってたんすけど。まあ仕方ないっすね。先輩は鈍感さんっすから」
「鈍感かどうかっていう問題じゃ……って、え!? ハルちゃんって僕のこと鈍感だと思ってたの!?」
今明かされる衝撃の事実!
いやまあ、特別に鋭いというわけではないが、さすがに鈍感と言われるのは心外だ。撤回を申し込みたい。
僕の言葉に、春野は「はああ」と大きなため息を吐いた。両肩が、これ以上ないというほどガクンと下がる。この様子では、撤回するつもりはないらしい。
「自覚がないのがまた……っていうか、今はそんなことどうでもいいんす。本題からそれてるっすよ」
「あ、そうだったね。で、結局、何がダメなわけ?」
やっと本題。それなのに、何だか妙な疲労感が。
僕の疲労など意にも介さず、春野は、ビシッと人差し指を僕に向けながらこう宣言した。
「今の先輩は青春を無駄にしてるっす! このままじゃダメっすよ!」
…………
…………
いつにもまして唐突過ぎる。
「青春を無駄にって。僕、そんなつもりないんだけど」
「いーや。先輩は青春を無駄にしてるっす。青春を謳歌してる人は、恋バナの一つくらいするもんっすよ。でも、先輩にはそれがない!」
「ええ……」
思わず漏れる不満声。
別に、僕は青春を無駄にしているつもりなんてさらさらない。そりゃ、漫画やアニメのようにとまではいかないが、それでも結構頑張っているつもりだ。勉強はもちろん、部活だって。今も、朝練と称して、春野と部室で将棋を指してるわけだし。
というか、そもそも、「青春=恋バナ」ではないと思うのだが。
「なんすか、その不満げな顔は」
「なんというか。青春の考え方は人それぞれだし。ハルちゃんにはハルちゃんの。僕には僕の青春ってものが……」
「よし。なら、今から恋バナするっすよ!」
「…………はい?」
なぜ? ホワイ? 誰か僕に説明して!
こうなった春野はもう止まらない。僕を巻き込み、ものすごい勢いで進み続ける。それはまるで、暴走機関車のごとし。
「さあ、先輩。先輩は今、恋とかしちゃってるんすか? さあさあ。言っちゃってください。さあさあさあ」
椅子から立ち上がり、盤上に覆いかぶさるように、グイグイと顔を近づけてくる春野。まるで、今からキスでもしようとしているかのよう。心なしか、その頬はほんのり赤くなっている。
あれ?
何だか、ものすごくいい香り。
これは、もしかして、ハルちゃんの……。
……って、違う!
「お、落ち着いて」
僕は、春野の両肩を持ち、勢いよく引き離した。バクバクとうるさい心臓の音。背中にじんわりと滲む汗。
あ、危なかった。もし、あのまま……。
安心したのも束の間。これくらいで春野が止まるわけがない。
「わ、私は落ち着いてるっす。というか、早く先輩の好きな人を教えるっすよ。さあさあさあさあ」
再度、身を乗り出して僕に顔を近づける春野。どうやら、僕がちゃんと答えるまでこの状況は続くらしい。しかも、いつの間にか、僕に好きな人がいる前提で話が進んでしまっている。
いや、まあ、いるにはいるのだけど。
「……………………別にいないよ」
僕は、春野から顔をそらしながら、呟くようにそう答えた。
「い、いないんすか? 好きな人」
「う、うん」
「…………」
「…………」
訪れる沈黙。窓の外から聞こえる学生たちの会話声。それが、いつもより大きく感じられた。
数秒後。
「そうっすか」
そう言って、春野は椅子に座り直した。その顔に浮かぶのは、何とも言えない複雑な表情。嬉しいような、悲しいような、怒っているような。いろんな感情が入り混じっているようだった。
「ハ、ハルちゃん?」
「……先輩」
「は、はい」
僕は今から何を言われてしまうのだろうか。全く想像がつかない。先ほどとはまた違った緊張に、思わず両手をギュッと握ってしまう。
春野は、ゆっくりと口を開く。そして、僕にこう告げた。
「けっ。面白くないっすね」
ひどい!
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