第18話 My Bloody Valentine(10/17 '22 改
――1年前。
「セントウダ君。開発中の薬の被検体になるって? それ本気で言ってるの?」
サトシは警備員として、研究所に回されることになった。
コウゾウは、そんなサトシからこの話を聞かされたのである。
「治験のサンプルは、多いに越した事はないでしょう」
「君がいいっていうなら止めないけど……」
研究所では、現在、とある薬を開発している。どんな薬なのかは、社内でも最高機密だ。詳細は、極一部の人間にしか知らされていない。
「セントウダ君、君の考えは尊重するよ。でもね、俺は反対だよ。だって、君の身になんかあったとしよう。上司の俺が、責任取らされるんだよ」
「それは僕の一存です。会社だってわかってくれるでしょう」
「わかったよ。俺からはもう何も言わないよ」
コウゾウはサトシの決意の固いのを見て取った。それ以上は、何も言わなかった。
――研究所。
「おはようございます」
サトシは、目の前の研究員に挨拶をした。
「おはようございます」
研究員は、笑顔で挨拶を返した。
「調子はどうですか?」
研究員は、サトシに体調を聞く。
「いつも通り、変わりはありません……研究の方はどうですか?」
「そうですか、ならよかった。研究の方、ですか。捗っておりますよ。セントウダさんのおかげです」
研究員は自分の仕事に戻った。サトシは、彼の後ろ姿を見ていた。しばらくして、気を取り直すと、サトシも自分の仕事に戻った。
(なんで僕は、ユウジさんと話すとこんなにドキドキするんだ。小学生じゃあるまいし)
サトシは研究所に来た時、そこでユウジと会った。
ユウジはヒラの研究員だ。これといって秀でたところもない。特に、印象に残るような人物ではなかった。
サトシにしたら、ただそこで働いてる研究員でしかなかった。
あるときのことだ。ユウジが、他の研究員と楽しそうに談笑している様を見ていた。それを見て以降、サトシは、心が動くのを感じた。
(なんでユウジさんは、こんなドス黒いところで働いてるんだろうな)
ユウジの笑顔は屈託がない。それは、ミドリ製薬というところには、あまりにも似つかわしくないものだった。
何故、サトシはこう思ったか。というのも、特殊総務部という、ミドリ製薬の闇そのものに身を置いていたからである。
(ユウジさん……ここがどういう会社か、知らないで入ったんだろうな。かくいう僕もだけど)
ミドリ製薬は、新進気鋭の製薬会社である。だがそれは、裏の顔が巧妙に隠されたものだった。
もっとも、社長は戦中、満州で人体実験を行っていた部隊の残党の親戚だ。
中には、そのことで社長を批判するものも、いないわけではなかったが。
(ああ、なんてものを開発してるんだ……)
今開発中の薬は、とても世に出していいものではない。
なにせ、人間をヴァンパイアに変えてしまうのだから。サトシは身をもって、それを体感した。
(僕は、ユウジさんを守れるんだろうか?)
自分はとっくに闇の者だ。せめて、ユウジは守ろう。闇に取り込まれないように。
サトシが被検体になったのは、ただそれだけのためだった。
***
サトシは被験者となって、いく日か経った。実験は順調に進んでいった。
――ある日のことである。
ユウジは、研究所内の食堂に来ていた。遅めの夕食を取るためである。
「ユウジさん、ここ、いいですか?」
サトシはユウジに声をかける。
「あぁ、いいですよ」
ユウジは了承した。
「では、失礼します」
サトシはユウジと向かい合わせの席につく。サトシは、卓に血液パックを出した。
「気を悪くしたら、申し訳ありません。ですが、一人で黙々と取るのも、それはそれでなんか嫌なもので……」
サトシはユウジと一緒にいたかった。だからあえて、向かい合わせに座ったのだ。
人が食事をしている所に、血液パックを出す。それは、気が引けるものだろう。
サトシは、特殊総務部に配属される前は、営業部にいた。だからか、我を通す度量が備わっていた。
「構いませんよ。僕も一人はちょっと寂しいな、って思っていたところですから」
「ありがとうございます」
(本当に、ユウジさんは優しいな)
サトシは、ユウジの言葉を噛み締めていた。
「そういえば、イチジョウさん。以前は、お弁当持ってきてませんでした?」
「よくそんなこと覚えてますね」
「これが、仕事ですから」
警備の仕事には、研究員の監視も含まれていた。なので、研究員がなにを食べているのか、まで見ていたというわけだ。
(まぁ、なにを食べてるのか、まで見る必要ないけど)
サトシは、公私混同しないように務めてはいた。それでも、隙あらばこんな風に、ユウジと話そうとしてしまうのである。
「持ってきてたお弁当ですけど。もしかして、愛妻弁当ですか?」
「愛妻弁当かー。ハハハ、息子の弁当のついでですよ」
ユウジは照れ隠しか笑いながら話した。
(家族の話をしてる時が、いちばんいい顔するんだよな)
サトシはこの笑顔が好きだった。でも、この笑顔はサトシに向けられたものではなかった。
サトシにとっては、命に変えてでも守りたい存在であった。けれども、ユウジにとっては単なる仕事仲間であった。
(別にそれでいいんだ。ユウジさんが幸せなら、僕はどうなっても構わない)
サトシは自分に言い聞かせた。
***
(明日は、バレンタインデーか)
サトシは、スマホでカレンダーを見ていた。
(チョコレートか、何がいいんだろうな……ヴァンパイアになったから、試食できなくなっちゃったし。元々、甘いの好きじゃないけど……)
バレンタインデーは、恋人、もしくは意中の人に愛を伝える日だ。そんな日に、既婚者にチョコレートをあげるというのは如何なものか。
