第15話 No More Tears(10/16 '22 改

 研究所を出発した車は、伊原邸に辿り着いた。乗せられたサトシは、深い眠りに落ちている。


「連れ出せたようだな」

 アサトは車を迎えに来た。


「はい。思いの外、スムーズでした」

 レイハは、運転席から返事をした。


「とりあえず、奴を車から出そう。えっと……」

 アサトは、助手席に座っているカノコを見た。


「車から出すのを手伝えって言うんでしょ。りょーかいしました。

「ちなみに、『今は』リリーだよ」


 リリーは車から出る。

 アサトと共にサトシの入ったケースを、周りにぶつけぬよう、慎重に外に出す。そうして出し終わったケースを、邸の中に入れた。



***


「よくやったぞ、リリー」

 ウラトは、リリーの仕事ぶりを褒めた。


「イハラって人を褒めることがあるんだね」

「無礼な口を聞くな!」

 アサトはリリーの態度を見て、声を荒らげた。


「ハハハ。いい仕事をしたら褒める、当たり前であろう?アサトもいちいちかっかするでない。


「それはそうと、セントウダ=サトシの様子はどうだ?」

 ウラトはアサトに尋ねる。


「未だ、深い眠りに落ちているようです。我々が別室に運びましたが、ピクリともしません」

「そうか」


「アタシ、起こせるよー」

 リリーは、ウラトとアサトの会話に割って入った。


「セントウダを起こすだと?」

 リリーの発言に対し、アサトはこう返した。

「うん」


「実際に起こせるのかどうかは、ひとまず置いておく。お前は、こんなことを言っていただろう、『セントウダは眠る前に大暴れした』と。

「奴が暴れたらどうする気だ。私たちは無事ではすまないぞ」


「んー、そこはアタシがなんとかするよ」

 アサトは懸念を表明した。それに対し、リリーはあっけらかんと答えた。



***


 ウラトとアサトとリリーの3名は、サトシの入ったケースを置いた部屋に入った。


「ケース、鍵かかってるんだよね。アタシが開けるね」


 リリーはカードを取り出す。それを、カードの差し込み口に挿入した。ケースの蓋がゆっくりと開いていく。


 ケースの中には、目を閉じて横になっているサトシがいた。


「起こすと言ったな。どうやっておこ……」

「起きろー!」

 アサトが言い終わらないうちに、リリーはサトシの耳元で大声を出した。


 すると、サトシは目を開いた。目は開いたが、体は硬直しているかのように動かない。しばらくそうしていたが、突如、上半身を起こす。それから、大声で叫んだ。


「ああああああああぁぁぁ! あ、頭に虫がぁぁぁ! 誰か、誰か、取ってくれぇぇぇぇ!」


 サトシは、頭を掻きむしりながら、悲鳴をあげる。

 やにわに立ち上がり、壁の方に向かって走り出す。そして、狂ったように頭を打ち付けた。部屋に鈍い音が響く。


 ひとしきり打ち付けると、その場に崩れ落ちた。また眠りに落ちたようだ。


「どういうことだ……これは……」

 アサトは、サトシの一連の行動を見ていた。サトシの身に、何が起こったのだろうか。ただただ当惑していた。


「ごめーん。起こし方間違えた」

 リリーは舌を出した。


「今度は、気をつけるね」

 リリーは、床に寝そべっているサトシの元に行く。再度、耳元で叫んだ。


「ジェイ、起きろー!」


 再び、サトシは飛び起きた。今度は冷静な様子を見せている。辺りの様子を見回すように、首を左右に動かす。


「ここは……?」

 サトシは、そばに居るリリーに尋ねた。


「ここは、伊原邸だよ」

「伊原邸か……どうして私は、ここにいるんだ?」


「それを説明すると、長くなるなぁ。後で、でいい? それより、あそこに立ってる二人が誰だかわかる?」

 リリーは、ウラトとアサトの方を指差した。


「ウラトと……アサトか?」


「待て。何故、貴様は初対面である我々の名前を言い当てた?」


 アサトは、サトシとは初対面だ。自分の名前を知っている筈がない。それなのに、言い当てたのだ。アサトが驚くのも無理はない。


「アサト、私は共に行動していただろう」


「何を言っているんだ……まさか……」

 アサトは、信じられないというような表情を浮かべた。


「アサト、奴は紛うことなきジェイだ。無表情なのに何処となく惚けた面を見ればわかる」


 アサトは『見ればわかる』と言われたが、どう見ても別人だ。ジェイだと言われても、到底信じられなかった。それが、主人の言だとしてもだ。


「ここまで言わないとわからんか。ジェイの宿主がセントウダに変わったんだ。奴は、パラサイトだ」


 アサトは右手で顔を覆った。先程のウラトの言を信じられなかった――もとより、受け入れられなかった。


「余は、奴を無名経典で呼び出したのだぞ。存在自体が反則のようなものだ。そう考えたら、おかしくはなかろう。その正体が、理解の範疇を超えたものであったとしても」


「……ウラト様。では、ジェイ『だったもの』は、セントウダに吸収された。だが、ジェイの方は吸収されることなく、身体の中に残った……ということですか?」


「そういうことになろう。宿主の方は、人の姿を留めておったから、吸収された。ジェイが残ったのは、人と異なる生物故だろう」


