第17話 Frankenstein(10/17 '22 改
――ジェイは、何もせずに、ぼんやりする日々を送っていた。
流石に、食事は取っている。といっても、自発的にというより、命令された義務感でこなしているようである。
「――失礼します。イハラさん」
カナは、ウラトのいる部屋の扉をノックした。
「入れ」
カナは、恐る恐る、扉を開けた。
「そんなにビクビクせんともよい。取って食ったりせんわ」
そういうウラトの顔は、幾分か穏やかそうだ。カナには、そう見えた。
「で、用はなんだ? まさか、何の用もなく、余の前に姿を表したわけでもあるまい」
「用はですね。ジェイさんのことです。何だかぼんやりしてるから、心配になってしまって……」
「なるほど」
ウラトは、ジェイの様子を思い描いた。今は、食事をしている時以外、殆ど動いていない。見る限り、椅子の上に座っている状態だ。
そういえば、「人形のようだ」という第一印象を持っていた。今のジェイこそ、正しく人形ではないか。ウラトは苦笑した。
「ところで、お前はジェイに何をしたいんだ」
「何をしたいのか……と言われても……私、ジェイさんに、なにかしてあげられないかな、と思いまして……」
「そういうことか……うむ。お前なら、任せられるか。ここの書斎を、自由に使っていいぞ。あいにく、堅苦しい本しかないが」
「ありがとうございます!」
ジェイを自分に任せてもらえた。カナは、そのことを心から喜んだ。
***
「ジェイさん、書斎に行ってみない?イハラさんから入ってもいいって言われたの」
「書斎とは何だ」
「書斎っていうのは、本がいっぱい置いてある部屋よ……ジェイさん、字は読めるの?」
「わからない。ジョハンの時は読めてたが」
「とりあえず、行ってみましょう」
ジェイは、カナと共に書斎へ向かった。
***
――書斎。
「……難しそうな本ばっかりね」
カナは、書棚を一通り見た。
そこには、カナが普段読んでいるライトノベルのような本はない。著名作家の全集や専門書といったような、上の年齢の者が読むような本が並んでいる。
そういえば、ウラトが「堅苦しい本しかない」と言っていた。ふと、そのことを思い出した。
「ジェイさん、『これ読みたいな』っていう本ある?」
カナは、ジェイに尋ねてみる。ジェイは無言で書棚を眺めていた。
「この本は……」
カナは、とある書物に目が止まった。メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』である。
「えーと……」
この書棚にある中で、カナが唯一、読んだことのある本だ。
名作であることに、異論は無い。ただ、博士に作られた怪物が、己の存在を呪うという話である。ジェイに読ませるのは些か不適切であろう。カナは心に痛みを覚えた。
カナは、ジェイの方を向いた。ジェイは相変わらず書棚を眺めている。
「ジェイさんは、何が知りたいの?」
知りたいことがあるなら、それに関する本を読めばいいのではないか。そう思いついたカナは、質問を変えた。
「ヒトの事が知りたい」
「……ごめんなさい、私もよく分からないの……」
ヒトの身体の構造のといった、機能的なことであるなら答えはあるだろう。
しかし、「人は何を考えるのか」とか、「何故、そのような行動を取るのか」とか、そんなことを言われても答えようがない。
そもそも、人だって人のことをわかっていないのではないか。だから、こんなに大量の書物があるのだ。ジェイの問いかけに対し、カナは困りきってしまった。
「そうだ……ジェイさん、この間のことで、ずっと気になってることがあるのだけど……立っているのもあれだから、椅子に座りましょうか」
「わかった」
カナは、本を読むのは、ひとまず置いておくことにした。
それよりも、話を聴いた方がいいのではないか。そう考えたカナは、ジェイを席に誘導する。席に着いたのを確認してから、カナは向かい側に座った。
「気になってるっていうのは、この間のことね。ジェイさん、どうして泣いてたの?」
「泣いてたって、『目から涙を流す』ことか。わからない」
「そうなの……」
カナは、我ながら答えにくい質問をするなと思った。しかし「わからない」とはどういう意味なのだろうか。
泣いている理由が、自分でもわからない、ということか。それとも「悲しいということが、どういうことかわからない」なのか……
「ジェイさん、以前にも、泣いたことある?」
思い切って、質問を変えてみた。これも答えにくい質問だが、答えてくれるだろうか? カナは、そんなことを考えた。けれども、質問をしてしまったからには、取り返しがつかなかった。
「以前か。私はここに来る前、『レジスタンス』と呼んでいたヒトを始末する、という命を受けていた」
ジェイは淡々と答えた。この時、カナは「ジェイは人間を戦闘マシーンに変えるもの」だと言われていた事を、思い出した。
「その命を受け、私は、レジスタンスのアジトに乗り込んだ。その時の宿主はジョハンだ。ジョハンは、レジスタンスのメンバーだと言われていた。だから、なんの抵抗も受けず、アジトに侵入した」
カナは怖気だった。――味方だったものを、兵器として送り込むなんて!