(別に、愛の告白したい訳じゃないし……ただユウジさんに感謝の意を伝えたいだけで……)
とはいえ、もしユウジが自分の気持ちに答えてくれたら、それは万が一でも有り得ないことだ。
それでも、もしかしたらと期待してしまう、そんな自分が嫌だった。
(なんで僕は、ユウジさんのことを好きになってしまったんだろうか)
ユウジは同性だ。いや、それは問題ではない。
問題なのは、ユウジが既婚者だということだ。
配偶者と不仲であるなら、サトシにもチャンスがあっただろう。しかし、不仲だという話は、ついぞ聞かなかった。
(僕は、一条家にとって、邪魔な存在なんだよな……)
それでも、チョコレート探しをやめることはできなかった。
――バレンタインデー当日。
サトシは、ユウジと2人きりになれるタイミングを見計らっていた。
スマホで調べたところ、仕事仲間に渡したい場合は外食に誘うのがよいとあった。
とはいうが、勤務時間は夜だ。そもそも、サトシは夜間以外、外出できない。オマケに血液以外の食物は受け入れられない身体になっていた。
そのため、どうしても渡したいとなると、研究所内でしか渡すしかないからである。
職務上、サトシはユウジの行動パターンを把握している。二人きりになれるタイミングは、掴んでいた。
確実に二人きりになれるところは、エレベーター内だ。
ユウジがエレベーターを使うであろう時間帯を見て、近くで待機する。
ユウジが現れ、エレベーターを操作する。
(よし、今だ)
サトシは誰もいないことを確認する。タイミングを見計らい、ユウジと共にエレベーターに乗った。
「あの、いきなりで申し訳ありません。これ、ほんの気持ちです」
サトシは、チョコレートを渡した。ユウジはチョコレートを受け取った。手渡された時、やや困惑の色を見せる。
「失礼しましたっ」
エレベーターのドアが空いた瞬間、サトシは返事を待たず、外に出た。
(とうとう渡してしまった……)
サトシの心臓は、早鐘を打っていた。
(一個1500円のブロガリのチョコだ。どう見ても義理じゃないよな)
サトシが渡したのは、時計が有名な高級ブランドのものだ。
元々、甘いものが苦手である。チョコレートのこともあまりよく知らない。だからあえて、高級ブランドのものを選んだのである。
(ユウジさん、迷惑だろうな。でも、渡しちゃったんだからしょうがない)
サトシは、気持ちを切り替えることに務めた。
***
――翌日。
「セントウダさん、話があります」
ユウジは、こんな話を切りだした。
話というのは、昨日のチョコレートの件だろうか。サトシは内心、穏やかではなかった。
「話ですか……今の時間帯、ここなら二人きりになれますよ」
「わかりました。それじゃあ、行きましょう」
サトシはユウジを連れて、地下に向かった。
「で、話というのは……」
「セントウダさん、誠に申し訳ありませんでした」
ユウジは深々と頭を下げた。
「やめてください。なんで頭を下げるんですか」
「セントウダさん、あなたの気持ちはよくわかりました。私がこんな研究をしたばっかりに……」
「なんで、イチジョウさんが謝るんですか。だいいち、被検体になろうと思ったのは、僕の一存です。後悔はしておりません。」
――そもそも、この研究は本社が決めたことだ。一介の研究員であるユウジには、どうしようもないだろう――
サトシの口から、こんな言葉が出かける。余計、自責感が強まるかもしれない。そんなことを考え、言葉を飲み込んだ。
「それに、僕が被検体になったことで研究が捗った。そう仰ってたではありませんか」
「ああ、だから間違ってたんです。他人の人生を犠牲にするような研究は間違っています……なので、決めました。内部告発します!」
「内部告発!?イチジョウさん、そんなことしたら、ただではすみませんよ」
ここで行われている研究が明るみに出れば、ミドリ製薬はただではすまないだろう。
もし内部告発しようものなら、ユウジは物理的に消される可能性さえある。
「内部告発なんてやめてください。もしかしたら、僕がイチジョウさんに手をかけることになるかもしれません」
汚れ仕事を一手に引き受けるのが、特殊総務部だ。
もし、ユウジを消すとなった場合、特総が駆り出される。その際、サトシが手を下す可能性は、充分に有り得ることだった。
「家族さえ無事なら、私はどうなっても構いません。
「……私には、家族がいるんです!」
サトシの中で、何かが切れた。サトシはユウジの首に手をかけた――
――ユウジの身体は、床にできた血溜まりに転がっている。サトシは、ユウジの頭を手にしていた。
その後、異変に気がついた警備員らによって、取り押さえられる。サトシは、研究所の一室に閉じ込められた。
後日、ユウジの死は、事故として処理された。
「僕が殺したんだ!僕がユウジさんを殺したんだー!!!」
ユウジの死を事故として処理された。
それを聞いたサトシは、あらん限りの声を張り上げた――
***
――撃たれたジェイは、医務室で目を覚ました。
「ジェイさん!」
ジェイの様子を見ていたカナは、歓喜の声をあげた。
「僕の、記憶を、勝手に、覗き見るな!」
ジェイはガバッと身体を起こし、頭を抑えながら喚いた。
『ようやく、正気に戻ったか。
『それと、別に好きで覗いた訳ではない。撃たれた時、勝手に流れてきたんだ』
「黙れ! 喋るな!」
「…ジェイさん?」
ジェイの様子を見て、カナは当惑していた。
「奴はもうジェイではない。セントウダ=サトシだ」
傍らにいたウラトは、そう断言した。
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