 ウラトとアサトは話を続けていた。


 その傍らで、リリーは、袖を引っ張られたような感覚がした。引っ張られた方を見ると、ジェイが袖を掴んでいる。


「ところで、あなたは誰だ」

「アタシ?リリーだよ」

「リリーというのか。どこかで会ったような気がする」


「どこかで会った、ねぇ。カナのことは知ってるでしょ? アタシ、カナのパラサイトなの。あんたと同じよ……

えーと、あんた、カナのことを吸血した時、血をあげたでしょ。あの時、カナの中にアタシが入ったんじゃないかなぁ。よくわかんないけど」


「カナが宿主になってるのか。それにしても、雰囲気が違うような気がする」

「そうねぇ。アタシ、別な所に侵入してたの。顔とか背の高さとか、ちょっと変えてるのよ」


「カナはどうしたんだ」

「カナは大丈夫。今は寝てるだけ……ていうか、あたしは特別な用がない限り、引っ込んでるよ。今のジェイと同じだね」


「ジェイ! お前に聞きたいことがある」

 ジェイとリリーの会話に、ウラトが割り込んできた。


「お前、セントウダに何をしたんだ」

「私は何もしていない」

 ジェイは断言した。


「私は何もしていない。

以前の宿主は、ジョハンというんだ。ジョハンが、サトシに吸収された後、私はしばらく意識を失っていた。

意識を取り戻したとき、私は、見慣れぬ所にいた。そこで、サトシに『ここは何処だ』と尋ねた。そうしたら、何故か急に暴れだしたんだ。

このまま暴れてたら、収拾がつかなくなる。なので、やむなく眠らせることにした」


 ジェイの話を聞いたアサトは、しばらく固まっていた。


「大丈夫か?」

固まっているアサトを見て、ウラトは声をかけた。


「大丈夫です! ご心配をかけさせてしまいましたっ」

 アサトはどうにかして返事をした。取り繕うのがやっとだった。

「本当に大丈夫なのか? お前まで気が触れたらどうなる。それこそ収拾がつかない」


「私は何もしていない……」

 ジェイが、身体を震わせている。目から涙が溢れてきた。


「何だ、これは……」

 ジェイは手で涙を拭っていた。目から、涙が止めどなく流れる。


「そうだな。お前は何もしていない」

 ウラトはジェイの肩を叩いた。


「あー、もう。カナに戻っていい?」

 リリーは、ウラトに尋ねた。

「用は済んだからな。戻っていいぞ」


「じゃ、戻すよ、カナ」


 リリーは頭を垂れ、全身を脱力させた。

 それと同時に、リリーの背が縮む。顔つき、もあどけなさを残したものになる。

 しばらくして、頭を上げる。リリーはカナになった。


「ええと……イハラさんの隣にいる方は……」

「ジェイだ。色々あって、外見が変わっているが」


「……ジェイさん?」

 カナはリリーになっている時の記憶がない。だからか、状況が、いまいち飲み込めなかった。


 カナは肩を震わせている、ジェイの顔を見た。相変わらず、すすり泣いている。


「イハラさん、ジェイさんはなんで泣いているんですか?」


 カナの問いかけに対し、ウラトは神妙な面持ちを浮かべた。


「わからん」

「そうですか……」


 カナとウラトは、すすり泣くジェイのことを見守っている。寸刻後、カナは口を開いた。


「……イハラさん。ジェイさんは、何者なんですか?」

 カナの声は震えていた。


「奴は、人間を戦闘マシーンに変える、パラサイトだ。以前の宿主は、ジョハンというらしい。詳しいことは、よくわからん。

わかっていることは、ジョハンは、人間だった。だがある日、謀略にかかり、ヴァンパイアになった。挙句――」

 ウラトは、観念したかのように、カナの質問に答えた。


「ジェイさん、『リリーは彼の妹だ』って言ってましたけど……」

「おそらく、『彼』とはジョハンのことだ」


「……イハラさん。知ってましたよね……?」

 ウラトは、カナを見た。カナは、わなわなと震えていた。


「ひどい!」

 カナは声を張り上げた。目から、血の涙が滲み出る。


「ひどい!よくこんなことさせましたね。ジェイさんと、ジョハンさんのことを知ってて!!」

 血の涙が、カナの頬を伝った。


「エリさんが大事なのは、よくわかりました! エリさん以外は、どうでもいいことも!」


 カナは、激しい憤りを表した。ウラトは、ここまで憤っているカナを、見たことがなかった。


「来い、アサト」

 ウラトは、アサトを呼びつける。アサトと共に部屋を出た。

 そんなウラトの後ろ姿を、カナは睨みつけた。目に血の涙を浮かべながら。



***


「……笑ってくれ、アサト。今の余の、体たらくを」

「ウラト様……」

 アサトは答えに窮してしまった。


「よくわかってるじゃないか。たかが十数年しか生きてない、小娘の分際で。エリのこと以外、気にも止めてないことに……」


 アサトは、何時になく項垂れている主人を見た。その姿を見て、かける言葉を失ってしまった。


「エリは、ジェイを使役することを望んでおらん。そんなこと、わかっておるわ……」


 ウラトは、力なく笑った。目には、血の涙が浮かんでいた。

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