「どうした。カナ」
「私、どうかしてる? そんなことより、ジェイさん。嫌だったら全部話さなくてもいいのよ」
自分が、どんな顔をしているのかわからなかった。ジェイが気にかけるくらいだ。きっと、ひどい顔をしているのだろう。
そんなことより、カナはジェイのことが気がかりだった――もしかしたら、触れてはならないことに、触れてしまったのかもしれない――
「アジトに侵入したとき、私はそこにいたヒトを、全て始末した」
ジェイは、話を再開した。
カナは、聴きたくない気持ちと、聴きたい気持ちの間で板挟みになっている。
「始末したヒトの中に、指輪を持っている者がいた。チタンの指輪だ。その指輪は、ジョハンが持っているものと、よく似ていた。私は、見比べようとして自分の体中を調べた。そのとき、指輪がなくなっていることに気がついた」
話を聴いていたカナの顔は、青ざめていた。目には、血の涙が浮かんでいる。
「その指輪を、何故、大事にしていたのかわからない。けれど、手放してはいけないものだ。私は、そう感じていた」
そう語るジェイの目が、涙ぐんでいる。カナは、その事に気がついた。
「ごめんなさい! 辛い話をさせてしまって……」
「『ごめんなさい』とは、どういう意味だ。カナが謝る理由がない」
ジェイの頬に、涙が伝っていた。
***
――しばしの間、その場は沈黙に包まれていた――
突如、ジェイは、席を立つ。
「ジェイさん?」
カナの呼びかけを無視し、そのまま席を離れた。
ジェイの向かっていった先には、少年がいた。
少年は、カナとはあまり変わらないように見えた。けれども、同年代と比較しても、随分と背が高い。
服装は、黒いTシャツの上に、黒いパーカーを羽織っている。
ジェイは、その少年のことを知らなかった。話しかけようとしたのだろうか。少年に向かって、更に歩を進めた。
その時である。
ターンッ!
「ジェイさん!?」
部屋に銃声が鳴り響いた。ジェイは仰向けに倒れた。胸に銃痕が空く。そこから血がドクドクと流れている。
「痛い! 離せ!」
「逃げられると思ったか! 貴様! 何をやった!?」
少年は、書斎から逃げるように出ていった。出たところを、アサトに取り押さえられた。銃は床に転がっている。
「レイハ! 書斎の方を!」
「かしこまりました」
あとから、レイハが来た。レイハは、アサトの指示で書斎に向かった。
「コフタさん、大丈夫ですか?」
レイハは書斎に入る。まず、カナの安否を確認した。
「私はなんでもないわ、でも……」
カナは座り込んでいた。その体勢で、ジェイの様子を伺う。
ジェイの方はというと、目を見開いたまま、横たわっていた。床には血溜まりができている。
「ジェイさん……」
カナは今にも、泣きそうな顔になっていた。
――自分の身に何が起こったのか。ジェイは理解できなかった。そして、頭に走馬灯が走った――
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