第3話 初登校

高校一年の五月初旬。

引っ越しを終えたハルが初登校するのは、新年度開始から一ヶ月遅れという外れた時期だった。


クラス内では転入生が来るらしいという情報が飛び交い、生徒達がやや浮つきながら待っている。

この古いばかりの(一応名門と名のつく)私立桜ノ塚高等学校は、半数以上が中等部から流れてくるエスカレーター式で、周りは顔見知りが多い。

それだけに新顔には仄かな期待と興味が集まるのだ。


「どんな子が来るのかな?」

「男の子らしいよ」

「遅れて途中編入なんて、何かワケありだったりして」


ひそひそと聞こえる思春期真っ盛りの声は、殆どが異性を意識した女子のものだ。

だがその好奇心丸出しのさえずりも、担任にハルが紹介された途端、遠くの彼方へと消えた。


笠井かさいハルです。よろしくお願いします」


決まり通りの挨拶で頭を下げた中肉中背の男子は、月並みという言葉のど真ん中に立っていた。

ひと目見て印象に残るのは緩くうねるくせ毛くらいで、おっとりとした顔はその辺に咲いているタンポポ並に平凡だ。

クラスメイト達の期待に満ちていた、あるいは値踏みするような目も、すぐに平静なものへと変わった。


「笠井さんは、えぇー、あの窓側の空いてる席へ座ってください」

「はい」


自己紹介という最初の関門をクリアしたハルは、肩から力をそっと抜きながら陽の当たる席へ向かった。

人前に立つのは昔から大の苦手だ。


腰を下ろした木の椅子は座り心地が悪かったが、窓の向こうには惜しみない青色が広がっている。

ハルは一応時間割に合わせて教科書を引っ張り出したものの、今朝通ってきた小山のことばかり思い返しながら空を眺めていた。


「笠井くん。笠井くんはどこから引越してきたの?」

「え…」


唐突に話しかけられて目を瞬く。

気を遣って声をかけてきたのは、三つ編みおさげの少し気の弱そうな女子だった。

他の生徒も自由に動き回っているので、どうやらいつの間にか授業は終わっていたようだ。

ハルはあたふたと席を立った。


「ご、ごめん。俺、ちょっと…」


曖昧な笑みだけを残し、逃げるように教室を出る。

次の休み時間も、その次も。

ハルはまるで声をかけられること自体を避けるように教室を出て行った。

昼休みともなれば、授業終了と共にさっさと弁当を掴み誰よりも早く廊下へ出た。


「えーと、どこか誰もおらん所は…」


元々マンモス校だとは聞いていたが、確かに校舎は迷路のように入り組み広い。

旧校舎まで行けばいい場所くらいありそうだが、迂闊に踏み込んで無事に戻って来る自信はない。

廊下の隅を歩いていると、ガラス面の多い非常用扉に辿り着いた。

冷たい取手を引き屋外へ出ると、足元にコンクリートの階段が続いている。


「ここでいいや」


非常階段を踊り場まで下りると、柔らかな葉ずれが耳に届いた。

ハルは冷たい階段に腰を下し、お弁当より先にイヤホンをポケットから取り出した。

繋いだスマホから迷わず選んだのは昨日見つけたばかりの洋楽だ。

再生ボタンを押すと、穏やかなピアノに乗せて黒人女性特有の甘く掠れた声が鼓膜を満たしていく。

ハルの意識はすぐに音の世界へと沈んだ。

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